コンラートの栄光
その写し絵が撮られるひと月前のことだった。
芸術の国、ヴァルデン。その王都は大陸内で最も劇場の多い街だといわれている。大小さまざまな舞台小屋が軒を連ね、通りにはにぎやかな呼び込みの声が飛び交っていた。
そしてその劇場街の中心にテアトル・ミレニアはある。
この国で最も格が高い劇場と言えば、王城に隣接する王立劇場ではあるが──客を呼び込む劇場として、またこの国で演劇で身を立てようと志す人間にとっては、ミレニアが実質的にはこの国の頂点だった。
芝居を志したものは皆いつかミレニアの舞台に立つことを夢見る。私ももちろんそうだった。
そして──満員の劇場の舞台に今私は立っている。
今回の演目は『竜殺しの冬』。生涯を竜狩りに捧げた老騎士が世界で最後の一頭となった竜をついに討ち果たし、雪の降りしきる戦場に一人立ち尽くす。役目を果たし終えた男の幕切れを描いた物語だ。
今日はその舞台の千秋楽──三月続いた演目の終盤、最後の山場に差し掛かっていた。
あとは物語を締める最後の別れの台詞だけ……のはずなのに。
(不味いな。雪が降ってこない)
タイトルの通り、この舞台の設定は冬。降りしきる雪の中、立ちすくむ老騎士と竜の亡骸で舞台の幕は下り、観客は終盤の雪を土産に語るというような必要不可欠なものだ。
だがその雪が──よりにもよって、千秋楽の今夜に限って降ってこないのだ。
私はちらと舞台袖に目をやった。
舞台袖では効果術師の顔が真っ青になっていた。雪が出ない。口の動きでそうだと知れた。
(あぁ、演出魔法の魔道具が凍り付いたのか)
──ここで魔法と聞いて、奇跡や神秘を起こしたり、武器としての使用の類を思い浮かべた方も多いだろう。この国にとって魔法はそうではない。街角を照らす魔法灯、大陸を縦横無尽に横断する魔道鉄道、一瞬の動きを紙に焼き付ける写し絵等々……要するに暮らしを回すための技術の一つなのだ。
劇場の演出魔法もその延長線上にある。小さな火ぐらいは誰だって灯すことができるが、舞台の上で正確に、大きく、美しくやろうと思えばそれ相応の技術や器具が必要になるのだ。その為劇場では効果術師という専門職が精密に組んだ魔道具を使う事で、舞台に雪を降らせたり、霧を這わせたり、月を昇らせたりすることができる。
その魔道具がよりにもよって今夜、千秋楽の終盤で死んでしまったのだ。
袖で演出家が舌打ちをするのが見える。皆が青ざめているのも同様に。
私と言えば──正直に言えば少し、面白がっていた。長年舞台に立っていると、現場の事故などは数え切れないほど起きるものだ。演出魔法の火が止まらない、幕は落ちる、共演者は倒れる、大道具は本番で壊れる。
そのたびにジタバタと(あくまで心の中でだが)見苦しく足掻いて藻掻いてどうにかしてきた。青ざめる暇があったら手を考えろ。それが役者の仕事だと私は思っている。
足掻いた結果、私は芝居の彩り程度であれば演出魔法を自力で使えるようになっていた。勿論大掛かりな情景は術師と魔道具の領分だが、小さな彩り程度ならば十分舞台に耐えられる技術を一通りは身につけてしまっていたのだ。
(裏方に注文を出すとしても、術を知らない役者の注文など誰も聞いてはくれないからね)
私は舞台の天井に向けて手を伸ばした。
「……千年生きた炎が消えるのだ」
立ち上がりざま、脚本にない台詞が口を衝いて出た。掌に小さく魔法陣を構築し、武骨な手のひらから細かな火の粉がほどけて吹雪のように舞い上がった。雪ではない。灰だ。千年生きた竜が燃え尽きてその灰が空から降ってくる。魔法灯の白い光の中でそれはゆっくりと客席の上へ落ちていった。
「さぞや灰は美しかろう」
客席の誰かのすすり泣きが聞こえてきた。
その音を聞いた瞬間の──あの感触を何と言えばいいだろう。こういう時、私はいつも思う。多分私はこれが味わいたくて舞台を続けているのだろうな、と。
