第2話 まずは露店でひと稼ぎ
【転生1日目 午前10時/マスタールーム】
「袋と、水筒。それから……何も売れなかった時の飯だな」
俺は購入画面を開いたまま、指を折った。
街へ行くと言ったものの、財布もなければ身分証もない。売れるかどうかもわからない物を持って、買い手を探すのだ。
せめて、腹を空かせて帰る事態は避けたい。
「持ち歩ける物でしたら、こちらはいかがでしょう」
イドが示したのは、パンと干し肉だった。
朝食の時にも見た品だ。
「さっきはオムライスにしたけど、持ってくなら、こういうのが便利か」
「汁がこぼれる心配もありません」
「確かに。袋の中にオムライスをぶちまけたら、街へ行く前に泣くな」
チーズも加え、袋と水筒を選んだ。
購入する前に、イドと地上へ出る。
入口の外で、予定していたパンを1個だけ買ってみた。
包みが手元へ現れた。
「おお。外でも、本当に使えるんだ」
「はい。物の購入は、領域の外でもできます」
包みを裏返し、今出てきたパンを眺める。
「これ、人前でやったら驚くだろうな」
「お見せになりたいのですか?」
「美女に、すごいって言われたい気持ちはある」
イドが、俺の手元へ身を寄せた。
「わたくしでは、足りませんか」
「……足りる。かなり足りる」
人前で自慢する予定は、ここでなくなった。
部屋へ戻り、残りの買い物を済ませる。
水筒には壺の水を移した。
イドの昼食には、親子丼を選んだ。
「こちらも卵のお料理なのですね」
「鶏肉と玉ねぎも入ってる。朝のとは味が違うから、食べてみてほしくて」
彼女は説明を読み、料理の名を確かめた。
「ナオ様のお昼は?」
「街で食べるよ。飯屋をやるなら、ほかの店も見とかないとな」
「では、お帰りになったら、お話を聞かせてください」
「うん。昼まで待たせるけど、これ、保温されるわけじゃないから。腹が減ったら早めに食ってくれ」
返事をしたイドへ容器を渡しかけて、俺は携帯食の包みに目を留めた。
「……これ、何て書いてある?」
「干し肉です」
「読めない」
画面の説明は読める。
だが、包みにある文字は、形を見ても何のことかわからなかった。
イドが床の埃へ指を伸ばした。
「こちらは、いかがですか」
「もっとわからん」
「『水』です」
水か。
薬の名でも店の看板でも、同じ顔で眺めていたと思う。
「危なかった。値札も読めないまま、買い物に行くところだった」
「言語の技能を、お確かめください。共通語の読み書きにも対応する物があります」
《異世界言語 Lv.1》。300DP。
俺は説明を読み、習得を選んだ。
痛みも、大げさな光もなかった。
ただ、床に書かれた文字を見直すと、意味がわかった。
「水だ!」
さっきと同じ形なのに、読める。
隣へ指を置くと、書き方まで思い浮かんだ。
「合ってる?」
「はい。きちんと読めます」
続けて、自分の名前を書いた。
見知らぬ文字で、ナオ。
「これ、昔の俺に教えてやりたい。外国語の勉強、何回も挫折したんだよ」
「何度も挑戦なさったのですね」
「そこを評価してくれるの、嬉しいな。続いた期間は聞かないでくれ」
「では、今回は続けてお使いください」
街へ行けば、使わないわけにはいかなそうだ。
最後に、換金するための品を選んだ。
銀の葉を重ねた髪飾り。細工と留め具が付いた、魔法の効果はない品だ。
30DP。
最初から高価な物を買い込むより、これで試してみたい。
取り出した髪飾りを、イドが受け取った。
葉の縁を指でなぞり、留め具の動きを確かめている。
「どう?」
「綺麗です。留め具も、よくできています」
彼女の黒髪へ目が向いた。
飾る物は、何もない。
「イド、髪飾りは持ってないのか?」
「はい」
「じゃあ、商売がうまくいったら、似合うのを贈るよ。これは売る分だから、また別に」
髪飾りを返そうとしていた手が、俺の前で止まった。
