幕間 オーレリア夫人の後悔
オーレリア公爵夫人が旅から戻ったのは、何もかもが終わってしまった後のことだった。
「死ぬまでに王国中の劇場をすべてを周りたい」という無謀な旅であったが、彼女は見事それを達成し満足そうに帰国の途についていた。
帰りの魔導列車の中で買った新聞の一面、「来季のミレニア新作」の主役内定の記事を読むまでは。
帰国したその夜、公爵夫人は自室に留守中の新聞をすべて運ばせた。高く積まれた紙の山を彼女は明け方まで一枚残らず読んだ。
最初の記事から。書き足されていく続報。夫の会見。無言の涙。御前公演の失態。降板。そして、消息を絶ったという小さな囲み記事まで。
読み終えたとき、東の空が白んでいた。
夫人は長いこと動かなかった。それから、皺の刻まれた手で新聞の一枚を静かに握り潰した。
「……わたくしが、いれば」
わたくしがこの国にいさえすれば、あの記事が出た日に社交界の全員に触れて回ることができただろうし、あの子の人となりを長年観てきた者として保証できた。少なくとも御前公演の前にあの子を舞台から降ろすことはできただろう。
──陥れられたのだ。
それは、疑う余地がなかった。すべてが誰かの筋書き通りに動いている。
そして、誰が書いた筋書きかも察しはついていた。
ヴィクトール・ケストナー。
あの男があの子に執着していたことをわたくしは知っている。夜会のたびに、あの子の名が出るたびに、あの男の笑みがほんの少しだけ硬くなるのをわたくしは知っている。あの子がいなくなるということは、彼にはメリットしかないのだ。
──だがそれだけだ。
あるのは老女の直感だけ。証拠は一片もない。
そして肝心の主役はどこにいるかも分からない。
社交界で声を上げても今さら遅いだろう。世論はとうに固まっている。声を上げても「あの公爵夫人も焼きが回った」と囁かれて終わりだ。ヴィクトールという名前を出せばなおのこと。あの男は今や王都の演劇界の中心にいるのだ。
──どうすればよい。
夫人は窓辺に立ち白みはじめた王都の街を見下ろした。劇場街の魔法灯が、朝の光に一つずつ溶けていく。
ふと、あの子がまだ名もない兵士の役をやっていた頃を思い出した。台詞が三行しかないのに客席の目がその兵士に吸い寄せられた。何をしたわけでもない。ただ立ってただ死んだだけだ。だがあの日、この街の誰よりも早くわたくしは気づいた。
あの子は本物になる、と。
「……あなたは舞台の上でしか生きられない人でしたね」
夫人は微かに笑って、それから目を伏せた。
「舞台の外の喧嘩はあなたにとっては不利でしょう。……けれど」
──あなたが望むのならば、私は手を貸すことを惜しみません。
夫人は執事を呼んだ。
「地方紙を集めなさい。王都のものは要りません。地方の、田舎の、どんな粗末な紙でも構いません。定期のものが手に入らぬなら、旅の商人に頼んで行った先の紙を買わせなさい。それと興行の触れ書きも」
「あの……奥様。何をお探しで」
公爵夫人は笑顔で答えた。
「あの子が生きているなら必ず舞台に立ちます。あの子にはそれしかできないのですから」
※※※
──それから、幾月かが過ぎた。
王都の資料室で埃を払いながら過去の劇評を綴じていた一人の女記者の耳にある噂が届く。
地方の宿場町を回っている素性の知れぬ一座がいる。仮面をつけた男がたった一人で何役も演じ分けるという。
どこの誰とも知れないのだが、観た者は皆口を揃えて言うのだそうだ。
──あんな芝居は見たことがない、と。
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