第二十四話 海坊主
ちょっと長いです
静かな港に怨嗟の啼き声が響く。
ゆるりゆるりと岸壁に近づいた海坊主は、ベシャリと音を立てながら這い上がってくる。
海中に没していた部分が露わになったそれは、まさに肉の塊。
体長は凡そ十メートル、体高は四メートルと言ったところか。
紫色の薄霧を纏った海坊主の体表には、腐り、頭蓋が露出した顔が並んでいる。
長い時間海中を漂っていたのか、所々に貝等がへばり付いていた。
「何ともまぁ、よくもここまで育ったもんだ。今回の事故もお前の仕業か?さっきの奴らはお前に取り込まれる前で良かったよ」
先程、元が送った死者達は苦しみよりも郷愁の念が強かった。
寂しさから、人の営みを求めての行動。
見た目はともかく、人を害する物では無かった。
しかし目の前の海坊主からは怨嗟の声が、嫉妬が、憎しみが伝わってくる。
人に限らず、魂は移ろいやすい。
肉体を失った魂は剥き出しになり、他の影響を受けやすくなる。
怨嗟の念が伝播し、共鳴。
周りへ影響する程の、穢れ溜まりを作り出す。
膨れ上がった魂達は、個の形を捨て去り、生ある者への怨嗟に澱む。
正常な魂が穢れ、邪悪に染まると魂は曲霊となる。
そうなってしまうと、人に仇なす存在へと成り果ててしまう。
目の前の海坊主も、そんな曲霊が集い出来上がった、化け物だ。
「禍霊神にまでは至っていない様だが、ここまでデカくなると個別には祓えない、か。さてどうするか」
元がどうやって海坊主を祓うか悩んでいると、元が行動するよりも早く、海坊主が動いた。
ブルリッ、と震えると体表の一部が盛り上がり、触手状に伸び上がると、元を目掛けて打ち下ろしてくる。
「ちっ! 」
元は舌打ちをし、その場から飛び退く。
触手の動きは速かったが、元にはしっかりとその動きは見えていた。
半歩身を移す事で、触手を躱す事も出来たが、その場から大袈裟に飛び退いた。
理由は簡単だった。
バァンッ!!
元が立っていた場所に打ち下ろされた触手が弾けた。
灰色の肉片と黄色く濁った脂肪片、腐り黒ずんだ内臓と、少々の生きている小魚、そして脳を揺さぶる様な強烈な腐臭が辺りに飛び散る。
飛び散った物の一部には頭も含まれており、コロコロと転がりながらも『サムイ……サムイィ…』と言葉ではない感情をぶつけてくる。
「…これだから海坊主は嫌いだ。下手に刺激すると弾けやがる…」
海坊主は一撃で、辺りを地獄絵図に塗り替えた。
海坊主は海で亡くなった者が穢れ落ちし、集まって産まれる。
長く水中に没していた死体は体内にメタンガスを発生させ、体が膨れ上がる。
それにより水面に浮き上がってくる事があるのだが、浮力を発生させる程のガスだ。
当然、体外に出ようとする力が発生している。
ちょっとした力を加えるだけで、簡単に弾けるのだ。
水中に浸かっていた筋肉は脆く、綻びやすくなっているのも一因だ。
そんな死体が寄り集まって出来た海坊主は、衝撃に弱い。
今の様な、自らの攻撃でも、外からの攻撃でも、どこに衝撃を与えても弾け飛ぶ。
物理的な手段で対処しようものなら、腐肉と腐臭に塗れることになる。
しかも相手は死者の集合体だ。
肉体を破壊したところで、また集まるだけであった。
海坊主への対処は、「攻撃させずに鎮める」と言うのがセオリーであった。
「独りでやらなきゃいけないのはキツイが、やるしかない、か。っ!おっと! 」
腐臭に顔を顰めながら呟き、二度目の触手から身を躱す。
飛び散った肉片から逃げるように、海坊主から遠ざかる。
「接続、直霊。状態:和御魂」
幸いな事に、元と海坊主が相対している場所は広い。
荷物の積み下ろしがある朝夕ならば人と荷物に溢れるだろうが、今は深夜。
まだ朝の作業が始まるまでは時間がある。
多少暴れても、周りの建物や船に被害は出ないだろう。
「陰陽開界、訃歩来来」
蒼白い光が手指では無く、脚先に集まっていく。
元は光を纏ったまま、海坊主に向かって走り出す。
オオォォオォォ…!
新たに突出した触手が元に向かって振り下ろされる。
元は触手を見る事なく右に避け、そのまま反時計回りに海坊主の周りを走る。
元の走り抜けた地面には、光が線となって描かれていく。
海坊主の周りをグルリと一周し、光の線は円となって海坊主を囲んだ。
「陰中陽楔」
元は円陣の中に一歩踏み込み、光の点を生み出す。
横薙ぎに振るわれた触手を飛び上がって回避する。
海坊主の横を走り抜け、光点の対極にもう一つ、光点を穿つ。
「陽中陰楔」
元は円陣の外に出て、海坊主を振り返る。
元が海坊主の周りを付かず離れず動いているからか、海坊主は地表に出てきてからその場から動いてはいない。
触手を伸ばせば届く距離にいるからでもあるだろう。
一度も元を捉えることはできていなかったが。
元はパンッ!と両手の平を胸の前で打ち鳴らす。
「陰陽召陣」
元が地面に描いた光線と光点から強い光が放たれ、円陣の中に新たに線が描かれていく。
線は湾曲し、円を二つに隔てるように描かれた。
S字の線が描かれた円陣は、上空から見ると勾玉が二つ合わさった形をしていた。
陰陽道で有名な太極図、太極魚とも言われる図形だ。
陰と陽、天と地を表している図形である。
オオォォオォォォ……!
