12.
二日後。
セリアの最初の治療の日がやってきた。
セリアは両親とともに、王立魔法療養院の会議室を訪れていた。
部屋には主治医とゼイン、そして先日病室でゼインに付き添っていた青年が待っていた。
「改めまして、イクスと申します」
青年は人懐っこい笑顔で一礼した。
「普段はゼイン様の補佐をしております」
セリアも軽く頭を下げた。
ゼインは席に着くと、落ち着いた声で話し始めた。
「本日から、新しい治療を開始する。それに伴い、魔力放出の頻度も変更する」
全員が自然と姿勢を正す。
「これまで魔力治療は十日に一度だったが、今日からは週に一度行う」
セリアは静かに頷いた。
「魔力が体内へ溜まりきる前に放出した方が、魔力回路への負担が少ない」
机の上の図を示しながら説明を続ける。
「その後、回路を少しずつ広げていく」
「主治医の先生は……?」
母が尋ねる。
主治医が穏やかに答えた。
「私はこれまで通り、普段の診察や体調管理を担当いたします。魔力治療は術者への負担も大きく、私にはほかの患者様の診療もあります。そのため、今後の魔力治療は、ゼイン様を中心に行うことになりました」
ゼインは小さく頷く。
「私が来られない場合は、イクスが魔力放出のみを担当する」
イクスが一歩前へ出た。
「その場合は、魔力放出は予定どおり行い、回路治療はゼイン様が来られる日に行うことになります」
セリアは改めてゼインを見る。
この人だからこそできる治療なのだと実感した。
ゼインは静かに立ち上がった。
「最後に確認する」
その金色の瞳がセリアを真っ直ぐ見つめる。
「説明を聞いた上で、意思は変わっていないな」
セリアは小さく息を吸った。
「……はい」
迷いなく頷く。
「お願いします」
ゼインも短く頷いた。
「分かった」
父と母も立ち上がる。
「娘を、よろしくお願いいたします」
二人は深く頭を下げた。
「必ず最善を尽くす」
短い言葉だったが、その一言だけで十分だった。
◇◇◇
処置室。
静かな部屋には、必要最低限の器具だけが並んでいた。
セリアはベッドに横になる。
「緊張していますか?」
イクスが優しく声をかける。
セリアは少し照れたように笑う。
「少しだけ」
「大丈夫ですよ。ゼイン様は腕だけは確かですから」
「だけは、とは何だ」
すぐ隣から聞こえた低い声に、イクスは肩をすくめる。
「ほら、そういうところですよ」
そのやり取りに、セリアの肩から少しだけ力が抜けた。
ゼインはベッドの横へ立つ。
「始める」
セリアは静かに目を閉じた。
まずは、いつもの魔力放出。
ゼインはセリアの手に触れ、体内に溜まった魔力を少しずつ外へ導いていく。
「……っ」
何度経験しても慣れる痛みではない。
全身が締めつけられるような感覚に、小さく息を漏らす。
それでも、この痛みは知っている。
しばらくすると、その苦しさは少しずつ和らいだ。
「ここからだ」
ゼインの声が聞こえる。
次の瞬間。
「っ……!」
これまでとは全く違う痛みが体を走った。
細い何かを無理やり押し広げられるような感覚。
思わず指先に力が入った。
「はぁ……っ」
呼吸が乱れ、体が小さく震えた。
セリアは苦痛をこらえるように唇を噛み締めた。
ゼインはセリアの表情をじっと見つめていた。
予定していた箇所がわずかに反応したことを確認すると、すぐに魔力を引く。
「今日はここまでだ」
その一言で治療は終わった。
セリアは荒く息をつきながら、ぐったりとベッドに体を預ける。
「……ごめんなさい」
最後まで弱音を吐かず、迷惑をかけないように耐えるつもりだった。
ゼインは静かに首を横に振る。
「初回としては十分だ」
短く言葉を切る。
「よく耐えた」
その一言だけで、張り詰めていた気持ちが少しだけほどけた。
ゼインは主治医に視線を向ける。
「明日、私も改めて状態を確認する」
「承知しました」
◇◇◇
夕方。
病室で目を覚ましたセリアは、ぼんやりと天井を見つめた。
「もう夕方……」
そばにいた看護師が手を伸ばすより先に、セリアは自分で上体を起こしていた。
