ジェラルドの提案
その夜、マルタの宿の食堂はさながら軍議の場となった。
とはいえ、集まったのは宿屋の女将、町の何でも屋、魔法灯の管理人に飲んだくれの元作家、そして小さな子供である。
「で?どうやってその悪党をとっちめるんだい?」
腕まくりをしながらマルタは言った。
「乗り込んでぶん殴るのかい?」
「乱暴はいかん」
ジェラルドは首を振る。
「証拠もなしに騒げばこっちが捕まるだけだ。相手は新聞の紙面すら自由にできるような輩だ。権力もあるだろう。正面から殴りあっても潰されるのはこちらだ」
「じゃあどうすんだい」
「俺達には武器がある。役者っていう武器がな」
ジェラルドは私を見た。
「嘘で堕とされようが、あんたが積み上げてきたものはまだあんたの中にある。わしはその光を見た。ならば、それで殴り返せ」
「殴り返す」
「そうだ」
「……乱暴はだめなんじゃないのか?」
ジェラルドは、じろりと私を見た。何もわかってないなこいつ……という視線だった。
「人望だの評判だのは、写し絵一枚で吹き飛ぶ。だが芸は違う。目の前で客の腹を抱えさせ、泣かせて、席を立たせなくする力はどんな嘘記事にも打ち消せん。誰にも文句のつけようがないほどの芝居を打て。噂が噂を呼んで消しようがなくなるまでな」
──それで足りるのか。
だって私は一度負けているのだ。積み上げた芸も、業界中の信頼も、写し絵一枚と羅列された嘘の文字の前では何の役にも立たなかったのだ。
どれほど巧い芝居を打とうが翌朝の紙面が「あの女たらしが田舎で芝居を打っている」と書けばそれで終わる。演技だけではどうにもならないことが世の中にはあるのだ。
「……それで、私の汚名は雪がれるのか?いくら評判を取ったところであの記事が嘘だったと証明できるわけじゃない」
「そうだな」
あっさりとジェラルドは認めた。
「わしらだけではできん。だから、外に届かせる」
「外?」
「王都にはな、あんたが思っとるよりあんたを信じとる人間が残っとるはずだ。ただ、その連中は今、何もできん。そもそもあんたが生きとるかどうかも知らんのだからな」
ジェラルドは懐から一枚の新聞を取り出し、隅の小さな記事を節くれだった指で示した。
私は身を乗り出して、その数行を読み上げた。
「……『コンラート・ヴァイス氏、消息不明か 関係者は行方を掴めず』」
ほんの数行の記事だったが、なるほど、私を知る人間であれば芝居を失った私が自ら命を絶ったと想像するには十分な内容だった。
言葉を失っている私にジェラルドは続けた。
「だが、”ある地方に恐ろしく巧い芝居打ちが現れた”という噂が流れればどうだ?」
その言葉にハッと私は顔を上げた。
「そう言う噂の流れは速い。しかも芝居を観る人間ってのは、鼻が利く。あんたの芝居は名を伏せていようとも分かる奴には分かるだろうよ」
「私はまだ……コンラート・ヴァイスはまだ生きていると、舞台の上から伝えろ、とそういう事か」
ジェラルドは頷き、少しだけ笑った。
「わしらは山奥の田舎者だ。王都で何かを動かす力はない。だから、力のある誰かに動いてもらう。そのための狼煙だと思──」
「いや、待ってくれ」
一瞬ジェラルドの熱弁に納得しかけたが、いやいやと冷静になり私は手を上げた。
「気持ちはありがたい。だが現実の話をしよう。何度も言ったように俺は今、王都では醜聞の男だ。俺が劇をしようにも恐らく劇場は貸してもらえないし舞台も何も──」
「あたしに任せな」
マルタが即答した。
「宿屋の伝手を甘く見るんじゃないよ。地方の宿場町なら興行を打てる場所の当てくらいいくらでも引っ張ってこれる」
「装置と小屋は俺が作ろう」
ヘンドリックがぼそりと言った。
「旅の道具も全部俺が打つ」
続けて小さな声がした。
「……あの」
ニコだった。柱の陰から半分だけ顔を出して、消え入りそうな声で、しかしはっきりと言った。
「灯りは……灯りは、僕が、やります。あの、僕、ずっと考えてたんです。おじさんの語りに灯りを合わせたらどうなるかって。色を変えたり、水の紋様を出したり……夜空だって映せるかもしれない。まだできないけど。でも、練習します。だから──やらせてください」
私はこの無口な青年がこれほど長く喋るのを初めて聞いた。
