11 ぬらりひょんの孫娘
こはるから身体を引いた。そして自分の鼻に手を触れる。見るとこはるも同じように鼻をさわっていた。
直後、ふたりで笑い合った。
「はっはっはっは!」
「ふっふふ……!」
こはるは口元を手で隠して笑ってて、俺は身体を反らせて笑ううちに、背後にゴロンと転がった。そのあとも天井を見ながら笑いつづける。
緊張が一気にほどけた。
ひとしきり笑い終えて起き上がると、さっきまでテレビに身体を向けていたこはるが、俺に対面する形で座りなおしていた。
状況はまだつづいてる。キスイベントは終了してない。
次こそ上手くやれる。
そんななか俺の頭にとある気づきが駆け巡る。キスも結構だが、その前に告白という段階を踏むべきだ。
「こはる、聞いてほしいことがある」
「はい」
俺が低い声で言うと、こはるも真面目な態度で答える。
「俺は、こはるのことが……」
ふたたび緊張が身体を包む。でも大丈夫。
噛んでも良いからきちんと伝えるんだ。俺のこはるに対する気持ちを。
「こはるのことが……」
息を吸って度胸を決めたその刹那……、
「帰ったにゃあああああああ~」
びくぅっ!!!
俺たちは座ったまま飛び上がる。
事情をまったく知らないすずが居間にズカズカ入って来た。
「ナオ、飯くれにゃ。ニャーは腹減ったにゃ」
すずを睨みつけるが、彼女はどこ吹く風で冷蔵庫を漁りはじめる。
さっきまでの緊張はどこへやら、俺の中で何かがどっと抜け落ちていくのがわかった。
こはるを見ると、彼女もまた同じように脱力した笑みを浮かべている。
その笑顔で、なんだか十分な気がした。
「あの巫女なんだったにゃ、いきなり殺されかけたにゃ」
「俺の妹だ」
「妖怪ハンターか、猫又の天敵だにゃ。こはるは大丈夫だったかにゃ?」
「お友だちになった」
「……どういうことにゃ?」
「もともと氏子だったから」
「意味わからないにゃ、まあいいにゃ」
すずは冷蔵庫からプリンやドクペを取り出すと、俺とこはるの間にドスンと座った。
こはるが小さく息をつく。それは呆れでも怒りでもなく、どこか微笑ましいものを見るような吐息だった。
「すずは、いつも突然ね」
すずの頭を優しく撫でる。
「あ、映画、ニャーも観るにゃ。巻き戻して最初から観るにゃ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……はっ!?
ガバッと身を起こす。すぐに周りを見る。
こはるが俺の肩に頭を乗せて寝息を立てていた。ふたりで一緒にかけた毛布の上にすず猫が仰向けでバンザイしながら寝てる。
みんな映画を観たまま寝落ちしたんだ。
いま何時かと壁の時計に目をやる。
って遅刻ギリギリじゃないかっ!?
急いでこはるの肩を揺らした。
「起きろこはる」
「……ん?」
こはるが重たげに瞼を上げる。
「もうすぐ学校がはじまる、急いで用意しろ」
「……え?」
と、時計を見た。
「いっけないっ!」
こはるは急いで立ち上がる。めくれる毛布と転がり落ちるすず猫。
「うにゃあ……」
「洗面所借りるね!」
ダッシュで廊下に向かった。家出はするけど遅刻しない。それがこはるのルールらしい。俺も時間がないから素早く制服に着替える。
「こらすず、お前も用意しろ」
「ニャーは用意なんて必要ないにゃ」
俺が着替えたタイミングで、洗面所からこはるも出て来た。すずものっそり起き上がってお尻を上げた伸びをする。
3人で部屋を出ようとして、ドアノブが壊れたままだったことに気づいた。
このまま外出するのは危険だよなあ。
「ふたりは先に行ってくれ。俺はドアノブつけてから行く」
「分かった。じゃあズルしちゃお」
「……ズル?」
「すず、乗せて」
「いいにゃ」
こはるはすず猫めがけて「とうっ!」と軽くジャンプした。すると身体がみるみる小さくなり、すず猫の背中にモフッと飛び乗った。
乗馬ならぬ乗猫だ。
「ちっちゃくもなれるのか?」
「サイズ変更が私の能力。でもまだ制御しきれなくてね」
そういえば、以前こはるの姿が一瞬消えたことがあった。
「もしかして、俺が九条に初めて会ったとき……」
「九条さんが突然現れたものだから、驚いて小っちゃくなっちゃったの」
消えたんじゃなくて、小さくなって足元にいたのか。
「じゃあねナオくん」
「お、おお……」
「すずお願い」
「にゃあっ!」
すず猫はこはるを乗せて部屋を出た。それから屋根から屋根へと機敏な動きで移動して、あっという間に視界から消えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ガムテープでドアノブを貼り付けて、どうにか形にした。
ノブとしては使えないけど、見てくれはなんとかなった。ノブ機能の復活は別の日にやろう。
そう割り切って階段を下りる。
時間的に遅刻は免れないかもしれない。
急いで走っていると、背後から来た車が俺を追い越していった。
少し進んで停車した。見ると黒塗りの高級そうな外車だった。
なぜか後部のドアが開いた。
なんのつもりかと、俺は立ち止まる。
「乗りなさい」
車内から低い、腹に響くような声が聞こえた。
「車なら、まだ間に合うぞ」
開いたドアから車内を覗いてみると、後部座席の奥に誰かが腰を下ろしていた。
それは高齢の男性で、紋付きの羽織に袴の風体。もっとも特徴的なのは大きな頭だった。
俺は気づいた。俺でなくても気づくだろう。
この人、ぬらりひょんだ。こはるの言葉を思い出す。
―――おじいちゃんは、ぬらりひょんで……―――
こはるのお祖父さんが目の前にいる。
「なにしとる、早く乗れ」
「あ、はい」
言われるまま車に乗った。ドアが閉まって、車は滑らかな動きで走り始める。
車内は静かだった。となりに座るぬらりひょんに敵意がないのは雰囲気で分かるけど、好意があるわけでもなさそうだ。
やがて、ぬらりひょんが口を開いた。目は前を見たままだ。
「白石直人くんでいいかな」
「……はい」
「ワシは大山こはるの祖父だ。孫がお世話になっとる」
「いえ、こちらこそお世話になってます」
「じつは孫が家出してしまってね。懸命に捜してる最中なのだ」
状況はこはるから聞いてるけど、あえて初耳を装う。
「もしやと思って直人くんのアパートに来てみたが、出てきたのは君ひとりだ。こはるも一緒に出てきたら、君をただじゃ置かないところだったが」
あっぶねーーーっ!!
ドアノブが壊れてなければ、こはるたちと一緒に登校してた。妖怪の総大将に目をつけられるところだった。というか俺の素性は元々知ってるから、すでに目をつけられてるかもしれない。
ならばと、俺は一計を案じた。
「大山さんは真面目だから、家出しても学校には来ると思います」
「だからといって、生徒の祖父が学校で孫を捜すというのも体裁が悪くてだな」
「彼女に会ったら家に帰るよう、俺が説得します」
それまで視線を前に固定していたぬらりひょんが、初めて俺を見た。
「やってくれるか」
「はい、確実に帰らせます」
言いつつ、俺の中で打算が働いていた。
ぬらりひょんの俺に対する評価を上げることは、俺とこはるの関係を安定させる。
そのためにも、こはるの家出は今日で終わりにしてもらおう。