「わたくしに、ですか」
「うん。こういうの、嫌い?」
「いいえ」
すぐに答えたあと、イドは留め具から指を離した。
「ナオ様が選んでくださるのでしたら、楽しみにしております」
「任せろ。似合うやつを探す」
言い切ったところで、店の資金もまだないことを思い出した。
「……まず、これを売ってからだけど」
「はい。お待ちしています」
変わらない返事が、かえって効いた。
俺は髪飾りを、潰れないように袋の内側へ収めた。
目指す街の名はアルノ。
森の北にはエルム村があると、イドは以前訪れた冒険者から聞いていたという。
ダンジョンマスターだとは、名乗らない。
この世界では、迷宮の奥にいる討伐対象として見られる立場らしい。
「店を始めたい男。それだけで行ってくる」
「お困りになっても、身の上をすべてお話しにはならないでください。先に戻っていただければ、一緒に考えられます」
「わかった。ここは、任せていいか?」
イドの背筋が伸びた。
「もちろんです。どうぞ、わたくしにお任せください」
午前10時20分。
俺は袋の紐を肩へ掛け、街へ向かった。
*
【同日 午前10時40分/アルノ西門】
「身分証を」
城壁を見上げていた俺は、衛兵の声で前へ向き直った。
肩の厚い男が、こちらを見ていた。
「持ってないんです。ナオといいます。エルム村のほうから、商売に来ました」
「商人ギルドへの登録は?」
「これからです」
窓口へ案内され、名前と用件を聞かれた。
男が台帳へ書き込み、手を止める。
「仮登録だ。入街料は5銅貨」
俺も止まった。
袋を開け、銀の髪飾りを出した。
「……これを売ってから、お支払いできますか」
衛兵は髪飾りを見た。
次に俺を見た。
「それを持っていて、銅貨はないのか」
「ないです」
「旅に出る前に、財布を確かめろ」
正しい。
だが、旅立つ前から財布がなかった俺には、どうしようもなかった。
男は銀細工を確かめ、台帳へ目を戻した。
「売り物があるなら、退街まで支払いを待てる場合がある。今日はそれで通す」
「ありがとうございます!」
「礼はいいから、日暮れまでにこの門へ戻れ。仮登録証を返して、5枚払う。忘れるなよ」
「はい。必ず戻ります」
未納額の書かれた紙を、袋の内側へしまった。
売れなくても、払わなくていいという話ではない。
門を抜けると、石畳の道に人があふれていた。
荷車の音。呼び込みの声。屋台から上がる煙。
猫の耳を持つ女性が、俺の横を通った。
耳が動いた。
目で追った。
「端へ寄れ!」
背後から荷車が来ていた。
「すみません!」
壁際へ飛びのき、袋を抱え直す。
女の子を見るのは、銅貨を用意してからだ。
自分へ言い聞かせ、商人ギルドの看板を探した。
*
【同日 午前11時10分/商人ギルド】
「お待たせしました。担当のセラです」
蜂蜜色の髪を低くまとめた女性が、受付で顔を上げた。
眼鏡の奥に、青灰色の瞳がある。
来てよかった。
まだ登録もしていないが、そう思った。
「商人登録をしたいんです。あと、売りたい物もあって」
髪飾りを出す。
セラは用件を確かめ、登録料を教えてくれた。
会員証を含めて、1銀貨。
俺が口を開く前に、彼女は髪飾りへ目を向けた。
「買取代金から差し引く形でも、承れますよ」
「助かります。今、それを頼もうと思ってました」
「では、先に査定をいたしましょう」
奥から呼ばれてきたのは、立派な髭の男だった。
こめかみに白いものが混じっている。腕も胴も太い。
「ダグだ。売るのは、これか」
短く名乗り、髪飾りを手に取った。
秤へ載せ、留め具を動かし、葉の裏へ目を凝らす。
俺も一緒にのぞき込みそうになり、邪魔になるので引いた。
「2銀貨70銅貨」
「3銀貨には、なりません?」
ダグの目が上がった。
「どうしてだ」
「傷もないですし、留め具も動きます。細工も綺麗でしょう。飾り物として、そのまま売れると思うんです」
