漆黒の騎士と揺れる心
その青年の放つ圧倒的な威圧感に、私は息をすることさえ忘れて立ち尽くしていた。
馬の荒い鼻息が、白く冷たい霧となって王都とは違う澄んだ空気に消えていく。青年の髪は濡れた烏の羽のように黒く、額にわずかにかかる前髪の隙間から覗く瞳は、氷を湛えた冬の夜空のような群青色だった。彫刻のように整った冷徹な美貌。しかし、何よりも私を竦み上がらせたのは、彼が纏う空気そのものだった。
王都の貴族たちが持つ、他者を値踏みするようなねっとりとした視線ではない。目の前の青年が放つのは、戦場を潜り抜けてきた者だけが持つ、命を刈り取る刃のような鋭さと、一分の隙もない強固な意志。
これほどまでの存在感を持つ人を、私は一人しか知らない。いや、噂に聞いたことがあるだけだ。
王都から遠く離れたこの東の果て、魔獣や隣国からの脅威と最前線で対峙し続ける、不敗の軍勢を率いる若き守護者――。
「ラ、ラインハルト様……! なぜこのような辺境の村に……!」
先ほどまで私を温かく迎え入れようとしてくれていた村長が、大慌てでその場に平伏した。周囲の村人たちも、蜘蛛の子を散らすように道を開け、一斉に頭を垂れる。
ラインハルト。その名を聞いた瞬間、私の確信は真実へと変わった。
彼こそが、現在のリヴィエール領を治める若き辺境伯、ラインハルト・フォン・アステル。亡き母の生家であるリヴィエール家が王都へ移り、実質的に途絶えた後、中央からこの過酷な土地の統治を任されたという、若き最高権力者だった。
「……耳が痛いな、村長。辺境の村も何も、ここは我が領地の一部だ。私がどこを巡回しようと私の自由だろう」
ラインハルトは低く、地響きのようだが、優しく心地よい声で告げた。彼は手綱を握る革手袋の手をわずかに動かし、愛馬を私の数歩手前で止めると、その凍てつく群青色の瞳を真っ直ぐに私へと向けた。
「それよりも、話を戻そう。王都で大規模な暴動が発生した。その混乱に乗じて、身元の定かでない者がこの領地へ侵入したとの報を受け、国境の警備を強化していたところだ。……そこにいる娘。お前がその『密入国者』か?」
彼の言葉は、まるで鋭い剣先を喉元に突きつけられているかのような緊張感を伴っていた。
私の身体は恐怖でガタガタと震えそうになった。王都での生活で植え付けられた「権力者への恐怖」が、私の心を支配しようとする。ここで目を逸らし、怯えて許しを請えば、私はまた「無力な人形」に逆戻りしてしまう。
(ダメよ、エルリア。ここで怯えてはいけない。私は自由を求めて、ここへ来たのよ……!)
