29 異変
29 異変
クインシーが帰国した頃、ジュディスはある不安に駆られていた。ウィリアムの様子が変わってきたのだ。最初は帰りが遅くなるぐらいで、仕事が忙しいのかと思っていた。ところが、最近では、ジュディスが声を掛けても邪魔くさそうな表情を隠そうともしないのだ。
「最近の旦那様はひどいです!」
「エミー!」
「だって、この前なんか、どこかのご令嬢とカフェで二人きりだったんですよ。ジュディス様が可哀そうです!」
エミーは唇を噛み締めて訴えるが、モニカに窘められる。確かに、エミーの言うことも分かるが、ここは侍女として我慢のしどころだ。モニカはエミーの肩を抱いて、励ます様に言う。
「きっと何か理由があるのよ。ダーラ様もおっしゃっていたわ。旦那様は美丈夫だけど、本当は素朴で誠実な方なんだって。だから、私たちは、ジュディス様が少しでも元気でいられるように考えましょう。」
「モニカさ~ん。」
「はい、はい。いつまでもぐずぐずしない!今日もお仕事がんばりましょう!」
エミーを追い立てて仕事場に向いながら、モニカはふと窓の外で庭の植物の世話をしているジュディスに目をやった。笑顔を絶やさないジュディスにも、どこか寂し気は影が見える。午前中は王宮で貴族教育を受け、午後はいつものように収穫した植物を仕事場に持って行って、ジュディスはそのまま仕事を始めるだろう。帰ってくるまでに、何か彼女の喜びそうなものを準備したい。そんな思いを胸に秘めて、モニカも仕事に向かった。
「モニカさん!大変です!」
ジャネットが洗濯場に駆け込んできたのは、ジュディスが仕事場に向かった本の数分後だった。
「ジャネット、走ってはいけません。」
「それどころじゃないんです!旦那様が、旦那様が…。」
「ジャネット、落ち着いて…。はぁ?!」
ジャネットを落ち着かせていたモニカから、聞き覚えの無いドスの利いた声が飛び出した。窓の外に着飾った女性をエスコートするウィリアムの姿が見えたからだ。
「旦那様、おかえりなさいませ。」
「バーリス、お茶の用意を執務室へ。それから、宝石商を呼んでくれ。」
「応接室ではなく、でしょうか? …承知いたしました。」
バーリスは口元を引き締めて下がると、侍女にお茶の指示を出した。
親しいはずのないご令嬢を執務室に入れるなど、常識では考えられない。それに、宝石商を呼ぶということは、宝石を購入するという事だ。この新しい屋敷に勤め始めてから、まだ一度も呼んだことがないと言うのに。どうも最近のウィリアムは様子がおかしい。バーリスはそのことをジュディスに伝えるかどうかで揺れていた。
「バーリス。どうしたの?難しい顔をして。門の前に馬車があったけど、ウィリアム様が帰宅されているの?だったら、セオドリック様のご結婚のお祝いの相談をしたいのだけど、今は執務室なのね?」
不意に声を掛けられて顔を上げると、寂し気は表情を隠す様に笑っているジュディスがいた。
「あっ!ちょっとお待ちを!」
バーリスが止めるのと、ノックしてドアを開けるのが同時だった。
「ウィリアム様。失礼しま…。」
「なんだ!今、大切な客人がお見えなんだ。控えてくれ。」
ジュディスの目に映ったのは、2人掛けのソファに寄り添って座るウィリアムと女性の姿だった。明らかにしなだれかかった様子で、邪魔者を見るような視線がジュディスを突き刺す。
「ご、ごめんなさい。お客様でしたら、応接室にお通しされたらいかがですか?」
「なぁに、この人? 主に口答えするなんて、信じられないわ。ウィリアム、ひどい目にあってない?」
「ああ、大丈夫だよ。心配してくれるなんて、優しいんだな。」
「ウ、ウィリア…。」
自分ですら呼び捨てなどしていないのに、ジュディスはどうしていいのか分からず、部屋を飛び出して行った。
仕事を終えて帰宅しても、ジュディスが部屋から出てくることはなかった。また、ウィリアムも外で食事を済ませてくることが多くなり、二人の間は一気に冷え込んでしまった。そんな中、ジュディスの染める刺繍糸が何色を染めても漆黒になってしまう現象が起こりだした。色のストックはあるからと、クレアは励ますが、何度やっても真っ黒に染まってしまう刺繍糸をみて、ジュディスは途方に暮れた。
「あの、こちらに漆黒の色を出せる方がいらっしゃると伺ってやってきたのですが…。」
落ち込んでいるジュディスの元に、とある伯爵家の執事が訪ねて来た。伯爵家の嫡男の肖像画を刺繍絵で作りたいのだが、嫡男の髪は真っ黒でとても艶があるという。今までの刺繍絵では、紫がかった色や、深い茶色になっていたので、ぜひ、ここで作りたいと言うのだ。もちろん、刺繍絵はクレアに依頼するという。クレアは、いい機会だと言って、仕事を受け、瞬く間に黒髪の美しい肖像画を仕上げた。
「ジュディス。今は、目の前の仕事に集中しなさい。きっと何か理由があるはずなのよ。」
祖母であり師匠でもあるクレアにそう言われたら、、頑張るしかない。ジュディスは黙々と作業を続けていた。すると、仕事場に突然、ジャネットが飛び込んで来た。
「ジュディス様、大変です!旦那様が、屋敷で倒れてしまわれました。」
「ええ?!」
「ジュディス、すぐに向かいなさい。」
クレアに励まされ、すぐさま自分の屋敷に駆け戻ったジュディスは、ベッドに運ばれて眠っているウィリアムを目撃した。侍女たちに促されてベッドサイドまで近づくと、微かな違和感を覚える。そういえば、随分長い間、ウィリアムには近づけなかった。近づいてくれるなというオーラを感じていたのだ。だから、気付けなかった。ウィリアムには、なにかしらの強力な魔法がかけられていることに。あのおかしな態度は、この魔法にがんじがらめにされていたからだったのだ。
ジュディスはすぐさま治癒魔法に取り掛かった。
―お願い、早く自分を取り戻して!―
膝をついて両手を組んで懸命に祈るジュディスから暖かな光が溢れだし、ウィリアムを包み込む。そしてパンっと破裂したような感覚を覚えたジュディスが顔を上げると、魅了魔法が砕け散るのが見えた。
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