駆け抜ける嵐
ボルトがその噂を耳にしたのは、街を出ようとした時だった。それは、市の屋台で飯を買っている最中、ボルトの人とは違う感度を持つ耳に入ってきた。
『あの使用人と娼婦は殺された』
ボルトは、そうひそひそと話している二人の商人の肩に手を置き、文字通り首を突っ込んだ。
「その話、詳しく聞かせてくれ」
突然のケイナインの登場に驚いた二人であったが、ボルトの力には抵抗できずにあきらめてため息をついた。
「ここだけの話だが……」
商人の話によると、今朝川岸に上がった使用人と娼婦は、駆け落ちを実行しようとしていたのだが、それを娼館に知られ、娼館の主はとあるクランに二人を殺すように依頼したというのだ。
「それはよくある事なのか?」
ボルトの言葉に商人は肯定も否定でもない表情を見せた。
「どこのクランだ?」
「あんた、何をするつもりだ」
「真相を知りたいだけだ」
「いや、あいつらに手を出さない方がいい。クランと名乗っているが、やってることは地回りだ。街の皆は心底恐れているんだ。店も迷惑料を口実として上納させられているしな。わたしらも、こんな事を話したと知られたら……」
「迷惑はかけない。居場所を教えてくれ」
商人はそのクランがたむろしているという娼館の場所をボルトに教えた。ボルトは商人の肩をぽんっと叩くと解放した。
ボルトにしてみれば何の縁も無い人物の死である。義理も義務もない。だが、心のどこかで、小さく火が燃えているのだ。その火はボルトを前に進ませた。たとえ事の真相を知ったとしても、何ができるというのか。街は変わらずに明日を迎える。ボルトは自問した。メムならどうする?
いや、今は自分が決断するのだ。もしあの二人を死に追いやったのがクランの連中なら、その報いを与える。ボルトはそう思った。それが単なる義憤であることはわかっている。だが、心は足を進ませた。
商人が言っていた娼館は、ボルトが根城にしている酒場から川を挟んで反対側にあった。あの酒場のあるところと同じような裏路地がいくつもあり、昼間だと言うのに酒と汗と安い白粉の匂いが満ちている。
「なんだおめぇは?」
路地に一歩踏み込んだボルトを男が見とがめる。派手な衣装に蛇をかたどったパッチをつけている。話に聞くクランの一員だと判断した。
「ここはおまえのような犬っころが来る場所じゃねぇ。それとも、小便でもするためか? そこにちょうどいい物干し柱があるぞ」
「そうかい」
ボルトは素早い手で男の頬をつかみ、ひねり上げた。
「話を聞かせてもらおうか」
男は両手でボルトの腕をばたばたと叩く。ボルトはひねりあげる手に力をこめた。
「やめてくれ! 頬がちぎれる」
「おうおう。何の騒ぎだ?」
近くにたむろしていた男たちがやってくる。それなりに整った服に、同じ蛇のパッチをつけていた。
「今朝方、川で上がった二人の事だ」
ボルトの言葉に、男たちの顔色が変わった。明らかに何かを知っている。
「おまえたちが殺したのか?」
男たちは答えない。その代わりにボルトを囲むように位置をずらしていく。
「そうだとしたらどうする?」
「さぁな。全員をぶちのめす事にするかな」
ボルトの視線が男たちを見分する。武器は大きくても短剣だろう。何人かはナイフを使うはずだ。
「その様子なら、自分たちがやりました、と言ってるも同然だな」
男たちの中の一人が一歩踏み出した。ボルトはそこに頬をつねっていた男を投げぶつける。それを合図に、男たちがナイフを抜き、ボルトに向かった。ボルトはスリングで胸にとめているM4を手にし、そのストックでナイフを弾き飛ばす。一瞬空になった手を見た男の顔面にストックの底を叩きこむ。位置を変え、突きかかってきたナイフを銃身で受け、からめとるように宙に飛ばした。そして、ストックをスイングして男の頬に一撃を与える。
「そんなもんか?」
その時、ボルトは後頭部に鈍い痛みを感じた。息が吐き出され、次の息がつげなかった。
「犬っころにしてはよくやるな」
かすむ視界の中で、ボルトは砂袋をぽんぽんと叩いている男を見上げた。
「こいつは噂になってる、北の森の魔女の」
誰かの声に、砂袋の男は大げさに驚いて見せる。
「へぇ! 俺はそんな奴を殴っちまったってことかい!? この後が大変だな」
「どうしますか?」
他の男の口ぶりから、砂袋の男がリーダー格だとボルトは思った。だが、後頭部の一撃により身体が言う事を聞かなかった。
「俺たちの事をどこで知ったかは知らんが、殴り込みに来たのは褒めてやろう。まぁ、俺たちがあの二人を殺したとしても、衛士は捕まえに来ねぇ。そんな度胸も義理も奴らには無いからな」
「じゃぁ……認めるんだな」
「それを知ってどうする? 魔女の犬が」