私は奥歯を噛み締め、スカートの裾を握りしめる手に力を込めた。そして、逃げ出したい衝動を必死に抑え込み、ラインハルトの瞳を真っ直ぐに見返した。
「……密入国者、という言葉は甘んじて受け入れます、アステル辺境伯閣下。ですが、私は不当な意図を持ってこの土地に足を踏み入れたわけではありません」
私の声は、我ながら驚くほど凛として響いた。
ラインハルトは一瞬、意外そうに片方の眉を上げた。王都の令嬢であれば、彼の放つ覇気に気圧されて泣き出すか、あるいは身分を笠に着て怒り出すのがオチだろう。しかし、私が平民の泥に汚れた旅着を着ながらも、貴族としての礼法を崩さずに真っ直ぐ前を見据えたことが、彼の興味を惹いたようだった。
「ほう。不当な意図はない、か。ならば、なぜ王都の貴族街の令嬢が、そのような平民の変装をして、夜逃げ同然にこの辺境へやってきた? そなたが纏う空気、そしてその身のこなし……隠そうとしても、王宮の悪臭が漂ってくるぞ」
彼の言葉には、王都の貴族に対する明確な嫌悪と侮蔑が含まれていた。ジュリアンがいつも辺境を「野蛮人の巣窟」と呼んでいたのと同じように、この土地の人々にとっても、王都の貴族は「肥え太った寄生虫」のような存在なのだろう。
「ラインハルト様、お待ちください!」
沈黙を破ったのは、私の背後に控えていたマルタだった。彼女は私の前に進み出ると、ラインハルトに向かって深く一礼した。
「このお方は、決して王都の回し者でも、不審な者でもございません! このお方は……かつてこのリヴィエールを深く愛し、領民たちのために尽くされた、エレーヌ・ド・リヴィエール様の実のお嬢様、エルリア様でございます!」
「何だと……!?」
ラインハルトの瞳に、初めて明確な動揺の光が走った。
彼は馬の上から身を乗り出すようにして、私の顔を凝視した。その視線は、先ほどまでの冷徹な取り調べのものから、何かを探り当てようとする切実なものへと変わっていく。
「エレーヌ様の……娘? 確かに、エレーヌ様は王都のサヴァラン伯爵家に嫁がれたと聞いているが……。サヴァラン家は数年前に没落したはずだ。なぜ今になって、その娘がここにいる?」
「それは……」
マルタが言葉を続けようとしたが、私はそれを手で制した。自分の口から、自分の事情を説明しなければ、彼のような男は決して私を信用しないと直感したからだ。
「私が説明いたします、閣下」
私は一歩前に出ると、胸元で握りしめていたペンダントを掲げた。太陽の光を浴びて、深海のような青い輝きがラインハルトの瞳に映り込む。そのペンダントの裏面に彫られた、リヴィエール家の古い紋章――『大河と銀狼』の意匠が、彼の目に留まった。
「私の実家であるサヴァラン伯爵家は、三年前の両親の事故死に伴い没落いたしました。その後、私は生き延びるために、クロイツァー子爵家の次男、ジュリアン・クロイツァーの保護下――実質的な婚約者として、王都で彼の言いなりになって生きてまいりました」
思い出すだけでも胸が痛むジュリアンの名前を、私は努めて冷静に口にした。
「ですが、ジュリアン様からの執拗な精神的虐待、そして何より、王都に迫る暴動の足音を感じ、私はこのままでは命を落とすだけでなく、一人の人間としての尊厳すら完全に失ってしまうと確信したのです。唯一の味方であるマルタの助言を受け、私は命がけで王都の鳥籠を抜け出し、亡き母が愛した故郷の、このリヴィエール領へと逃れてまいりました。これが、私がここにいる全貌です」
一気に語り終えると、広場は再び静まり返った。
ラインハルトは無言のまま、私の言葉の真偽を確かめるように、じっと私の瞳の奥を覗き込んできた。その視線はあまりにも深く、まるですべての嘘を見透かされてしまうかのようだった。私はただ、自分の選択に嘘偽りはないという意志を込めて、その視線を跳ね返した。
やがて、ラインハルトはふっと低く息を吐き、馬の首を優しく叩いた。
「……確かに、そのネックレスは本物のようだな。リヴィエール直系の血を引く者にしか受け継がれない、特別な魔力を帯びた宝飾品だ。そして、お前のその頑固なまでの真っ直ぐな瞳……写真で見たエレーヌ様の面影が確かにある」
