第1話 死んでも女には弱い
【前世/日本・会社帰り】
『土曜日、楽しみにしてるね。19時で大丈夫?』
大丈夫。
ものすごく大丈夫だ。
駅へ向かいながら返事を打っていた俺は、画面の上に現れた別の通知を見て、足を止めた。
『土曜のお店、予約できた?』
「……土曜?」
相手の名前を確かめる。
別の人だ。
やり取りをさかのぼると、自分の送った文が見つかった。
『じゃあ、土曜日の19時に!』
元気がいい。
今すぐ、この男の胸ぐらをつかみたい。
佐藤奈緒。28歳。会社員。独身。
綺麗な女性からいい返事をもらうと、その前にした約束まで都合よく忘れる男である。
「いや、まだ間に合う。早めに謝れば……」
謝る相手が2人いる。
片方の日を変えてもらえたとしても、もう片方の店を予約していない。
とりあえず、歩きながら考えるのをやめよう。
俺は道の端へ寄り、弁当の袋を持ち直した。
「すみません。駅って、こちらですか?」
顔を上げると、紺のスーツを着た女性が立っていた。
白いブラウス。肩に掛けた鞄。スマホの地図をこちらへ向けている。
「この先で合ってますよ。ただ、途中で道が分かれるんで」
「ああ、そこがわからなくて……」
「ご案内しましょうか。俺もちょうど、そっちです」
家は反対方向だ。
夕飯を買ったので、本来はもう帰るところだった。
だが、弁当は帰ってからでも食べられる。
「いいんですか? お急ぎじゃ」
「大丈夫です。駅までなら、すぐなんで」
「ありがとうございます。仕事で初めて来たんですけど、出口を間違えたみたいで」
「あそこ、初めてだと迷いますよね。俺も最初はぐるっと回りました」
さっきの返信は、駅まで送ってからだ。
今度こそ忘れないよう、通知を残したままスマホをしまう。
横断歩道の信号が青になった。
「この先を左です。そこまで行けば、駅が見え――」
エンジンの音が近づいた。
横を向く。
曲がってくる車が、すぐそこにいた。
「危ない!」
女性の腕をつかみ、後ろへ引いた。
靴が白線の外へ下がる。
俺も避けようとした。
間に合わなかった。
強い衝撃と、手を離れた弁当の袋。
最後に見えたのは、それだった。
*
【死後/暗闇】
目を開けたい。
けれど、まぶたがどこにあるのかわからなかった。
手も、足も。
息をしている感じさえ、ない。
あの人は、どうなったんだ。
俺は病院にいるのか。
「誰か……」
声になったのかもわからない。
暗い。
何も触れない。
さっきまで、明日の仕事を面倒に思っていた。
土曜日の言い訳に困っていた。
どちらの続きを考えようとしても、自分の身体がないということに戻ってきた。
「わたくしの声が、聞こえますか」
女の声だった。
「聞こえる! ここ、どこなんだ!?」
「まず、お話をさせてください。わたくしはイド。別の世界から、あなたへ呼びかけております」
「別の世界……? 俺、車にひかれて、それで」
「はい。元の世界では、お亡くなりになったものと存じます」
死んだ。
言われた言葉を、すぐには受け止められなかった。
たった今まで、帰るつもりでいたのに。
「……戻れないのか」
「申し訳ありません。わたくしに、元の世界へお戻しする力はありません」
都合のいい答えは、返ってこなかった。
しばらく、何も言えなかった。
イドは急かさずに待っていた。
「じゃあ、なんで俺に話しかけてる?」
「こちらの世界で、新しい身体を得ていただくことはできます。そのうえで、お願いしたいことがございます」
生きられる。
すぐに頼むと言いかけた俺を、彼女の次の言葉が止めた。
「ただし、安全なお話ではありません。お引き受けになる前に、最後までお聞きください」
イドが暮らすのは、ダンジョンという場所だった。
魔法と魔物のいる世界で、コアと呼ばれる核を中心に作られる迷宮。
以前は、冒険者も来ていたという。
「ですが、ほかの迷宮と比べ、得られる物が乏しかったのです。人が来なくなり、補充や修復も追いつかなくなりました」
「商売敵に、客を取られたみたいな?」
「結果としては、そのような状況です」
活動できる範囲は縮み、今残っているのは、入口とコアのある部屋だけ。
そこにイドが1人でいる。
