第3話 この肉を、明日も
【転生2日目 午前7時/マスタールーム】
背中が痛くない。
毛布があって、頭の下には枕まである。
昨夜、寝る前に買ったベッドは、実にいい買い物だった。
床で目覚めた昨日とは、起きる気力からして違う。
ただ、起き上がるのは後回しになった。
隣の寝台で、イドが髪を肩の後ろへ流していたからだ。
腰まである黒髪が、白いドレスの背へ落ちる。
目で追っていると、琥珀色の瞳がこちらを向いた。
「おはようございます。ナオ様、起きていらっしゃいますよね?」
「うん。今、いい朝だなって思ってた」
「よく眠れましたか?」
「すごく。ベッドを買って正解だった。起きたらイドもいるし」
「わたくしは、ベッドを買わなくてもおりますが」
「じゃあ、昨日より増えたのは、腰の快適さか」
身体を起こし、背中を伸ばす。
イドが毛布を畳みかけて、手を止めた。
「……昨日よりは、安心してお休みいただけたでしょうか」
暗闇で聞いた声を思い出した。
目も手も、どこにあるかわからなかった時間。
「うん。眠くなって、明日もあるんだなって思って寝られた」
イドは畳んだ毛布を寝台へ置いた。
「それは、よかったです」
「今日は、店を借りてくる」
「はい」
「帰ったら、ただいまって言うから。お帰りって言ってくれ」
彼女が、俺を見た。
「昨日も、申し上げましたよ」
「今日も聞きたい」
「……では、今日もお待ちしております」
これで、帰る理由がまた増えた。
俺は靴を履こうとして、片方を持ったままイドへ顔を向けた。
「あと、今日も綺麗だな」
「そちらも、毎朝おっしゃるのですか?」
「言っていい?」
イドは、すぐには答えなかった。
畳んだ毛布の端を揃えてから、こちらを見る。
「朝は、起きてからにしてくださいね。眠っている間では、聞けませんので」
俺は靴へ足を入れた。
さっきより、出かけるのが惜しくなっていた。
*
【同日 午前7時30分/マスタールーム】
朝食には、ホットケーキを2人分買った。
手を洗い、ベッドの端へ並んで腰を下ろす。
紙皿の蓋を開けると、丸く焼かれた生地から甘い匂いがした。
イドの視線が、小さな包みへ向く。
「こちらは、かける物ですか?」
「バターとシロップ。まずバターを載せて、上からシロップを」
自分の皿でやってみせる。
温かい生地の上でバターが溶け、シロップが縁へ流れた。
「そんなに、かけても?」
「食べてみて、甘すぎたら減らそう。最初から全部使わなくていいよ」
イドは俺の手元を見て、控えめにかけた。
添えられた食具で切り分け、口へ運ぶ。
「……あ」
自分の皿を見た。
次に、残していたシロップを見た。
「もうちょっと、かける?」
「はい」
今度は、さっきより迷わなかった。
生地へ染み込んだところを切り、次のひと口にする。
「甘いだけではないのですね。こちらの、溶けた物があると」
「バター? 香りもいいだろ」
「はい。昨日は卵のお料理が好きだと思ったのですが……」
「好きな物、増えていいんだぞ」
イドが皿を持ち直した。
「では、こちらも。また食べたいです」
「よし。覚えとく」
俺もホットケーキを切った。
甘い朝飯と、隣で同じ物を食べる美人。
このまま午前中を使ってもいい気がしてくる。
間取りの控えが目に入り、食具を動かした。
今日は、33銀貨を払うのだ。
「店では、肉を焼いたやつを出そうと思ってる。パンに挟む料理」
「昨日、お話しになったハンバーガーですね」
「うん。ただ、俺、食うほうが得意だからな」
食後に《調理 Lv.1》を選び、自分へ付与した。
切る、焼く、味を整える。基本の動作を、繰り返し練習した記憶が馴染むようだった。
知らない料理まで作れるわけではないが、手順を思い出すと、どう動けばいいかがわかる。
「これで、昨日よりは落ち着いて作れそう」
「では、わたくしにも味見を頼んでください」
「いいの?」
