二
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「来たれ壮士! うなれ筋肉! 爆裂させよ君の上腕二頭筋! さあ始まりました第一中隊、第壱回腕相撲大会──!」
会場は中隊舎事務所である。せまっ苦しい室内に、甲精一のクソデカ大音声が朗々と響き渡る。皇国陸軍が誇る人間拡声器の異名は伊達ではない。キツネの開会宣言に、会場中からむさくるしい喝采が上がった。
会場設営は、事務所内の事務机を廊下へ撤去するところから始められた。室内後方が観客席、前方が競技用に割り当てられている。男所帯の催しにしては、そこかしこに紅白の輪かざりや紙の花をあしらったりと、装飾も凝らしてある。
競技用に確保された場には、中央には机が一脚、ぽつんと置かれていた。この机の上が、腕相撲の舞台である。
「さあさあ、ただでさえ豪傑ぞろいの第一中隊! 今回大会に志願してくれたのはこの二十名!」
声を張り上げつつ、精一は壁面に貼りつけられた大きな紙面をババンと叩く。五十槻たち実行委員が製作した、勝ち抜け戦の組み合わせ表だ。その上には「第壱回腕相撲大会」と大書された横断幕もかかっている。
「中隊最強の栄誉に輝くのは、この中の一体誰なのか! ご観覧の諸兄もどしどし予想してくれい! そんでもって予想してくれたならば!」
饒舌なしゃべりを披露しつつ、精一は一瞬のうちにシャッと立売箱を身につける。立売箱とは、駅弁売りが弁当箱を積むのに使うアレだ。本来弁当箱を載せるべき台座には、点棒やら筒やらが載せられている。
「ぜひぜひ、推しの選手に『投票』をお願いするぜ! 優勝者を当てたら、ウン! 何かいいことあるカモネ!」
濁した言い方だが、要は賭博の案内である。
ちなみにいま、会場内に綜士郎はいない。今朝急遽、陸軍省から呼び出しがかかったのだ。出番までには戻ってくるだろうが、いまこの場にいたら即刻、この催しは中止であっただろう。
なお、率先して胴元をやりそうな崩ヶ谷中尉の姿もまた、この場にない。
「甲伍長ー! クソケチ中尉はー!?」
「楽しみにしすぎて風邪引いたんだって! かわいそ! 草!」
というわけで、第壱回腕相撲大会は雑然とした雰囲気のまま、始まった。
さて、大会本番において、五十槻は審判を任されている。人一倍動体視力に優れ、公明正大に勝敗を見極める資質を買われたのである。優勝賞品自ら審判を務めるのは如何なものか、などという至極当然のツッコミが、このアホの中隊から呈されるはずもない。
「第一試合! 東、廣島元安上等兵! 西、獺越万都里少尉!」
早くも注目の一番である。廣島上等兵はやたらとガラの悪い言動で知られた、八朔少尉親衛隊の急先鋒的な人物だ。八朔少尉をいたく敬愛しており、この大会に参加した動機も、八朔少尉を不埒な連中から守るためである。とりわけ獺越少尉を敵視している。
ということでその廣島上等兵に初戦から相対するのが、獺越万都里少尉だ。
さて、選手たちは出番までは客席で待機することになっている。まず廣島上等兵が肩をいからせて、試合用の卓の前へ進み出た。続いて獺越少尉が客席から立ち上がる。
瞬間、場に集った全員が息を呑んだ。
「…………」
すでにこの時点で、佇まいに覇王の如き圧がある。
無言でずし、ずし、と歩を刻み。軍服の上着をばさりと脱ぎ捨てて。万都里は卓越しに、廣島の対面へ陣取った。血走った釣眼が、廣島の緊張の面持ちを真正面から見据えている。
「早くも第一戦からド険悪な雰囲気だぜ! さあ各選手、意気込みをどうぞ! まずは廣島クン!」
精一の語りに、廣島はハッとした面持ちを浮かべた。万都里の殺気に呑まれかけていたのだろう。
「ほ、八朔少尉はわしが守る! ぶ、ぶち回したるけえの獺越!」
「はい廣島クンありがと~! ほんじゃまつりちゃんも何か一言!」
どもりながらの廣島の発言の後。万都里は廣島へ殺意の籠った視線をまっすぐに向けながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ナンデモ!」
「まつりちゃん?」
「ナンデモナンデモ! ナナナナンデモ!」
「まつりちゃん、ちゃんと人間の言葉でお話しして?」
「ナナナナンデーモ!」
「いつきちゃん、頼む」
「すみません獺越さん。きちんと八洲の言語でお話しください」
「オレ以外の出場者全員殺す!」
やっと万都里の発語が人類のそれに戻ったところで、試合開始である。精一が「まつりちゃんこの一週間どうやって生活してたん?」と問いたげだが、まあそれはともかく。
両者卓の上に右の肘を載せ。互いの手のひらを掴み合い、それぞれ空いた片手を卓の上に置き。
準備が整ったところで、精一が五十槻へ目配せした。応じて五十槻もこくんと頷いて見せる。
