一 (※挿絵あり)
ゆきさま(X:https://x.com/yyuukkii_1106)よりすばらしいFAを頂きまして、その勢いのままどっせいと短編を書き上げた私です。
ゆきさまよりFA掲載、及び作品公開のご許可をいただきましたので、満を持してアホの短編を公開いたします。
一
六月。どんよりと曇った空が皇都の街を見下ろしている。
何日も長雨が続いた挙句の、曇り空。じめじめと陰気な雰囲気が街全体を覆っているようだ。路肩に大八車を停め、荷運びの人夫が疲れた顔で地面にしゃがみこんでいる。
「いや~な季節だよねぇ」
だらだらとした足取りで街路を歩きながら、精一がつぶやいた。
「湿っぽくて薄暗くてさあ。梅雨なんてな~んも面白いことないぜ。そう思わん? いつきちゃん」
傍らを歩く伍長から、同意を求められて。五十槻は整然たる歩調を崩さず、実直な口ぶりで応じた。
「面白いかどうかの評価はできませんが、降雨が続くと禍隠討伐にも支障が生じます。神事兵科にとって歓迎できない季節であることについては、自分も同意いたします」
「やだ~生真面目~。もっと気楽に雑談して~?」
甲伍長と八朔少尉は、街頭警邏の任務から帰投中である。ふたりの背後には、部下の式哨四名がぞろぞろと付き従っている。
本日、禍隠の出現は皆無。帰路も気楽なものである。精一は「なんかおもしれーことねえかな~」などと声高にひとりごちつつ、背伸びしている。
そんな気だるい午後の帰り道。少尉と伍長の背後から、突然「いだっ」と声が響いた。
「んおっ、なんだぁ?」
「甲伍長~。小林のやつが~」
五十槻と精一が振り向いてみれば、ふたりが連れていた式哨のうち一人が、路上に突っ伏している。他の式哨が呆れた顔で上官たちへ状況を告げた。
「小林、よそ見しててこけてやんの」
「ぶっは、何やってんの小林くん。やーいまぬけー。草~」
甲伍長が隊伍にいるときのこの分隊は、雰囲気が超ゆるゆるである。小林くんは路面に這いつくばったまま「くそ~、誰か心配しろよコラ~」などとおふざけ半分に呻いている。
しかしおふざけが通じない将校が約一名。もちろん八朔五十槻少尉である。
「小林二等兵、お怪我は」
伏臥の小林へつかつかと近づくと、五十槻はそっとしゃがみ込んで手を差し伸べた。
果たして、尉官に片膝をつかせてしまった小林二等兵はさっと顔色を青ざめさせる。八朔五十槻は現在十代とはいえ、少尉階級者。小林からしてみればかなり上位の存在だ。アホのキツネ伍長とはわけが違う。
「あ、あの、あわっ、あわわっ」
小林は慌てふためいた。すぐに起き上がらねばならない。もしこの若年すぎる少尉の手を煩わせるとどうなるか。同じく少尉階級の獺越万都里に知られればやっかまれることは必至だし、中隊隊長の藤堂綜士郎からは、どんな懲罰を食らわされるか分かったものではない。なにせ藤堂大尉と獺越少尉は、この美少年の将校を巡って水面下で争い合っていると、もっぱらの噂である。
しかし小林は慌てるあまり、ただばたばたと路上でもがくばかり。立ち上がろうとしてさらにこける始末である。
見かねた五十槻は、少し強引に二等兵の手を取った。
「小林二等兵、落ち着いて」
「い、いやっ、少尉に助け起こしてもらうわけにはっ」
押し合いへし合い。五十槻は二等兵の手を握って引っ張り起こそうとし、小林は恐縮しながら少尉の助力に抗おうとしている。
その様を横合いから、精一は細い目でぼんやりと眺めていた。
互いの拳を握りあい、腕の力で引っ張り合う。その様子は、まるで──。
「そうだ!」
突然大声を上げた伍長に、五十槻も小林二等兵も呆然と彼の方を見る。
少尉と二等兵だけでなく、他の式哨たち、さらにはその辺にいた通行人達までもがキツネへ視線を向けている。衆目を浴びながら、精一は何やら閃いた面持ちで、パチンと指を鳴らした。
「そうだ──腕相撲だッ!」
「はぁ……?」
「腕相撲大会を開こう!」
梅雨空に、甲伍長の思いつきが響き渡る。
おもしろきこともなき梅雨をおもしろく。とりま開こう腕相撲大会。
「……はぁ……?」
五十槻は首を傾げた。甲伍長の発言は、ときどき突飛極まりない。今回は五十槻だけでなく、周りの式哨たちも一様に、「急になんだこのキツネ」と怪訝な目を伍長へジトッと向けている。