「ナオ様がお作りになる物を、食べてみたいです」
うまく作れたら、持って帰ろうと思っていた。
先にそう言われると、失敗したときの言い訳まで考えていたのが恥ずかしい。
「うん。今夜、食ってもらえるように作る」
イドの昼食には、希望を聞いて親子丼を用意した。
昨日の卵と鶏肉の味を、また食べたいという。
朝食の容器を片づけ、カップを洗う。
薬と帳面、水筒、携帯食を袋へ入れ、会員証も確かめた。
「じゃあ、行ってくる。店主になってくるぞ」
「はい。お話を聞けるのを、楽しみにしております」
戸口で振り返ると、イドが手を上げていた。
俺も振り返し、街へ向かった。
*
【同日 午前8時40分/商人ギルド】
「こちらの条件で、よろしいですか」
「はい。借ります」
オルドの前へ、銀貨を並べた。
家賃と保証金、仲介料。合わせて33枚。
昨夜は、店を持てることばかり考えていた。
いざ金が自分の手を離れると、喉が鳴る。
「……払ってから言うのも何ですけど、急に緊張してきました」
「鍵をお渡しする前ですから、まだ間に合いますよ」
「借ります!」
オルドは契約書をこちらへ向けた。
読める。昨日、言語のスキルを買っておいてよかった。
備品の条件を確かめ、署名する。
受け取った鍵を手のひらへ載せると、さっき払った金の行き先が、ようやく形になった。
俺の店だ。
借り物だけど、今日からは俺が開ける。
「おめでとうございます」
受付のセラに声をかけられた。
「ありがとうございます。初めて鍵を持つと、何回も出して見たくなりますね」
「外で落とさないでくださいね」
出しかけていた手を、そのまま袋へ入れた。
所在地の登録と開業届を済ませ、控えも受け取る。
人を雇いたいと相談すると、南通りの孤児院を教えてもらえた。
年長の子たちの働き先を、シスターが探しているらしい。
「大人を雇うほど、余裕はないんです。掃除や、料理を渡す仕事を頼めたら」
「条件をお話しになって、本人たちの希望も聞いてみてください」
「はい。俺ができない仕事を、いきなり全部頼むのは避けます」
言ってから、今日やることを思い浮かべた。
掃除、買い出し、料理、会計。
そのうち何を人に頼むにしても、まず自分がわかっていなくては困る。
*
【同日 午前9時10分/借りた食堂】
オルドと一緒に、卓や長椅子、竈、流しを確認した。
地下の倉庫も見たが、今日使う予定はない。
まずは地上の部屋を、飯を出せる状態にする。
裏の共同井戸は使える。
薪と持ち運べる道具は、自分で用意することになった。
オルドを見送って戸を閉め、ショップを開く。
鍋や包丁を選ぶとき、今朝得た調理の感覚が役に立った。
格好のいい物より、洗いやすく、扱える物が欲しい。
フライパン、フライ返し、包丁とまな板。
皿やコップ、バケツ。掃除道具と前掛け。
食材を量る道具も揃える。
石鹸は、店と自宅に置く分を1個ずつ買った。
床へ並ぶ品を見て、昨夜の寝台を思い出した。
就寝前に2台買い、俺たちは床から解放されたばかりだ。
今日は、売るための道具へDPが変わっていく。
工事用の2000DPを、今すぐ取り分けるのはやめた。
店を買う金と一緒に、働きながら貯め直す。
予備の1000DPは残す。それでも、先に店を動かすほうが大事だった。
窓を開ける。
埃のある床へ、外の光が入った。
「……座ってるだけの店主になるまで、何年かかるかな」
箒を壁へ立てかけ、雇い主になるための相談へ向かった。
*
【同日 午前10時/南通り・孤児院】
「ナオさんですね。エレナと申します」
白い頭巾に、灰色の修道服。
茶色の髪をまとめた女性が、俺を迎えてくれた。
柔らかな声だった。
顔を見て、背筋が伸びる。
仕事だ。
今日は、仕事を頼みに来たのだ。
「食堂を始めるので、手伝ってくれる人を探しています。配膳とか、包む仕事とか。掃除も頼みたくて」
