聖者 6
藤原蓮から連絡が来たのは、七月の終わりだった。
直接会って話したい、と局の問い合わせフォームに書かれていた。
真紀は三日間、返事をしなかった。
四日目に、慎二の母から電話が来た。
「会ってやって」
「どうして私が」
「私には、もう会いに来た」
「何を話したの」
「何も」
「じゃあ私も話すことない」
「あんたのほうが、怒ってるから」
「お母さんは怒ってないの」
「怒ってるよ」
「じゃあ何で」
「親が怒ると、子どもは死ぬほど困るでしょ」
「慎二はもう死んでる」
「だから、怒っても困らない」
澄江は電話の向こうで鼻をすすった。
「生きてる子を困らせるのは、あんたに任せる」
「嫌な頼み方」
「慎二の女だったんでしょ」
「女って何」
「知らない。あんたたちが決めなかったんだから、私に訊かないで」
結局、真紀は蓮と会った。
FM局の会議室は、市民講座のチラシと、使われていないホワイトボードのせいで、どんな話も深刻になりきらない部屋だった。
蓮は慎二の参考書を抱えてきた。
「これ、店にあった」
真紀が言うと、少年はうなずいた。
「英語、教えてもらってました」
「慎二に?」
「はい」
「全部間違ってたよ」
「途中で気づきました」
「言わなかったの」
「楽しそうだったから」
真紀は、少し笑った。
蓮は笑わなかった。
「黒瀬さんとは、いつから」
「中学の終わりくらいです。学校行かなくなって、海にいたら、あの人に拾われた」
「拾われたって」
「邪魔だから店に来いって」
「慎二らしい」
「学校戻れとは言われませんでした」
「言わないだろうね」
「働けとも言われなかった」
「それも言わない」
「毎日来いとは言われました」
真紀は机の上で指を組んだ。
「海へ行った日、何があったの」
蓮は参考書の角を見た。
「メッセージが来て」
「死ねって?」
少年の肩が少し動いた。
「はい」
「それで海に入った」
「分かりません」
「分からない?」
「死のうと思ったのか、ただ行きたかったのか。あそこに立ってたら、もうどっちでもよくなって」
「慎二はどうして来たの」
「電話しました」
「助けてって?」
「何も言わなかった」
「じゃあ、何で分かったの」
「黒瀬さん、すぐ来ました」
蓮は唇を噛んだ。
「俺が落ちて、あの人が来て。梯子まで押してくれて」
「そのあと」
「八つ数えろって」
「八つ?」
「八つ数えたら目を開けろって。目を閉じて、梯子から手を離すなって」
蓮は両手を膝の上で握った。
「一、二、三って数えて。八で目を開けたら、いなかった」
会議室のエアコンが、大きな音を立てた。
真紀は、慎二がそんな言葉を使うところを想像した。
慎二は、誰かを慰めるような人間ではなかった。
励ます言葉も、たぶん知らなかった。
だから数えさせた。
八つ数えるあいだだけ、生きろと言ったのだ。
「俺が死ねばよかったと思いますか」
蓮が訊いた。
真紀は少年を見た。
目の前の人間に嘘をつくのは簡単だった。
ラジオでは毎日やっている。
「思わない」
蓮の顔が少し緩んだ。
「でも、慎二が死ななければよかったとは思う」
少年の顔が、また固くなった。
「ごめんなさい」
「だから謝らないで」
「でも」
「謝られると、許すか許さないか決めなきゃいけないでしょ。面倒なんだよ」
蓮は黙った。
「慎二は、あんたの代わりに死んだんじゃない」
「でも、俺を助けて」
「助けたかったから、勝手に助けたの。あいつは昔から、勝手なの」
「じゃあ俺は、どうすれば」
「知らない」
真紀は椅子の背にもたれた。
「あいつが死んだ分まで生きろとか、言わないよ。重すぎるから」
蓮は顔を上げた。
「自分の分だけ生きれば。嫌になったら、また誰かに電話すればいい。電話された人間が迷惑そうに来るから」
「黒瀬さんみたいに?」
「あんなのは、もう来ない」
言ったあと、真紀の目から涙が落ちた。
蓮が目を逸らした。
「見るな」
「見てません」
「ティッシュ」
蓮は会議室の隅から箱を取ってきた。
一枚渡したあと、自分も一枚取った。
「お前も泣いてんじゃん」
「泣いてません」
「じゃあ何」
「エアコンの風です」
「目から風出るんだ」
蓮が少し笑った。
慎二が笑うときと、右側の口元が似ていた。
似ているはずがなかった。
真紀はティッシュで目を押さえた。
「参考書、持って帰って」
「いいんですか」
「慎二の答え、全部消して使いな」
「消さなくてもいいです」
「落ちるよ」
「落ちても、黒瀬さんのせいにできます」
「死ね」
言ってから、真紀は息を止めた。
蓮も動かなかった。
部屋の中で、その言葉だけが、机の上に置かれたように残った。
「ごめん」
真紀は言った。
蓮は、ゆっくり首を振った。
「黒瀬さんも言ってました」
「誰に」
「エンジンに」
蓮は参考書を抱えた。
「直らないと、死ねって」
「死んでるものに?」
「それでも、たまに動きました」