彼の声から、先ほどまでの刺々しい警戒心が少しだけ薄れたのを感じ、私は密かに胸を撫で下ろした。
「だが」
ラインハルトは再び声を冷たく引き締めた。
「エレーヌ様の娘だからといって、無条件で受け入れるわけにはいかない。王都の状況は切迫している。お前の元婚約者とやらが、お前を連れ戻すために追っ手を差し向ける可能性も否定できない。不要に領民達を危険に晒してしまうリスクを伴う。それに、お前が本当にこのリヴィエールで『貴族の令嬢』として甘やかされた生活を望んでいるのだとしたら、私の領地にお前の居場所はない」
「そんな……! 私は贅沢な暮らしなど望んでいません!」
「口では何とでも言える」
ラインハルトは冷酷に言い放つと、馬の上から周囲の騎士たちに鋭く命じた。
「この二人を、リヴィエール城へと連行する。身元の正式な確認と、王都の情勢についての詳しい尋問を行う。……村長、この者たちに便宜を図ろうとした件は不問に処す。各自、通常の任務に戻れ」
「は、はい! かしこまりました!」
村長が平伏する中、数人の騎士たちが私たちの馬車の周囲を取り囲んだ。連行、という言葉にマルタが身構えたが、私は彼女の袖を優しく引いて首を振った。
「大丈夫よ、マルタ。私たちは隠すことなんて何もないわ。辺境伯閣下に従いましょう」
ラインハルトは私のその態度を一度だけ一瞥すると、黒馬の腹を蹴り、砂埃を上げて城の方角へと走り去っていった。その背中を見送りながら、私はこれからの波乱に満ちた生活を予感し、身震いすると同時に、不思議な高揚感を覚えていた。
────
国境の村を出発した馬車は、騎士たちの先導のもと、リヴィエール領のさらに奥深くへと進んでいった。
窓の外の景色は、進めば進むほどその雄大さを増していく。王都の人工的に整えられた庭園とは違い、ここにあるのは自然そのものが持つ圧倒的な生命力だった。巨木が立ち並ぶ深い森を抜けると、目の前には再びあの巨大なリヴィエール川が姿を現した。川幅は王都の運河の十倍はあろうかというほど広く、滔々と流れる水は、底の石まで透けて見えるほどに澄み切っている。
やがて、前方の小高い丘の上に、石造りの堅牢な城が見えてきた。
それが、ラインハルトの居城である『アステル砦』――通称、リヴィエール城だった。
王宮のような金箔や華美な彫刻は一切なく、外壁は灰色のごつごつとした岩石で組まれている。完全に実戦と防御を想定して造られたその城は、まさにこの過酷な辺境を守る象徴そのもののように見えた。
城門を潜り、馬車が中庭で停止する。
扉が開けられ、私とマルタが外へ出ると、すでに馬を降りたラインハルトが、冷徹な佇まいで私たちを待っていた。
「私の執務室へ来い。話はそこで聞く。メイドの同行は許すが、余計な発言は慎め」
「分かりました」
彼のあとに続き、私たちは城の内部へと入った。
内装もやはり質素剛健そのものだった。廊下には赤い絨毯こそ敷かれているものの、壁には武器や防具、そして領地の詳細な地図が掛けられているだけで、王都の貴族が好むような価値のわからない骨董品や、成金趣味の絵画などは一枚もなかった。
すれ違う使用人や兵士たちも、皆一様に引き締まった表情をしており、ラインハルトに対して深い敬意を込めて礼を捧げていた。この城が、いかに規律正しく機能しているかが、それだけで伝わってきた。
最上階にある重厚な扉が開かれ、私たちはラインハルトの執務室へと案内された。
部屋の中央には、数多くの書類や魔導具が煩雑に置かれた大きな机があり、壁際はすべて本棚で埋め尽くされていた。本棚には、軍事戦略書や法学書、農業や流通に関する専門書がぎっしりと並んでいる。ジュリアンの書斎にあったのが、競馬の予想書や、自慢のコレクションの目録だけだったのとは、雲泥の差だった。
ラインハルトは机の前の椅子に腰を下ろすと、私に正面の椅子に座るよう顎で促した。マルタはその斜め後ろに、直立不動で控える。
「さて、エルリア・ド・サヴァラン。改めて、そなたの口から王都の現状を詳しく聞かせてもらおう。民衆の暴動の規模、近衛兵の動向、そして……お前が逃げ出してきたクロイツァー子爵家の動きについてだ」