会員証と契約書を見せ、借りた場所を説明した。
「お給金は、どのようにお考えですか?」
「1人、1日10銅貨。昼飯は店で出します。普段は10時から16時までで、休憩もその中に」
「営業の練習や、お掃除だけの日もですか?」
「払います。俺も、いきなり客の前へ立てって言われたら困りますし」
エレナは、帰る時刻や休みについても確かめた。
6日働いたら1日休むこと。無理な作業は先に相談すること。
話を聞いても、働くかどうかは本人が決める。
「では、希望する子を呼んできますね」
「エレナさんも、店を見てもらえますか。昼も、よかったら一緒に」
「お仕事ぶりも、見せていただけるのですね」
美人を食事へ誘ったつもりが、実地の確認まで付いた。
自分から言ったので、引けない。
「ぜひ。今から、かなり頑張ります」
集まってくれたのは、5人だった。
「ミナです。16歳です。計算と、字を読むことならできます」
栗色の髪を結んだ女の子が、最初に名乗った。
「助かる。俺、昨日から金を数えるたび、合ってるか心配でさ」
「急がなければ、できます。急かされると……間違えるかも」
「じゃあ、急ぐ役は俺以外に探そう」
「ナオさんも、急がないほうがいいと思います」
会ってすぐなのに、適切な助言だった。
ニナは15歳。
黒い短髪の、小柄な子だ。
得意なことを聞くと、布袋の縫い目を指で示した。
「こういうの。あと、包むの」
「料理を紙で包みたいんだけど、一緒に考えてくれる?」
「濡れる料理?」
「肉汁は出ると思う」
「じゃあ、下が開いてると困るね」
既に、俺より先のことを考えていた。
明るい茶色の髪を編んだリリも、15歳だった。
「私は、人と話すのなら好きだよ。何を売るの?」
「パンに焼いた肉を挟む料理。ハンバーガーっていうんだ」
「名前、長いね」
「俺も今、客を呼ぶとき噛みそうだと思った」
「じゃあ、練習しよ。はんばーがー!」
呼びかける声が、よく通った。
トマは16歳。焦げ茶の髪で、手足が長い。
店の話をしている間、荷物の絵を見ていた。
「水は、運ぶの?」
「裏の井戸から。バケツは買った」
「2個ある?」
「ある」
「じゃあ、運べる。道だけ見せて」
頼もしい返事だった。
俺なら、いっぱいに汲んでから重さに驚く。
最後のヨハンは15歳で、亜麻色の髪をしていた。
挨拶を終えると、すぐ俺を見る。
「肉って、どれくらい入るの?」
「パンから、はみ出すくらい」
「肉だ!」
「まだ、出してないぞ」
「そういう仕事、したい!」
まず食べたい、という本音も聞こえた気がした。
だが、料理を楽しみにしてくれるのは嬉しい。
「じゃあ、店を見てから決めてくれ。今日は、全員で食べてみよう」
ヨハンが、隣のトマの袖を引いた。
トマは引かれた分だけ立ち上がり、戸のほうへ向かった。
*
【同日 午前11時/借りた食堂】
厨房、水場、客席を見てもらった。
5人とも、働いてみたいと答えてくれた。
今日は11時から17時まで。
明日からは10時に来てもらう。
話した条件を帳面へ書き、エレナにも確かめてもらった。
「では、まず掃除から。料理は、そのあと」
「先に料理じゃないんだ」
ヨハンが残念そうに言う。
「汚れた卓で食うの、嫌だろ」
「……すぐ拭く!」
前掛けを配り、俺も自分の分を着けた。
石鹸で手を洗い、窓と卓、床へ分かれる。
バケツを持ったヨハンが、入口で止まった。
「トマ、これ、通れる?」
「そのままだと、戸に当たる。片方ずつ」
「持てたのに」
「戸は広くならないよ」
俺も箒を持ったまま、入口を見る。
雇った初日から、運ぶ仕事を任せられそうだった。
買い出しの間はエレナに留守を頼んだ。
市場で、丸パンと玉ねぎ、料理用の油と薪を買う。
パンを押すと、指の跡がゆっくり戻った。
このままでも食べられるが、焼いた肉を挟んだら、もっとよさそうだ。
塩と胡椒の相場も聞いた。
