第四十五話 適性検査③
「グリーも戻ってきたし、メクリミア家のゲン調べるぞー」
柏木が創り出した物質を組成検査に提出してきたグリーが適性検査室に戻って来ると、元の精霊魔法の検査に移った。
魔法適性検査は、所属する家の者が同席する習わしのようで、グリーが戻って来るのを待っていたのだ。
「精霊魔法は現象魔法や物質魔法と違ってその場に精霊が居ないと発動できないもんだ。精霊魔法ってのは他の二つの魔法と違って精霊に好かれてなきゃいかん。まぁ適性はあるんだから大丈夫だとは思うがな」
そう言いながらランドルは壁際に移動する。
壁には大きな魔法陣が描かれており、ランドルの腰の高さに半球型の出っ張りがあった。
「この室内には薬品や空気、部屋の建材に使われている石なんかの精霊は居るが火とか砂とかの精霊は居ない。精霊魔法の適性を判別するには、全ての精霊が来れるようにしなきゃならんのよ。なんで、これの出番なわけだ」
コンコンッと右手の甲で壁の魔法陣を叩きながら、ランドルは元に語りかける。
どうやら壁の魔法陣は、精霊を喚び出すための装置のようだ。
「この魔法省の建物は龍脈の上に建っていてな、世界中の龍脈は繋がってんだ。この魔法陣で地脈に繋がり、適性精霊に呼びかける。精霊魔法を使う場合、その場に精霊が居ない時には龍脈を利用する。精霊魔法使いには必須の知識だから、忘れんなよ」
ほれやってみろ、と言ってランドルは元を魔法陣の前に立たせた。
「精霊たちは魔素生命体と言われている。普通の生物のように物質で体を構成してるんじゃなくて、魔素のみでできてんだと。だから魔力が食いもんみてーなもんでな、適性魔力を流してやれば食いつく、らしい。詳しいことは学園でやるだろうから、取り敢えずそこに手を置いて魔力を流しながら精霊に語りかけろ」
そこ、と言ってランドルは壁の出っ張りを指差す。
元は素直に頷いて、半球状の出っ張りに手を置いた。
魔力を流すことは出来そうだが、語りかけるとはどうすればいいのか。
元は頭の中で思い浮かべればいいのか、口に出したほうがいいのか思い悩む。
悩んだところでしょうがないと数瞬の躊躇いの後、それっぽい事を言おうと決め元は口を開いた。
『掛けまくも畏き高邁なる精霊等よ。クルセリアに流るる架け橋たる眩しき龍脈に、永劫に成り座せる精霊等よ。御身等の力を借り受けし我の身が用ゐる大きなる力を示せと白す事を、聞食せと恐み恐みも白す』
参考にした祝詞の原型が分からない程に改変されたオリジナリティ溢れる精霊たちへの呼びかけをしながら、元は出っ張りへと魔力を流す。
口にしたのはラポニア語では無く日本語だ。
祓霊や浄霊の時に言祝ぐ事があるため、元は祖父からいくつかの祝詞を教え込まれている。
その中の一つ、神事を執り行う際に使われる祝詞の一つを参考に元は精霊への呼びかけを行った。
日本語のままだったのは、通訳できるほどラポニア語に精通していないからだ。
ゲニアやランドルは「故郷である東方の言葉かな? 」と言った感じの表情をしているが、柏木などは「何言ってんのこいつ」といった訝しげな顔をしている。
普段の元の言動と今の言葉が同一人物から発せられたとは思えなかったからだ。
当たり前だが普段の元はこんな言葉遣いではない。
もっとも元は目の前の魔法陣を見入っており、そんな面々の表情に気づくことはなかった。
魔力を流された魔法陣の文字が光り出したと思った瞬間、部屋中の影を吹き飛ばすかのように魔法陣が目も眩むように輝く。
どんな精霊が現れるのだろうと魔法陣を見つめていた人々の目を焼く。
反射的に全員が目を閉じ顔を背け、光から目を守ろうと腕を掲げて目元を覆う。