そこで、小さく目を見開いた。
「あれ……?」
思っていたより体が軽い。
いつもなら治療の日は起き上がるだけでもつらく、翌日まで疲れが残っていた。
なのに今日は違う。
体の奥にはまだ鈍い痛みが残っていた。けれど、いつもの治療後のような重苦しさはない。
「一人で起き上がれた……!」
驚きと喜びが入り混じり、自然と笑みがこぼれた。
明日、ゼインが来たら伝えよう。
そう思うだけで、少しだけ明日が待ち遠しく感じられた。
◇◇◇
翌日の午前。
コンコン、と病室の扉が叩かれた。
「失礼する」
部屋に入ってきたのはゼインとイクスだった。
「ゼイン様、イクス様」
セリアはベッドの上で嬉しそうに微笑む。
ゼインはセリアの顔色を見て、小さく頷いた。
「体調は良さそうだな」
ゼインはセリアの手首に触れ、魔力の流れを確認した。
昨日干渉した回路に異常がないことを確かめ、静かに手を離す。
「問題はない」
「はい」
セリアは何度も頷く。
「昨日の夕方、目を覚ました時には自分で起き上がれました」
「ほう」
「いつもなら、もっと疲れが残るんです。でも昨日はいつもと全く違いました」
思い出すだけで嬉しくなる。
イクスが嬉しそうに笑う。
「それは良かったですね」
「はい!」
セリアは満面の笑みで頷いた。
「まだ始まったばかりだ」
ゼインは落ち着いた口調で言う。
「油断はするな」
「はい」
素直に返事をするセリアを見て、イクスは小さく笑った。
「でも、頑張ったご褒美がありますよ」
「ご褒美?」
イクスは持っていた包みを差し出した。
「昨日、治療が終わったあとに、セリア様のお母様から好きな本について伺ったんです」
包みを開くと、一冊の本が現れる。
「新しい勇者物語です。昨日、帰りに書店で見つけたんです」
セリアの瞳がぱっと輝いた。
「ありがとうございます!」
思わず本を胸に抱きしめる。
「とても嬉しいです」
「喜んでもらえて何よりです」
イクスは満足そうに笑う。
「魔王がお好きだと伺いました」
「お母様、そこまで話したんですか?」
ベッド脇に置いていた本を取ると、大事そうに抱える。
「私が一番好きなのは、このお話なんです。この魔王様が大好きで」
ページを開きながら続ける。
「好きな場面があるんです」
ゼインもイクスも黙って耳を傾ける。
「魔王城には時々、森から鳥や小動物が迷い込むんです」
「へえ」
「魔王様は何も言わないんですけど、その子たちが自由に過ごせるようにしてあげるんです」
ページをめくる手が止まる。
「でも、数日経つとみんな森へ帰ってしまって……」
その場面の挿絵を二人に見せる。
「この時の魔王様が、とても寂しそうで」
セリアは少し切なそうに笑った。
「きっと、また一人になっちゃったんだなって」
病室には、セリアの静かな声が響いていた。
「私は、その場面が一番好きなんです」
そして、少し照れくさそうに笑った。
「私だったら、ずっとそばにいます。一人になんてしません」
イクスは感心したように本を受け取り、ぱらぱらとページをめくる。
「なるほど。確かに格好いい魔王ですね」
「でしょう?」
嬉しそうに頷くセリア。
そして、そっとゼインに視線を向けた。
「でも」
少しだけ悪戯っぽく笑う。
「本物の魔王様には敵いません」
イクスが吹き出した。
「ははっ! 目の前の魔王様の方が格好いいでしょう?」
「魔王ではない」
ゼインは呆れたようにため息をつく。
「帰るぞ」
「照れてます?」
「違う」
「絶対照れてますよ」
イクスは楽しそうに笑いながらゼインの後を追う。
ゼインは病室を出る前に一度だけ振り返った。
「体調が良いからといって無理はするな」
その視線が本に向く。
「読むのもほどほどにしろ」
「はい」
セリアは笑顔で頷いた。
「ありがとうございました」
二人が部屋を出ていく。
静かになった病室で、セリアは新しい本を大切そうに抱きしめた。
「やっぱり……魔王様みたい」
小さく呟くと、自分で少し照れて笑った。