胡椒は、毎日の安い飯へ気軽に振るには高い。
こちらは店で買わず、戻ってからショップで用意することにした。
*
【同日 午後0時20分/借りた食堂・厨房】
「お帰り! もう食べられそう?」
リリが俺の袋を見た。
「俺も、その段階まで進みたかった」
卓は拭かれ、床の隅の埃もなくなっている。
今度は、俺が働く番だった。
皆に客席で休んでもらい、厨房の戸を閉める。
肉を選ぶとき、表示をもう一度確かめた。
《日本産牛肉100%・ひき肉》
これなら、俺の知っている牛肉だ。
魔物の肉でも、食べたことのない獣の肉でもない。
塩と黒胡椒。
それから、ケチャップ、マスタード、薄く切れるピクルスを買った。
瓶の蓋を開けて、匂いを確かめる。
知っている味が、ここでも使える。
人前で買ったところを見せずに済むよう、肉をボウルへ移す。
手を洗い直し、戸を開けた。
「今日は、皆とエレナさん、俺の7人分」
「それ、赤いのも入れるの?」
ヨハンの視線が、瓶へ向いていた。
「入れる。味は、食ってから聞かせて」
肉を量り、丸めて平たくする。
牛肉のパティへ塩と胡椒を振り、熱したフライパンへ置いた。
じゅうっ、と音がした。
油の跳ねる音に、話し声が途切れた。
肉の焼ける匂いが、厨房から客席へ広がっていく。
「……今の、肉の匂い?」
ヨハンが立ち上がった。
リリまで椅子から身を乗り出す。
「うん。近づきすぎるなよ。油、跳ねるから」
「ここ! ここなら、いい?」
「そこなら大丈夫」
パティを裏返す。
焼き色の付いた表面から、脂がにじんだ。
胡椒の香りが、熱気に混じる。
「お腹、鳴りそう」
「俺は、もう鳴った」
ヨハンの返事に、トマが自分の腹へ手を当てた。
玉ねぎも焼き、パンの切り口を温める。
肉には中まで火を通し、焼けた順に組み立てた。
ケチャップを塗り、マスタードを薄く広げる。
パティ、玉ねぎ、ピクルス。
上のパンを重ねると、掌に収まりそうで収まらない厚みになった。
俺は1個、皿へ置いた。
「……よし」
見慣れた料理なのに、作った自分が腹を減らしていた。
*
【同日 午後1時10分/借りた食堂・客席】
最後の皿を置くころには、最初に渡したヨハンが、食べていいかと目で訴えていた。
祈りを終え、皆で包みを持つ。
「いただきます!」
ヨハンがかじった。
口が止まる。
あれ。
焼きすぎたか。
「ど――」
「何だ、この肉!!」
俺より先に声が出た。
「やわらかっ! 噛んだら、汁が……これ、何の肉!?」
「牛。細かくして、固めて焼いた」
「牛って、こんなにうまいの!?」
もうひと口。
今度はパンごと、勢いよく減った。
「おい、急ぐと――」
「熱っ、うまっ……熱い!」
「だから、ひと息つけ!」
コップを寄せると、ヨハンは口の中を飲み込んでから水を飲んだ。
だが、バーガーは下ろさない。
リリは、かじった断面を見ていた。
「赤いの、甘い。……でも酸っぱい。これ、果物?」
「トマトを使ったソース。ケチャップっていうんだ」
「肉と食べると、おいしい! こっちの黄色いのも――あっ!」
鼻を押さえた。
「辛い!?」
「マスタード。そっちは、薄く塗ってあるだけなんだけど」
「舌じゃない。鼻のほう!」
俺は自分の分をかじった。
肉の脂のあとに、甘酸っぱさと辛味がくる。
確かに、初めてなら驚くかもしれない。
「苦手だったら、次は減らすよ」
リリは返事の代わりに、もう一度かじった。
さっきより小さく噛み、確かめる。
「……今度は平気。むしろ、ないと物足りなくなるかも」
その隣で、ニナが緑の薄切りを指した。
「これ、ぱりってする」
「ピクルス。野菜の酢漬け」
「酸っぱいのに、肉と一緒だと好き」
食べかけを落とさないよう、下から紙を折る。
左右の端を寄せると、パンの脇から滑りかけていた玉ねぎが止まった。
「リリ、下、こうするといいよ」
「あ、本当だ。汁も手につかない!」
