第11話 もう期待しません
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少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは本編をどうぞ。
第11話 もう期待しません
屋敷を出た。
振り返ることはしなかった。
振り返れば。
また涙が溢れてしまいそうだったから。
トランクは一つだけ。
五年間暮らした家から持ち出した荷物は、それだけだった。
私は歩き続ける。
どれくらい歩いただろう。
行く場所なんて、どこにもなかった。
ホテルへ泊まることも考えた。
けれど。
頭に浮かぶのは陽菜の顔ばかりだった。
「ママより、お姉ちゃんがいい」
あの言葉が耳から離れない。
胸が苦しい。
息が詰まる。
気が付けば。
私は実家の近くまで来ていた。
懐かしい景色。
あと少し歩けば家だ。
でも。
足が前へ進まない。
離婚した娘を。
本当に迎え入れてくれるのだろうか。
政略結婚を壊してしまった私を。
迷惑じゃないだろうか。
震える手でスマートフォンを取り出す。
連絡先を開く。
『兄さん』
何度も発信ボタンを押そうとしては止めた。
それでも。
私は勇気を出して電話をかける。
「……もしもし」
「菫か。珍しいな」
兄さんの声だった。
いつもと変わらない。
その声を聞いた瞬間。
張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。
「兄さん……」
「どうした」
私は言葉が出ない。
しばらく沈黙が続く。
兄さんの声が少し低くなった。
「何かあったのか」
私は唇を噛む。
そして。
「……離婚しました」
電話の向こうが静かになった。
数秒後。
兄さんは短く言った。
「……ちょっと待ってろ」
電話は切れた。
怒らせてしまったのだろうか。
私は不安になった。
その時だった。
遠くから、一台の黒いロールス・ロイスがゆっくりと近づいてきた。
私の目の前で静かに止まる。
思わず立ち尽くす。
後部座席のドアが開く。
降りてきたのは兄さんだった。
そして。
反対側のドアから父も降りてくる。
「お、お父さん……」
私は慌てて頭を下げた。
「……離婚しました」
「政略結婚を、駄目にしてしまい……
申し訳ありません」
父は何も言わない。
険しい表情のまま私を見つめている。
私は怖くなって俯いた。
父は低い声で言った。
「乗れ」
私は小さく頷く。
父と兄さん、そして私の三人で後部座席に座った。
車が静かに走り出す。
しばらく誰も口を開かなかった。
やがて。
兄さんが静かに尋ねる。
「昨夜は眠れたか」
私は首を横に振る。
「……眠れてません」
「食事は」
「昨日から……ほとんど」
兄さんは小さく息を吐いた。
「そうか」
少し間を置いて。
再び口を開く。
「離婚を言い出したのは、お前か」
私は首を横に振った。
「……九条恭弥です」
その瞬間。
父が低く名を呼んだ。
「九条恭弥……」
怒りを押し殺した低い声だった。
そして。
ゆっくり私の方を見る。
「菫」
私は恐る恐る顔を上げた。
父は少しだけ表情を緩める。
「よく帰ってきた」
その一言で。
私は涙を堪えきれなかった。
やがて車は実家へ到着した。
玄関の扉が開く。
母が駆け寄ってきた。
何も言わず。
私を強く抱きしめる。
「おかえり」
その言葉を聞いた瞬間。
私は泣き崩れた。
「……ただいま」
五年間。
ずっと言えなかった言葉だった。
しばらくして。
父が静かに口を開く。
「菫」
「お前の部屋は、そのままにしてある」
「ゆっくり休め」
私は頷き。
二階へ上がった。
部屋の扉を開く。
思わず息を呑んだ。
机も。
本棚も。
ベッドも。
学生時代のまま。
何一つ変わっていなかった。
誰も使った形跡はない。
この部屋は。
ずっと。
私が帰ってくる日を待っていてくれたのだ。
私はベッドへ腰を下ろす。
今日まで。
私は居場所を失ったと思っていた。
でも。
違った。
私には。
帰る場所があった。
そう思った瞬間。
涙が止まらなくなった。
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本作は毎日12時30分に1話ずつ更新予定です。
また、第5話・第10話・第15話・第20話ではイラストを掲載予定です!
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