「あなたに、そのダンジョンの主になっていただきたいのです」
「イドじゃ、できないのか?」
「管理を補佐する知識はあります。ですが、わたくし自身には、作り替える権限がありません」
そこで、主を迎えるための緊急機能を使った。
その呼びかけが届いたのが、俺だったらしい。
「先に言っとくけど、俺、普通の会社員だぞ。魔物と戦ったことなんてない」
「はい」
「はい、でいいの?」
「できないことを、できるとおっしゃる方よりは、お手伝いしやすいです」
落ち着いた返事だった。
無理に期待されないことに、いくらか肩の力が抜けた。
肩がどこにあるのかは、相変わらずわからなかったが。
「それで、危険って?」
主になると、俺の命はコアと結びつく。
身体が死んでも、コアが無事なら復活する方法はある。
ただし、コアを壊されたら終わりだ。
その時は俺も死に、戻ることはできない。
「復活できるから平気、とは思わないでください。わたくしが先にお伝えしたかったのは、その点です」
「……わかった」
もう一度、生きたい。
けれど、生き返る前から次の死に方を聞くのは、怖かった。
「俺が断ったら?」
「別の方へ呼びかけます」
「来るまで、イドはそこにいるのか」
「はい」
その短い返事のあと、彼女は続けた。
「ですが、そのことを理由に、お引き受けになる必要はありません。あなたご自身の命のお話です」
引き受けてほしいはずなのに、そこまで言うのか。
顔も知らない。
この話が本当だと、確かめる方法もない。
それでも、何もわからない暗闇の中で、危険まで説明してくれた声を、もう少し信じてみたかった。
「やるよ」
言ってから、もう1度考えた。
怖くないわけじゃない。
「俺、まだ死にたくない。何ができるかは、そっちに行ってから考えたい」
「……よろしいのですか」
「うん。ただ、初日から全部任されても困る。一緒に考えてくれる?」
「もちろんです」
今度の返事は早かった。
「わたくしにできることは、すべていたします」
「助かる。頼りにしてるよ、イド」
返事までに、間があった。
「はい。どうか、末永く」
さっきまでより柔らかい声がした。
その声を聞いていられることに安心したら、余計なことまで口から出た。
「あと、声がすごく好きだ」
「……お会いする前から、そのようなことを?」
「会ったら、ほかにも言うかもしれない」
言ってから、何をやっているんだと思った。
生き返らせてもらうところだぞ。
「では、お待ちしております」
声が遠くなる。
「今度は、お顔を見てお話ししましょう」
*
【転生1日目 午前9時/マスタールーム】
背中が冷たい。
目を開けると、石の天井があった。
手を持ち上げる。指を曲げる。胸に触れる。
心臓が、動いている。
「生きてる……」
息を吸った。
今度は、吸い込んだ空気がわかった。
「お身体に、痛むところはありませんか」
顔を向けた。
長い黒髪が、白いドレスの肩から落ちていた。
透き通るような白い肌。琥珀色の瞳。
頭には艶のある黒い角があり、背には黒い翼が畳まれている。
そばに膝をついていた女性が、俺の顔を確かめるように見ていた。
綺麗だ。
驚くくらい、綺麗だった。
「イド?」
「はい」
「結婚してる?」
俺は、自分の口を押さえた。
もっと先に聞くことがあっただろう。
「しておりません」
イドは俺の顔を見たまま答えた。
「ほかに、お尋ねになりたいことは?」
「いや、いっぱいあるんだけど。今のは、その……」
「気にしていただけて、嬉しいです」
まっすぐ返されると、困る。
軽口を言う準備しかしていなかった。
俺が黙ったので、イドは口を開きかけた。
「お気に召しませんでしたか」
「逆! すごく好みだったから、変なこと聞いた!」
言い切ると、彼女の瞳が見開かれた。
「……そう、ですか」
返事の声が、さっきより小さい。
俺も、余計なことを言うのをいったんやめた。
「手足は動く。痛みもない。大丈夫そうだ」
「では、ゆっくりお起きください。床が冷えておりますので」
差し出された手を借り、上体を起こした。
シャツもズボンも着ている。靴もあった。
「助かった。裸で初対面だったら、もうちょっと違う第一声になってた」