「この街で、何が好まれるかは知っているのか」
返事に詰まった。
「……今日、着いたばかりです」
「そうか」
ダグは髪飾りを持ち直した。
明るい方へかざし、葉の重なりを確かめる。
「細工は悪くない。溶かすより、このまま店へ置く品だな」
ダグは髪飾りを台に戻した。
「よし。3枚で買おう。ただし、それ以上は出さん」
「お願いします!」
ここでさらに粘る度胸は、なかった。
セラに渡された書類へ、名前と種族を書く。
始めたい仕事は、飲食。
住所の欄で手が止まった。
「店が、まだ決まってなくて」
「でしたら、決まるまでの連絡はギルドでお預かりします。こちらは空欄で結構です」
署名と拇印を付け、手続きを終える。
髪飾りの代金から登録料を引き、銀貨2枚を受け取った。
初めて手にする、この世界の金だった。
落とさないよう、手の中へ握り込む。
「会員証です。登録番号は107番になります」
木の札と精算明細が、差し出された。
「銀貨1枚って、銅貨何枚ですか?」
「100枚です」
「……あ、それは先に聞くことでしたね」
俺が手の中の銀貨を見直すと、セラが明細の余白へ通貨の関係を書いてくれた。
読めるようにはなったが、物価までわかるようになったわけではない。
「飲食のお仕事は、長いのですか?」
「食べる方なら、かなり」
セラの筆が止まった。
「作る方は?」
「これから覚えます」
「……でしたら、露店で試してからお店を借りる方法もありますよ」
今の間は、聞こえなかったことにしたい。
俺は地下のある物件も見たいと頼んだ。
「ご案内は、オルドが担当しております。午後1時に、もう1度こちらへお越しいただけますか?」
「大丈夫です。セラさんの案内じゃないのは、ちょっと残念だけど」
「飲食店の物件でしたら、私より詳しいですよ」
「じゃあ、ぜひオルドさんで」
セラが眼鏡を直した。
「お役に立てる者をご案内できて、何よりです」
俺は礼を言い、会員証と金を袋へしまった。
どちらも入っているか、出口でもう1度触って確かめた。
*
【同日 午後0時10分/市場通り】
まず帳面と木炭筆を買った。
釣り銭の中から、門へ払う5枚を別にする。
この5枚だけは、使ってはいけない。
朝の衛兵へ、腹が減ったので食べましたとは言えない。
残りの銅貨から、肉と玉ねぎの焼きパイを買った。
香ばしい匂いに釣られ、紙包みを開いてかじる。
「熱っ!」
肉の汁が、指へ落ちた。
「上の方を持って。そう、傾けると出ちゃうから」
屋台の女性に教わり、持ち直す。
焼けた皮はうまい。玉ねぎも甘く、肉には食べ応えがある。
だが、歩きながら食べるには、俺の持ち方が下手だった。
近くで休んでいた荷運びの男へ、声をかけた。
「この辺で飯屋をやるなら、どんな物が売れると思う?」
「兄ちゃんが出すのか」
「そのつもり。俺なら、綺麗な給仕がいて――」
「安くて、腹にたまる物」
最後まで聞いてもらえなかった。
「給仕は?」
「仕事の合間に、顔を見に行ってられるかよ」
そういうものか。
俺だったら行けそうだが、その話を続けると聞き込みにならない。
「温かい方がいい?」
「そりゃな。ただ、待たされるのは困る。荷を置いて、飯だけ食って、すぐ戻りたいんだ」
男は膝の上でパンを割った。
俺も焼きパイの端をかじる。
「うん。腹が減ってる時に、食べ方で苦労するのは嫌だよな」
「その汁、服に落とすなよ」
「今、すごく気をつけてる」
最後のひと口まで傾けないように食べ、包み紙を屋台の屑入れへ捨てた。
携帯食は食べずに残し、帳面を開く。
安い。腹にたまる。待たずに食べられる。
俺が欲しい店と、この人が昼に使いたい店は違った。
まずは、その違いを聞けたことを書いておく。
*
【同日 午後1時20分/西門近く・空き食堂】
「どうぞ。足元だけ、お気をつけください」
オルドが戸を開けた。
