オーレリア夫人の采配
オーレリア婦人が押さえたのは、『青銅座』だった。
座席数は三百。ミレニアには遠く及ばないが、ここには目の肥えた客が付いている。噂の火をつけるにはちょうどいい大きさだった。
舞台の下見をしつつ目を白黒させているニコにヘンドリック。中心に立ち、客が入った際の様子を考えている私に夫人は声をかけた。
「わたくしが後ろ盾についた興行を断れる劇場主はこの国にはおりませんわ。」
──ただし、と夫人は続けた。
「表向き、わたくしはこの興行と一切関わりがございません。名義は南方から来た興行師ということになっておりますわ」
「えぇ、ありがとうございます」
これは、こちらから頼んだことだった。
公爵夫人が後ろ盾についていると知れれば、ヴィクトールは必ず警戒するだろう。それでは仕掛けが成立しない。だから『流れ星の帰り道』はどこの誰とも知れない一座がたまたま王都に流れてきた興行でなければならなかった。
「……申し訳ありません。こんなにご協力していただいたのにお名前を出せず……」
私の言葉に夫人は扇で口元を覆い、くすくすと微笑んだ 。
「何を今更。名前を隠すぐらいどうということもありません。それに……」
「それに?」
夫人はいたずらっ子のような表情を見せてにやりと笑った。
「全てが終わったあと、種明かしとして名前を出した方がきっと面白いお話になりますでしょう?」
※※※
『流れ星の帰り道』は初日から評判を取った。
仮面の男が、たった一人で何役も演じ分ける。嗄れた老人の声のままに、女将になり、子供になり、鍛冶屋になる。
演技をする私からしてみれば、制約は多い。
若い役でも声は張れないし朗々と鳴らすこともできない。
だが不思議なもので縛りがあるほうが芸は冴える。使える手が少ないぶん、間と、体と、視線で語るしかなくなる。稽古の初日にはあれほど不自由だったものが、王都に着く頃には私の新しい引き出しの一つになっていた。
そして客が本当に息を呑んだのはそこだけではなかった。
ヘンドリックの舞台とニコの魔法である。
あの偏屈な鍛冶屋が組んだ舞台は、見た目こそ素朴だが、中身は化け物だった。
場面が変わるたび、床が割れる。開いた床から旅の男がせり上がってくる。背景の板が音もなく倒れて、次の場面の壁になる。柱が回転して、宿屋の内装が山道の岩に変わる。 からくりは全部、あの男の接ぎの術と滑車で動いていた。しかも一人で操作できるように組んである。裏方が少ないのだから当然だ、と本人は言っていたが王都の大道具方が十人がかりでやることを彼は一人と一組の仕掛けでやってのけていた。
そしてニコの魔法──舞台に雨を降らせた。もちろん本物ではなく、魔力で織られた幻の雨だ。それが板の上を滑って小川になり客席の最前列の足元まで流れてくる。手を伸ばせば触れられそうなのに触れれば消える。
草が芽吹き風に揺れた。そして終幕天井いっぱいに──満天の星が投じられ劇場がまるごと夜になり、その夜空を一筋の星が流れていった。
私は二人が用意してくれた素晴らしい舞台の上で心置きなく演技をすることができた。結果は──幕が下りた後の一拍を置いて、それから割れるような拍手が来た。
噂は火のように回った。
「あの仮面の男は何者だ」 「どこの一座だ。見たことも聞いたこともない」 「あの効果術は誰の手だ。ミレニアの工房にもあんな術師はおらん」 「舞台の仕掛けもだ。あんな迫りを見たことがない」
三日目には切符が売り切れ、五日目には劇場前に列ができた。
そして『ヴェリタス日報』文化面に資料室から異例の復帰を果たした一人の記者がこういう劇評を書いた。
──評者は長く劇評を書いてきたがこれほど困る舞台は初めてである。名前も素性も分からぬ男の芝居をどう批評すればよいのか。ただ一つ確かなのはこの芝居を観ずに今年の演劇を語る者がいればその者は嘘つきだということだ。
そして頃合いが来た。
オーレリア公爵夫人が社交界に触れを出した。
曰く、話題の仮面劇をわたくし主催の観劇会にて。招待状は王都の名士たちの元へ配られた。
その一通が王都演劇界の中心にいるある男の屋敷にも届いた。
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