そして甲精一の奇天烈な発言はそれだけにとどまらない。
「じゃ、いまここにいる全員、実行委員ね! シクヨロ!」
「……はい?」
そんなわけで、第一中隊・第壱回腕相撲大会が開催される運びとなったわけである。
「実行委員……僕も……?」
唖然としている五十槻だが、もちろんそうである。
かくて男装の少尉はものの見事に巻き込まれ、場面はさっそく翌日へ。
── ── ── ── ── ──
翌朝、第一中隊軍営にて。
「第壱回、腕相撲大会……?」
胡散臭いものを見る目で、獺越万都里は中隊舎の外壁に貼られた告知文を眺めている。小銃を背負う青年将校の周囲には、彼と同じように、怪訝な顔色で掲示を見つめている士卒が多数。
『満を持して開催、第一中隊 第壱回腕相撲大会 ──爆裂させよ君の上腕二頭筋──』
阿呆の文章である。おそらくは甲精一の仕業であろうが、主催者の項目にはたしかに甲精一の名が記されていた。予想通りのアホの仕業である。
しかしこの掲示には、奇妙な点がひとつある。徹頭徹尾アホの文章で構成されたこの告知文は、甲精一の筆跡ではない。
万都里もよく見慣れた、この端正な楷書の筆跡は──八朔五十槻の字だ。
『来たれ壮士、うなれ筋肉。梅雨の辛気臭さ吹き飛ばす熱戦を、いざその眼に焼き付けよ。参加者希望者はとりま甲まで連絡よろ~』
こんなクソみたいな文章をハッサクに書かすなボケ!
と、万都里は目元と口許を引きつらせて若干憤慨したが、目の前に張り出されたアホの文はなんやかんや想い人の肉筆である。内容への興味は失せているものの、青年の釣眼は続きの文章を追う。
「優勝者には豪華賞品……?」
その先を読んだ万都里の、両の眼がくわっと見開かれる。
第壱回腕相撲大会を制した者に与えられる、栄誉の賞品とは。
──八朔五十槻少尉が一日なんでもしてくれる券を贈呈!
「おっ、八朔少尉が一日なんでもしてくれるのかぁ」
「俺も出てみよっかなぁ。女学生とか女給の格好してもらってさあ。ははは」
周囲の士卒が笑いさざめく。その最前で、万都里は背負っていた小銃を体の前に回し、落ち着いた手さばきで、薬室へ実包の連なった挿弾子を押し入れる。
カシャンと装填の操作を終え。獺越少尉はくるりと背後の群衆を振り返った。眼差しはすでに正気を失っている。
「オレ以外の参加希望者を全員殺す……!」
「おいやばいぞ」
「獺越少尉、御乱心!」
「平常運転で草」
── ── ── ── ── ──
さてその日の夕刻である。
「甲ー! 甲のばかたれはどこだー!」
バーン! と中隊舎事務所の扉を乱暴に開き。藤堂綜士郎は怒りの形相で室内へなだれ込んだ。
果たして目当ての人物はいた。甲精一は事務所中の机という机を合体させて、その上でなにやら大判の紙に書き物をしている最中だ。場には彼だけでなく、崩ヶ谷中尉と五十槻もいる。三人で大きな掲示物を製作している様子である。
「おかえり綜ちゃん。今日もお偉いさんとの面会お疲れさま。スケベなお店に行かなくてもよかったの?」
「未成年のいる場にそぐわない冗談はやめろ!」
怒り心頭のまま、綜士郎はどかどかと精一へ歩み寄ると、持っていた紙をキツネへ突き付けた。今朝、第一中隊舎に張り出してあった例のとんちき告知文だ。
「貴様! 腕相撲大会……は、まあいい」
「いいんだ」
「他のツッコミどころに比べればまだマシだという意味だ! おまっ、なんだこの……優勝賞品は! 八朔少尉が一日なんでもしてくれる券とはなんだ!」
「はい、僕が一日なんでもする券です」
「五十槻は黙っていなさい!」
「了解いたしました」
八朔少尉がキュッと口を閉じる。同時に綜士郎はギロリと精一を睨みつけた。
「甲……まさかとは思うが、貴様五十槻に無理矢理……!」
「違うよ綜ちゃん。優勝賞品の発案は、いつきちゃん自身だよ。ねー」
精一に同意を請われて、五十槻は口を一文字に引き結んだままこくこくと頷いた。綜士郎からの箝口令を律義に守っているようである。綜士郎が「そうなのか?」と五十槻を見ながら問えば、やはり少女はこくこくと、先ほどと同じように無言のまま肯った。
