花迎え 6
花迎えの日は、風が強かった。
仏ヶ浦の観音堂には白い幕が張られ、百八十八個の灯籠が並べられていた。企業名の入ったものも多く、八十八人の仏より、浪越信用金庫や海産物加工会社のほうが目立った。
果歩は制服ではなく、薄い青のワンピースを着ていた。
徹は作業着のまま来た。
理恵は母の写真を上着の内ポケットへ入れていた。
住職が、妙海尼の話をした。
八日八晩祈った女。
海から帰った八十八人の仏。
最後の男が女へ渡した赤子。
話を聞きながら、理恵は鴨田の言葉を思い出した。
赤子が余る。
確かにそうだった。
死者を送る話に、子どもが一人だけ混じっている。
住職は、妊婦や子を望む女たちへ貝の守りを配った。果歩は列に並ばなかった。
「もらわないの」
理恵が訊いた。
「妊婦ですって言うの、恥ずかしい」
「やることは恥ずかしくなかったのに」
「そういうこと言う?」
「今しか言えないでしょ」
果歩は理恵の腕を軽く叩いた。
灯籠が海へ運ばれ始めた。
十三湊は観客の後ろに立っていた。鴨田は、観音堂の脇にある石碑を調べている。
石碑には、仏ヶ浦と彫られていた。
鴨田は文字の表面を指でなぞった。
「削られています」
理恵に気づき、言った。
「仏の字は、後から彫り直された可能性がある」
「元は何だったんです」
「まだ分かりません」
「分からないことばかりですね」
「分かったことだけを話す人間は、研究者には向きません」
「宿屋にも向きませんよ。客が不安になるから」
鴨田は少し笑った。
海へ出た灯籠は、風に押し戻されていた。波打ち際でいくつも横倒しになり、係の男たちが慌てて拾った。
「仏も帰りたくないんじゃない」
果歩が言った。
「死んだ人に都合を訊かないからよ」
理恵は答えた。
そのとき、果歩が腹を押さえた。
「どうしたの」
「分かんない」
顔から血の気が引いていた。
理恵は娘の腕を掴んだ。
「痛い?」
「少し」
「血は」
「朝、ちょっと」
「どうして言わないの」
「怖かったから」
理恵は徹を呼んだ。
三人で車へ向かった。
途中、果歩が砂浜にしゃがみ込んだ。
「吐く」
理恵は娘の髪を持ち上げた。
果歩は何も食べていない胃から、酸っぱい水だけを吐いた。
徹が背中をさすろうとして、どの辺を触ればいいか分からず、空中で手を動かしていた。
「そこじゃない」
理恵が言った。
「どこですか」
「知らない。とにかく何かしなさい」
徹は果歩の肩へ手を置いた。
「重い」
果歩が言った。
徹はすぐ手を離した。
果歩は吐きながら笑った。
理恵も笑った。
「何で笑うの」
「私もここで吐いた」
「いつ」
「あんたのとき」
「嘘」
「本当。花迎えの日」
理恵は、ずっと忘れていた。
二十四歳の春、同じ浜で吐いた。母が髪を持ち、夫になるはずの男が、いまの徹と同じように役に立たない手を宙へ浮かべていた。
「ばあちゃん、何て言った?」
「春は女が馬鹿になるって」
「そればっかじゃん」
「そのあと、背中さすってくれた」
果歩は口元を拭いた。
「母さんも、さすって」
理恵は娘の背中へ手を置いた。
薄い布の下に、骨と筋肉があった。
その奥に、まだ何の形とも呼べないものがいた。
理恵には触れられない。
果歩にも、まだ見えない。
だが、もう二人だけではなかった。