彼は肘を机につき、組んだ手の上に顎を乗せて、鋭い視線を私に注いだ。
私は深く息を吸い込み、記憶を呼び起こしながら、王都で見てきたこと、聞いてきたことを理路整然と話し始めた。
「まず、王都の暴動についてですが、これは単なる一時的な一揆ではありません。ここ数ヶ月、民たちの間では、食材の価格の高騰や重税に対する不満が限界に達していました。市場の裏路地では、平民たちが密かに武器を調達し、集会を開いているのを、買い出しに出たマルタが何度も目撃しています」
ラインハルトは無言で頷き、ペンを取って手元の紙にメモを走り書きした。
「さらに深刻なのは、王宮を守る近衛兵の動向です。近衛兵の下級兵士の大半は平民出身であり、彼らの多くがすでに反乱軍側に内通しているという噂が流れていました。私が王都を脱出した夜、実際に第四区で大規模な爆破音と火の手が上がりましたが、城門の守衛たちは鎮圧に向かう際、完全に統制を失っていました。おそらく、現在の中央は、暴動を抑え込む能力を失っていると思われます」
「ふむ……近衛の内部崩壊か。王都の腐敗はそこまで進んでいたか」
ラインハルトは苦々しげに呟いた。彼は私の話を、単なる「令嬢の世間話」としてではなく、貴重な軍事情報として真剣に受け止めているようだった。その態度が、私に少しだけ自信をくれた。
「そして、元婚約者のジュリアン・クロイツァーについてですが……」
そこまで言ったとき、私の声がわずかに震えた。ラインハルトの鋭い瞳が、その変化を見逃さなかった。
「彼は近衛騎士団の幹部たちと連日会合を重ねており、王都の治安維持を名目に、さらに民たちを武力で徹底的に弾圧する計画を進めていました。彼は傲慢で、民を『言葉を話す家畜』程度といつも仰っていました。暴動が起きても、自分たちの権力は絶対だと過信しています」
「なるほど。典型的な王都の無能な貴族というわけだな。そんな男の傍に、なぜお前は三年もの間耐え続けていた?」
ラインハルトの問いかけは、私の心の最も深い傷に容赦なく触れてきた。
私は視線を落とし、膝の上で手をきつく握りしめた。
「……恐ろしかったのです」
「恐怖か。その男の暴力がか?」
「いいえ、肉体的な暴力はありませんでした。彼はただ、言葉で私を縛り付けたのです」
私は、誰にも言えなかった胸の内を、この冷徹な初対面の辺境伯に向かって、吐き出すように語り始めた。
「両親を亡くし、莫大な借金を背負った私に、彼は救いの手を差し伸べるフリをして近づいてきました。そして、事あるごとに私に言ったのです。『お前には価値がない』『私の庇護がなければ、お前は明日の食事にも困るドブネズミになる』『私に感謝し、人形のように従っていればいい』と。……私は、貴族としての生活を失うこと、そして飢えて死ぬことへの恐怖から、その言葉を信じ込んでしまっていました。私が我慢していれば、いつかすべてが丸く収まるのではないかと、自分に言い訳をしていたのです。愚かな話に聞こえるかもしれませんが、何度も言われると……自分でも理解できないまま……その、本気でそうだと信じてしまったのです。」
私の告白に、部屋の中は静まり返った。マルタが後ろで、痛ましそうに小さな息を呑むのが聞こえた。
ラインハルトは何も言わず、ただ静かに私の言葉を聞いていた。その瞳には、先ほどまでの冷酷な侮蔑ではなく、どこか深い熟考の色が浮かんでいた。
「ですが」
私は顔を上げ、ラインハルトの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「街が燃え、本当の危機の足音が聞こえた時、私はようやく目が覚めました。ジュリアン様に従ってここで飼い殺しにされるくらいなら、すべてを失ってでも、自分の足で立ち、自分の責任で生きたいと思ったのです。ここリヴィエールは、母が愛し、命を懸けて守ろうとした土地だとマルタから聞きました。ここへ来れば、私が一人の人間として生きるための『何か』が見つかるかもしれない……そう思ったのです」
