サイドストーリー:江崎亮の視点
俺、江崎亮は、基本的に面倒なことが嫌いだ。
フリーランスのWebデザイナーという仕事を選んだのも、誰かの下で働くのが性に合わなかったからだ。締め切りは守る。クオリティも出す。でも、余計な人間関係はいらない。そういう生き方が、俺には向いている。
澪と知り合ったのは、三年以上前に行ったデザイン系の勉強会だった。彼女は参加者の中で一番笑顔が多かった。それだけで声をかけた。動機は単純だ。
「結婚してるんです」と最初に言われた。俺は「そうか」と思った。だから何だ、という気持ちだった。
人妻だから、という理由でブレーキを踏む気は最初からなかった。むしろ、既婚者の方が話が早い。割り切れる。お互いに「これ以上の関係」を求めてこない。
澪もそういう女だと思っていた。最初はそうだった。
ところが半年くらい経つと、澪の方が深みにはまってきた。「もっと会いたい」「彼よりあなたといる方が楽しい」などと言ってくる。俺はその都度、適当に流した。「俺たちはそういう関係じゃないよ」と言ったこともある。でも澪は気にしなかった。
好都合だったし、面倒でもあった。
そして、弁護士からの書面が届いた日のことを、今でも鮮明に覚えている。
封筒を開けて、中身を読んだ。「DNA鑑定の結果、桧山颯太と江崎亮の間に生物学的親子関係が認められる可能性があり、認知に関する協議を求める」という内容だった。
俺はその書面を、机の上に置いた。
子供。
澪との子供。
そんなもの、俺には全く関係ない話だと思っていた。澪が夫の子として産んだ。夫が育てている。それで完結している話のはずだった。なのに、なぜ今になって俺のところに来る。
頭が痛くなった。
俺は弁護士に「関知しない、認知の意思はない」と一言伝えて、それで終わりにした。子供がどうなろうと、法的に強制されない限り、俺には関係のない話だ。
そのはずだった。
だが、数日後、ある夜に酒を飲んでいる時、ふと考えた。
颯太、という名前だと書面に書いてあった。年齢は五歳。
五歳。
俺が澪と関係を持っていた時期から数えると、確かに合う。
俺は酒を一口飲んだ。この件について考えるのは、時間の無駄だと分かっていた。でも、消えなかった。
五歳の子供が、どこかで「パパ」と呼んでいる。その子の実父が俺だと、鑑定結果が示している。
だから何だ。俺は知らない。関係ない。
そう思おうとした。思い切れなかった、という話ではない。実際に関係ないと思っていた。だが、その「関係ない」という感覚を、頭の中で何度も繰り返さなければいけないのが、少しだけ引っかかった。
本当に関係ないなら、繰り返す必要もないはずだ。
翌朝、コーヒーを飲みながら、スマホで澪にMINEを送った。
「書面、見た。俺は認知しない。これ以上連絡しないでくれ」
既読がついた。返信はなかった。
それで終わった。
俺はその日も仕事をして、夜は別の女と飯を食って、帰って寝た。普通の一日だった。
その後も、普通に生きている。強制認知の手続きが進んでいることは、弁護士から聞かされた。最終的にどうなるかは分からない。法的に認知させられる可能性もある。だが、そうなったとしても、俺の生活は変わらない。お金を払う義務が生まれるかもしれない。それは面倒だが、仕方がない。
颯太に会うつもりは、ない。
会ったとして、何を言えばいいんだ。「俺がお前の本当の父親だ」なんて言葉、意味がない。俺はその子の父親として何もしてこなかった。これからも何もしない。
俺はそういう人間だ。
自分でも、薄々は分かっていた。でも、それでいいと思っていた。面倒なことが嫌いだから。深く関わるのが嫌いだから。
ただ、たまに、颯太という名前が頭をよぎる夜がある。
「パパ、ありがとう」と言っている子供の声を、俺は聞いたことがない。でも、なぜかその言葉が浮かんでくる。
誰かに向けて言っているんだろう。俺じゃない誰かに。
それでいい。それが正しい。俺はそういう人間じゃない。
そう思いながら、俺は今夜もビールを開ける。