埒があかない。綜士郎は「口頭にて説明を頼む」と少尉の箝口令を解いてやる。
「甲伍長のおっしゃる通り、優勝賞品は僕の発案です。第一中隊のみなさんには日頃からお世話になっていますから、何か恩返しがしたくて……」
「だからって自分を提供しすぎだろうが……もしとんでもない要求をされたらどうするんだ、お前は」
「第一中隊にそのような不埒な方はいないものと存じます」
「身内に対して性善説が過ぎる。大体あれだ、こんな催しを告知して……獺越あたりが何をしでかすか分かったもんじゃないだろう」
「まつりちゃん、今日ずっとうわの空で草。話しかけても『ナンデモ……』しか言わねえのクソワロタ」
「最悪だな……真に受けてやがる……」
頭を抱えて綜士郎は嘆息。ふと、青年はその場にいるもうひとりをじろりと睨めつけた。
「崩ヶ谷中尉も。こんなとんちきな催しは止めてもらわないと困る」
大尉から苦言を呈されて。崩ヶ谷黄平中尉はやれやれと肩をすくめてみせた。
第一中隊では、庶務全般の決裁は崩ヶ谷中尉が担当している。ここのところ中隊長の綜士郎が不在がちなので、現在、隊の運営はほぼ中隊長副官である彼の判断で行われていると言っても過言ではない。
むろん、今回の腕相撲大会開催告知文の掲示に許可を出したのも崩ヶ谷だ。
「いいや。俺は名案だと思いましてね。腕相撲大会」
崩ヶ谷はしたり顔のまま述べる。
「長らく悪天候が続いて、将士は軒並み気が滅入っている。そんなら一発気が晴れるような催しをして、士気の向上につなげるのも悪くないと、俺は判断しましてね」
「…………」
綜士郎は猜疑の目をこの中尉へ向けている。なにせ崩ヶ谷という食わせ者は、甲精一のマブダチで、皇国陸軍随一のクソケチという異名を持つ守銭奴だ。
立派な御託を並べつつも、きっと本心ではよからぬことを企んでいるに違いない。腕相撲大会をダシに、アホのキツネと結託して、賭博の胴元をやるくらいの目論見はあるだろう。
崩ヶ谷はいけしゃあしゃあと自論を続ける。
「八朔少尉に関しては、公序良俗に反する事柄や、本人に危害を加えるような要求は禁止事項に設定しやしょう。破った奴は半年営倉行きってことで」
「だが……」
「あの、藤堂大尉」
そこで五十槻が口を挟んだ。厳しい顔をしている大尉へ向けて、少ししょんぼりした真顔が言葉を紡ぐ。
「開催しては、いけないのでしょうか……腕相撲大会……。優勝賞品も、僕、自分なりに懸命に考えてみたんです」
「うっ」
うるうると、健気な紫の瞳が綜士郎を見つめている。
「甲伍長から大会実行委員という大役を任されて、とても光栄だったのですが……大尉がご反対なさるのでしたら、致し方ありません。いますぐに大会準備物を焼却炉へ集積し、すべてをなかったことに──」
「ばっ、ばかたれ! 極端だなお前は! ……分かった、甲、崩ヶ谷。今回ばかりは八朔少尉に免じて開催を認めてやる! 優勝者特権も、少尉が不利益を被らないよう、しっかりと配慮してやってくれ」
「藤堂大尉……!」
藤堂綜士郎、あっけなく陥落である。ここ最近の多忙による疲弊も、彼にとっては災いであった。正常な判断力があんまりない。
少尉と大尉の背後で、精一と崩ヶ谷は「ちょろ~」とケラケラ笑っている。特に精一は企みが成就したとばかりにほくそ笑んでいる。
精一が八朔五十槻を大会実行委員に無理矢理巻き込んだのは、他でもない。五十槻を通して綜士郎を懐柔するためだ。五十槻をこちら側に引き込んでおけば、綜士郎もきっと無下にはすまいという読みがあった。見事に的中である。
マブダチのキツネとクソケチは目線だけで語り合う。
(なはは、綜ちゃんもこの様。してやったりよ)
(やったぜ精一。当日の賭博担当は任せろ)
そんな部下たちの言外のやりとりに、気付くはずもなく。綜士郎は疲れた目線を、ふと机の上におろした。机上には書きかけの大判の紙が広げられている。
どうやら大会は勝ち抜け戦らしい。大判用紙でその組み合わせ表を製作しているようだ。
すでに参加が決まっている選手が何名かいるらしく、組み合わせに名前を記載されている者が何名かある。
その中に──綜士郎は自分の名前を見つけた。一瞬見間違いかと思って目をしばたいてみたが、何度みてもやはりこう記載されている。『藤堂綜士郎』と。
