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境界のパスティーシュ  作者: 島流しパプリカ
ハルシネイト Ⅲ

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22/48

∞ 1

 八月八日の午前八時、FM浪越は、死んだ女の声で最後の放送を始めた。


『ホトヶ浦だよ』


 古いテープの中で、女は笑っていた。


『仏さまの仏じゃない。女のホト。人が出てくるところ。昔はそう呼んだんだ』


 藤原蓮は、調整卓の前で息を止めた。


 屋外放送用のテントに、海から湿った風が吹き込んだ。スピーカーから流れる声には、波の音と、カセットテープ特有の細いノイズが混じっている。


 仏ヶ浦の砂浜には、まだ観光客は少なかった。


 灯籠を組み立てる地元の男たち、出店の鉄板を温め始めた商工会の人間、朝からかき氷を欲しがって母親に叱られている子ども。


 その全員の頭上へ、二十六年前に録音された女の声が降っていた。


『そういうこと、ラジオで言って大丈夫なんですか』


 若いころの真紀の声がした。


 いまより少し高く、無理に丁寧だった。


『あんたが訊いたんだろ』


『伺いましたけど』


『じゃあ流せばいい。切るなら最初から訊くな』


 女はまた笑った。


 砂浜の端に立っていた佐伯理恵が、放送テントを睨んだ。


 録音されている女は、理恵の母、八重子だった。


 八年前に死んだ。


「本人の許可は取ったの」


 理恵がテントまで来て言った。


「当時、放送同意書に署名がありました」


 蓮は答えた。


「死後二十六年たって、海水浴場で流していいって書いてあった?」


「そこまでは」


「止めて」


 蓮はフェーダーへ手を伸ばした。


「そのままでいい」


 理恵が言った。


 蓮は手を止めた。


「どっちですか」


「腹が立ってるだけ。聞きたくないとは言ってない」


 テープの八重子は喋り続けていた。


『死んだ人と、生まれる前の子は、海の中じゃ同じなんだ』


『同じというのは』


『名前がない』


『死んだ方には名前がありますよね』


『死んだら、もう返事しないだろ』


『まあ』


『生まれる前も返事しない。だから八の潮が来た晩は、海に向かって人の名前を呼んじゃいけない』


『なぜですか』


『どっちが返事するか分からないから』


 録音の向こうで、若い真紀が黙った。


 八重子が言った。


『怖がる話じゃないよ。間違えたら困るってだけだ』


 テープが一度、伸びたような音を立てた。


 蓮は再生機の表示を確かめた。


 時刻は午前八時八分だった。

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