酒場にて
ボルトはまだ街にいた。
顔役に息子の遺体を引き渡した。顔役とその妻は号泣しつつも、息子を連れ帰ってきてくれたボルトに何度も頭を下げた。
ボルトは夜のとばりの下りた道を歩いていた。息子の変わり果てた姿を見て悲嘆にくれる顔役たちに、ボルトはかける言葉が無かった。幼い頃に両親を失っていることと、ケイナインは部族皆で子を育てるという風習もあり、親と子という単純な関係がピンと来なかったからでもあった。もし将来、自分が子を持つ父親になれたら、それがわかるのか、と思った。
ボルトはこのモヤモヤを抱えたまま、独り街道を帰るのは嫌だと思い、その想いを断ち切るために夜の街に出た。
裏通りはいつものような喧騒にあふれていた。あちこちにロウソクやランプの灯りはあるが、道は暗がりに覆われている。その灯りが生み出す深い影の奥で、人々の思惑がうごめいているのだ。
ボルトは店の前に転がっている酔っ払いか死体かわからない男をまたぎ、酒場の戸をくぐった。数日前に、乱闘を繰り広げたあの店である。いきなりのケイナインの登場に酒場は一瞬押し黙ったが、あの狗頭人であることに気づくと、触らぬものに、と言わんばかりに無視を決め込んだ。ボルトもこれなら厄介事が起きなくて良いと思った。
「酒と、何か喰いもんをくれ」
カウンターに寄りかかり、店の親父の顔を見ずに言う。背負っていたM4を身体の前に回し、周囲に自分が「魔女の眷族」であることをアピールする。
「お待ち」
カウンターにエールと何かの肉の煮物が出てくる。ボルトは煮物を口にし、エールをあおる。
「あんた、北の森の魔女の配下だって聞いたが、本当かい?」
「配下じゃねぇ。家族だ」
ボルトは少し鋭い視線を店の親父に向ける。親父は両手を見せて、取り消しのゼスチャーをする。ボルトはニヤリと笑ってエールを流し込む。
「だから、何か?」
「いえ。噂には聞いてたが、本物を見るのははじめてで」
「そうか」
ボルトは興味がない、と視線を店内に向けた。ランプの灯りでそれなりに明るくはあったが、それでも部屋の隅の方は暗く沈んでいる。それでも数卓の小さなテーブルとそこの椅子はほぼ埋まっている。大声と煙草の煙りがたちこめ、その中に「草」を吸うか噛むかしている独特の匂いもする。客の多くは派手な衣装を着た冒険者風の者たちと、その懐を目当てにしている娼婦たちだった。
「夜はこんなに繁盛するのか?」
「ええ。おかげさまで。なぜそんなことを?」
「いや、冒険者稼業については少し話を聞いたのと、すれ違うか、こいつでぶっ殺したぐらいしか知らなくてね」
M4を軽く叩いたボルトの言葉に親父は息をのむ。
「こんなに間近で、しかも長い時間一緒にいるのははじめてでな。冒険者っていうのは、皆こんな感じなのか?」
「いえ。違いますよ」
親父がボルトに顔を寄せる。ボルトは、エールのおかわりと、親父の口の鍵を外すために銀貨を置いた。親父は笑って銀貨をエプロンのポケットに落とし込み、エールのジョッキを置いた。
「……まぁ、ここにいるのは最近成功した連中だけです。おおかた実入りのいい仕事を終わらせたか、地下迷宮でお宝や何やらを見つけたんでしょう」
「って、ことは?」
「大半の連中は、今頃通りの隅で空きっ腹を抱えて野宿しているかと」
「ふむん」
ボルトは改めて店内を見回した。その壁の向こうには、抜きがたい現実が転がっているのだと思うと、自分は何と恵まれているのだと感じた。
「それじゃあ、ジリ貧だな」
「だから、金のない冒険者は、誰も受けないような仕事を無茶に請け負って、そして帰らない、というわけでさ」
「それでもなり手がいる」
「傍から見れば、派手で自由で、この世の春を享受している、と。一皮むけば、残酷な世界ですわ」
「いろいろ知っているようだな」
「わたしゃ、こう見えてもかつては冒険者でしたので」
「一発当てたのか?」
「そんなもんです。この店を下働きごと買い取ったわけで。それであの生活とはおさらばしたと」
親父は、食事を作り酒を運ぶ下働きの方に視線をやる。
「前から思っていたんだが……冒険者ってなんだ?」
ボルトは不思議そうに親父に聞いた。親父は数瞬あっけに取られていたが、相手が魔女の眷族であると思いなおし、エールを出しつつ言葉をつないだ。