白いものの混じる短い髪に、清潔な上着。鍵を扱う手つきが慣れている。
中には卓が2つ、長椅子が4つ残っていた。
奥は厨房。その横に小部屋がある。
窓から光が入り、床も手入れされていた。
「もっと、荒れてるかと思ってました」
「すぐお使いいただけるよう、管理はしております。竈と流しも、契約前にご確認いただけますよ」
厨房をのぞき、階段を下りて地下も見せてもらった。
今は空いているが、倉庫として使える部屋だ。
地上へ戻り、卓の端に立つ。
ここに客が座る。奥で料理を作って、皿を運ぶ。
いいな。
俺の店になったら、入口のあたりに看板を――。
「最初に、いくら必要ですか?」
「賃料30日分と保証金、仲介料を合わせて、33銀貨です」
俺は卓から手を離した。
「……見てる間だけ、店主になってました」
「ご見学の間は、無料です」
それは助かる。
このまま見学だけで営業できれば、もっと助かるのだが。
「買うなら、どれくらいです?」
「土地と建物で600銀貨。手続きを含め、610銀貨になります」
「借りる方が、急に近く感じる」
「ご希望は、どちらでしょう」
もう1度、店内を見回した。
買えば、敷地内の改装や増築は自由だという。
地下を使い、いずれ上も広げたい。自分の物にできるなら、その方がいい。
「いずれ、買いたいです。でも今は、借りる金も足りてない」
「でしたら、まず条件をお持ち帰りください。お金の使い道を決めてから、ご相談いただければ」
オルドは契約を急がせず、間取りと条件の控えを渡してくれた。
鍵は、まだ彼の手にある。
午後は、食材と道具の相場を調べて回った。
肉、粉、玉ねぎ、油。料理を続けるなら、薪もいる。
洗濯籠を抱えた女性からは、手を汚さずに食べられる物がいいと言われた。
「子どもの分も欲しいから、小さいのがあると買いやすいね」
「大きくて安ければ、いいわけじゃないんだな」
「大きいのを2つ買って、食べきれなかったら困るでしょ」
それも、帳面へ書いた。
道具屋では、小さな薬瓶に足が止まった。
初級回復ポーション、1本1銀貨。
「これ、飲めば怪我が治るんですか?」
「浅い切り傷や打ち身ならな。深手まで何でも治ると思うなよ。毒も別だ」
店主の説明を聞き、隣の装飾品へ目を移す。
耐久を上げる銀の指輪。60銀貨。
俺は値札と、品物を見比べた。
こういう物なら、DPで用意できるかもしれない。
露店の利用窓口にも寄ると、夕方の区画には空きがあった。
台も借りられる。案内を受け取り、帰って相談することにした。
午後4時、西門で仮登録証と5銅貨を渡す。
「戻りました。こちら、入街料です」
「売れたようだな」
「はい。商人登録もできました」
会員証を見せると、衛兵は番号を確かめた。
「次からは、これを出せ。身分が確認できれば入街料はいらん」
「今日、もう1回来ても?」
「同じだ。今度は、その札を忘れるなよ」
台帳へ精算済みと記され、仮登録証を返した。
未納の金がなくなって、ようやく気が楽になった。
俺は会員証をしまい、門を抜けた。
*
【同日 午後4時20分/マスタールーム】
「ただいま!」
イドが立ち上がった。
俺の顔を見て、手を見て、服へ目をやる。
「お帰りなさいませ。お怪我は?」
「ないよ。ひと通り見てこられた。最初、金がなくて門で止められたけど」
彼女の手が、俺の腕に触れた。
「……それで、どうなさったのですか」
「売ってから払わせてもらえた。もう精算してきた。ごめん、先にそこまで言えばよかったな」
イドは俺の顔を確かめ、息を吐いた。
「そうでしたか。では、次に出かける時は、門で必要になる物も先に確かめましょう」
「うん。今度は身分証もあるぞ」
107番の会員証を出す。
彼女は両手で受け取り、文字を読んだ。
「商人ナオ、ですか」
「髪飾り1個売っただけだけどな」