ハッとジェラルドの方を見ると、彼は実に悪い顔をしていた。くそっ…覚えがある。あれは役者を追い込む時の演出家がする顔だ。
「脚本、装置、興行……そして照明が揃ったな」
指を四本立てて、一本ずつ折っていく。
「さて、コンラート。あと足りないのはなんだ?」
──言われるまでもなかった。そこに座る人間は、この場に一人しかいない。
私は口を開いた。開いて、閉じた。
喉が締まったわけではない。声はもう戻っている。出ないのではなく、言えないのだ。
言ってしまえば、引き受けることになる。あの街へ戻ることになる。あの客席へもう一度立つことになる。値踏みと嘲笑の視線が並んだ、あの満場の中へ。
私は、それが怖かった。
この期に及んで、まだ怖かったのだ。
──情けない話だ。
こんな私の為に、皆協力してくれると言ってくれている。それを聞いておきながら、当の本人が、「私がやる」とたったこれだけを口に出せずにいるのだ。
「おじさん」
ミレイユが私の袖をくいと引いた。
「あたしむずかしいことはわかんないけど……」
子供の目がまっすぐに私を見上げていた。
「おじさんは、わるくないんでしょ?なのにごめんなさいっていって、かくれてるのはへんだよ。わるいことしたひとがごめんなさいするんだよ。ばあばがいつもいってるもん」
世の中はそれほど単純ではない。そう切り捨てることもできた。だけど
──私はなにも悪いことはしていない。
そうだ、なにも悪いことはしていない。それなのに私は半年もの間うつむいて、名も名乗らず、山奥の宿の窓から山ばかり眺めていた。
まるで、罪人のように。
──違うだろう。
私がしていない罪で裁かれる謂れはどこにもない。
ミレイユに言われるまで私はその当たり前を忘れていた。いや、見ないようにしていた。
だってそのほうが楽だったから。
うつむいている限り、私はこれ以上傷つかずに済む。
私は天井を仰いだ。それから集まった顔をひとつずつ見た。
樽のような女将。偏屈な鍛冶屋。飲んだくれの老作家。人見知りの灯り係。そして前歯の抜けた子供。
これが社交界と自分を陥れた黒幕に挑む一座だと言ったら王都の誰が見ても笑うだろう。
だが私は楽しくなってきた。舞台の修羅場と同じような感覚。
ああ──久しぶりだ。この感じは。
座入りの日というものがこの商売にはある。稽古の初日、座組の全員が顔を揃えてこれから始まりますと頭を下げる日だ。頭を下げるたびに仕事が始まるのだと腹が決まる。
私は椅子を引いて立ち上がり、いつものようにやった。
「……皆さん、よろしくお願いします!!」
久々に腹の底から声を出した、と思う。
ミレイユが「わっ」と両手で耳を塞いだ。マルタが目を丸くし、ヘンドリックが眉を上げ、ニコが椅子から半分落ちた。
そしてジェラルドが、腹を抱えて笑い出した。
「──それでこそ、役者だ!!」
※※※
それから俄かに忙しくなった。
ジェラルドは酒を減らしマルタの店の隅で来る日も来る日も紙に向かった。
台本に向かう時のジェラルドは別人だった。ものすごい速さで書き上がった台本の題は『流れ星の帰り道』といった。
田舎町に流れ着いた仮面の旅人の物語。素顔を見せない訳ありの流れ者が町の人々と関わるうちに自分の帰る場所を見つけていく、笑いあり涙ありの一人芝居の人情喜劇。
読み終えた時、私はしばらく黙った。
「……ジェラルドさん。これは俺の話じゃないか」
「馬鹿を言え」
ジェラルドはそっぽを向いた。
「流れ者の話なんぞ世界中に掃いて捨てるほどある。……ただ、まあ、なんだ。役者に当て書きするのは座付き作家の習い性でな」
主人公が仮面をつけているのは劇の設定であると同時に私の顔を隠す仕掛けでもあった。醜聞の男コンラート・ヴァイスの顔は地方にはまず届いていないが万一ということがある。仮面の流れ者を素性不明の役者が演じる。
もっとも、仮面だけでは足りない。
「顔を隠したところで、声で割れる」
最初の読み合わせでジェラルドはそう言った。
「あんたの声は上等すぎる。都の劇場に通っとった客なら一言だけでもきづくだろう」
「そ、そうかな?」
「……自覚が無いというのも困りものだ。いいか、この舞台はあんたが生きとると示すためのもんだが、必要のない奴らにまで気づかれたいわけじゃない」
