戦いの前に
「旦那? いつ帰りなさるんで?」
酒場のカウンターでうとうとしていたボルトに、酒場の親父が声をかける。
「あ、ああ?」
「もう30日の長逗留ですよ。森に帰るんじゃなかったんですか?」
「いや。ここの顔役連中が、何かと仕事を頼みに来るんだ。この前なんて、若いクランを護衛して『草むしり』だ」
「草むしりですか。まぁ、駆け出しの仕事ではありますね」
「いや、それがな、大変だったんだこれが。俺も最初は草むしりなんて、ただの子供のお使いのようなもんだと思ってたんだが、全く違う。村が新しい畑を作るからって行った先には、一面のつる草だらけだ。からみあったそれを引っ張ったり切ったり。そんな中に混じっているのが毒草と変な虫だ。足長はいいさ。深い毛がないからな。俺は毛の中に虫が入ってきたら大変だ。ぼりぼり掻きながら仕事をするはめになっちまった」
「それでも、お仕事は無事に?」
「それがな、あらかた草を刈ったところで出てきたのが、なんとマンドラゴラだ。1本銀貨100枚はする大物が密生しててな。ここからが笑い話で、聞いてるとは思うが、マンドラゴラを引き抜いた時の悲鳴で足長は狂い死ぬ。だが、ケイナインは耐性があってそう簡単には死なないんだ。クランの坊主どもが見えないぐらいのところまで行ったところで、ちょいちょいと。10本ばかり抜いたな」
「そしてそれは?」
「坊主どもにくれてやった。駆け出しの連中にはいい臨時収入になったろう」
「それで、その後は?」
「何頭がいた猪や鹿を狩って……そして、本命の登場さ」
ボルトは身振り手振りで、その敵の大きさや形状を店主に説明する。
「くちばしの大きな走鳥、アックスビークだ。草を刈った時に飛び出してきたネズミとかウサギを狩ってたんだろうな。よせばいいのに、そいつはこっちに向かってきやがった」
「そしてズドンと?」
「さすがにこいつは使わなかったさ。そいつはクランの坊主どもに相手をさせたよ」
ボルトはひとしきり話した後、ふっと息を吐いた。その手元にお茶を入れたマグが置かれる。
「ちょうどいい。旦那に頼みたいことがあるんです」
親父は何か面白そうな事がある、という顔をした。
「よしてくれ、あんたも俺に仕事を頼むってか? さすがに今は疲れてる」
「いえ。その疲れを癒す、という企みでして」
「疲れを癒すだ? 神官でも雇ったのか?」
「では、こちらに」
含み笑いをする親父に導かれて、ボルトは店の奥へと行った。ドアを抜け、そこそこ大きな部屋に出る。
「何だここは?」
「ずいぶんと昔ですが、自前で肉を捌いていた時の名残ですわ」
「で、これはなんだ?」
ボルトは部屋の中に置かれている大きな桶に指さした。
「それは風呂桶です」
「風呂桶?」
「最近流行っておりましてね? 聞いてませんか? 例の発明伯爵の話を」
ボルトは「ああ」と思った。かつてシュウジと名乗っていた、あの伯爵家の息子の事である。シュウジが帰ったあと、その頭脳には「地球」の知識が残されていたのだ。彼はそれを使って、様々な施策を領内で実験し、その試行錯誤の結果が王国内のいろいろなところに広がっていた。
その中であったのが「入浴」の文化の定着である。元はシュウジが提唱した事であったが、伯爵領内での伝染病の罹患者の低下という効果がみられると、王国各地で人々は風呂に入るようになったのだった。一時は「公衆浴場」の建設も考えられたが、「人前では裸になってはならない」という宗教上の理由でそれは頓挫したのである。
「それで、何で風呂なんかを?」
「風呂に入れる娼館が流行っておりましてね。お客の職人や冒険者が汗と汚れだらけだと、ベッドの掃除の大変ですし、娼婦も嫌がる。そこで戦闘前にひとっ風呂ってわけです」
「なるほど」