「最初の1個を売って、お戻りになったのでしょう」
俺は返事の代わりに、精算明細も差し出した。
面と向かって認められると、手順の話をしていた時より落ち着かない。
「留守番、ありがとう。昼飯は食った?」
「はい。親子丼をいただきました」
その声が、柔らかくなった。
「朝の卵とは違うのですね。汁がご飯へ染みていて、鶏肉と一緒に食べると、とてもよく合いました」
「気に入った?」
「はい。また、いただきたいです」
次の希望が、もう決まったらしい。
「ナオ様は、何を召し上がったのですか?」
「焼きパイ。うまかったけど、汁が指に落ちてさ」
話すと、イドが俺の右手を取った。
「ここですか?」
「今は何ともない。ほんとに、見てのとおり」
赤くなっていない指先を見せる。
彼女は手を返し、それからようやく、間取りの控えをのぞき込んだ。
俺は店の条件と、市場で聞いた客の希望を伝えた。
携帯食は食べずに残してある。袋から出し、ほかの品のそばへ置く。
「借りるなら33銀貨。買うなら610銀貨。今あるのは、これだけ」
銀貨と銅貨を並べた。
見学の時よりは落ち着いて、その差を眺められた。
「でも、今日のうちに試せそうな売り物は見つけた」
ショップで、回復薬と耐久補助の指輪を探す。
街で見た物と、説明を比べた。
「これなら、仕入れられる。料理の準備より先に、露店で売れるか試したいんだ」
「でしたら、使う分を決める前に、残しておく分を確かめましょう」
イドが、間取りの控えを俺の隣へ寄せた。
店とここを繋ぐ地下通路。
距離はまだ測れていないので、仮の条件を入れて概算を出した。
領域を広げ、通路を作り、店も領域へ加える。
合わせて、2000DP。
「これだけで、ずいぶん使うな」
「経路と地盤によって、変わります。お風呂や、お店の設備も別です」
「全部できる値段じゃないのか。じゃあ工事用に2000、それと予備の1000は残そう」
決めてから、商品を選ぶ。
初級回復ポーション10本。耐久補助の指輪1個。
薬瓶を収める木箱と、指輪の下へ敷く布。値札も必要だ。
確保すると決めた分には、手をつけずに済んだ。
「薬は80銅貨。指輪は50銀貨で出してみる」
「見ていらしたお店より、お安いのですね」
「うん。でも、安けりゃ買うとは限らないだろ。今日は、どう見られるかも確かめたい」
瓶の説明と、指輪の効果を読み直した。
薬は万能ではない。指輪も、同じ能力を上げる品を重ねた分だけ、強くなるわけではない。
聞かれた時に答えられるところまで、確かめておく。
購入を終えた品を、回収ボックスへ一時保管した。
台を借りてから取り出せば、薬瓶を抱えて歩かずに済む。
「これ、運ぶ時にも便利だな」
「ええ。取り出す時は、人目にお気をつけください」
会員証を袋へ入れ、戸口へ向かう。
イドが、今度は先に俺の袖へ触れた。
「お帰りを、お待ちしております」
「うん。売れたら、一番に話す」
彼女は袖から手を離した。
歩き出してから振り返ると、まだ、こちらを見ていた。
*
【同日 午後5時10分/市場通り・露店区画】
会員証を見せて門を通り、露店の区画と台の代金を払った。
釣り銭用に銀貨を崩す。
人目を避け、袋から出すようにして木箱を取り出した。
台へ布を敷き、指輪と薬を並べる。
値札を置くと、店らしくなった。
俺が立っているだけの台では、なくなった。
「初級回復ポーション、あります! 指輪も見ていって!」
声を張った。
人が通る。
俺を見る。
値札を見る。
通り過ぎる。
もう1度、声を張った。
「耐久を上げる指輪、50銀貨です!」
男が1人、足を止めた。
「50か。今日は見るだけだな」
「薬もあるよ。80銅貨」
「そっちは、まだ持ってる」
去っていく背中へ、礼を言った。
安くした。
声も出した。
それでも、欲しい人が目の前を通らなければ売れないのか。
指輪の向きを直しかけ、手を引っ込める。