私の言葉が終わると、執務室にはただ、壁に掛けられた古い振り子時計のカチカチという音だけが響いていた。
ラインハルトは椅子の背もたれにゆっくりと寄りかかり、組んだ指先を見つめながら、長い沈黙ののちに口を開いた。
「……お前の言葉には、嘘はないように聞こえる。王都の情報も、我が方の隠密が掴んでいる内容と完全に一致する。ジュリアンという男の件も含めて、お前がここへ逃げてきた理由は、理解した」
彼は立ち上がり、窓の方へと歩いて行った。窓の外には、リヴィエールの豊かな緑と大河が広がっている。
「エルリア。お前がエレーヌ様の娘であることは認める。そして、お前がその忌々しい王都の男から逃げ出すために見せた覚悟も、一応は評価しよう。王都の温室で育った割には、骨のある者だ」
ほんの少しだけ、彼の言葉に皮肉混じりの賞賛が含まれていた。私は驚き、目を見開いた。
「だが、先ほども言った通り、我が領地には、君を『サヴァラン伯爵令嬢』として優遇する余裕はない。現在、王都からの難民や、それに伴う治安の悪化、さらには冬に向けての食料備蓄の調整など、山ほどの問題を抱えている。君がここに残りたいのであれば、一人の『領民』として、この土地のために働いてもらう。何一つ仕事ができない無能を養うほど、我が領の財政は甘くない」
「働きます!」
私は間髪入れずに叫んでいた。椅子から立ち上がり、ラインハルトの背中に向かって強く訴える。
「何でもいたします! 書類の整理でも、お掃除でも、お料理の手伝いでも……。私にはまだ、特別な技術はありません。ですが、学ぶ覚悟はあります。誰かの人形として生きるのではなく、自分の労働によって自由を得られるなら、それ以上の喜びはありません!」
私の必死な訴えに、ラインハルトはゆっくりと振り返った。
その顔には、ほんのわずかだが、氷が溶けるような微かな笑みが浮かんでいた。それまでの冷酷な美貌が、一瞬だけ、年相応の青年のものに見えた。
「ふん……。本当に、変わった御令嬢だな。普通は、労働を命じられた時点で泣いて慈悲を乞うか、爵位を盾に、声を荒げるものだが」
彼は机に戻り、一枚の書類を私に差し出した。
「いいだろう。君の雇用を認めよう。まずは私の執務室の雑用係、兼、領地内の各施設への連絡係だ。王都の貴族特有の高度な読み書きと、ある程度の教養はあるようだからな。書類の整理くらいはこなしてもらわねば困る」
「はい! ありがとうございます、アステル閣下!」
「呼び方は『ラインハルト』でいい。ここでは堅苦しい王都の称号は使わん。その代わり、仕事に手落ちがあれば、容赦なく首にして叩き出すからそのつもりでいろ」
「はい、ラインハルト様!」
私は胸に込み上げる嬉しさを抑えきれず、満面の笑みを浮かべた。
ついに、私は自分の手で、新しい人生の第一歩を勝ち取ったのだ。ジュリアンの支配から完全に脱し、この美しいリヴィエールの大地で、自分の力で生きていくための切符を。
「マルタ。君も、エルリアの専属メイドとしての滞在を認めるが、城の洗濯や厨房の手伝いにも入ってもらう。人手はいくらあっても足りないからな」
「もちろんでございます、ラインハルト様。お嬢様共々、この命の続く限り、領地のために尽くさせていただきます」
マルタも嬉しそうに深く一礼した。
「部屋は、城の東翼にある古い客室を使え。荷物の整理が終わったら、明日から早速仕事を始めてもらう。……エルリア、お前のその『覚悟』が本物かどうか、じっくりと見極めさせてもらうぞ」
ラインハルトの群青色の瞳が、再び鋭く私を射抜いた。しかし、最初に出会った時のあの凍てつくような冷たさは、もうそこにはなかった。そこにあるのは、私という一人の人間を対等に見つめる、厳格だが誠実な光だった。
こうして、私はアステル砦での、新しい生活をスタートさせることになった。
横暴な婚約者から逃れ、たどり着いた亡き母の故郷。
不便で、過酷で、だけどどこまでも自由なこの土地で、私は冷徹な若き辺境伯ラインハルトの側で、自身の本当の価値と、そしてまだ見ぬ本当の恋を見つけていくことになる――。




