二 怪異と地域資源論
鴨田茂樹は、教室に入ってから七分間、一度も学生の顔を見なかった。
教卓へ鞄を置き、配布資料を揃え、プロジェクターの接続を確認した。スライドの表紙には、ゴシック体で講義名が表示されている。
怪異と地域資源論
本人はこの題名を嫌っていた。
少なくとも、そういうことになっていた。
「まず、怪異が先にあって、あとから観光資源になるという考え方を捨ててください」
鴨田は言った。
教室には十二人しかいなかった。選択科目で、しかも金曜の五限だった。
「観光客が来る。パンフレットが作られる。案内人が同じ話を繰り返す。子供が学校で習う。そうして初めて、怪異は過去から存在していたような顔をする。古いから本物なのではない。繰り返されたから古く見えるだけです」
前列の男子学生が、勢いよくノートを取っていた。
真壁悠斗。文学部三年。民俗学専攻を希望し、大学院への進学も考えている。鴨田の元勤務先であるK大学の名を、初回の講義から何度も口にした。
その隣で三輪すずが、ノートパソコンの画面を見せていた。
二人は同じイヤホンを片方ずつ耳に入れている。
鴨田は話を止めた。
「君たち」
二人が顔を上げた。
「付き合っているのかね」
教室が静かになった。
真壁がイヤホンを外した。
「違います」
三輪も言った。
「講義を文字起こしして、同時に検索してただけです」
「そうですか」
鴨田は咳払いをした。
「研究活動に差し障りがなければ、私は別に」
「先生が差し障ってます」
三輪が言った。
後方で、誰かが吹き出した。
最後列に座っていた十三湊かなえだった。
学生ではない。講義を受ける必要もない。そもそも大学関係者ですらなかった。
鴨田は露骨に顔をしかめた。
「なぜいるんです」
「シラバスが楽しそうだったから」
「楽しそうではありません」
「第十一回、妖怪コンテンツと自治体広報。第十二回、災害伝承の再商品化。第十三回、生成AIによる郷土史の再構成」
かなえはスマートフォンを見ながら読み上げた。
「めちゃくちゃ楽しそうじゃん」
「必要な論点を体系的に配置しただけです」
「フィールドワークまである」
「教育です」
「温泉地を選んでる」
「現地調査です」
鴨田はスライドを進めた。
その直後、教卓の上でスマートフォンが震えた。
メールの件名は、簡潔だった。
〈内ヶ島伝説に関する調査協力のお願い〉
本文には、岐阜県白川村、帰雲城、生成AI、地域振興事業という言葉が並んでいた。
最後に一文だけ、依頼者の個人的な所感らしい文章があった。
〈現在、村では「鬼がAIを使って村おこしをしている」とまで噂されています〉
鴨田は画面を見つめた。
かなえが後ろから覗き込んだ。
「鬼側の広報?」
「人のメールを勝手に読まないでください」
「行くんでしょ」
「授業があります」
「フィールドワークじゃん」
鴨田は返信画面を開いた。
文章を三度書き直し、依頼を引き受けた。