「お、おい! なんで俺が出場することになっている! 勝手に名前を書くんじゃない!」
「いいじゃん。開催日、どうせ綜ちゃんよそにお出かけする用事ないでしょ?」
「クソッ、俺の予定を把握するな!」
「中隊長のくせに無茶言わないでくださいよ」
「俺は出ないからな! 開催は認めるが、てめえらで勝手にやれ! 許可なく人を巻き込むんじゃない!」
大人たちがまたやんややんややっているときである。
「そ、そんな……!」
かやの外から、五十槻が再び悲痛な声を上げた。ぎくっとした面持ちで、綜士郎がそちらを振り向くと。
「ぼ、僕は……てっきり大尉が出場されるものと思い……その、応援の用品なども自作したのですが……」
わなわなと震える手つきで、五十槻が取り出したものは何か。
うちわである。二枚ある。それぞれ赤地に白墨で「必勝」「藤堂」と記されている。
「ハチマキも……」
いつのまにか真顔の少尉の額には、白いハチマキが巻き付けてあった。これには黒い墨で「根性」の二字がしたためられている。
「致し方ありません。藤堂大尉が出場なさらない以上、これらももはや無用の長物……かくなるうえはやはり焼却炉に」
「だ──────ッ! 分かった! 出ればいいんだろう出れば! よく出来てんなそのうちわ!」
「藤堂大尉……!」
かくて藤堂綜士郎、本日二度目の陥落である。勝負事の前にすでに二連敗、大丈夫なのだろうかこの男。
勝手に敗北を喫する大尉を目前に、精一と崩ヶ谷は顔を見合わせた。互いに引きつった笑みだ。
「ちょ、ちょろ~……!」
伍長と中尉の声音は、若干引いている。
(あまりにちょろすぎてお義父さんは心配だぜ、綜ちゃん──!)
とまあ、なんやかんやがありつつも。
── ── ── ── ── ──
大会の日は一週間後である。
梅雨の気鬱もなんのその。
「もし優勝したら、八朔少尉に何してもらお~」
「お、おいどんは! デ、デエトしてほしいでごわす! 男同士でも構わんでごわす!」
「いやらしいことは禁止だってさ。破った奴は半年営倉行き」
「八朔少尉に対し、不埒な企みを持つ者は親衛隊が成敗するッ」
第一中隊の営内は、大会に向け活気にあふれ……というか、殺気立っている。
とくに異様な雰囲気を放っているのがこの男、獺越万都里である。
「ハッサクがナンデモ、ナンデモ、ナンデモ……」
うわごとのようにナンデモナンデモと唱えながら、美形の青年は営庭を何周も走り込み、ひたすら鍛錬に励んでいた。走り込むばかりではない。両腕に鉄亜鈴を握りしめ、腕の筋肉を鍛えながら走っている。この鍛錬の方法が腕力向上に資するかどうかは、定かではない。
みなその様を遠巻きに眺めている。というかドン引いている。士卒の大半は眉をひそめながら、その狂気っぷりに恐れおののいていた。阿片やってんのかな、と本気で心配している者までいる。
例外が八朔五十槻くらいのものである。
(獺越さん、大会に向けて大変な気合の入りようだ)
街頭警邏の任から帰営してすぐ、万都里が走っているのが見えたので。五十槻は声を張り上げて、万都里へ激励の言葉を送った。
「獺越さん、頑張ってください!」
「ナンデモ!」
「大丈夫かな……!」
大丈夫ではない。
ちなみに綜士郎は鍛錬どころではなく、陸軍省だの近隣師団のお偉いさんだのとの会合に忙殺されている。
そうこうしているうちに、一日、一日と日が過ぎていく。
梅雨空の下、小雨の日も、豪雨の日も。出場予定の者たちは腕立て伏せや鉄亜鈴での鍛錬と、腕相撲に応じた鍛錬に勤しみ。
獺越万都里は相も変わらず営庭を走り、ときに軍営を飛び出し、いずことも知れぬ山野で鉄亜鈴をブンブン振り、なんか滝行とかもした。日が暮れる前には毎日ちゃんと下宿先に戻って、いつも通りきっかり八時間寝た。
綜士郎は第一中隊のとんちきっぷりが気になって仕方なかったが、多忙ゆえに大した介入もできず。
五十槻は精一の指示に従いつつ、大会の準備を頑張った。
他の大会実行委員の式哨と力を合わせ、知恵を絞り。軍務の合間を縫っての準備活動は、五十槻にとってそれはそれは新鮮で、充実したものであった。
そうして迎えた大会当日、六月十六日──。