「お名前を、伺ってもよろしいですか」
「あっ、名乗ってなかった。佐藤奈緒。ナオって呼んで」
「ナオ様」
いい。
これは、何度でも呼んでほしい。
「よろしくな、イド。生き返らせてくれて、ありがとう」
彼女は、俺の手を支えたまま頭を下げた。
「こちらこそ。わたくしのもとへ来てくださって、ありがとうございます」
言葉が途切れても、その手はすぐには離れなかった。
俺は壁へ背を預け、部屋を見回した。
床も壁も石で、家具らしい物はない。
奥の小さな台座には、青白い球体が浮かんでいた。
「あれがコア?」
「はい。ナオ様の命と結びついた、このダンジョンの核です」
光を眺めてから、自分の座っている床へ目を戻す。
「それで、ベッドは?」
「まだ、ございません」
「イドも、ここで寝てたのか」
「はい。今ある設備では、それができる限りでした」
俺は床に手のひらを置いた。
ひんやりしていて、硬い。
「じゃあ、ベッドも買おう。飯も必要だし……金、ある?」
「現地の通貨はありません。ですが、設備や食料に使える力が残されています」
自分の情報を見たいと考えるよう、イドに言われた。
やってみると、目の前に文字が浮かんだ。
《個体情報》
名前:ナオ
種族:人間
レベル:1
HP:100/100
MP:30/30
筋力・耐久・敏捷・器用・魔力・精神:各10
習得スキル:なし
状態:正常
「全部10か。強いの、これ?」
「一般的な成人男性の目安です」
「特別な才能とかは?」
「剣や魔法のご経験はありますか」
「会社の飲み会で、手品を失敗したことなら」
「戦いは、ほかの方法を考えましょう」
切り替えが早い。
失敗した手品の内容を聞かれなかったのは、ありがたかった。
次に開いた画面には、管理用の項目が並んでいた。
《マスター:ナオ》
《Lv.1》
《保有DP:5000》
「5000。こっちは期待していい?」
「使い道を選べば、再建の足掛かりにはできます。まずは購入の項目を、ご覧ください」
食料、道具、装備。
部屋や通路を作るための項目まである。
寝台を思い浮かべると、簡素な物から大きな物まで並んだ。
「おお。この広いやつなら、2人で寝ても余裕だな」
口にしてから、イドを見た。
彼女は画面へ視線を向け、落ち着いた声で尋ねた。
「そちらを、ご希望ですか?」
「いや、物の大きさの話で。希望もあるけど、いきなりだし」
「わたくしは、ナオ様のお近くで休めるのでしたら」
画面を指そうとした手が止まった。
この人、冗談を言っている顔じゃない。
「……寝具は、予算を確かめてから選ぼう」
「はい」
妙に真面目な声で言ってしまった。
ほかの項目も、イドと一緒に確かめる。
魔物を呼び出すことも、技能を覚えることもできる。技能はほかの者にも付けられるが、その都度代金が必要だった。
「剣の使い方も買えるのか」
「はい。ただ、剣も防具も必要です。今すぐ戦いに出るのでしたら、そちらも見積もらなければなりません」
「出ない。今のは、できることを聞いてみただけ」
「承知しました」
イドが、装備の一覧を閉じた。
俺が手ぶらで魔物に向かう予定がないとわかって、確かめるようにこちらを見た。
購入した技能や身体の強化は、外へ出ても使える。
部屋を作り替えられるのは、自分の領域の中だけ。
便利だ。
だが、使えば減る。
「これ、どうやって増やすんだ?」
イドが示した説明を読む。
外から来た者の滞在。領域内での、対象となる生き物の死亡。そして、回収した物の変換。
滞在なら、レベル10の客が1時間いて10DP。
死亡の場合は、対象のレベルの100倍。
「俺がここで暮らしてても?」
「増えません。ナオ様と、ご自身の眷属は対象外です。わたくしからも得られません」
「なるほど。2人で寝て暮らすには、先に働かなきゃいけないのか」
死亡の説明からは、目を離した。
死んだばかりの俺には、その数字を当てにして計画を立てる気になれなかった。
回収ボックスは、物を保管するだけにも使える。
変換する前なら、取り出せるという。
「入れた瞬間、何でも消えるわけじゃないんだな」
「はい。保管と変換は、別の操作です」
「よかった。うっかり大事な物を入れても、取り返しがつく」
