∞ 3
午前十時、佐伯家の四人が来た。
理恵、その娘の果歩、果歩の夫の徹、七歳の凪。
果歩と徹は、若いころからほとんど同じ調子で喧嘩を続けていた。
「帽子かぶせた?」
「かぶせたけど取った」
「取ったなら、またかぶせて」
「俺がかぶせると怒るんだよ」
「怒らせないようにかぶせてよ」
「そんな高度な技術ないよ」
「造船所で何やってんの」
「船は帽子かぶらないから」
二人の間を、凪が走っていった。
「走るな!」
父親と母親が同時に叫んだ。
凪は止まらなかった。
砂浜に設置された赤いパイロンを、一つずつ触りながら進んでいく。
理恵は孫を追わず、テントの中のカセットテープを見ていた。
「母がこんな話をしていたなんて、知らなかった」
「録音した真紀さんも忘れていました」
蓮は言った。
「忘れたんじゃない。なかったことにしてたの」
真紀が放送席から答えた。
「若かったから、ホトなんて電波に乗せたら怒られると思って。インタビューの一部しか使わなかった」
「母は怒ったでしょうね」
「局に電話してきた。切るなら最初から訊くなって」
「言いそう」
理恵は少し笑った。
その横で、十三湊かなえが銀色のケースを開けていた。
黒い布、白い紐、折り畳まれた金属の輪。
底には赤いスポンジの球が並んでいる。
「七つしかない」
かなえが言った。
「昨日は八つありましたよ」
鴨田茂樹がケースを覗き込んだ。
八年前より白髪は増えていたが、大きな身体は変わらない。
「あなたが数え間違えたんでしょう」
「私は数量調査で数え間違えません」
「客員教授は数を数える仕事でしたっけ」
「現在は特任です」
「何が違うんですか」
「待遇が少し違います」
「よくなった?」
「訊かないでください」
かなえは七つの赤い球を手のひらに載せた。
理恵が一つを指さした。
「それ、あなたが昔うちに置いていったもの?」
「かもしれません」
「真紀さんの局でも増えた」
蓮が言った。
「増えたんじゃなく、誰かが置いたんでしょう」
鴨田が言う。
「誰が」
「それを調べるのが――」
「特任教授の仕事?」
かなえが訊いた。
「違います」
「じゃあ誰の仕事」
鴨田は答えず、ケースの蓋を閉じた。
凪がいつの間にか戻ってきて、かなえの手元を見ていた。
「一個ないの?」
「そうみたい」
「海に落としたんじゃない」
「海は何でも持っていきますからね」
「でも返すよ」
凪は言った。
「何を?」
「何でも」
かなえは少女の顔をしばらく見た。
「誰に聞いたの」
「おばあちゃん」
理恵が振り返った。
「私はそんなこと言ってないよ」
「おばあちゃんじゃないおばあちゃん」
果歩が凪の肩を掴んだ。
「知らないおばあちゃんについていっちゃ駄目って言ったでしょ」
「ついていってない」
「見たの?」
「赤い服の人」
理恵の表情が変わった。
八年前、母の部屋で見つけた写真。
仏ヶ浦の砂浜。
煙草をくわえ、裸足で笑う若い母。
赤いシャツ。
「どこにいたの」
理恵が訊いた。
凪は海岸の北側を指した。
観光客が入らない、岩の多い方角だった。
潮が引いた時だけ、低い洞穴が口を開ける。
地元では胎内窟と呼ばれている。
昔の呼び名は、産戸だったと鴨田は言っていた。
「もう行っちゃった」
凪は答えた。




