聖者 5
一週間後、FM浪越へ鴨田茂樹という男が来た。
仏ヶ浦の祭礼と、沿岸部の死者供養について調査している大学教員だという。
夏の特別番組で、浪越の伝承を紹介することになっていた。
鴨田は背が高く、狭いスタジオでは、立っているだけで機材の配置を間違えたように見えた。
一緒に来た十三湊かなえという女は、銀色の細長いケースを持っていた。
「助手の方ですか」
真紀が訊くと、
「違います」
二人が同時に答えた。
「では、どういう」
「同行者です」
鴨田が言った。
「監視役です」
十三湊が言った。
「どちらを採用すれば」
「同行者で」
「監視役で」
また重なった。
小川がガラスの向こうで笑っていた。
生放送が始まると、鴨田は低い声で、仏ヶ浦の伝説を語った。
八十八人の漁師。
八日八晩祈った妙海尼。
海から渡された赤子。
八月八日に潮が逆さに流れるという古い言い伝え。
「一方で、仏ヶ浦という地名は比較的新しい可能性があります」
「昔は違う名前だった?」
真紀は台本どおりに訊いた。
「明治初期の記録には、保登ヶ浦、保戸ヶ浦などの表記が残っています。ただ、さらに古い呼称は文献上確認できません」
「地元では、夏の海で亡くなった人の名前を呼んではいけない、とも言われますね」
「ええ。とくに盆前の八日間は、海で死者の名を呼ぶと、その声を聞いた別の人間が返事をしてしまうとされます」
「返事をしたら、どうなるんですか」
「伝承によって違います。死者と入れ替わる、古い記憶を受け継ぐ、海へ連れていかれる」
「ずいぶん幅がありますね」
「伝承は利用規約ではありませんから」
鴨田は真顔で言った。
十三湊が、スタジオの隅で笑った。
「十三湊さんは、どう思いますか」
予定にはなかったが、真紀はマイクを向けた。
「海は、名前と命令を聞き分けないんじゃないですか」
「どういう意味でしょう」
「海に向かって、死ね、と言う」
真紀の指が、台本の上で止まった。
「それが誰かの名前なのか、死んでくれという命令なのか、海には分からない」
「海に文法がないということですか」
鴨田が訊いた。
「人間にあると思ってるんですか」
十三湊は答えた。
ガラスの向こうで、小川が残り三分の札を出した。
真紀は次の質問へ移った。
番組の最後に、リスナーから届いたメッセージを読んだ。
ラジオネーム、潮騒十七歳。
〈今年、友達を亡くしました。名前を呼ばなくても、その人の声が聞こえることはありますか〉
真紀は一瞬、声を止めた。
鴨田は答えなかった。
十三湊がマイクへ顔を寄せた。
「あります」
「それは幽霊ということでしょうか」
「生きてる人が、その人の声を覚えているだけかもしれません」
「違いはありますか」
「聞こえた人にとっては、あまり」
放送はそこで終わった。
赤いランプが消えた。
十三湊はヘッドホンを外し、真紀を見た。
「あなた、誰かと喋ってます?」
「いま、あなたと」
「そうじゃなくて」
「何ですか」
「言葉の後ろに、返事を待ってる間があります」
「ラジオでは普通です」
「そうですか」
「手品師は、誰にでもそういうこと言うんですか」
「奇術師です」
「同じでしょう」
「違います。手品師のほうが儲かりそうです」
鴨田が銀色のケースを持ち上げた。
「行きますよ」
「私のです」
「重いから持っているんです」
「勝手に恩を作らないでください」
二人が帰ったあと、真紀はスタジオの椅子の下に、赤い球が落ちているのを見つけた。
慎二の店にあったものと、同じだった。
十三湊へ電話すると、
「今日は球、持っていってませんよ」
と言った。
「ケースに入ってたでしょう」
「あれは剣です」
「剣?」
「折り畳み式です」
「何に使うの」
「人を刺さないために」
電話は切れた。
真紀は二つの赤い球を、机の引き出しへ入れた。