使い方を確かめて、画面を閉じた。
食べ物は買える。道具も揃えられる。
けれど、誰も来なければ、持っている分を使い続けるだけだ。
「まず、外を見てもいいか? どこにあるのかも、まだ知らないし」
「でしたら、わたくしがご案内します。足元に段差がありますので、お気をつけください」
イドが先に立ち、俺へ手を差し出した。
「もう立てるぞ?」
「はい。お手を借りてはいけませんか」
俺は差し出された手を取った。
案内してもらうのに、まったく異論はなかった。
*
【同日 午前9時20分/地上の入口・森の縁】
木々の間から、朝の光が差していた。
風に草が揺れている。
土を踏んで立ち止まる。
地下とは違う、湿った土と葉の匂いがした。
「……本当に、外だ」
空がある。
手を伸ばしてみても、明るいところでも、指先まで俺の身体だった。
道の向こうへ目をやって、声が出た。
「街、あるじゃん!」
森の縁から道が見える。
遠くには城壁もあった。
「はい。以前は、あちらから冒険者が訪れていました」
「よかった。人里まで何日もかかるんだったら、何をするにも大変だと思って」
道を歩く人影がある。
こちらへ曲がってくる様子はない。
「今は、素通りか」
「立ち寄る理由が、なくなってしまいましたから」
イドは入口を振り返った。
問題を確かめるような目だった。
「理由を作れば、また来るかな」
「何を求めているかによります。以前と同じ物を並べるだけでは、難しいと思います」
「魔物とか、宝とか?」
「はい。ほかの迷宮へ行くより、こちらを選ぶ理由が必要です」
腕を組んで考える。
ほかより危険な魔物を用意する競争は、俺には荷が重い。
「冒険者以外が来ても、いいんだよな?」
「もちろんです」
「飯とか、風呂とかさ。戦いに来るんじゃなくて、遊びに来る場所にしたら」
イドが俺へ顔を向けた。
「そのような施設を、ご存じなのですね」
「俺のいたところには、いろいろあったよ。仕事帰りに寄る店とか、休みの日に行くところとか」
「詳しく、伺いたいです」
話そうとしたところで、腹が鳴った。
森は静かだった。
聞き逃してもらえる余地がないくらいに。
「……先に、飯の話でいい?」
「はい。そちらを最優先にいたしましょう」
イドが、つないだままだった俺の手を引いた。
戻る道は、来た時より早く覚えられた。
*
【同日 午前9時30分/マスタールーム】
食料の一覧を開く。
パンや干し肉を見つけて、いかにも異世界だと思った。
だが、俺たちだけで食べるのだ。
わざわざ、知らない暮らしに食事まで合わせなくてもいい。
よく知っている料理を思い浮かべた。
「あった!」
黄色い卵に、赤いケチャップ。
「オムライスまであるのか!」
「ナオ様の世界のお料理ですか?」
「うん。俺、好きなんだ。これ、食べてみない?」
原材料を一緒に確かめた。
米、卵、鶏肉、玉ねぎ。調味料にも、イドが食べられない物はないという。
2人分を選びかけると、イドが画面を指した。
「先に、お水と入れ物を。食事だけ届いても、お飲み物がありません」
「危ない。ひと口目から困るところだった」
水を入れる壺とカップを選び、飲料水も買う。
食事を含めた支払いは18DP。残りを確かめてから、購入を実行した。
栓付きの壺と、カップ。
それから、蓋の付いた料理の容器が2つ。
俺は思わず、手を止めた。
「……本当に出てくるんだな」
「はい」
「何もないところから、飯が」
画面を読むだけだった時より、ずっと実感があった。
さっきまで硬い床しかなかったところに、これから食べる飯がある。
手を洗い、コアから離れた場所へ座った。
蓋を開けると、白い湯気が上がった。
バターと、炒めたご飯の香り。
卵の上のケチャップまで、見慣れた色をしていた。
「いただきます」
添えられた木の匙で卵を切る。
中から赤いご飯が現れた。
ひと口、食べた。
柔らかい卵に、甘酸っぱいご飯。
噛むと、鶏肉の味がした。
温かいものが、喉を通って腹へ落ちる。
昨夜、食べるはずだった弁当を思い出した。
「うまいな……」
向かいのイドは、まだ匙を持って待っていた。
「食べていいぞ。冷めるから」
