コンラートの報復
──ジェラルドの想定通りになったな。
静寂の中で、私はそう思った。
あの夜、山奥の宿屋の一室で、ジェラルドはこう言ったのだ。
「まず、『流れ星の帰り道』をそのまま王都で打つ。仮面の男としてな。告発も政治もないただの人情喜劇として評判を取れ。噂を呼べ。『あの仮面の男は何者だ』と王都じゅうが騒ぐところまで持っていけ」
「そこへ、公爵夫人が観劇会を主催なさる、と」
「そうだ。そして奴は来る」
ジェラルドは断言した。
「奴は、自分が勝ったと思っとる。勝った男は油断しきっているものだ」
ジェラルドは酒臭い息を吐いた。
「そしてその夜だけ。芝居の筋を途中から変える。まったく別のものではない。『流れ星の帰り道』の途中に流れ者の男が語る昔話としてある挿話を挟み込む」
「挿話?」
「栄光の役者が、同輩の奸計で堕とされる話だ」
ジェラルド以外の全員が息を飲んだ。
「それを、本人の前でやるっていうのかい?」
「そうだ。しかも、細部を全部本物にする」
ジェラルドは夫人の方を向く。
「記者に探らせてるんだろう?だったら日付、場所、金額……全てを詳細に報告させてくれ。何が起こったのかをそのまま台詞に織り込むからな」
再度私の方へ向き直り、ジェラルドは続ける。
「他の客は『よくできた芝居だ』と思うだけだ。だが、たった一人だけそう思えん男がいる」
ジェラルドは、トン…トン…と順を追うように卓を指で叩いた。
「なぜこいつは知っている? どこまで知っている? どこから漏れた? ……その恐怖に、一刻半、無防備で座らされる。芝居は終わらん。逃げれば目立つからな。周りは笑っているのに、奴だけがじわじわと剥かれていく」
沈黙が落ちた。
やがてマルタが、感嘆とも呆れともつかぬ声で言った。
「……あんた、悪魔だね」
「作家と言え」
「一つ、よろしいかしら」
公爵夫人が手を挙げた。
「その挿話を聞かせた後、どうやって自白させるのです。結局は席を立つだけでは?」
「そこは、まぁ役者と演出の仕事だ」
ジェラルドは私とニコを見た。
※※※
いろいろとパターンはあったが、結局私は一番効果の高そうなものを選んだ。
写し絵の偽物である。
新聞に掲載された写し絵を切り取り、舞台上でニコに動作の表面を追加させたのだ。
近くでまじまじと見てしまえばばれる程度の細工だったが、照明も調整され、遠く離れた客席から見れば自白を引き出すには十分の出来になった。
ヴィクトールは用心深い男だったので、本人自ら原本を始末していたことは記者のエルシーからの報告で把握していた。
だからこそ強烈な一打となったのだ。
──捏造で陥れられた私が使うには、あまり褒められた手ではないことはわかっている。だが私は役者であって聖人ではない。
私は舞台の上から深く息を吸い静かに言った。
「今のを聞いた方は」
最初に立ったのは一階の平土間だった。一人の女が椅子を鳴らして立ち上がった。
「ヴェ…ヴェリタス日報のエルシー・ヴォーンです。全部聞きました」
彼女は震える声で、しかしはっきりと続けた。
次に立ったのは桟敷の記録官だった。夫人が呼んでいた王都の記録所の役人である。
「ただいまの発言記録いたしました。証人は──」
「──ここにいる全員でしょう」
オーレリア公爵夫人が扇を畳んで立ち上がった。
「皆さま、たった今何をお聞きになりまして?」
答えはざわめきという形で返ってきた。
劇場の扉が静かに閉じられた。夫人が手配した衛兵がいつのまにか出入口を固めている。
ヴィクトールは桟敷で立ち尽くしていた。
顔から血の気が引いていた。彼はまだ何か言おうとしていたが、もう何を言っても遅かった。
衛兵に囲まれたヴィクトールが桟敷から引き出されていく。
彼は一度だけ振り返り、私を見た。何か言いたそうだった。だが言わなかった。私も言わなかった。
言うべきことは全部舞台の上で言ったのだ。──それで十分だった。
扉が閉まる。
劇場に奇妙な静寂が戻った。残された客がどうしていいか分からずにいる。拍手をすべきか、帰るべきか、これは芝居だったのか事件だったのか。
だから私は舞台の中央に戻り、言った。
「──お騒がせしました。皆さま、芝居はまだ途中です」
客席がどよめいた。
「幕は下ろしません。切符を買っていただいた以上、最後までお見せするのが役者の仕事です。……もっとも、今夜の演目はずいぶん妙な脇道に逸れましたがね」
笑いが起きた。今度は、心からの笑いだった。
「では、続けます。流れ者の男が自分の帰る場所を見つけるまでを……どうか、最後までお楽しみください」
灯りが戻る。ニコが迷いなく元の場面の光に合わせてきた。
舞台にまた雨が降り始める。小川が流れる。草が芽吹く。
私は仮面をつけなかった。素顔のまま流れ者の男を演じた。もう隠す必要がなかったから。
声も、私の声で演じた。この舞台に老人の喉はもう要らなかった。
──そして終幕。
天井いっぱいに夜空が広がった。
満天の星の下で旅の男が焚き火を熾す。私は掌に炎を灯した。橙の光が幻の焚き火に移る。
男は、旅を終える。
「……ながい、ながい旅だった」
私は言った。納屋の舞台で少女と山羊二匹の前で言った、あの台詞を。
「だが、悪くない旅だった」
一筋の星が夜空を流れた。
幕が下りた。
──一拍。
劇場が爆発した。
立ち上がったのは誰が先だったか分からない。前列も、後列も、桟敷も、二階も。全員立って、手を叩いていた。叫んでいた。泣いている者もいた。拍手は鳴り止まず幕を三度上げ直してもまだ鳴り止まなかった。
三度目の幕の前で私は舞台に立ち、客席を見渡した。
あの夜と同じ光景のはずだった。満場の客席。無数の目。だが今、そこにあるのは値踏みでも嘲笑でもなかった。
私は、深く一礼した。
袖の暗がりでジェラルドが杯を掲げていた。ヘンドリックが腕を組んでそっぽを向いていた。ニコが卓の前で震えていた。
そして私は、ここにいない六歳のことを思い出していた。
あの物置小屋の、壊れた長椅子。山羊が二匹。洟を啜りながら「すごいねえ」と言ってくれたたった一人の観客。
──君の言った通りだったよ。
拍手の中で、私は心の中でそう報告した。
悪いことをした人がちゃんと「ごめんなさい」を言う番になった。
さぁ、あとは約束を果たすだけだ。
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