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3話


本日3話目の投稿です!





 屋敷に、人魚がいる。

 伝説上の生物で、国から厳重に保護を定められている、あの人魚だ。

 それを祖父が違法に入手し、大きな水槽に閉じ込めた。



 人魚が連れ込まれたのは、結婚を5か月後に控えたある日のこと。

 それ以降、屋敷は今まで以上に居心地悪くなった。

 

 伯爵は奥の間に籠って一切の仕事を放棄した。

 これまでも大したことはしていなかったが、領地から上がる報告書にすら目を通さなくなったのだ。

 少女は眉間に皺を寄せながらそれらを眺めたが、どう処理したらいいのかさっぱり分からない。


 次いで、家具が少しずつ減っていった。

 人魚の管理に金がかかるのか、伯爵が売り払っているらしい。


 行商人が来なくなり、通いの使用人が減り、庭は荒れた。


 そして、召使の少年がそばにいない時間が増えた。

 これが、少女にとっていちばん辛いことだった。




「あら、どこに行くの? こんな早くに」


 朝起きて食堂へ向かう最中に、少年を見つけた。

 フード付きのマントを羽織り、こげ茶の髪を丁寧に撫でつけて、出掛ける間際の格好だ。

 きょとんと振り返ると、少女の肩からずり落ちたガウンをそっと整えた。


「買い出しに行って、畑を確認してきます。お嬢様も温かくしてお過ごしください」


 せっかく朝から会えたのに、少年はすぐにその場を去ってしまった。

 向けられた柔らかな笑みと肩に触れた感触だけが、少女の心を慰める。


「なあに、つまらない。わたしが屋敷にいても古臭い花嫁修業をさせられるだけだと知っているくせに、置いていくなんて!」


 ぶつくさ呟きながら、今日はどのように世話係の老女から逃れようかと頭を悩ませる。

 食堂までたどり着き、冷え切った朝食の前に座り、そのまま俯いた。

 

「……連れて行ってくれても、いいじゃない。どこへでも」


 少女の瞳からぽつりと涙が零れたが、それを目撃した者はいなかった。



 *   *   *


 いつかの晩も、同じ場所で同じように俯いて、同じ言葉を呟いた。

 あの時は、少年が側にいてくれた。

 

 食堂は静かで空気は淀み、老婆がゆっくりと食器を運ぶ音だけが聞こえる。

 少女は珍しく、祖父である伯爵から食事の席に誘われたのだった。


「美しい孫娘よ、お前の結婚が決まった」


 少女の、ナイフとフォークを持つ手が止まった。

 料理が揃い、いざ食事をという時に、伯爵がそう言い放ったのだ。


「……ええと、おじい様。まだ誰とも婚約した覚えはありませんが、結婚、でしょうか……?」


「婚約は飛ばしてすぐにでも結婚したいと、先方から申し出があったのだ。一年後に式を挙げる」


「……お相手は」


 少女は声の震えを抑え、ため息のような囁き声で尋ねた。——相手は、名の知れた初老の大商人だった。


 

 一向に手が進まない少女など全く気に留めずに、伯爵はいつも通り食事を済ませ、出ていった。

 食堂には、冷えた夕食を前に呆然と座る少女と、後ろに控えていた少年がいるのみ。

 

「……お嬢様」


 声を掛けられ、少女はのろのろと振り返る。


「聞いた? 結婚ですって。伯爵家に一人だけ残された孫娘だから、爵位くらいは継がせてもらえると思ったのに」


「……お嬢様」


 領主の勉強から遠ざけられていた時点で察するべきだったかしら。

 握りこぶしを口元に当ててぼそぼそと呟いていたが、おもむろに人差し指の関節に歯を立てる。


「いよいよ資金繰りに苦労し始めたのね……。こうして売られる身になるなんて、考えてもみなかった!」


「一度落ち着いてください、お嬢様」


 歯型のついた手を恭しく両手で包まれ、少女ははっとした。

 膝をついてしゃがみ、少女を優しく覗き込む黒い瞳が見える。少女はぼろぼろと涙をこぼした。


「嫁ぎ先には当然あなたもついて来るわよね? わたしのものなんだから。それが許されなかったらどうしよう。……ねえ、あなたもわたしが結婚したらいやよね?」


「できうる限り一緒にいますよ。……それに、お嬢様がいやなことなら私もいやです。お嬢様がお辛そうで、私も胸が苦しい」


 少女の手の甲を、冷たい手が優しく撫でる。いつものようでいて、動きがぎこちない。柔らかな声が、沈むように重い。

 それを感じると、少女の涙はますます流れた。大きくしゃくり上げ、息苦しく喘ぐ。


「一生懸命考えているけど、何もいい案が浮かばない。どうしよう、こんなの嫌だわ。相手がもし格好良くて優しい人だとしてもだめ。結婚だけは嫌!」


 段々と叫ぶように声を荒くし、頭を左右に振る少女に、少年は慌てた。

 咄嗟に手を伸ばすと、椅子から崩れ落ちた少女が少年の空いた胸に飛び込む。

 尻もちをついた少年は、静かにその華奢な背中をさすった。


「……あなたも、わたしが好きよね? ずっと一緒にいたいわよね?」


「もちろんです、お嬢様」


「そういうのじゃなくて……!」


 少女は少年の胸元で顔を上げた。

 いつの間にか涙は止み、瞳は燃えるような光を宿していた。


「わたしはあなたを愛してる。あなたも同じ気持ちよね?」


 その告白を受け、少年の目元が一瞬引きつった。何かをこらえるように深く息を吸い、それからたどたどしく口角が上がる。


「……どうあがいても、私は召使ですよ。共に逃げてお嬢様が苦しい生活を強いられるくらいなら、嫁ぎ先でどうにか幸せにお過ごしいただけるようお支えした方がましです」

 

 その言葉を聞き、少女の瞳からは光が静かに消えていった。




「……連れて行ってくれても、いいじゃない。どこへでも」






次話からは一日一話を目安に投稿できたらと思います!

引き続きお付き合いいただけますと幸いです(><)


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