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八月八日の午前八時、FM浪越は、死んだ女の声で最後の放送を始めた。
『ホトヶ浦だよ』
古いテープの中で、女は笑っていた。
『仏さまの仏じゃない。女のホト。人が出てくるところ。昔はそう呼んだんだ』
藤原蓮は、調整卓の前で息を止めた。
屋外放送用のテントに、海から湿った風が吹き込んだ。スピーカーから流れる声には、波の音と、カセットテープ特有の細いノイズが混じっている。
仏ヶ浦の砂浜には、まだ観光客は少なかった。
灯籠を組み立てる地元の男たち、出店の鉄板を温め始めた商工会の人間、朝からかき氷を欲しがって母親に叱られている子ども。
その全員の頭上へ、二十六年前に録音された女の声が降っていた。
『そういうこと、ラジオで言って大丈夫なんですか』
若いころの真紀の声がした。
いまより少し高く、無理に丁寧だった。
『あんたが訊いたんだろ』
『伺いましたけど』
『じゃあ流せばいい。切るなら最初から訊くな』
女はまた笑った。
砂浜の端に立っていた佐伯理恵が、放送テントを睨んだ。
録音されている女は、理恵の母、八重子だった。
八年前に死んだ。
「本人の許可は取ったの」
理恵がテントまで来て言った。
「当時、放送同意書に署名がありました」
蓮は答えた。
「死後二十六年たって、海水浴場で流していいって書いてあった?」
「そこまでは」
「止めて」
蓮はフェーダーへ手を伸ばした。
「そのままでいい」
理恵が言った。
蓮は手を止めた。
「どっちですか」
「腹が立ってるだけ。聞きたくないとは言ってない」
テープの八重子は喋り続けていた。
『死んだ人と、生まれる前の子は、海の中じゃ同じなんだ』
『同じというのは』
『名前がない』
『死んだ方には名前がありますよね』
『死んだら、もう返事しないだろ』
『まあ』
『生まれる前も返事しない。だから八の潮が来た晩は、海に向かって人の名前を呼んじゃいけない』
『なぜですか』
『どっちが返事するか分からないから』
録音の向こうで、若い真紀が黙った。
八重子が言った。
『怖がる話じゃないよ。間違えたら困るってだけだ』
テープが一度、伸びたような音を立てた。
蓮は再生機の表示を確かめた。
時刻は午前八時八分だった。




