04 ロミオとジュリエット
「おう直人、その怪我どうした?」
教室に入って早々に剛田岳が声をかけてきた。俺の額に貼られた湿布を指さしながら近づいてくる。
「間違ったフォームでトレーニングしたか?」
「部屋の壁にぶつけたんだ」
「はっはっは、ウォーミングアップを怠るからだ」
身体を鍛えても、頭ぶつけたらコブになると思うけど。
席に座ってとなりを見る。
大山こはるの姿がない。
そろそろ授業がはじまる時間だ。体調でも崩して休むのだろうか。そんなことを思っていたら、こはるが教室に入って来た。
「おはよう、ナオくん」
「おう、おは……」
彼女の姿を見て、俺はつづく言葉を飲み込んだ。
「なんだそのドデカいリュックは?」
なぜかこはるは、自分の身体と同じくらい大きなリュックを背負っていた。
「登山でも行くのか?」
「ええ、まあちょっと」
歯切れ悪く言って席につく。俺はじっとこはるを見て説明を待った。数秒後、沈黙に耐えかねたこはるが口を開いた。
「おじいちゃんと喧嘩しちゃって」
俺は机のわきに置かれたリュックに目を落とす。そしてまたこはるを見た。
「家出か?」
こはるは黙って頷いた。
「なんでまた……」
「おじいちゃんにナオくんの事を話したの、そしたらナオくんとは仲良くするなって言うものだから、私も言い返しちゃって」
ママと同じ反応だ。白石家と大山家には確執でもあったのだろうか。思い出そうとしても、なにぶん幼い頃で判然としない。
「行く当てはあるのか?」
「しばらくは学校の裏山で過ごそうと思う。テントを持ってきてるから大丈夫」
「大丈夫じゃないと思うぞ」
それからしばらく考えて、俺はこはるに提案した。
「俺の家に来るか?」
「いいよ、ナオくんのご家族に迷惑かけちゃう」
「俺はひとり暮らしだ」
「……え?」
最初は不思議そうに俺を見つめるだけだったけど、次第に顔が真っ赤になってゆく。スカートを両手でぎゅっと握り、俺を見た。
「そ、そそ、それって……」
「いや待て違う、おまえが想像したようなことは起きない」
「そのセリフ、いま私が想像したことをナオくんも想像したってことだよね?」
「お、おう、そうなるな」
「ナオくんのエッチ……」
「お前もだろ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その後も何度か家に誘ったが、こはるは乙女的警戒を解くことはなかった。
だから授業が終わったあと、俺とこはるは校舎を出たあたりで別れた。
「何かあったら電話しろ、すぐ駆けつける」
「分かった、ありがとう」
こはるは手を振りながら、デカいリュックを背負って裏山に向かった。最後まで家に帰るという選択肢を口にしなかった。けっこう自立心が強いのかもしれない。
後ろ髪を引かれる思いで校門まで来ると、突然、誰かが道を塞いだ。
生徒会長、九条玲だった。
相変わらずS字ポーズのモデル立ちで、少し顎を上げた見下し目線で俺を見る。
そしてやっぱり彼女の頭上にはミニ九条がちょこんと鎮座していた。
「待っていたぞ、白石直人」
『ナオちんが他のルートで帰ってたら、ずっと木陰で待ちぼうけだったでしゅ。会えて良かったでしゅ』
冷たい声で話す九条玲。対照的に可愛らしい声で話すミニ九条。ふたりはどういう関係なんだろう。
「何の用だ?」
「お前、こはるに言い寄ってるだろ。やめろ」
『こはるちんの口から、あたち達の秘密が漏れると大変なことになっちゃうでしゅ』
「秘密ってなんだ?」
俺がミニ九条に問いかけると、九条玲の眉がピクッと跳ねた。
「何を言ってる?」
そうか、ミニ九条の姿と声を認識できるのは俺だけだった。
『もしかしてナオちん、あたち達の秘密に気づいてるのかちら』
ミニ九条が腕を組んで難しい顔をした。とすると、ミニ九条には俺の声が聞こえてることになる。
だったら今度は、本体を無視してミニ九条に話しかけてみよう。
「そのナオちんって呼び方は、こそばゆいからやめてくれ」
「んななっ!」
本体の九条玲が身体を仰け反らすほど驚いた。頭上のミニ九条もまったく同じ動きをしている。
「私……無意識に口にしてたのか?」
『あたち……無意識に口にしてたでしゅか』
ふたりが小さく呟いた。
分かった気がする。
ミニ九条は九条玲という人物の本音の部分なんだ。なぜか俺だけそれを認識できる。
『やっぱり、ぬらりひょん様の言ったとおりでしゅ。ナオちんは何か強い力を持ってるでしゅ』
「白石直人、お前は何者だ?」
『舐められちゃ駄目でしゅ!ここはガツンと言っとくでしゅ!』
「まあ、何者だろうと関係ない。私たちに深入りすれば無傷では済まない」
九条玲は俺をキッと睨む。俺にしても彼女と敵対することを望んでるわけじゃない。
「いいか九条、俺はただの転校生だ」
「せいぜいホザいていろ。すぐにその化けの皮を剥がしてやる」
『ずっと木陰で待ってたからオチッコしたくなってきたでしゅ』
「忠告はした。こはるとの接触は金輪際やめろ」
『早くトイレに行きたいでしゅ』
九条玲は華麗に身を翻すと、弓のように胸を張った姿勢で校舎の方へ歩き始める。その動きは優雅にして格式高く、まるで貴族のご令嬢だ。
『ようやくトイレに行けるでしゅ、漏らすとこだったでしゅ』
ミニ九条のひとり言が、優雅な所作を台無しにしてる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アパートに戻るとシャワーを浴びて、晩飯でも作ろうかと思ったあたりで、動くのが嫌になってソファで横になった。
天井を眺めながら、今日という日を頭の中で反芻した。
こはるが家出したそもそもの原因は俺にある。あいつが俺の名前を出して、お祖父さんを怒らせたんだから。
もしかしたら、九条玲の言う通り、俺はこはると距離を置いた方がいいかもしれない。ママもそう言ってたし。理由はぜんぜん分からないけど。
ただ、こはるの家出状態はなんとかしたい。俺にできることはないだろうか。あの荷物の量から考えて相当な期間、家に帰るつもりはないだろうから。
……カリカリ
聞き覚えのある音を耳が拾って、俺はソファから身を起こした。ドアの方からだ。
……カリカリカリ
ドアを開けると案の定、昨日のバカネコだった。
「今日はササミもブロッコリーもないぞ」
「にゃ」
剛田にもらっとけばよかった。いつも余分に持ってそうだし。
「そういえば昨日は、いつ出てったんだ?途中から変な女の子まで入り込んでくるし、散々だったぞ」
「にゃあ」
ネコは帰ると思いきや、振り返って俺を見ると、しきりに鳴いた。
「ついて来いって、いやだよ」
「にゃあ~」
ネコはずっと俺を見ている。
しょうがない、食事を作るの面倒だと思ってたから、ネコと散歩しながら、どこかで晩飯を食べるか。