ボルトは入浴自体は知らないわけではない。魔女の家では、普段からシャワーを使っている。そして、3日おきぐらいに湯船に浸かっていた。ボルト自体はあんまり好きではなかったが。
「そこで、ウチでもまねしてやってみようと思いましてね。ちょうどこの場所があったので、壁を立てて、部屋にしたわけですわ」
「湯はどうする?」
「今のところは台所で沸かしたものを持ってきます。さすがに、台所から流し込むなんていう芸当はできませんからね」
「まさか、俺を?」
「はい。旦那は風呂を知っているでしょう? ここが良いのか悪いのかを見極めてもらいたいのです」
ボルトは苦笑した。こんな依頼ならいくつでも受けてやる、という意味の視線を返す。
「で、試験はいつだ?」
「今からです」
湯船にお湯が運び込まれていく中、ボルトは装備を外し、服を脱いだ。そして、準備ができた、という声にあわせて部屋へと入った。
ふんわりとした甘い匂いがボルトの鼻をくすぐる。知らない匂いではない。
「お待ちしておりました」
「あんたは……」
ボルトを、あの二階の淑女が待っていた。薄衣をまとい、長い髪を頭の上に結い上げている。驚くボルトに、淑女は眼を細めて笑顔を返す。
「ささ、ここにお座りになって」
「そういうことか」
「ええ。そういうことですわ」
ボルトは親父がただ風呂を作ったのではなく、娼婦にここでサービスをさせ、客からさらに金をふんだくるつもりだと知った。しかし、確かに理にかなっている。ただ飯を食い、女を抱かせる。というのなら、どこでも変わりがない。商売には、何か一つ頭抜けたものが必要になるのだ。そこで娼館はこぞって「風呂」を設えるように動いたわけだ。
淑女はボルトの肩から湯を流し、石鹸を泡立て、手で優しくボルトの背を洗う。
「凄い傷」
「背中の傷は卑怯者の証だっていうが、俺のは違う。仲間を護った時についたものだ」
「それは──あなたらしい」
ボルトは頭から湯をかけられ、思わず首をぶるぶるっと振り、水滴を飛ばした。その様子を見て、淑女が笑う。
「笑うな」
「可笑しくて、つい」
淑女は泡を手に、ボルトの頭の深い毛とたてがみを洗っていく。ボルトは背中に柔らかい感触があるのに気づいた。それが何かを理解すると、不意にレンチの裸体を思い出した。いやいや、そうじゃないだろうと、ボルトは自分にツッコミを入れる。
「あら?」
淑女が鈴が鳴るような声で、ボルトにささやく。ボルトは自分の一部が硬くなっていることを悟られまいとした。
「よいのですよ? わたしは」
「いや。そんなつもりじゃない──思い出しただけだ」
「あら、可愛い」
そう言いながら淑女は、ボルトの頭にやや乱暴にお湯をかける。何度か後で、ボルトは反射的にぶるりと上半身を振り、水気をまき散らす。
「……傘が欲しいですわね」
「それより、鏡があった方がいい。俺は違うが、髭や鼻毛を気にする連中は多い」
ボルトは立ち上がり、湯船にゆっくりと入る。ぬるくはなっているが、こんな酒場で風呂に入れるというのは贅沢の極みである。それに、すぐ近くには彼女もいる。目の保養というやつだろう。二階の淑女は石鹸の泡を水で流していた。
「──水を流して大丈夫なのか?」
「ええ。ここは元は家畜を捌いていたところです。血を裏道に流すための溝がありまして……数日前に掘り起こしましたけど」
「そんなんでいいのか?」
「さあ?」
淑女は笑いながら部屋を出、しばらくして乾いた布を持ってやってきた。
「そうだな。さすがに湯が冷たくなってきた」
湯船から立ち上がると、その姿を見た彼女が驚き、そして笑った。ボルトは視線の先に気づき、肩をすくめた。
「……ああ。足長の基準だと、かなり大きいらしい」
「壊れてしまいますわ」
「あんたは試さなくていい」
ボルトは身体を拭いてもらっている中で、天井の一部をつと見た。
この街に、いろいろと縁が生まれている。俺は本当に帰れるのだろうか、と。