「ぶちのめすだけだ」
「地面に転がっているのにか?」
男はボルトのM4に手をかけた。そして、ボルトから引きはがした。
「そ、それは……」
「これが魔女の武器ってやつか? 迷惑料代わりにもらっておく。おい、そいつは川に放り込んでおけ」
子分たちはボルトを抱え上げると、通りを行く住民たちを蹴散らしながら川に向かい、橋の上からボルトを水面めがけて放り投げた。ボルトは水の冷たさと深さを感じながら気を失った。
「……てる? 聞こえているかしら?」
ボルトは微かに目をあけた。鼻孔にどこか甘い匂いが入ってくる。上に、酒場のあの美人の顔があった。
「起きたようね。あ、動いちゃだめ」
起き上がろうとするボルトを、娼婦はやさしく押し戻した。
「街の人が川岸で倒れているあなたを見つけてね。定宿にしているここに運びこんだ、ってわけ」
「俺はどれだけ気を失ってた」
「もうすぐ夜になるわ」
「半日か」
ボルトは身体のあちこちに力を入れてみた。幸い骨折などはしていないようだった。ただ、頭に鈍い痛みが残っているだけだった。
「……!」
ボルトの眼が驚愕で見開かれる。
「俺の銃!」
「な、なにっ?」
「俺の銃が……盗られた」
ボルトは彼女が止めるのもかまわず起き上がった。
「武器なら他にもあるじゃない」
「いや、あれは俺の右腕だ……今までも、これからも、だ」
ボルトはベッドから下り、身体を見る。プレキャリとチェストリグは椅子に載せてあった。ボルトはそれを一瞥し、拳を握りしめた。歯がぎりっと鳴る。
「行ってくる」
「どこに!?」
「銃を取り戻す。これは預かっておいてくれ」
ボルトはチェストリグから拳銃を抜き、娼婦に手渡した。
「でも、これはあなたの武器じゃない」
「これは、俺の俺に対しての戒めだ。今度は油断はしない」
ボルトはプレキャリとチェストリグをつけると、彼女が止めるのを振り切って部屋を出た。
夜の闇が街を包む。そんな中でも、その裏路地にはオレンジ色の明かりと、人の喧騒があった。
「まったく。くじ運には恵まれないな」
路地の手前で見張りをしているクランの男は、酒の入ったPETボトルをあおった。
「何が来るってわけじゃないだろ」
そんな男の前にじりっという足音がたった。男がそちらを見ると、ボルトの顔があった。
「よう」
男が声を上げる前に、ボルトは男の腕をつかみ、地面に投げ落とした。つかんでいた腕をひねり、肩関節を外す。
男の絶叫が裏路地に響き渡る。クランの男たちはそれに気づき、椅子や地面から立ち上がる。
「俺の右腕を返してもらおう」
ボルトは痛みの声を上げる男の腕から手を離し、両腕をぶらりとさせ、歩を進めた。
「なめやがって!」
ナイフを抜き突きかかってくる者をわずかな動きでかわし、手首をつかむとひねり、男の肩を自分のナイフで縫いとめさせた。足を蹴って地面に転がせると、殴り掛かってくる男に近くの椅子を滑らせて突進を止め、がら空きになった顎にアッパーを入れる。歯が数本飛び、男は倒れる。
ざわりと裏路地の空気が鳴る。街でも悪名轟くこのクランに、たった一人でカチコミをかけてきた者がいる。それだけで、ここの住民に驚きと恐怖を与えるには充分だった。浮足立ち逃げる酔客や、しなだれかかっていた男を捨て、慌てて自分の部屋に逃げていく娼婦、関係ないとばかりに荷物をかき集めて逃げる冒険者など、その流れに逆らうようにボルトは進んだ。その前には、クランの面々が立ちふさがっている。
「おとなしく返せばケガはしない」
「犬っころが、いい気になりやがって」
「今度は殺して川に放り込む」
「できるかな?」
ボルトはずいっと前に一歩足を出す。その動きに男たちは一歩下がる。ボルトは鋭い視線を男たちに向ける。自分からM4を奪った男はここにはいない。ならば、ここにいる者たちには用はない。
ボルトが進む。緊張に耐えられなくなった一人が声を上げて殴り掛かる。ボルトは姿勢を低くし、腹に重い一撃を叩きこむ。男が酒と夕食を地面に吐き出し、三歩さがって倒れる。もう一人がナイフで打ちかかる。ボルトは手でナイフの腹を叩いてかわすと、手首をつかんでひねり、ナイフの切っ先を男の腿に刺す。
「まだ続けるか? こっちはいくらでも付き合うぞ」
さすがのクランの面々も、ボルトの驚異的な戦闘力にたじろいだ。しかし、街の暗部を仕切ると自認する者たちである。名声とメンツのためには、ここで退くわけにはいかなかった。それぞれがナイフを抜き、武器の無いモノは、椅子や陶器の酒瓶を割り、その破片を手にする。
声をあげて男が突進してくる。ボルトは転がっているジョッキを男の足元に跳ね飛ばし、それにもつれて転倒する男の膝に強烈な前蹴りを叩きこむ。椅子を振り上げてくる奴の一撃をかわし、人差し指と中指で目潰しをすると、首と肩を極めて地面に叩き伏せる。
