塩の道
ボルトは街道を歩いていた。ここから北の森へは、HMMWVならほんの一回の宿泊、馬車でも七日もかからない距離であったが、ボルトは歩くことを選んだ。魔女やレンチたちがいないなかで馬車に乗ると、異種族がらみのトラブルが向うからやってくるかもしれず、それなら一人旅としゃれ込むとしたのだ。
陽が西の空を降り始めた。そうなると、早々に眠る場所を探さねばならない。夕暮れともなると、空は明るいが手元はそれに反して闇色に染まる。ボルトは街道沿いにある小さな祠の横を今日の宿とする事に決めた。
祠の裏には小さな池があった。水が湧きだしているのだが、場所と水量の関係で農業には適さないようだった。そのため、旅人の喉を潤す仕事を与えられているのだ。
ボルトは荷物からクッカーを取り出し、キャンティーンに水を入れると、その辺の小枝を燃料に湯を沸かし始めた。湯が沸く間に、寝る場所にシートを敷き、ウービーの愛称で呼ばれるポンチョライナーを拡げる。
陽が木立の向こう側に落ちていく。周囲は闇の中に沈んでいく。沸いたお湯でインスタントコーヒーを溶かし、一口飲むと、今日の疲れが抜けていくようだった。
「そこの人、ご一緒させていただいてよろしいかな?」
ボルトは闇の中から声をかけられて少し驚いた。M4はザックの横に立てかけてあり、今持っているのは拳銃だけだった。ゆっくりとカップを置き、銃に手をかける。
「いやいや、怪しいものではないよ」
クッカーの火が照らす中に、一人の中年の男の顔が入ってきた。ごつい顔をしているが、そこにあるのは人懐っこそうな笑みだった。ボルトは拳銃のグリップから手を離し、敵意が無い事を見せるために両手を開いた。男も同様に手を開いて見せる。
「よろしければ、横で眠らせてもらえれば」
「ああ。そっちに木の根が無いところがある。そこでよければ」
「では」
ボルトは男が自分の背丈もあろうかと思える荷物を背負っている事に驚いた。男は一旦座ると、荷物を安定させてから背負い紐から肩と腕を抜いた。地面への座りぐあいから、荷物の重さは自分と同じ、もしくはそれ以上あるのではないかとボルトは思った。
「あんた。すげぇな」
男はボルトに照れ笑いを見せた。ボルトは予備のカップにコーヒーを注ぎ、男に手渡す。男は初めて見る取っ手が折りたためる金属製のカップを見て驚き、火の明かりの向こうに狼のようなケイナインの顔があることに、再び驚いた。
「なに、獲って食う訳じゃない」
「それなら、安心です」
クッカーに鍋を載せる。MREのメインディッシュを鍋に入れ、そこに握ってバラバラにしたクラッカーを放り込む。そしてタバスコを入れて煮込む。
「面白いことをされてる」
男は乾パンと干し肉を手に持ち、それをもぐもぐとしている。ボルトはスプーンで鍋をかき回し、味見をする。
「喰うぐらいしか楽しみが無いのでね。普段は温めないで食べてる」
ボルトはチーズスプレッドを鍋ににゅるると入れ、何度が混ぜると口に運んだ。
「ちょっと食べてみるか?」
「ええ。よければ」
ボルトはメスパンに鍋の中身を取り分け、男に渡した。男はうやうやしくそれを持ち上げて頭を下げると、自分の木のスプーンで食べ始める。
「おお、これは辛い。ですが、チーズが美味しい」
「で、一つ聞きたいんだが。その荷物は何なんだ? 量も量だし、それにすごく重そうだ」
「ああ。これは塩です。私は歩荷を生業としておりまして」
「歩荷?」
「ええ。重い荷物を町から町へ。村から村へと運ぶのが仕事です。今回は山向こうの村で採れた岩塩と、その他雑多なものを運んでいます」
男は背負子にくくりつけられた、黒猫が描かれた布に包まれた荷物を指示した。
「塩か……そんなに必要なものなのか?」
普段は料理などせず、調味料の事なぞまったく気にもしていないボルトは不思議がった。歩荷の男は、まだまだ若いですね。と表情で応え、ボルトに語った。
「塩は重要なものです。もちろん味付けのために使いますが、塩自体は人が生きるためには欠かせないものです。汗をかけば、身体から失われます。そのままにしておくと、死んでしまうんですよ。塩不足に陥って、落城した。という話もあります」
男は布の隙間から岩塩の欠片を取り出した。ややピンク色をした白い結晶である。
「北壁の中では塩はとれません。それゆえに、同じ重さの銀貨と交換されていた頃もあります。兵士の給料も塩だった時もあり、『給金』の語源にもなっていますよ」
「へぇ……じゃぁ、貴重品を運んでいる、ということか」
「まぁ、今では馬車で運ぶこともありますが、量を運ばないと運送代で赤になってしまいます。なので、私のような昔からの歩荷の出番でして。これなら、人ひとり分の代金で済みます」