少女の両手にはそれぞれ、小旗が握られていた。東側の選手が勝利したら右手の赤い旗を、西側の選手の場合は白い旗を上げることになっている。
「……始めっ!」
八朔少尉の合図。卓の上に置かれた男二人の拳へ、とたんに極大の握力が宿る。
いきなり良い勝負である。若干ガッチリした体格の廣島上等兵に対し、すらりと細身の獺越少尉。一見すると獺越万都里不利ではあるが。
「フンッ……!」
勝敗は一瞬で決まった。
あっという間に腕を押し倒され、卓の上に右手の甲をぺたりと貼り付けているのは──廣島上等兵だ。
「しょ、勝者……獺越少尉!」
五十槻が白い方の旗を高々と掲げて見せる。
敗れた上等兵は、負けた姿勢のまま、まだ信じられない面持ちをしている。
「そ、そがあな……! そがあな一瞬でケリついたっちゅうんかワレ!」
「ハッ! キサマの腕力、口ほどにもないな廣島!」
ひとしきり敗者をせせら笑った後で、万都里は血走った眼を、審判を務める同期へ向ける。
「安心しろハッサク……お前を狙う不埒者は、全員オレが狩る!」
「左様ですか」
「まつりちゃんが一番の不埒者じゃん」
「優勝するのはオレだ!」
かくして獺越万都里の快進撃は始まった。青年はこの後の試合も順当に勝ち進み、決勝出場権を得ることになる。
さて、場内は大盛況。
崩ヶ谷中尉に代わり、甲伍長が胴元を務める腕相撲賭博もがっぽがっぽ。キツネは実況解説も兼任しつつ、口角が上がって上がって仕方がない。
五十槻も初めて仰せつかった審判役を、一所懸命にこなしている。
目の前で繰り広げられる、腕と腕の熱戦、烈戦、超激戦。
一試合一試合ごとの激闘に応えるべく、紫の瞳は勝敗の瞬間を見逃さないよう、必死だ。
そんな熱狂の最中、綜士郎はやっとこさ陸軍省での会議から解放され、帰営した。
「うわっ……」
帰営し、事務所の扉を開けるや否や、この引きっぷりである。
「おっ。おかえり綜ちゃん!」
「お帰りなさい、藤堂大尉。もうすぐ大尉の出番です」
精一と五十槻に出迎えられ、綜士郎は青息吐息である。五十槻なんて、綜士郎の顔を見るやスチャッと例のうちわを取り出している。もちろん額には、当然のように根性ハチマキも。
「僕、藤堂大尉の試合のときは、小林二等兵に審判を代わってもらえることになりました。大尉の犬として誠心誠意、心からの応援を捧げる所存」
「だから犬はやめなさい」
そんな微笑ましいやりとりを、部屋の隅から飴色の髪の将校が険悪な眼差しで睨みつけている。
──なんだあのうちわは。うらやましいが過ぎる。許さん、絶対に許さん。
──藤堂綜士郎、必ずや完膚なきまでに潰す……!
五十槻からの純真な応援を受けつつ、はたまた万都里からの嫉妬の視線を受けつつ。やれやれと上着を脱いで、綜士郎の試合は始まった。
藤堂大尉の相手は、ちょっと小太りな二等兵である。二等兵とはいえ腕まわりは太く、それなりに強敵そうだ。
「よ、よろしくお願いするでごわす、藤堂大尉」
「ああ、お手柔らかに頼む」
緊張しているのか、握った手のひらは手汗をかいているようだ。二等兵は人の好さそうな顔で、試合開始の合図までを雑談でつなごうとする。
「驚きでごわす。大尉がこのような催しに参加されるとは、おいどん露ほども思っておらず。優勝したら、藤堂大尉は八朔少尉に何をしてもらうでごわすか?」
「いや、俺は別に……出場自体が無理矢理だしなぁ……」
「おいどんは……八朔少尉に、そのっ、デ、デエトしてほしくて!」
「あ?」
折悪しく、そこで「始め!」と小林二等兵が試合開始の合図をかける。
次の瞬間。
めきょっ。
「……え?」
小太り二等兵の肘の関節が、あらぬ方向へ曲がっている。客席から「え、衛生兵ー!」の声が上がった。衛生兵よりも骨接ぎ師の方が適任かもしれない。
「しょ、勝者……藤堂大尉!」
審判の二等兵が、赤い旗を上げる。
藤堂綜士郎、対戦相手を瞬殺である。当然だ。大事な部下を、よりにもよってデエトに付き合わせようだなどと。藤堂大尉の顔面はふだんから険しめだが、いまはいつもよりもずっと厳めしい。それはまるで、愛娘に悪い虫が寄ってきたときのお父さんの如く。
綜士郎は最初こそ、特に優勝する気はなかったが。
(だめだな、こいつらやっぱりけだものだ……全員俺が叩きのめすしかない……!)
人畜無害そうな二等兵がデエトを目論んでいたとなると、これはもう捨て置けない。
「す、すごいや藤堂大尉……! 驚きました! 腕相撲もお強いのですね、大尉は……!」
真顔なりに興奮しているらしい五十槻が、応援うちわをブンブンしつつ綜士郎の勝利を祝っている。そんな少女に対し、綜士郎。
「五十槻。安心しなさい。全員俺が叩きのめしてやる……!」
かくてこの試合においてもう一人、修羅が爆誕した。
東のお父さん、藤堂綜士郎。
西のクソボケ、獺越万都里。
両者は勝ち抜け戦をそれぞれ勝ち上がり、そして。
綜士郎と万都里は決勝にて相まみえることになる。