振り下ろされるナイフを叩き伏せた男の身体で受け止めると、立ち上がりざまに拳を腹と脇の下に撃ち込む。バランスを崩したところを、腕をひねりあげ肘関節を外した。
「う、うわぁ」
一人の若い男が逃げ出した。ボルトは近くの酒瓶をつかむと投げ、若い男の後頭部に命中させる。男は勢いよく地面に顔をぶつけて動かなくなる。
わずかな時間で裏路地にはうめき声だけが流れるようになった。無傷のボルトはふんっとチェストリグのずれを直し、近くの男の襟をつかんで顔を寄せる。
「どこにいる?」
男は恐る恐る娼館を指さした。ボルトはそこを見ると、男を石畳に何度か叩きつけてから立ち上がった。
ボルトからM4を奪ったクランのリーダーは、予想に反して娼館の前でボルトを待っていた。
「あんた、凄いな」
リーダーは手を叩く。その後ろの壁にM4が立てかけてある。
「だが、ここまでやったとなれば、手に縄がかかるのは確実だ。そこでだ……」
男は、自分でそれを言うのが楽しいかのようなの笑顔を見せた。
「俺たちのクランに入らないか? 今より楽に生きられるぞ」
ボルトは両腕をぶらりとさせ、その提案を鼻で笑った。
「あいにくと、自分の明日は自分で決めたくてね」
「バカな奴だ」
「よく言われる」
ボルトは構えもせず、何も考えていないような歩みを見せ、リーダーに近づいていく。
「ま、待て」
慌てたリーダーが手を前にし、ボルトを止めようとする。
「この刻になって命乞いか?」
「まぁ、話を聞け。ここは穏便に済ませようじゃないか」
「そうか。なら、俺の銃を返してもらろう」
「これか? わかった。返す、返せばいいんだな」
「それと……」
「それと……?」
ボルトはにぱっと笑った。
「一発殴らせろ」
素早い動きでボルトは距離を詰めた。そして、重い一撃をリーダーの顔面に叩き込んだ。男は鼻血と折れた歯を吐き出しながら地面に沈んだ。
「俺だったことに感謝しな。弟だったらあんたは死んでた」
ボルトはM4を取り上げ、各部を確認した。傷や何かをした形跡は無いようだった。
「さて。帰るとするか」
M4を提げて歩を進めるボルトを、近くで恐る恐る成り行きを見ていた皆が見送る。そして魔女の鉄槌が振り下ろされたのだと、ささやきあった。
翌朝。ボルトはあの酒場の一階で飯を食っていた。そこに数人の衛士と、顔役の一人がやってきた。
「何か用か?」
ボルトは驚きでおろおろする使用人や、青い顔をした親父の事をチラ見した後、そう言って、パンを口に運んだ。
「とある商会からの通報だ。昨晩、使用人に乱暴を働いただろう?」
「使用人?」
ああ、そういうことか。とボルトは理解した。大きなクランと言えども、何かの後ろ盾がなければ、街のなかではそう大きな顔はできない。あのクランを文字通り「飼って」いたどこぞの商会がいたのだ。汚い仕事を引き受ける、文字通りの「子飼い」の連中としてである。
「わかった。これを喰い終わったら……」
ボルトは最後の食事になるかもしれないと、スプーンを手にとった。メムとレンチに何と言い訳すればいいのかと、ふと思った。
「あら、旦那さまがた?」
二階から声がした。あの娼婦がゆっくりと階段を降りてくる。
「その方なら、昨晩は私と一緒でしたわ」
その言葉にボルトは驚いた。ぽかんとした視線を娼婦に向けると、彼女は軽くウィンクをした。
「それはもう激しく愛をかわしまして……何度も……それはそれは良い夜でしたわ」
娼婦は数歩進み、ボルトにしなだれかかる。
「しかし、この街ではケイナインは……」
「私が証人ですわ。それに……」
娼婦の視線に、親父がうなずく。
「その方は、昨晩はウチの二階におりました。ええ、おりましたとも。私も証人です」
「ほら」
顔役は衛士と顔を見合わせた。
「ということだ。俺は何もしてない」
ボルトの言葉に、顔役と親父は無言の会話をした。ここから先は、街の上層部同士の話になるのだろう。街としても、札付きの地回りクランが一つ潰れたぐらい、なんてことはないのだ。むしろ、都合がよかったのかもしれなかった。
顔役は衛士をつれて店を出ていく。親父はその背中を見て、大きく息を吐いた。
「ありがとよ」
娼婦は柔らかい笑顔を返した。
「いいえ。お安い御用で」
彼女はボルトの頬にキスをすると、優雅な足取りで階段を上がっていった。ボルトはその背中を無言で見送った。
「今後は、こんな騒ぎはごめんだよ」
「それは……魔女じゃなくてよかったな。メムだったら死人が出てた」
ボルトの笑みに、親父は勘弁してくれといわんばかりに、両手を広げて振って見せた。