「ナオ様のお食事が済んでからでも」
「それだと、食ってる俺をずっと見てることになるけど」
「はい」
「落ち着かないから、一緒に食べてくれない?」
イドは俺の顔を確かめ、それから容器へ目を落とした。
「では、お言葉に甘えます」
端から卵とご飯をすくい、息を吹きかける。
小さく口へ運んだ。
次のひと口へ進もうとした俺は、手を止めた。
イドが、匙を口から離したまま動かない。
「熱かった?」
「いえ」
飲み込んで、今食べたところを見つめる。
「こんなに、おいしいものが……」
驚いた声だった。
俺を見て、それからもう1度、卵をすくう。
「こちらの卵は、とても柔らかいのですね。ご飯には味が付いていて……この、赤いものは?」
「ケチャップ。トマトから作るソース」
「酸っぱいだけでは、ないのですね」
今度は卵だけ。
次は、ケチャップの付いたご飯。
食べ比べていたイドの匙が、だんだん止まらなくなった。
「気に入った?」
「はい。とても」
はっきりした返事のあとで、彼女は自分の容器を見た。
もう、端の卵がなくなっている。
「……申し訳ありません。ナオ様のお話も伺わず」
「いいって。俺も食ってるし。そんなにうまそうに食べてくれるなら、選んだ甲斐がある」
イドは口を開きかけ、匙を置いた。
「そうおっしゃっていただけると、嬉しいです」
「遠慮しないで、続き食べなよ」
「いえ。今は、お返事を先にしたかったので」
俺は、自分の容器を見た。
こういうところを、正面から言う人なのか。
気を取り直して、鶏肉の入ったところをすくう。
「料理があるのは、前から知ってた?」
「いいえ。ナオ様が来たことで購入出来るものが増えたのかと思われます」
「そっか。ほかにも、いろいろあるんだよ。麺とか、揚げ物とか」
「それも、ナオ様のお好きな物ですか」
「うん。甘い物なら、プリンとかアイスもある」
イドが、一覧の閉じた場所へ目を向けた。
「見てみる?」
「……あとで、お願いしてもよろしいですか」
「もちろん」
返事をしてから、彼女は手元の料理を見直した。
「ただ、毎回このように揃えていては、使うばかりになります。わたくしの分は、もっと簡素な物でも構いません」
さっきとは違う、仕事の時の声だった。
「ナオ様には、元の世界で慣れたお食事を召し上がっていただきたいですが」
「それで、イドは向かいで別の物を食うの?」
「必要でしたら」
俺は、購入履歴を開いた。
確かに、うまいからと好き勝手に使えばなくなる。
けれど、今まで楽しそうに食べていた相手へ、次からはお前だけ我慢しろとは言いたくなかった。
「使う分を決めよう。それで、その中から2人で選ぶ」
「ですが」
「俺も選びたいんだよ。一緒に食って、これうまいなって言えるやつをさ」
イドが、俺を見た。
「毎回ご馳走にしようって話じゃない。食べたい物が高かったら、稼いでからにする。俺もそうする」
彼女は購入履歴へ目をやった。
それから、自分の置いていた匙を取った。
「……それでしたら、わたくしも選びたいです」
「うん。次は何がいいか、考えといて」
「ナオ様と、一緒にいただく物を」
言い直す声が柔らかかった。
「そう。それ」
俺たちは、残りを食べ始めた。
イドは最後に残していた卵へ、ご飯を合わせてすくった。
「オムライス」
料理の名前を、確かめるように口にする。
「覚えました」
俺も、空になった容器を膝から下ろした。
食べ終えたあとまで、腹の中が温かかった。
*
【同日 午前9時50分/マスタールーム】
空の容器と匙をまとめ、回収ボックスへ保管した。
壺から注いだ水を飲みながら、さっきの街を思い出す。
「イド。こういう飯を食いに来る客も、いると思うんだ」
「わたくしなら、もう1度いただきたいです」
「よし。まず1人」
うまい飯がある。
酒が飲める。
風呂へ入って、柔らかいベッドで休める。
そこへ、綺麗な女性がいたら。
「娼館をやろう」
イドがカップを下ろした。
「お食事の話から、随分進みましたね」
「いや、飯も出す。酒も出す。風呂も欲しい。そのうえで美人と楽しく過ごせるなら、俺は毎日でも通う」
「毎日、ですか」
「たとえばイドに、明日も来てくださいねって言われたら、翌日も来る」
