聖者 3
通夜には、浪越市の半分くらいの人間が来た。
慎二は、船を直した。バイクも直した。扇風機も、炊飯器も、壊れていると言われれば、とりあえず蓋を開けた。
直らないものも多かった。
それでも、壊れたものを持ち込んだ人間は、慎二が一度は中を見たということに満足した。
祭壇の写真は、運転免許証を引き伸ばしたものだった。
慎二は少し顎を引き、不服そうな顔をしていた。
「もっといい写真なかったの」
真紀が言うと、慎二の母親の澄江は、
「なかった」
と答えた。
「四十一年も生きて」
「写真嫌いだったから」
「自分の顔が?」
「自分が写ると、写真が安くなるって」
「馬鹿だね」
「馬鹿だったね」
澄江は黒いバッグから鍵を一つ出し、真紀へ渡した。
「店の」
「どうして私に」
「片づけて」
「お母さんがやれば」
「見たくないものもあるでしょ」
「私も見たくないよ」
「見慣れてるでしょ」
真紀は澄江を見た。
澄江は焼香の列へ目を向けていた。
「知ってたの」
「何を」
「私たち」
「知らないふりしてた」
「どうして」
「知ってるって言ったら、どっちかが逃げると思って」
「正解」
「もう逃げられないけどね」
澄江は笑わなかった。
そのとき、背後で何かを叩く音がした。
澄江が自分の首筋を平手で打った。
「死ね」
指の間に蚊が潰れていた。
その言い方が、慎二にそっくりだった。
真紀は思わず笑った。
笑ったあと、喉の奥が痛くなった。
「何」
澄江が訊いた。
「慎二も、同じ言い方してた」
「私の真似だよ」
「私たちだけの言葉だと思ってた」
「死ねが?」
「うん」
「ずいぶん安い愛情表現だね」
「愛情とは言ってない」
「じゃあ何」
真紀は祭壇の写真を見た。
「分からない」
「分からないまま寝てたの」
「そこまで知ってるの」
「母親だよ」
「母親って嫌だね」
「女より長くやるからね」
澄江は、もう一度首筋をかいた。
焼香の列の最後に、痩せた少年と、その母親らしい女が立っていた。
少年は制服を着ていなかった。大きめの黒いシャツの袖から、骨ばった腕が出ていた。
「あの子?」
真紀が訊いた。
澄江はうなずいた。
「助かった子」
少年の母親は、澄江の前まで来ると、床に額がつきそうなほど頭を下げた。
「申し訳ありません」
澄江は、女の肩を起こした。
「あなたが謝ることじゃない」
「でも、息子のせいで」
「息子さんが殺したの」
「違います」
「じゃあ、その言い方やめて」
女は泣いた。
少年は泣かなかった。
真紀はその顔を見た。
慎二の死と交換された、生きている顔だった。
この子が死ねばよかった、とは思わなかった。
慎二が死ななければよかった、とは何度も思った。
その二つは同じではないはずだった。
だが胸の中では、ほとんど同じ場所にあった。