俺は、自分の包みを持ったまま見比べた。
「ニナ、その折り方、あとで教えて」
「これでいい?」
「それがいい。昨日、俺、指へ汁を落としたから」
ニナは端をもう一度押さえた。
次のひと口では、ピクルスの音が聞こえた。
トマも、もう半分ほど食べていた。
「肉、引っ張らなくても切れるね」
「細かくしてあるからな」
「パンも、一緒に噛める。片手だと、仕事の合間にも食べられそう」
昨日の荷運びの男を思い出した。
温かくて、待たずに食べられる物。
あの人にも、食べてもらいたい。
「胡椒も使っていらっしゃるんですね」
エレナが尋ねた。
「はい。肉に合うかなと思って」
「こんなに香りがする物は、久しぶりです。……それに、この肉」
断面へ目を落とす。
最初に会ったときの、条件を確かめる顔とは違っていた。
「すみません。何と申し上げればいいか。噛むと、口の中へ味が広がって……もう、次が欲しくなります」
「お代わり、焼きましょうか!」
勢いよく言うと、まだ半分ある包みが持ち上がった。
「まず、こちらを。急いで食べ終えてしまうのが、惜しいです」
俺は、出しかけた腰を椅子へ戻した。
「……よかった。食ってもらうまで、結構怖かったんです」
「ナオさん、これ、いくらで売るんですか?」
ミナの問いに、顔を向ける。
「6銅貨で考えてる」
「6枚?」
ミナの指が、包みを持ったまま止まった。
ヨハンまで、俺を見た。
「そんなに、安くていいの?」
「え。高いって言われると思ってた」
「毎日は、買えません。でも、肉と胡椒と、こんなソースが入ってるなら……もっとすると思いました」
ミナは言葉を選び、残りを見た。
「働いたお金で、たまに買いたいです。誰かにも、食べさせたい」
俺は値札用の木片へ目をやった。
味に喜んでもらえたのは、嬉しい。
ただし、売れた金と、補充に使うDPは別だ。
安いと言われて、今ここでさらに安くするのはやめた。
「じゃあ、まず6枚で始める。量も、味も、これで」
ヨハンが、包みの底へ鼻を近づけた。
「何してる?」
「最後の汁、残ってるかなって」
「紙は食うなよ」
「そこまでは、しないって!」
俺も、自分の最後のひと口を食べた。
肉だけでなく、ソースと酢漬けの酸味があるから、最後まで食べ進められる。
これは、店で出したい。
試すつもりで作った料理が、明日も焼きたい物になっていた。
*
【同日 午後2時/借りた食堂】
エレナを見送ったあと、客と店員に分かれて練習した。
硬貨はその都度戻し、料理の代わりに空の皿を使う。
「いらっしゃい! ハンバーガー、どうぞ!」
「まだ、頼んでないぞ」
リリが皿を引っ込めた。
「……食べたくなって、先に渡した」
「俺も、渡されたら食うと思う。先に注文だけ聞こう」
ヨハンは、説明する役になるとよく喋った。
「肉がやわらかくてさ、赤いのが甘酸っぱくて、緑の――」
「ヨハン、客、まだ財布を探してる」
トマに言われ、口が閉じた。
「……全部、言わなくていい?」
「聞かれたら、教えて。最初は『焼いた牛肉をパンで挟んだ料理』でわかると思う」
「でも、普通の牛肉だと思われない?」
食べたあとの感想としては、ありがたかった。
客に伝える言葉は、もう少し考えよう。
ニナは紙の折り方を試し、乾いたままの紙を開いて、俺にも持たせた。
「そこ、上まで閉じない」
「きっちり包むほうが、いいかと思った」
「食べるとき、全部開くことになるよ」
持ち直すと、下を支えたまま上からかじれる形になった。
使っていない紙は重ね、明日も使えるようにする。
ミナとは釣り銭を確かめた。
途中で俺が声をかけると、数え直しになった。
「……今、何枚だった?」
「ナオさんが話しかける前までは、覚えてました」
「ごめん。黙る」
俺は口を閉じ、コップを洗う仕事へ移った。
薬の札も、一緒に読んだ。
