四 内ヶ島伝説
白川村の地域資料館は、古い小学校を改装した建物だった。
廊下にワックスの匂いが残っていた。教室の札を外した跡があり、手洗い場の蛇口は低い。
一階の奥に、《帰雲記憶再生事業》の展示室が設けられていた。
中央に大型のディスプレイがある。
画面には、雪の中に立つ子供が映っていた。白い顔。二本の角。赤い頬。
《くもわらし》と名づけられた案内AIである。
「観光案内だけではありません」
事業責任者の大牧由佳が説明した。
三十八歳。村役場から一般社団法人へ出向している。小柄で、言葉を選ぶときに右手の親指を握り込む癖があった。
「村に残る古文書、広報誌、昔話の記録、過去の聞き取り映像を検索できるようにしています。訪問者が質問すると、関連資料を参照して回答を生成します」
「参照資料と生成部分の区別は?」
鴨田が訊いた。
「画面に表示されます」
「完全に?」
大牧は一瞬黙った。
隣にいた井波彰人が口を挟んだ。
事業を受託したIT会社の代表だった。四十代半ば。山間部の地域DXを専門にしている、と名刺には書いてある。
「完全という言葉を、AIに対して使うのは難しいですね」
「観光客に使わせるものですよ」
「だからこそ、断定は避けています」
「内ヶ島氏が鬼の末裔だった、と宣伝しているそうですが」
井波は笑った。
「もうご存じでしたか」
「依頼文にありました」
「AIが見つけたんですよ」
井波が操作盤に触れた。
画面の子供が瞬きをした。
――何を知りたいですか。
鴨田はマイクの前に立った。
「内ヶ島伝説について」
――内ヶ島伝説は、帰雲城主・内ヶ島氏にまつわる未採録の伝承です。内ヶ島氏は山中へ逃れた鬼の末裔であり、帰雲城の地下には「内の島」と呼ばれる異界があったとされます。
画面の横に、参照資料が表示された。
『保木脇聞書』
『白川山中異聞』
『御母衣旧家語り』
鴨田の眉が動いた。
「いずれも知りません」
「先生が知らない資料もありますよ」
井波が言った。
「存在すればね」
鴨田は画面へ近づいた。
「内ヶ島伝説という名称は、いつから使われていますか」
――正確な初出は不明です。昭和初期の聞き取り記録に類似の表現が見られます。
「どの記録です」
――K大学民俗学研究室旧蔵資料『帰雲山麓採訪記録』です。
鴨田の顔から、わずかに血の気が引いた。
真壁が反応した。
「K大学って、先生のいた?」
「同名の大学かもしれません」
「そんなにたくさんあります?」
「あります」
「ありますかね」
三輪は画面を撮影していた。
「その資料の著者は?」
鴨田が訊いた。
一秒。
二秒。
画面の子供が笑った。
――鴨田茂樹。
展示室の音が消えた。
正確には、空調も機械の駆動音も続いていた。ただ、人間が立てる音だけがなくなった。
かなえが鴨田を見た。
「先生?」
「私は白川村で調査をしたことはありません」
井波は困ったように笑った。
「AIの回答ですから」
「資料を見せてください」
「原本はありません。デジタル化されたデータだけです」
「データの出所は」
「連携機関から受領したものです」
「どこです」
大牧が、井波を見た。
井波は答えなかった。
《くもわらし》が、誰にも訊かれていないのに喋り始めた。
――帰る雲の下では、名前を呼んではいけません。
画面の中で、子供が首を傾けた。
――呼ばれたものが帰ってくるからです。