男は岩塩を砕き、ひしゃげた真鍮のカップにその欠片と水、少しの糖蜜を入れてかき混ぜた。
「一日の仕事が終わった後にはこれが一番です。塩と水がいっぺんに飲めます」
ボルトは、自分のアルミのカップに男が作ってくれた飲み物を口にする。どこかで飲んだことがある。野性的だが、それが自分たちが飲んでいるアイソトニックやハイポトニック飲料だかに似た味をしていた。
「面白い味だ」
「そうでしょう? 塩の商人たち秘伝の味です」
「昔から、その、ぼっけ……いや、歩荷を?」
「いえ。以前は冒険者をやってました。まぁ、歳をとると集中力も身体の敏捷さも失われます。迷宮の中で死にたくなかったので、身体一つでできる歩荷に転職、というわけです」
「死にたくない、か……」
ボルトはダンジョンで死んだ少年や、死にかけた若いパーティの事を脳裏に描いた。
「あの頃の経験は役に立ちますよ。なので、一人仕事をこなすことができます」
男は、少し昔の事を思い出したかのような顔をして苦笑した。
ボルトと男はしばし街道での出来事などを話し合った。旅人同士の情報交換は大事である。道の向こうがどうなっているのか? 野盗や逃亡犯がいるのか? 街道沿いの村や街の様子などなどである。
クッカーの火が消える前に食器を洗う。匂いにつられた獣が来ないようにだ。火を始末し、M4を抱きながらウービーをかける。明日の朝も夜明けとともに行動するのだ。
「……ん?」
夜中。ボルトの鼻が何かを察知した。風に乗って遠くから流れてきた、すえた埃と汗が混じった匂いだった。何年も風呂に入っていないような人特有の匂いである。ボルトは反射的に飛び起きた。
「野盗だっ!」
ボルトの叫びに歩荷の男も目を覚ます。ボルトはM4にマガジンを差し込み、ザックに引っ掛けていたヘルメットを頭にかぶせる。
「街道の向こうから来る。おそらく『宿探り』だな」
宿探りとは、街道などの脇の旅人が野宿しやすい場所を回り、襲撃する者たちのことである。
「どうすれば?」
「とりあえずは祠の陰に隠れていてくれ」
そう言われた歩荷の男は荷物を背負い、ボルトの寝具を丸めてそれも背負った。ボルトは暗視装置を目の前に下ろし、スイッチを入れる。
街道の向こうから数人の人がやってくるのが見えた。その手には明らかな武器のシルエットが見えた。街道で武器を抜くような奴は、殺されても文句は言えない。ボルトは先制することに決めた。M4を構え、先頭の人物に照準し、トリガーを引いた。暗闇を引き裂く発射炎が迸り、反動が上半身をわずかに揺らす。緑色の視野の中で、シルエットが倒れるのが見えた。
「行けっ!」
ボルトの声に歩荷の男が立ちあがり、歩を進める。さすがに走ることはできなかった。
いきなり一人を失った野盗たちに戦慄が走る。暗闇に何か潜んでいる。野盗たちが目標地点としていた祠の前に、4つの緑色の光る点が見えた。そして、再び炎が奔った。飛翔音が接近するより先に、もう一人の頭が砕かれていた。
「ひ、退けっ!」
野盗たちは這う這うの体で逃げ出した。闇のなかに得体のしれない怪物がいると思ったのだ。
ボルトは野盗が退却していくのを確認すると、街道を行く歩荷の男を追った。歩荷の男は、開けたところでボルトを待っていた。
「救っていただきありがとうございます」
「いや。いつものことさ」
「あなたは、やはり……」
「ああ。北の森の魔女──その一部だ」
ボルトは男から寝具を受け取り、それをザックに入れると、背中に背負った。
「あいつらが追いかけてくるかもしれない。先に進もう。先導する」
ボルトと歩荷の男は、夜通し街道を歩いた。そして数日をかけてムーチンの街へと到着した。ボルトはそうする気は全くなかったのだが、成り行きで歩荷の男を街まで護衛することになってしまったのだ。
歩荷の男は門をくぐると、そのままある商家へと向かった。荷駄が行き来する商家の前に、背負ってきた荷物を下ろし、商家の使用人がその中身を見分する。歩荷の男は岩塩の他に背負ってきた商品を他の使用人に見せ、いくらかの金を受け取っていた。見分を終えた使用人が歩荷の男に仕事が完了した旨を書き入れた木札を渡す。男は木札を袋に入れて、背負子を背負い、その様子を眺めていたボルトのもとにやってくる。
「あとは口入屋に行くだけです。どうです? その後に一杯でも。もちろん、私が奢りますよ」
「それは、いいな──俺はよく喰うぞ。先に言っておく」
ボルトは、なんやかやでまた街に戻ってしまったことを、魔女にどういいわけすればいいのか考えながら、歩荷の男の背を追った。