「まぁ、簡単に言えば、危険な仕事を専門に請け負う連中って事ですわ。身体一つ、腕一本で仕事ができるので、先のことを考えなければ誰でもなれる。村や町の周辺に出てくる熊や猪を狩ったり、山道を直したり、密書を届けたりと。仕事はいろいろとありますぜ」
「そうか。ただ迷宮にもぐって怪物どもと戦うわけじゃないんだな」
ボルトは死んだあの少年の事をふと思い出した。経験のない駆け出しには荷が重かったのだと、改めて思った。
「そんな派手な仕事はあんまり無いですよ。駆け出しはそれこそ、草むしりや荷物運びからですわ」
親父の言葉を背に、ボルトは冒険者たちの方を見る。派手な色合いの服に、飾りがほどこされ、きれいに磨かれた鎧。宝石が光る指輪。櫛が入れられた髪。整えられた髭。たしかに、ここに居る者たちは、よく見かける者たちとは違った。幾多の場数を踏んできたのだろう。しかし、その先には絶望が待っているとボルトは知っていた。小国を簒奪し、魔女の殺された冒険者の末路をボルトはその眼で見ている。
「太く短く、か」
「ええ。わたしのような運に恵まれるのはほんの一握りでさ。大半は戦いの中で死にますわ。その未来を忘れるために、酒と草をやり、女をはべらすわけですな」
「あんまり良い職業とは言えんな」
「はい。でも、運が回れば宿無しや浮浪者から抜け出すこともできる。傭兵に鞍替えして、領主さまの土地を預かる身分にもなれる寸法でさ。皆、今の煤けた生活からおさらばできる、という夢を持っているんですわ」
ボルトはジョッキをカウンターに置き、戸の外に視線をやった。明るい店内とは違う、夜の闇が拡がっている。それが冒険者という明日とも知れない稼業を示していると思った。光と闇。人々は冒険者の光の部分しか見ていない。あの少年もそうだ。しかし、冒険者たちが実際に置かれているのは闇の部分だ。喰うための金も、夜露をしのげる宿屋の部屋も無い。恐怖と明日への絶望を忘れるための酒をあおることも、女を抱くこともできない者が大半なのだ。それに我慢できない者は野盗にと転げ落ちる。
「ところでお客さんは、今夜の宿はありますかな?」
親父の声にボルトは、そうだな。と思った。顔役の件で頭がいっぱいで、そんなことも忘れていた。
「いや。よければ紹介してくれ」
「いえいえ。ウチの二階に空いている部屋がありますので。よければそちらを使ってください」
「俺はケイナインだぞ。変な噂が立ったらどうする?」
「その逆ですよ。ここが、あの北の森の魔女の御用達となれば、冒険者の間でも話の種になりますゆえ」
ボルトは、目の前の親父がただの親父ではないと舌を巻いた。これほどの抜け目なさがあるゆえ、冒険者という立場から足を抜けられたのだろう。
「夜は少々うるさいですが……何なら、呼びましょうか?」
親父は丸めた指に人差し指を差し込んで、ウィンクする。ボルトは間に合っている、と言いながらエールを飲み干した。
翌朝。ボルトは下働き達と同じぐらいの刻に目を覚まし、彼彼女らが足しげく働く音の中装備を整えた。そして、音も無く階段をおりる。あまりに静かさに、下働き達が気づかないほどだった。戸をあけ、早朝のやや冷たい空気の中に出る。大きく息を吸ったら気持ち良いのかと思ったが、馬糞とゲロと草の匂いが染みついている裏通りの空気の中にいることに気づき、ふっとため息をつき門に向かって歩き出した。
裏通りの建物の陰のそこここに、毛布やマントで身を覆った冒険者たちが眠っている。その姿をコソ泥が見ている。隙があれば装備品を盗んでやろうと思っているのだ。だが、勘の良い冒険者に当たってしまうと、腕を失うだけでは済まない事を彼らは知っている。
裏通りから街道へ続く大通りに出る。すでに市が開かれており、人々が行きかっていた。ボルトはケイナインを見てびっくりする人々の中を抜け、串焼きの屋台へと向かう。腰の袋から束ねた真鍮貨を取り出して店主に渡し、代わりに羽根をむしった数羽の小鳥をそのまま串刺しにした串焼きを受け取り、水場の石に腰を下ろした。
ボルトは串焼きを骨ごとぼりぼりと食べながら、辺りを見回した。人々が忙しそうにすれ違う。ボルトは、自分が一人であることに気づいた。今までは街に出ることは魔女と一緒だったからだ。暇な時間に一人道端に座り込んでいることもあったが、完全に一人でやってきたことは無かった。
──これも悪くない。
ボルトの眼に、街の様子が今までとは違い、新鮮に見えた。まだまだ自分には成長できる面があるのだと、思った。