確かに、私自身袖で聞いた声だけで誰が舞台にいるか当てられるし、まして客席に一人でも古い観劇好きが混じっていればそれで終わりだ。
そこで私は、役どころそのものを変えることにした。
流れ者の男を、老人にしたのである。
喉を締め、息を浅く、語尾を掠れさせる。若い頃、老け役はさんざんやったが、あれはあくまで「老人を演じる私の声」だった。今回は違う。私という響きを一切残さないために私は自分の声を捨てなければならなかった。
これが思いのほか難物だった。
二日目で喉を潰しかけ、三日目にはジェラルドに「うるさい」と一喝された。四日目はそのうるさいとのたまった爺を観察した。老人は腹から声を出さない事に気づき、五日目からは観察の結果を披露し、ジェラルドが満足そうに頷いた。
妙な感慨があった。
この歳になって新しい引き出しが一つ増えたのだ。役者というのは業の深い生き物だとつくづく思う。降りかかった災難までいつの間にか芸の肥やしにしているのだから。
私がジェラルドと本読みに籠もっている間、他の面々もそれぞれの持ち場を動かしていた。
ヘンドリックは旅興行のための組み立て式の舞台一式を作り上げた。
板を並べ、継ぎ目に指を這わせ、低く短い呪を落とす。それだけで板と板が吸いつくように噛み合って動かなくなる、接ぎの術である。珍しいものではないのだが、その速度が異常だった。
王都の劇場お抱えの職人ですら三度四度と術をかけるというのに、彼は一度指を滑らせてそれで終わりだ。継ぎ目には隙間一つない。上に乗って踏み鳴らしても軋みすらしなかった。
「……いや、すごいな。すごい」
私は正直に感嘆した。
「王都の大道具方が見たら泣くぞ。あんた都に出れば工房が引く手あまただ」
その言葉にヘンドリックは心底けげんそうな顔で私を見た。
「都の連中は継ぎ一つにどれだけかけとるんだ」
彼は吐き捨てるように言った。
迫り出しの仕掛けも、幕を吊る滑車も、彼は同じ調子で作った。私が思いつきで「この床を割って人が出てこられるか」と言えば、三日後には割れるようになっていた。
──ちなみに、この時「ずいぶん早いな」と言ったら「二日もかかった」と不機嫌に返された。
この男の物差しは最後までよく分からなかった。
ニコは夜ごと灯りと水と光の術を磨いた。この青年の才は私の見立てをはるかに超えていた。語りに合わせて色を変える灯り。床を流れる小川の紋様。そして天井に投げられた満天の星。
初めてそれを見た夜、あまりの美しい仕上がりに言葉を失ってしまった。
「ニコ。……これ、どこで習ったんだ」
「……習って、ません。コンラートさんの炎を見た夜から、自分で」
そうか独学でこれか。王都の効果術師の工房が聞いたらひっくり返るな、きっと。
稽古は集会小屋で重ねた。観客はいつもの面々と山羊が二匹。喉はもう締まらなかった。この町の視線の中でなら私の声はどこまでも出た。
問題は──この先だった。
この町の外、知らない客の知らない視線の前で私は声を出せるのだろうか。
その答えは最初の巡業の夜に出た。
隣町の収穫祭の広場。組み立て式の舞台。詰めかけた百人ばかりの見知らぬ観客。幕代わりの布の陰で私は様子をうかがっていた。
心臓はバクバクと嫌な音を立てて、思考の隅にはあの夜の客席もちらついていた。
その時、袖から小さな手が私の袖を引いた。
ついてきていたミレイユが私を見上げてにっと笑った。前歯はまだ抜けたままだった。
「おじさん。あのね」
「……なんだい」
「へたでもいいよ」
「……そっか」
──ふ、と肩から力が抜けた。
私は舞台に出た。見知らぬ百の顔が私を見た。
仮面の下で、息を吸った。腹からではなく、浅く、喉を締めて語尾を掠れさせて。
「……よう。旅の男が一人、この町に流れ着いた話をしようか」
嗄れた老人の声が収穫祭の広場に落ちた。
あぁ……喉は──開いた。
その夜、隣町の広場で『流れ星の帰り道』は割れるような拍手をもらった。
次の町でも。その次の宿場でも。
噂は私たちの想定通りに広がった。「恐ろしく巧い、仮面の一人芝居がいる」。街道沿いの酒場で、市場で、駅で、その噂は東へ──王都のほうへ、じわじわと流れていった。
狙い通りに。
そしてその噂はやがて思いもよらぬ二人の客を私たちの客席に運んでくることになる。
──だが、それはもう少し先の話だ。