さっきも直したばかりだ。
呼び込みを続けていると、革の防具を着た女性が台の前へ来た。
赤茶色の髪を後ろへまとめ、腰には細身の剣を下げている。
手入れされた装備から顔へ目を移したところで、俺は背筋を伸ばした。
美人だ。
緑がかった茶色の瞳が、値札から指輪へ移る。
「こちら、手に取ってもいいですか?」
「もちろん! お姉さんなら、きっと似合いますよ」
彼女は指輪を持ち上げ、銀の輪を光へかざした。
「装飾としても、きれいですね。ただ、今日は仕事で使う物を探していて」
「耐久を2上げる指輪です。見た目だけじゃありません!」
「では、《鑑定》で確かめても?」
「どうぞ」
指輪を持った彼女の目が、真剣になった。
露店を眺めているときとは違う。俺の褒め言葉より、品物へ意識が向いている。
「……耐久の補助ですね。説明どおりです」
「鑑定ができるんですね」
「はい。装備は、買う前に確かめるようにしています。こちらの薬も、見せていただけますか?」
俺は木箱から1本取り、倒さないよう瓶の底を支えて渡した。
彼女はそちらも確かめ、指輪の横へ戻す。
「この指輪、50銀貨で間違いありませんか?」
「はい。その値段です」
「この効果なら、もっと高い物を見かけますが……」
彼女が値札を見直す。
俺も釣られて見たが、書き間違えてはいなかった。
「今日、初めて店を出したので。まずは、この値段で売ってみようと思ってます」
「そうでしたか。では、指輪をいただきます」
財布へ手が伸びた。
俺は慌てて、薬箱を横へ寄せる。
「ありがとうございます! こちらへ、お願いします!」
台の上へ、銀貨が並んだ。
朝には、入街料の銅貨さえ持っていなかった。
その俺の前で、50枚の銀貨が光っている。
受け取った硬貨を数える指が、途中で止まった。
……今、何枚だった?
「すみません。もう一度、確かめます」
「はい。急ぎませんから」
彼女は手を引き、俺が数え終わるのを待ってくれた。
俺は枚数を確かめ、ようやく指輪を渡す。
「50枚、確かにいただきました」
女性は左手へ指輪を着けた。
指を曲げ、握ってから開く。隣の指に当たらないかも、確かめているらしい。
「どうですか?」
「動かしやすいです。これなら、剣を握るときも邪魔になりません」
「それなら、よかった。……やっぱり、お似合いですね」
彼女が手元から顔を上げた。
「ありがとうございます」
穏やかに返され、俺のほうが言葉に詰まった。
もうひと言、何か気の利いたことを。
そう思ったときには、薬瓶を手に取っていた。
「これも1本、持っていってください」
「薬も、ですか?」
「おまけです。最初のお客さんなので」
女性は瓶を見てから、俺を見た。
「そんなに気前よくして、大丈夫ですか?」
「……今日は、特別で!」
売れて嬉しかったのは、本当だ。
美人に喜んでもらいたかったのも、否定できない。
この2つが重なると、考えるより先に手が動くらしい。
「では、ありがたく。仕事へ持っていきますね」
彼女は薬をしまい、指輪を着けた手でもう一度、荷物を持ち直した。
「薬が必要になったら、また寄らせてもらいます」
「はい! お待ちしてます!」
軽く会釈した彼女が、人の流れへ戻っていく。
俺は見送ってから、受け取った銀貨を袋へ移した。
売れた。
本当に、買ってもらえた。
指輪のなくなった小布を見て、息を吐く。
そこで、ようやく気づいた。
名前。
聞いていない。
気づいた時には、もう声をかけるには遠かった。
「兄ちゃん。俺には薬を1本」
近くにいた若い男が、銀貨を出した。
俺は薬を渡し、20銅貨を返す。
「こっちにも何かつく?」
男の顎が、立ち去った女性の方へ向いた。
「……あれは、初めて売れたお礼で」
「わかってるって。聞いてみただけだ。80なら、十分安い」
肩をすくめた男を見送り、俺は帳面へ売れた数を書いた。
