第8話 この家にお前の居場所はない
読みに来てくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは本編をどうぞ。
第8話 この家にお前の居場所はない
その日は朝から慌ただしかった。
私は研究所で行われる重要な発表に参加していた。
数か月かけて積み重ねてきた研究。
発表が終わると、しばらく静寂が続く。
失敗したのだろうか。
そう思った次の瞬間だった。
大きな拍手が響いた。
「おめでとうございます!」
「素晴らしい発表でした!」
「共同研究の話も進みそうですよ!」
上司も珍しく笑顔を浮かべる。
「菫、よく頑張ったな」
胸が熱くなった。
努力が報われた。
研究者になって良かった。
私は昔から研究が好きだった。
けれど。
仕事を続ける理由はそれだけじゃない。
恭弥が私を愛していないことは最初から知っていた。
だから。
いつか一人になっても生きていけるように。
陽菜を守れるように。
私は働き続けてきた。
「今日はお祝いしましょう!」
同僚に誘われたが、私は笑って首を横に振る。
「すみません。娘が待っているので」
「本当に陽菜ちゃんが大好きなんですね」
照れながら研究所を後にした。
帰り道。
携帯電話を確認する。
着信はない。
メッセージもない。
いつものことだった。
少しだけ寂しい。
けれど今日は違う。
今日は誰かにこの喜びを伝えたかった。
私はデパートへ向かった。
数日前。
陽菜がショーウィンドウの前で足を止めていた。
「あのクマさん、かわいい」
そう呟いていたのを思い出す。
私はそのぬいぐるみを手に取った。
「これください」
包装された箱を受け取り、思わず笑みが零れる。
陽菜、喜んでくれるかな。
今日の出来事を話そう。
「ママ頑張ったね」
そう言って笑ってくれるかもしれない。
私は少し浮かれていた。
少しだけ幸せだった。
だから忘れていた。
あの家には。
美玲がいることを。
屋敷へ戻ると、使用人たちが慌ただしく動いていた。
嫌な予感が胸をよぎる。
「何かあったのですか?」
使用人は困ったように頭を下げた。
「陽菜お嬢様が高熱を出されまして……」
頭が真っ白になる。
私は急いで二階の部屋へ駆け上がった。
扉を開ける。
ベッドには陽菜が横になっていた。
頬は赤く染まり、苦しそうに呼吸をしている。
額には冷たい濡れタオル。
頭の下には氷枕が置かれていた。
枕元では使用人が静かにタオルを替えている。
「陽菜!」
駆け寄ろうとした、その時。
「近づくな」
低い声が部屋に響いた。
恭弥だった。
「医師から安静にと言われている」
「私は母親よ」
震える声で言う。
恭弥は鼻で笑った。
「母親?」
その言葉だけで胸が締め付けられる。
すると、美玲が涙ぐみながら恭弥の腕を掴んだ。
「ごめんなさい……」
「私がちゃんと気付いてあげられなくて……」
今にも泣き出しそうな声だった。
恭弥は優しく美玲の肩を抱く。
「お前は悪くない」
そして。
私を睨みつけた。
「全部こいつのせいだ」
「え……?」
「仕事ばかりして、陽菜を寂しがらせた」
「お前は母親失格だ」
違う。
私は陽菜のために頑張ってきた。
誰よりも愛してきた。
それなのに。
「私は……」
掠れた声が漏れる。
「私は陽菜のために……」
「言い訳するな」
恭弥が遮る。
「結果が全てだ」
胸が苦しい。
息ができない。
その時だった。
陽菜がゆっくり目を開けた。
「陽菜……!」
私は思わず一歩踏み出す。
けれど。
陽菜の視線は私を通り過ぎた。
「……お姉ちゃん」
熱で朦朧としながら、美玲へ手を伸ばす。
美玲は優しくその手を握った。
「大丈夫よ」
その声に安心したように陽菜は微笑む。
私は立ち尽くした。
そうだ。
プレゼント。
私は慌てて袋を開き、箱を差し出す。
「陽菜。ママね、あなたに……」
しかし。
陽菜は箱を見ることもなく、小さく首を振った。
「いらない」
私は固まる。
「どうして……?」
「お姉ちゃんが……買ってくれたもん……」
熱で途切れ途切れの声だった。
胸が引き裂かれた。
私は何も言えない。
俯くことしかできなかった。
その様子を見ながら。
美玲は恭弥には見えないように。
私だけに向かって口元を歪める。
勝ち誇った笑みだった。
そして。
何事もなかったように悲しそうな顔へ戻る。
「もう限界だ」
恭弥が冷たく口を開いた。
私はゆっくり顔を上げた。
「この家にお前の居場所はない」
時間が止まる。
「……え?」
「一週間やる」
恭弥は迷いなく続けた。
「荷物をまとめろ」
私は何も言えなかった。
家を失った。
夫を失った。
娘まで失った。
そして今。
最後の居場所まで失おうとしていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
本作は毎日12時30分に1話ずつ更新予定です。
また、第5話・第10話・第15話・第20話ではイラストを掲載予定です!
ぜひお楽しみに!
「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
次回もよろしくお願いいたします。




