聖者 2
翌日の正午前、仏ヶ浦の古い防波堤から高校生が海へ落ちた。
落ちたのか、自分から入ったのかは、後になってもはっきりしなかった。
近くで作業していた慎二が飛び込み、高校生を岸壁の梯子まで押し上げた。
高校生は助かった。
慎二は戻らなかった。
午後二時三十分、真紀はFM浪越の第二スタジオにいた。
午後の生放送『潮目をこえて』が始まる三十分前だった。
報道担当の小川が、プリンターから出た紙を持ってきた。
「これ、冒頭で読んでもらえます?」
真紀は原稿を受け取った。
七月十二日午前十一時四十分ごろ、浪越市仏ヶ浦の旧防波堤付近で、海に転落した高校二年の男子生徒を救助しようとした市内在住の自営業、黒瀬慎二さん四十一歳が行方不明となりました。
捜索は現在も続いています。
黒瀬慎二。
そこだけ、他人の名前のように見えた。
「知り合い?」
小川が訊いた。
「同級生」
「大丈夫ですか」
「何が」
「読むの」
「読むよ」
「無理なら俺が」
「ニュース読んだことないでしょ」
「ないですけど」
「じゃあ無理じゃん」
小川は、申し訳なさそうに原稿の端を指した。
「高校生の名前は出さない方針です」
「分かった」
「あと、SNSで憶測が出てるんで、転落理由には触れないでください」
「分かった」
「本当に大丈夫ですか」
真紀は原稿を机に置いた。
「大丈夫じゃないけど、読める」
放送が始まった。
赤いランプがついた。
真紀はいつもの声を出した。
浪越市とその周辺で、午後を持て余している皆さん、こんにちは。
午後三時になりました。『潮目をこえて』、今日も一時間、お付き合いください。
それから、慎二の名前を読んだ。
黒瀬慎二さん、四十一歳。
声は震えなかった。
読み終わると、予定されていた市役所からの海水浴場情報へ移った。
「夏の海は、天候が穏やかでも急に流れが変わることがあります。遊泳区域の外へは出ず、古い防波堤や立入禁止区域には近づかないようにしてください」
慎二が昨夜言ったとおりのことを、真紀は読んだ。
番組が終わるころ、慎二の遺体が見つかった。
小川が、ガラス越しに両腕で大きな丸を作った。
放送がうまく終わった、という意味だった。
真紀はヘッドホンを外した。
「今日、完璧でした」
小川がスタジオへ入ってきた。
「何が」
「いや、放送」
「人が死んでもCMは時間どおり入るね」
小川は黙った。
「ごめん」
「いえ」
「褒めてくれたんだよね」
「はい」
「ありがとう」
真紀は机の上の原稿を四つ折りにした。
捨てる場所が分からず、バッグへ入れた。