わからないことは、俺を呼ぶ。それでもわからなければ、わからないと伝える。
料理の味と違って、薬の効き目を勢いで褒めるわけにはいかない。
交代で休憩を取り、午後の仕事を続けた。
途中で、孤児院には何人いるのか聞いた。
「子どもが18人。私たちも入れて」
「それと、エレナさんか。なら、19個だな」
ミナが顔を上げる。
「土産に焼こう。今日、付き合ってもらったお礼と、店を始める祝いで」
「皆の分!?」
ヨハンの手の中で、皿が傾いた。
トマが、下から支える。
「先に置いて」
「あ、うん!」
今日は試食と練習だけの予定だった。
それでも、あの味を話すだけで帰してしまうのは、俺も惜しかった。
「5人の分も入ってる。夕飯として、持って帰ってくれ。昼のとは別な」
リリが、ニナの腕をつついた。
「明日から、この仕事、すごく説明しやすいね」
俺はトマへ銅貨を渡し、近くのパン屋で20個買い足してきてもらった。
受け取ったパンを並べ、持ち帰り分の仕込みを始める。
*
【同日 午後4時10分/借りた食堂】
厨房では、持ち帰り分の肉を焼いていた。
俺とイドの夕食も入れて、追加で用意した。
手順を確かめる予備も、1個分取ってある。
そのために、午後は肉と包み紙、持ち帰る袋も買い足している。
厨房の戸を閉めて買い物をし、戻るたびに手を洗う。
仕込みの途中に足りない物を思い出すと、それだけでも手が止まった。
明日は、先に揃えておきたい。
開けていた表の戸から、声がした。
「おい。ここ、飯屋か?」
短い褐色の髪に、日に焼けた顔。
革鎧を着た、肩の厚い男が立っていた。
リリが俺を振り返る。
「お客さん」
「まだ、明日からなんだけど」
男は厨房のほうを見た。
「この匂いで、それを言うか」
俺もフライパンを見る。
今、裏返したところだった。
「……1個なら、作れる。牛肉をパンで挟んだやつ。6銅貨」
「出してくれ」
返事が早かった。
新しい皿を用意し、包んだバーガーを置く。
ミナが代金を受け取り、俺へ顔を向けた。
「6枚、あります」
「うん。最初の売上だ」
包みの持ち方は、ニナが教えた。
男は腰を下ろし、大きくかじった。
噛む。
こちらを見る。
もう一度、断面を見る。
「……何だ、このうまい肉は」
昼と同じ問いなのに、低い声で言われると、俺まで背筋が伸びた。
「牛だよ」
「牛は食ったことがある。こんなに柔らかくて、脂までうまいのが、6銅貨?」
俺が答える前に、次が口へ入った。
「胡椒も利いてる。……で、この酸っぱいのは何だ」
「ソースと、野菜の酢漬け。肉と合うだろ」
「合う。だから、止まらん」
男の視線が、俺の後ろのフライパンへ向いた。
「もう1個」
「ごめん。あとは、渡す相手が決まってる」
袋を見せると、男は天井を仰いだ。
「最初に2個、頼むんだった」
ヨハンが、客席の端から身を乗り出した。
「明日も、同じの作るよ!」
「何時だ」
「11時から。ちゃんと開けるのは、明日」
俺が答えると、男は指を1本立てた。
「じゃあ、明日来る。仲間も連れてくるぞ。こんな飯、1人で食って黙ってたら文句を言われる」
「何人くらい?」
「話してみないと、わからん」
その返事で、急に厨房の狭さが気になった。
来てもらいたい。
来たら、焼かなくてはいけない。
「俺はガレス。冒険者だ」
男が、冒険者証を見せた。
Dランクと書いてある。
「ナオ。この店、今日借りたばっかりなんだ」
「いい日に通ったな、俺」
残りを食べ終え、ガレスが水を飲む。
薬と指輪も置く予定だと話すと、冒険者には助かると言った。
そこで、ふと思いついた。
「魔石って、売ると金になるんだよな」
「なるぞ。どの魔石かにもよるが」
「実物と、値段を知りたいんだ。小さいのを、何種類か」
「ギルドへ来い。今から報酬の精算に行くが、お前は仕事の途中だろ。あとで、まだ売ってない分を見せてやる」
場所と時刻を確かめる。