出来に満足しながら幕は下りた。
一拍開け、万雷の拍手が劇場を揺らしていた。
※※※
「コンラートさぁぁぁぁあん!!!」
「おう、何とか終わってよかったな」
楽屋に引き上げながら私は演出術師の頭を軽くはたいた。
「すみません……本当に……なんとお詫びを……」
う〜ん、この子は真面目すぎる。真面目な奴ほど事故を自分のせいだと抱え込むが、失敗から学べる事は多いのだ。それこそ成功したとき以上に。
「詫びるどころか、感謝したいのはこっちだよ。あのアクシデントのおかげで今までで一番の台詞が出た。なあ、先生?」
鏡台の近くで腕を組んだ演出家が憎々しげに唸った。
「……ああ。筋書きより良くなっちまった。腹が立つ」
「やった。そいつは重畳」
私は声を立てて笑った。この男に「腹が立つ」と言わせたらそれは最上級の褒め言葉だ。いい歳してまだこういうことが嬉しい。困ったものだ。
周りからの返事に応対しつつ、鏡台の前に座った。舞台に立つ以上男であろうと化粧は必須である。舞台用の簡単には剥げない化粧を落としてもらわねば。
魔力を込めたコットンで顔をぬぐってもらっていると、入口から揉み手が近づいてきた。このテアトル・ミレニアの支配人補佐であるバジルだ。
「ヴァイスさん、本日も実にもう、圧巻の千秋楽で!あっ!この菓子、お好きな杏の──」
「バジル君。俺の好物は杏じゃなく無花果だよ」
「む、無花果! 明日には必ず!」
「明日は舞台やってないよ」
楽屋が沸いて、バジルは器用に一礼して退がっていった。悪い男ではないし嫌いでもないが、彼を頼りにしようと思ったことは一度もない。それが彼に対する評価である。
入れ替わりに小姓が花と封書を運んできた。一通目には名前が書かれていなかったが、それでも問題はなかった。カードには几帳面な字でこうあった。
──本日の灰は三月の雪より冷たく美しゅうございました。あぁまさか事故に感謝する日が来ようとは。素晴らしい。良いものを見せていただきました。
(やっぱりあの人の目にはばれてたか…)
オーレリア公爵夫人からだった。彼女は王都の社交界の重鎮かつ業界でも指折りの人物でもあり、舞台のことを理解し、舞台の言葉で話せる数少ない人だ。私個人としても若いころから何かと気にかけていただき、支援を頂戴し、いやはや……彼女には全く頭が上がらない。まぁ彼女の興味は素晴らしい舞台を観劇する事なのでこちらとしてもwin-win──お互い様だ。
もう一通の封書は興行筋の連名だった。千秋楽の祝宴への招きだ。
(こういう席は苦手なんだよなぁ……)
胸の内で呟いてそれでも招待状を鏡台の端に立てかけた。私は本来夜会より稽古場が性に合う人間だ。しかしこのエンターテインメントというのは想像以上に様々な人が関わり、力を合わせ、協力している。舞台に上げてもらっている身としては協力してくださった方々には頭を下げねばならない。祝ってくれるなら顔を出さねばならない。舞台に携わる者として当たり前のことだ。
(義理は、果たさねば)
ふと視線を向けると鏡の中には化粧をすっかり落とし、固めていた髪を解き、自前のくるりと柔らかい癖のついた髪の男が笑っていた。(目元に刻まれた笑い皺は歳を経るごとに深くなっていったが、年相応の魅力になっている、との評だ)
まぁ後の事は追々考えよう。今は無事に千秋楽を迎え、悪くない一日だったと喜びに浸るべきだ──と、この時の私は楽観的にそう思っていた。
このひと月後、この顔が「稀代の女たらし」として王都じゅうの紙面に晒されるとは鏡の中の私は想像だにしていなかった。
※※※
千秋楽の祝宴はそれはもう盛大なものだった。
私はまず入口で興行主たちに頭を下げ、それなりに時間をかけて広間を一周した。お世話になった劇場主や出資者に礼を、批評家には冗談を一つ。
