12 筋肉VS鬼
学校には普通に間に合った。
教室に入ると、こはるはすでに来ていて、俺を見て笑顔で手を振った。
「おはよう、ナオくん」
「おう、おはよう」
みんなに違和感を与えないよう、自然な挨拶を交わす。
俺が席につくと、こはるは顔を近づけてきて小声で言った。
「早かったね、どうやったの?」
「あとで話す」
まだ担任は来てない。代わりに剛田が教壇に立っていた。彼は手にした千円札をたなびかせて、クラスみんなに声を張っている。
「腕相撲で俺に勝ったらこの千円やる。参加料は一回百円だ。やりたいヤツはいないかあ~」
あいつ何やってんだ……?
首をひねっていると、こはるが言った。
「そういえば剛田くん、プロテイン買うお金が尽きたとか呟いてた」
「プロテイン代を筋肉で稼ぐつもりか。だったら筋肉を使うバイトすればいいのに。けっこう稼げそうだが」
「バイトすると筋肉を鍛える時間がなくなるんだって」
それで腕相撲か。
そのとき、九条玲が教室に入って来た。相変わらず頭上にはミニ九条が乗っている。
「こはる、おはよう」
「おはよう九条さん、朝からどうしたの?」
学校の美少女ふたりが集合したことにクラスの男子が「おい、会長と副会長が一緒にいるぞ」などと色めきだす。
「ぬらり……こはるのお祖父さんから連絡があった。テント泊やめて家に帰れ」
ぬらりひょんは九条にも手を回してたのか。かなり心配してるんだ。
「いやよ」
こはるは眉をキリッと吊り上げてそっぽ向いた。
「家族を困らせるな」
「お祖父ちゃんが悪いんだから。私の友だち関係にいちいち口を出すし、門限とかも勝手につくるし」
腕を組んで口もへの字だ。こはるにも頑固な部分があって少し意外だった。
「会長!九条かいちょー!」
剛田が九条に声をかけた。九条は面倒臭そうに彼を見る。
「あぁ?」
「腕相撲しようぜ。参加料百円。勝ったらこの千円やる」
「……ふむ」
少しのあいだ視線を下げて思考したあと、九条は剛田に歩み寄った。
九条は教壇を間にして剛田と向かい合い、百円を教壇に置いて右肘をつける。剛田も彼女の手を握って肘をつけた。
「これで百円ゲットだぜっ!」
「皮算用してないで、さっさと合図を出せ」
「わかった。せーの、スタート!」
―――ダンッッ!!!―――
周囲に埃が舞った。
その向こうに見えたのが、右手の甲を教壇につけた剛田岳だった。
何があったのか皆が理解するより早く、九条は剛田の手から千円札をぶん取ると教壇から離れてゆく。
「す、すげえ……」
「会長つえええええっ!」
「剛田の筋肉はハリボテだあ!」
沸き立つクラス。彼らの間を九条はいつものクールな雰囲気で歩く。
でも頭上のミニ九条は、
『やったでしゅ。購買部に行って新しいおやつゲットでしゅ』
本音では喜んでるみたい。
「じゃあな、こはる。放課後また来る」
そう言い置いて、九条は廊下に消えた。
一方、剛田はまだ教壇に立っていた。無表情で遠い目をしてる。誰かが『もうすぐ担任来るぞ』と言ったのをきっかけに、ようやく自分の席についた。
みんな九条玲の怪力に盛り上がってるなか、俺とこはるだけは剛田を凝視していた。
「ナオくん、いまの見えた?」
「ああ見えた」
答えてから、俺は剛田に声をかける。
「剛田、大丈夫か」
剛田は定まらない視点のまま、首を巡らして俺の方を向く。
「あ、ああ、痛みはない」
ふたりの腕相撲でみんなが目撃したのは、九条の圧倒的勝利だ。
けれど、俺とこはるの目に映ったふたりの対決は圧倒的勝利を超えた、九条のオーバーキル勝利だった。
スタートと同時に剛田の右手が教壇に叩きつけられたのは、みんなの見たとおりだ。だがそれだけじゃない。九条の強烈なインパクトはそこで収まらず、剛田の身体は右腕の肘を軸としてプロペラみたいに一回転したんだ。
周囲に埃が舞ったのはそれが原因だ。
つまり、剛田の右肘は360度ねじれてる。
「右手を上げてみろ」
「大丈夫だって、ほら……」
剛田は自分の右手を上げた。すると二の腕までは上がるが、その先は振り子のようにぷらぷらしてる。
「あ、あれ~……?」
剛田は自分の腕を不思議そうに見つめる。その顔は見る見る青ざめていく。
そして……、
―――バタンッ!―――
床に倒れた。
「剛田ぁ!しっかりしろ剛田!」
近づいて覗き込んだら、白目で泡を噴いていた。
「あ、あれえ~……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
放課後、俺は帰り支度をはじめる。
となりのこはるは席に座ったまま思案顔だ。ちなみに剛田は授業を受けることなく救急車で病院に運ばれた。同伴した担任によれば全治2か月の脱臼骨折とのことだ。
剛田のやつ、しばらくトレーニングはお預けだな。
「こはる、今日はどこに泊まるつもりだ?」
「ん~~、ナオくんに迷惑かけたくないから、テントを修理すること考えてる」
俺はこはるのとなりで膝を折り、彼女に言った。
「俺は毎日来てもらっても構わないんだが、もうひとつの選択肢も考慮してほしい」
「もうひとつ……、テントで泊まるか、ナオくん家に泊まる。他に何があるの?」
俺は静かに、でもはっきり言った。
「自分の家に帰る」
こはるはムスッと頬を膨らませる。
こういう表情も、それはそれで可愛いと思う。
「お祖父ちゃんの顔は見たくありません」
朝のこはるの反応を見てるから、俺は驚かない。ここから巻き返す。
「じつは今朝、こはるのお祖父さんに会った」
「……え?」
「車で送ってもらった」
絶句したこはるの顔は、すぐまた怒りの表情になる。
「ナオくんの家を見張ってたってこと?もう、お祖父ちゃんったら!」
「待て待て、重要なのはそこじゃない。車に乗ってるとき、俺はこはるのお祖父さんと約束したんだ」
「なにを?」
「こはるを家に帰すって」
「ぜったい帰らないんだから!もうお祖父ちゃんが死ぬまで帰らない!」
「こはるが家に帰ってくれたら、お祖父さんは俺への評価を上げてくれる」
新たな視点を聞かされて、こはるは目をパチクリさせた。
「お祖父さんは俺に感謝して、俺と関わるなとは言えなくなる」
「それは……確かに」
帰ることで、こはると俺の関係に良い影響が出ると説いた。
「どうだろう、帰ってくれるかな」
「ううう~~ん」
「お祖父さんのためじゃなく、俺のために帰ってくれ」
「じゃあ……今回だけは帰ろうかなあ」
「ありがとう、こはる」
ただこの場合、俺がこはるを連れて彼女の家に行った方が効果が高い。そしてお祖父さんにこはるを引き渡すんだ。そうすることで俺は約束を果たしたことが分かりやすい。
「俺が家まで送る」
「ほんと!じゃあ一緒に行きましょう」
ドアが開いて、廊下から九条玲が教室に入って来た。
彼女はこはるの前で立ち止まって言った。
「さあて、こはる、今日こそは家に帰ってもらうぞ」
「ええ帰るわ」
「……なんとっ!?」