ガレスは空の紙をまとめ、立ち上がった。
「明日、値段を変えるなよ」
「6銅貨で出すって、もう書いた」
「よし。それなら、遠慮なく話せる」
男を見送ると、リリが戸の外を見た。
「……そんなに、来るかな」
「来てから慌てるより、今、慌てとこう」
俺は焼き上がった肉を、次のパンへ挟んだ。
*
【同日 午後5時/借りた食堂】
土産を袋へ分け、厨房の火を片づけた。
昼と店で使った包み紙は、残り火で燃やす。
道具を洗い、最後に水の残りを確かめた。
前掛けと手拭いを戻してもらい、日当を10銅貨ずつ渡す。
数える間は、俺も話しかけずに待った。
「……本当に、今日からもらえるんだ」
ミナが硬貨を両手で持っていた。
「朝、約束しただろ」
「うん。でも、まだお客さん、1人だったから」
「掃除も練習も、してもらった。その金だよ」
彼女が頷き、しまう場所を確かめた。
ヨハンは給料をしまってから、土産の袋を持ち上げる。
「これも、持って帰る!」
「19個ある。途中で減らすなよ」
「減らさないって! 俺の分も、入ってるんだし!」
ニナが紙袋の底へ手を添えた。
トマは重い袋を引き受け、軽い物をリリへ渡す。
「明日は10時な。お疲れ」
「お疲れさまでした!」
「また明日!」
声の揃わない挨拶を残し、5人が帰っていく。
俺は薬を6本、耐久の指輪を1個補充した。
薬はこれで、元の10本に戻る。
金は、まだ残っている。
ただ、道具も肉も薬も、DPから出した物だ。
客が増えれば、肉を買う回数も増える。
明日の看板へ値段を書き、受け取った6銅貨を帳面へ記した。
包んでおいた夕食と薬箱を袋へ入れ、鍵をかける。
冒険者ギルドへ寄ってから、帰ろう。
*
【同日 午後5時30分/孤児院/ミナ視点】
「いい匂い!」
袋を置くより早く、小さい男の子が卓のそばへ来た。
ミナは手を伸ばし、袋の口を押さえる。
「手、洗ってから。まだ、触らないで」
「ヨハン、肉?」
「肉! だけど、食ってから驚け」
言ったヨハン自身が、早く配りたそうにしていた。
エレナが子どもたちを座らせ、包みを渡していく。
小さい女の子が、持つ場所をニナへ尋ねた。
「ここ。下を、両手で持つといいよ」
ひと口かじり、目を丸くする。
向かいの男の子は、頬をいっぱいにしたままヨハンを見た。
「んっ、んん!」
「飲み込んでから。俺も今日、言われた」
ミナは自分の包みを開いた。
昼に知った味だ。それでも、肉の匂いがすると腹が鳴る。
「この、酸っぱいのは?」
「ピクルス」
ヨハンが、今度は答えられた。
昼には知らなかった名前を、もう誰かへ教えている。
女の子が、緑の薄切りを見た。
「すっぱい。でも、これも食べる」
パンの間へ戻し、次をかじった。
エレナが、皆を見てからミナへ向き直った。
「明日のお仕事は、どう?」
ミナは、自分の給料をしまった袋へ触れた。
釣り銭を数え直したことも、最初の客から受け取った硬貨も覚えている。
「間違えないかは、心配。でも……」
卓の向こうで、小さい男の子が残りを見つめていた。
もう一度かじる前に、匂いを嗅いでいる。
「ああいう顔を、お店でも見られるなら、やってみたい」
ミナは包みの底を折り直した。
明日は、客へ渡す側になる。
*
【同日 午後5時40分/冒険者ギルド/ナオ視点】
「おう、こっちだ」
ガレスが窓口のそばから手を上げた。
買取担当の職員へ話を通してくれていたらしい。
見せてもらったのは、スライム、角兎、ゴブリン、森林狼の魔石。
大きさも色合いも違う。
「傷や消耗のない、小型の魔石でしたら、こちらの額です」
職員の示した額を、帳面へ写した。
4種類を1個ずつ、合わせて48銅貨。
「それで、売ってもらえる?」
「いいぞ。まだ俺の分だからな」
ガレスへ代金を渡し、魔石を受け取る。
ギルドの棚から買うのではなく、売却前の品を譲ってもらったのだ。