魔法陣の目の前にいた元も例外では無く、出っ張りにおいていた手を思わず離してしまった。
魔法陣はすでに起動しているので、問題が起きることは無いのだが。
( うお、眩し!こんな光るなら先に言っておいて欲しかった。……な!! )
眩しさに思わず愚痴めいた事を思い浮かべた瞬間、魔法陣から清涼な霊気が吹き荒れた。
都会から田舎へと移動した時に味わう空気の様に、部屋の中の雰囲気が一変する。
人の手が入らない山奥の湖の静謐さ、雑木林に囲まれた一種の結界に囲まれた神社仏閣の空気、静かな夜の空に浮かぶ穏やかな月。
八百万の神々が隣に居るような、静かながら恐れのない安定した心持ち。
霊気と言うよりも、清涼すぎて神気と言った方がしっくりくる。
部屋の中がそんな空気に満ちた。
部屋の雰囲気が一変したと気がついた時には、魔法陣の光は既に消えていた。
肺の中に霊峰神山の空気でも直接入れられたかの様な清浄な息を吐きながら、何が起こったのかと元は視線を巡らす。
後ろで見守っていた人々も、戸惑っているかの様に視線を泳がせている。
魔法について一番知識があるであろうゲニアでさえも、落ち着かない様子だ。
ふと、元は目の前の魔法陣へと顔を向ける。
何か違和感を感じたのだ。
よくよく目を凝らしてみれば、元の額の高さに薄っすらとした水の塊の様な物が浮かんでいた。
拳の大きさほどのそれは、不定形にフニフニとして空中に留まっている。
手を伸ばしてみるが僅かな抵抗感の後、すり抜けてしまった。
ヒンヤリとした感触だけが手のひらに残る。
霧の塊に手を伸ばした様な、そんな感触。
見た目は薄っすらとした水球なのに、水の中に手を入れた感触では無かった。
「あー、ゲン。そこになんかいるのか?」
これは何なのかと考えていると、横からランドルが話しかけてくる。
そこ、と言って指で指し示した場所は水球からはズレていたが、おそらく見えていないのだろう。
精霊の姿が見えるのは精霊魔法の適性がある者だけ。
おそらくこの浮いているのが精霊で、ランドルは精霊魔法の適性が無いのだろう。
「あ、はい。なんか水の塊みたいなのが浮いてます」
精霊についての知識がない元はランドルの質問に素直に答える。
目の前に浮いているものが精霊であろう事は予測がついたが、何の精霊なのかわからない。
ここは素直に知ってそうな人に聞いた方が利口だろう。
そう思って元は目の前に浮いている水球の見た目や大きさなどを説明していく。
ランドルは元の説明を聞きながら、チラリとメニアに視線を送る。
元もつられて後ろにいるメニアへと振り返った。
「ええ、確かにゲン様の目の前には精霊が居ります。見た所普通の水精霊ですね」
どうやらメニアは精霊魔法の適性があるらしく、元の目の前にいる水球が見えている様だ。
成る程水精霊ねー、と言いながらランドルはクリップボードに挟まれた元の資料に書き込んでいく。
ゲニアやグリーは先ほどの魔法陣の反応が通常よりも光が強かった事や、噴き出してきた清浄な空気の話をしている。
ランドルは水精霊ってなんか普通だなと言いながら、グリー達の会話に参加していく。
しかし元は大人達の会話が耳に入って来ていない。
振り返った先ではメニアが先ほど出会った頃から浮かべている穏やかな微笑みを湛えた笑顔で立っている。
纏っている雰囲気も嫋やかで、成る程貴族の中の貴族である公爵家の子女といった感じだ。
しかし元は今初めてその存在を認識したかの様に見つめてしまっていた。
背筋を伸ばし穏やかな中にも、そこはかとなく漂ってくる蠱惑的な匂いをさせる笑顔で立っている美女を。