売れた嬉しさだけで、手が動いていた。
そのあとも客は来るのだと、薬を前へ寄せながら思い直す。
次の客には、必要な効果を聞かれた。
その次には、瓶を光へかざして確かめられた。
何でも治る薬とは言わず、説明できる範囲を伝える。
代金を受け取り、釣り銭を渡す。
若い男のあとに、薬はさらに4本売れた。
頭の中だけで数えず、客が途切れるたび帳面へ書いた。
午後6時30分。
残った4本を木箱へ戻した。
台と足元のごみを拾い、借りた台を返却する。
売り物を回収ボックスへ収め、硬貨の入った袋を抱え直した。
森へ向かう道で、早足になった。
話したい相手が、待っている。
*
【同日 午後7時/マスタールーム】
「売れた!」
戸口から声を上げると、イドが立ち上がった。
「指輪が売れた。薬も!」
「まあ……。おめでとうございます、ナオ様」
今度は、俺が袋を下ろすまで待たなかった。
彼女がそばへ来て、両手を俺の手へ添えた。
「お疲れさまでした」
その声を聞くと、帰り道に何度も思い返していた売れた瞬間を、最初から話したくなった。
「最初、全然売れなくてさ。安くしても、見て通り過ぎてくんだよ」
「はい」
「そしたら、剣を持った女の人が来て、指輪を自分で確かめてくれて。買うって」
イドが、俺の手から袋へ目を移した。
「そちらの方が、最初のお客様だったのですね」
「うん。似合ってたよ。赤茶色の髪で、こう、左手に――」
話しかけてから、イドの顔を見た。
彼女は静かに続きを待っていた。
「……で、薬も1本あげた」
「そうですか」
返事は丁寧だった。
なぜか、その先を急いで説明したくなった。
「最初に売れて嬉しかったから、お礼に。薬は5本売って、1本贈って、4本残ってる」
箱と帳面を出す。
イドは数を確かめた。
「贈った分は、こちらへ分けてお書きになったのですね」
「うん」
「次のお客様にも、同じように求められませんでしたか?」
「求められた。冗談だったけど……なんでわかった?」
「同じ台の前に、ほかの方もいらしたのでしょう?」
俺は帳面を見た。
あの若い男の顔まで、思い出した。
「次から、贈る時は先のことも考える」
「ええ。そうしていただければ」
イドは帳面を返し、箱を俺のそばへ寄せた。
「その方が気に入ってくださった品を、また買いに来ていただけるとよろしいですね」
「うん。それは、ほんとにそう思う」
金を並べ、数えた。
今あるのは、55銀貨64銅貨。
間取りの控えを、その隣へ置く。
「……借りられる」
自分で言って、控えを見直した。
昼には、見るだけで終わった店だ。
「33銀貨。足りてるぞ、イド」
「はい。届きましたね」
「明日、借りよう」
口に出した途端、さっきまでの勢いとは違う緊張があった。
今日の露店より、ずっと大きな支払いになる。
「ただ、借りたあとに何も出せないんじゃ困る。料理と、手伝ってくれる人も考えないと」
「まず、お食事になさいませんか。お昼から、何も召し上がっていないのでしょう」
言われて、腹が減っていることに気づいた。
「そうだった。帰ったら一番に話すって、そればっか考えてた」
イドの手が、控えを広げたまま止まった。
「……覚えていてくださったのですね」
「そりゃ覚えてるよ。早く言いたかったし」
彼女は紙を畳み、いつもよりゆっくり膝へ揃えた。
「わたくしも、お話を伺いたかったです」
俺は食料の一覧を開いた。
今度は、すぐには商品を選ばなかった。
「晩飯、これなんかどう?」
選んだのは、カレーライスだった。
材料を確かめてから、2人分を買う。
蓋を開けると、香辛料の匂いが部屋へ広がった。
イドが顔を近づけ、息を吸う。
「朝のオムライスとも、お昼の親子丼とも違いますね」
「ちょっと辛い。苦手だったら、次は別のにしよう」
彼女は、ご飯と一緒にひと口食べた。