「助かった。1杯、おごらせて」
「おっ、いいのか」
「俺は帰って飯だけど。そっちは、麦酒でいい?」
「文句なしだ」
酒場の席で、ガレスへ麦酒を1杯頼んだ。
俺は水筒から水を飲む。
「飯の代金を、魔石でもらう店って、あるかな」
「品を見て決めるところはある。だが、全部同じ値段で引き取るわけじゃないぞ」
「うん。まず実物を知りたかった」
受け取った魔石を包み直す。
売上が金になっても、その金でDPを直接買えるわけではない。
魔石を代金として受け取れるなら、肉の補充へ回せるかもしれなかった。
「お前の飯なら、魔石で食いたい奴もいるだろうな」
「そう言ってもらえると、心強い」
「6銅貨がない日に、匂いだけ嗅いで帰れと言われても困る」
「値段が合う組み合わせは、考えてみる」
ガレスが麦酒を飲み、ジョッキを卓へ戻した。
「仲間に話したら、胡椒まで入れて6枚は聞き間違いだと言われた」
「もう、話したのか」
「明日、自分で確かめろと言っておいた。店の場所もな」
明日、ガレスが来る。
彼の仲間も、来るかもしれない。
期待して買いすぎるのは怖いが、肉がない店で迎えるわけにもいかなかった。
「よし。朝から、焼けるようにしとく」
俺は店の場所が間違って伝わっていないか確かめ、席を立った。
*
【同日 午後7時/マスタールーム】
「ただいま。今日は、俺の焼いた肉だぞ」
イドが、袋の中をのぞいた。
「お待ちしておりました」
「待たせた。昼は食べた?」
「はい。親子丼を。卵のお料理は、やはり好きなようです」
今朝、またあれを食べたいと頼まれ、出かける前に用意しておいた物だ。
俺は夕食の包みを出し、カップへ水を注いだ。
焼きたての熱さは、もうない。
それでも開けば、牛肉と胡椒の香りがした。
「ハンバーガー。食べてみてくれ」
イドは両手で持ち、かじった。
噛んでから、包みを見直す。
「……これを、ナオ様が?」
「うん。売る物だから、俺が作らないとな」
もうひと口。
今度は、下の紙へ視線が向いた。
「肉の味が、こちらの汁にも残るのですね」
「パンが吸ってるところも、うまいぞ」
彼女は言われた場所を確かめ、次はピクルスの入ったところを食べた。
「酸っぱいのに、食べるのをやめたくならない……。むしろ、肉をもうひと口、いただきたくなります」
俺もかじった。
冷めても、味の組み合わせは悪くない。
昼、皆が言っていたことがわかる。
「店でも、評判よかったんだ。明日から働く5人と、シスターに食べてもらって」
「では、明日は大勢いらっしゃるかもしれませんね」
「冒険者にも1個売れた。その人が、仲間に話してくれてる」
そこまで言って、俺は包みを下ろした。
「……ちょっと、怖くなってきた」
「売れないことが、ですか?」
「逆。たくさん来たら、焼くのが間に合うかなって」
イドは、自分の残りを見た。
「こちらなら、待つ方もいらっしゃると思います」
「そうかな」
「ただ、わたくしでしたら、早くいただきたいです」
正直な意見だった。
俺は帳面を開き、明日の仕込みの欄へ線を引いた。
肉を丸めるところから注文のたびに始めていたら、遅れる。
先に揃えられる物は、揃えておこう。
食後、魔石を回収ボックスへ入れ、変換した場合の値を確かめた。
4個合わせて、95DP。
まだ変換はしない。
明日、受け取る魔石を見比べられるよう、見本として残す。
金とDPは、両方数えた。
払った家賃。初めて渡した給料。
料理で受け取った、6枚の銅貨。
食べ終えた包み紙を片づけ、明日持っていく薬箱を入口のそばへ置く。
「イド」
「はい」
「帰ってきて、うまかったって言ってもらえると、また作りたくなるな」
彼女は空の包みへ手を添えた。
「では、明日もお願いします」
俺は頷き、帳面へ戻った。
明日の肉を、何個分用意するか。
今日、客が座った椅子を思い出しながら、最初の数字を書き込んだ。