よし、これで「義理」は果たした。あとは頃合いを見て静かに帰るだけ……
「やぁ聖人殿。帰るタイミングでも見計らっているのかな?」
言葉の通り、タイミングを見計らっていた私は背後から声をかけられた。
ヴィクトールだ。
彼は王都の演劇界で私と人気を二分するといわれる男だ。若いころからともに競い合うように舞台で切磋琢磨をしてきた舞台で生きる同志でもある。彼は仕立ての良い夜会服を身にまとい、私とは違って彼の周囲には貴族や新聞社の関係者……人間の輪ができていた。
「ヴィクトール……聖人は止めてくれよ。私はただの芝居バカ。知っているだろう?」
「芝居バカも度が過ぎれば聖人になるものさ。千秋楽のことも聞いたぞ。なんでも即興で雪を降らせたとか」
「魔道具が凍り付いたみたいでね。君も知っているだろう?舞台にアクシデントは付き物、うまく対応できてよかったよ」
「……簡単に言うが、その対応ができるものはそうはいないぞ」
彼は一度言葉を止め、ウェイターからグラスを優雅なしぐさで受け取った。私も同じようにグラスを受け取る。近くで記者が写し絵の魔道具を掲げ持ち、こちらを撮影している様子がわかる。
「しかし、珍しいな。こんな時間までいるなんて」
「義理があるからね。世話になった方々に頭を下げに来ただけだよ。じきに帰る」
「勿体ない。この部屋には、あんたに次の仕事を依頼したい人間が、五人はいるぞ」
「ありがたい話ではあるが……私は仕事をするならば納得した上で仕事を引き受けたい。こんな酒が入った頭では返事はできないよ」
「……本気で言っているのか」
「私の舞台に対するスタンスは君も知っているだろう?」
「……あぁそうだな。あんたは昔っからそう言う奴だったな」
彼はそこでグラスをこちらへ傾けた。私もそれに応え、グラスが触れ合う小さな音が鳴った。絵になったのだろう。記者の掲げ持つ写し絵が連続で起動する気配がした。
それから暫くたって、私は廊下の奥の小さな談話室に引っ込んだ。燭台が灯るだけの小さなスペースだったが私にはちょうど良かった。設置されたソファに沈んでようやく人心地がついた。あぁ……本当にこういう場は向いていない。
扉が遠慮がちに開いたのはその時だ。
「あの……お注ぎしても、よろしいでしょうか」
若い夫人だった。宴で二、三度見かけた顔。たしか興行界の有力者の後添いの奥方だ。銀盆に酒器を載せて細い声でそう言う。
「これは奥方。わざわざ恐縮です」
立ち上がりかけた私を「そのまま」と押しとどめ夫人は傍らに膝を折って酌をした。
手が震えている。緊張しているのだろうかと思った。大御所とやらに酌を仰せつかる若夫人はたいてい気の毒なほど硬くなるものだ。(私は決して大御所などではないのだが…)そう思い、私は場を和ませようと当たり障りのないことを言った。
「旦那様はお元気で?」
「え、ええ。……あの、ヴァイス様。わたくし、『竜殺し』を拝見して」
「それは嬉しいな。どの場面が──」
言いかけた時だった。
夫人の膝がかくりと崩れた。酒器が傾き、細い体がこちらへ倒れ込んでくる。私は反射的に腕を伸ばしその背を支えた。一瞬、夫人の指が私の胸元にかかった。香の匂いがふわりと鼻をかすめる。
私は夫人の肩をそっと押し戻し、体を離して立ち上がった。半歩、退く。
「慣れない席でお疲れでしょう。酒はもう結構ですから。旦那様にはよろしくお伝えください」
夫人は俯いたまま蚊の鳴くような声で詫び、逃げるように出ていった。
残された私はしばらく扉を眺めていたが残りの酒を呑み干して帰路に着くことにした。少しだけ酒を入れた頭は部屋の近くに誰がいて、誰がいなかったなど覚えてもおらず、そもそも翌朝には夫人との出来事もすっかりと忘れていた。
思い出すのは十日の後。
──思い出した時には、もう何もかもが遅かった。