そのあとでカップへ手が伸びたので、俺も匙を止める。
「辛すぎた?」
「いえ。食べたあとも、香りが残るのですね」
じゃがいもを割り、今度はそこへご飯を合わせた。
「これは、お腹が空いている時にいただきたくなります」
「今、ちょうどいいだろ」
「はい。ただ、次に何をいただきたいか考えると、今日は……」
「卵?」
イドが俺を見た。
「おわかりになるのですか」
「親子丼の話してた時、また食べたいって言ってたから」
彼女は匙を持ち直した。
「覚えていていただけるのは、嬉しいですね」
俺もカレーを食べた。
熱いものを口へ運ぶと、昼間の忙しさがようやく遠のいていく。
けれど、店で出す料理は別に考えなくてはならない。
「仕事の途中でも食えて、腹にたまるやつ。匙も皿も要らなければ、持って帰れるよな」
「汁が手へ落ちない物ですね」
「うん。あのパイ、うまかったんだけどさ。初めてでも持ちやすい方が、買いやすいだろ」
パンに、焼いた肉。
玉ねぎも挟めば、ハンバーガーになる。
よく食べた。
だが、売るために作ったことはない。
「ハンバーガーって料理を、試してみたいんだ。まず自分で作って、食べてみる」
「わたくしにも、味見をお任せいただけますか?」
「ぜひ。うまかったか、遠慮せず教えてほしい」
「それでしたら、お任せください」
親子丼の次は、まだ名前しか知らない料理。
イドはその名を聞き返して、覚えた。
食後、昼食と夕食の空容器をまとめて保管し、カップを洗った。
帳面を開き、明日の予定を書く。
食堂を借りる。
料理を試す。
手伝ってくれる人を探す。
書いてから、最後の行へ線を引いた。
1人で全部やろうとすると、飯を売る前に日が暮れそうだ。
隣のイドが髪を肩の後ろへ払ったので、俺は朝の約束を思い出した。
「髪飾りも、忘れてないぞ」
彼女がこちらを向いた。
「今日は、売るために選んだだろ。次は、イドに似合うのを選びたい」
「……はい」
今度の返事は、声が弾んだ。
「ですが、お店に必要な物を揃えてからで構いません」
「うん。そうする。まだ、俺たちが寝る場所も床だし」
2人で、足元を見た。
1日働いて帰ってきても、床は朝のままだった。
「寝具の候補、残してたよな」
「はい。すぐにお出しできます」
イドが俺の隣へ寄った。
俺は間取りの控えを片づけ、朝の購入画面を開き直した。
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第2話リザルト
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【開始】
保有DP:4982DP
所持金:現地通貨0
【現金収入】
銀の髪飾り1個:3銀貨
耐久補助の指輪1個:50銀貨
初級回復ポーション5本:4銀貨
合計:57銀貨
【現金支出】
商人登録・会員証:1銀貨
帳面と木炭筆:10銅貨
焼きパイ1個:6銅貨
初回入街料:5銅貨
露店区画・貸台:15銅貨
合計:1銀貨36銅貨
【DP支出】
携帯用品・保存食・イドの昼食:23DP
異世界言語 Lv.1:300DP
売却用の銀髪飾り:1個 × 30DP = 30DP
初級回復ポーション:10本 × 40DP = 400DP
耐久補助の指輪:1個 × 500DP = 500DP
薬瓶用の木箱:1個 × 8DP = 8DP
指輪を置く小布:1枚 × 2DP = 2DP
木の値札:2枚 × 1DP = 2DP
夕食のカレーライス:2食 × 4DP = 8DP
支出合計:1273DP
【売上とは別の贈与】
最初の指輪客へ初級回復ポーション1本。
【魔石・DP収入】
受取魔石:0個
変換した魔石:0個
滞在・死亡・物質変換によるDP収入:0DP
【終了】
保有DP:3709DP
所持金:55銀貨64銅貨
初級回復ポーション:4本
飲料水:6L