彼女を見て、付け足した。
「開く前から待ってるかもしれない」
イドの指が、カップの縁で止まった。
「……ナオ様は、こちらにお住まいです」
「うん。客だったらの話」
「それほどお気に召していただけたのでしたら……明日も、わたくしがお側に」
笑って言おうとしたのに、彼女の声が思いのほか優しくて、俺は水を飲んだ。
「と、とにかく。戦いたくない人でも、来たくなる場所を作りたいんだ」
「お考えは、わかりました」
イドは入口の方へ顔を向けた。
「ただ、森の中までお越しいただくなら、街のお店よりこちらを選ぶ理由が要ります。それに、お客様にも働く方にも、こちらまで歩いていただかなければなりません」
「ああ……そうか。夜に森から帰るのも、面倒だよな」
外で見た道を思い出す。
そこから、わざわざ森へ入って来てもらうのだ。
「じゃあ、最初は街で店をやろう。借りるか、買うかして」
床の上へ指で四角を描いた。
「1階は食堂。酒も出して、そのうち泊まれる部屋も作る。地下を広げて、娼館と風呂。ここまで通路を繋げれば、行き来できるだろ」
「領域の拡張と通路の工事は必要ですが、仕組みのうえでは可能です」
「よし。風呂は男湯と女湯を分けよう。肌とか髪にいい物も揃えたら、女性客にも来てもらえるし」
イドが、こちらを向いた。
「女性のお客様にも、お会いになりたいのですね」
「そこは、まあ。正直に言うと、すごく」
隠したところで、さっきの発言からだいたいわかるだろう。
「でも、来てよかったとは思ってもらいたいよ。俺に会いたいかどうかは、別として」
「お食事や、お風呂を楽しみにお越しになる方も、いらっしゃるでしょうね」
イドは描きかけの四角へ指を添えた。
「順番を決めましょう。まず街の様子を調べ、場所と必要なお金を確かめる。そのあとで、何から始めるかを」
「頼りになるな、イド。俺だけだったら、風呂を何個作るか考えてた」
彼女の指が止まった。
顔を上げると、さっきまで話していた続きを待つように、俺を見ている。
「……頼りにしていただけますか」
「してるよ。もう何回も助けてもらったし」
イドは背筋を伸ばした。
「では、わたくしにお任せください」
声が弾んでいた。
隠そうとしているらしいが、俺でもわかった。
気をよくして、店の入口まで描き足す。
「それで、肝心の店を買う金なんだけど。DPで金貨って出せる?」
「通貨そのものは、購入できません」
「そこは駄目か!」
俺は空のポケットを叩いた。
さっきから、何も増えていない。
生きる身体があって、美人の相棒がいて、食い物まで買える。
なのに、街で払う金は1枚もないのだ。
「じゃあ、売れる物を持っていこう。こっちで用意して、街で売るんだ」
「何が売れるか、相場から確かめた方がよろしいですね」
「うん。先に買い込むのはやめとく。店の値段も、飯の値段も、何も知らないし」
画面を開き直す。
大きな店を作る項目を閉じて、持ち歩ける道具を探した。
「その前に、出かける支度だな」
「はい。袋と、必要でしたら携帯できる食べ物も。まず候補を選びましょう」
イドが隣へ座り直した。
肩が触れた。
ほかに座れる場所は、いくらでもある。
だが、俺から離れる理由もなかった。
「なあ。ベッドのことも、覚えといてくれよ」
「もちろんです」
「店のこと考えてたら、忘れそうだ」
「わたくしは、忘れませんので」
念を押すような返事だった。
俺は寝台の候補を残したまま、道具の一覧へ戻った。
イドが隣から指を伸ばし、最初の袋を示した。
――――――――――
第1話リザルト
――――――――――
【開始】
保有DP:5000DP
所持金:現地通貨0
【収入】
売上:なし
受取魔石:なし
魔石のDP変換:なし
滞在・死亡・その他の変換収入:なし
【支出】
オムライス2食:8DP
飲料水10L:2DP
水壺1個:6DP
カップ2個:2DP
DP支出合計:18DP
現金支出:なし
【終了】
保有DP:4982DP
所持金:現地通貨0
未変換魔石:なし
【持ち越し】
飲料水9.4L
水壺1個
カップ2個
使用済みの食事容器と木匙2組
※容器と匙は回収ボックスに保管。