海坊主は描かれた太極図を嫌がるように、身を捩りながら啼く。
啼き声は物理的な衝撃を持って元に向かった。
「ぐっ…!」
体を締め付けられるような衝撃と、精神を削られる怨嗟の声が元を襲う。
日本で相対した海坊主の啼き声には、物理的な衝撃は無かった。
予想していなかった攻撃に、元は衝撃に絞られる肺から呻き声をあげた。
「精神攻撃以外にも衝撃付きかよ。これも魔法って奴の影響か?やっかいだな、まったく」
元は嘆息しながらそう呟く。
「それでも、もうお前は終わりだ。恨み辛みはあるだろうが、もう眠れ」
オオォォオォォォォォオオォ……!
最後の足掻きか、海坊主は体を震わせ啼く。
口という口から怨嗟の声を、眼窩という眼窩からは黒々とした血の様なものを流しながら。
「混沌堺帰」
陰陽陣が蒼白く光り輝き、海坊主を照らし出す。
纏っていた薄霧が霧散していき、怨嗟の声が小さくなっていく。
心天流が用いる陰陽陣は、陣のある場所を混沌とする。
混沌とは、全ての物が混ざり合い、正邪の分別も無い状態。
怨嗟に染まった魂も、平常な状態にすることが出来る。
強い念が集まり曲霊になった魂も、祓いやすくなる。
元は左足を前に、右足を後に開き、腰を落とす。
左手を前に突き出し、握り拳にした右手を脇に構える。
「天回浄光!〝修・祓・奉・呈″!! 」
元は半身に構えた状態から、右足を踏み込み、右手を突き上げ、ボクシングで言うアッパーカットを放った。
陰陽陣から光の柱が突き立ち、天へと昇って行く。
怨嗟の声は徐々に聞こえてこなくなり、白く、湯気の様な不定形の塊が無数に立ち昇る。
ズシャアァァ…。
光の柱が細くなり、消えた後には、折り重なった水死体がその場に崩れ去った。
辺りには静けさと、鼻を塞ぎたくなる腐臭のみが残った。
右手を突き上げていた元は右手を下ろし、構えを解いた。
「疲れた… 」
辺りを見回し、怪異を祓い終えた事を確認した元はそう呟く。
元が日本にいた頃、週に何回かはこうして怪異を祓っていた。
主に祖父が行なってはいたが、心天流の後継は元しかいない。
高校に入学してからは格闘術の他に怪異祓いの修行が追加され、それによって元は授業中に居眠りをよくしていたのだ。
因みに、修祓捧呈で右手を突き上げた事に意味は無い。
光が立ち昇るタイミングで右手を突き上げると、殴っている様に感じて気分が晴れるだけだ。
元は勝手に祓いをアレンジするのだが、その度に祖父に「もっと真面目にやらんか! 」と怒られていた。
夜中に連れ出され、朝方まで怪異の相手をさせられていた元。
鬱憤を晴していたのに、気付かれていたのだろう。
「あー、どうすっかな。死体」
心天流で祓うのは、この世に留まってしまった魂や曲霊といった物質を伴っていない物だけだ。
死した肉体や取り憑かれた物はこの世に残る。
海坊主の本体を成していた数々の死体は、その場に存在していた。
海坊主の他にも、前日に事故にあったであろう者達の死体も、少し離れた場所で横たわっていた。
時刻は既に夜中を過ぎ、朝方と言ってもいい時間に差し掛かっていた。
漁港の朝は早い。
そろそろ引き上げなければ、誰かに見つかるだろう。
日が昇る前の暗い時間だ。
光の柱が目撃されている可能性は高い。
元は港に背を向け、離れる様に歩き出す。
どうしようもない物は放置する事にする。
「被害が出なかったんだ。後片付けは任せた」
誰に言うでもなくそう言って、宿へと帰って行く。
宿の正面入り口から帰る事は出来ないので、柱をよじ登り、窓から自室へと戻った。
柏木はだらしなく足を投げ出して寝ており、元が外出していた事には気が付いていない様だ。
元は学生服を脱ぎ、匂いを嗅いでからベッドに潜り込む。
幸い、腐臭は強く残ってはいなかった。
全くの無臭とはいかなかったが、日本にいた頃からしていた事だ。
悲しい事に腐臭には慣れてしまっていた。
好きにはなれないが。
消臭スプレーがこの世界にもあればなぁ、等と思いながら、元は目を閉じた。
日が昇る前に発見された海坊主の成れの果てに騒ぎが起こっていたが、疲れによる深い眠りにより、元がその騒ぎに起きる事はなかった。
多分にオリジナルが含まれています
一章の最後にでも用語解説を入れようかと思ってます




