三、王政保持
オーストリン戦争は終結へ向かっていた。
西部戦線の砲煙は薄れ、国境では共同監視部隊の設営が始まっている。
だが、本当の難題はここからだった。
勝った後、どうするのか。
それこそが、成尾――アレクト六世が最も重視している問題だった。
王宮の大会議室には、再び重臣たちが集められていた。
長机の上には講和条約草案。
分厚い羊皮紙が何十枚も積み重なっている。
戦争が終わる。
この世界では、それだけで異常事態だった。
しかも敵国を滅ぼさず、条件付きで存続させるなど、前例が存在しない。
だから貴族たちは苛立っていた。
「甘すぎる」
「敵に情けをかけすぎだ」
「いずれ必ず裏切りますぞ」
そんな声が、連日のように上がっている。
成尾はそれを理解していた。
彼らは間違っているわけではない。
ただ、“滅ぼす以外の方法”を知らないだけなのだ。
「次の条項を説明する」
成尾は条約草案を開いた。
黒インクで書かれた見出し。
――三、王政保持。
その瞬間、空気が凍りついた。
「……は?」
「何と?」
将軍たちが顔を上げる。
成尾は淡々と読み上げた。
「オーストリン王家を存続させる」
数秒の沈黙。
そして。
「あり得ん!!」
怒号が爆発した。
「なぜ敵王を殺さない!?」
「次の反乱の火種です!」
「民衆が再び王家の旗の下に集まればどうする!」
「処刑すべきです!」
机を叩く音。
怒鳴り声。
椅子が軋む。
それでも成尾は冷静だった。
「落ち着け」
「落ち着いていられますか!」
老将軍ヴァルグが怒鳴る。
「オーストリン王家は侵略戦争の象徴ですぞ!」
「王を斬れば終わります!」
「違う」
成尾は静かに言った。
「王を殺すと、“殉教神話”になる」
会議室が止まった。
「……殉教?」
「死んだ英雄は厄介なんだよ」
成尾は椅子に腰掛けた。
「人間は、現実の王には不満を持つ。でも、死んだ王は理想化する」
彼は現代史を思い出していた。
処刑された王族。
暗殺された革命家。
敗北した独裁者。
人は死者を美化する。
特に、敗北と屈辱を抱えた国家ほど、その傾向は強い。
「もしオーストリン王を処刑したらどうなると思う?」
神官が低く答えた。
「……復讐の象徴になりますな」
「そうだ」
成尾は頷く。
「“偉大なる最後の王”って物語が作られる」
彼は指を折った。
「隠れ支持者が増える」
「地下組織が生まれる」
「遺児を担ぎ上げる奴も出る」
「百年後には“王国復興戦争”だ」
誰も反論できなかった。
なぜなら、この世界では実際にそういう復讐戦争が何度も起きているからだ。
王を殺す。
民族を弾圧する。
すると敗者は神話化される。
神話は理性では消えない。
「生きてる人間は、意外と神になれない」
成尾は続ける。
「飯も食うし、失言もするし、老いるからな」
リゼットが静かに資料をめくる。
「だから……現実のまま置いておく?」
「そうだ」
成尾は新たな条項を指した。
軍権剥奪。
徴兵権停止。
外交権制限。
王国軍解散。
代わりに。
文化・宗教・地方統合の象徴として王家を存続。
「飾りですか」
将軍が吐き捨てる。
「違う。“出口”だ」
「出口?」
「オーストリン国民にとって、“自分たちが完全には消えていない”と思える装置だ」
成尾は地図を見る。
「国家ってのは、土地だけじゃない」
「旗、歌、歴史、王家、宗教……そういう“物語”でできてる」
「全部壊すと、人間は狂う」
老将軍が苦々しく言った。
「しかし敵王は危険です」
「だから軍権を剥奪する」
「それで十分と?」
「十分だ」
成尾は断言した。
「権力を持たせず、責任だけ持たせる」
「……?」
「統治の不満は、全部あいつに向く」
数人の貴族が目を見開く。
「待て……それは」
「そう」
成尾は少し笑った。
「革命防止だ」
戦争直後の国家は不安定になる。
敗戦。
失業。
飢餓。
治安悪化。
その不満が全部、占領国へ向かえば反乱になる。
だから、“国内側の受け皿”が必要なのだ。
「オーストリン王家を残せば、民衆はまず自国政府に文句を言う」
「“なぜ負けた”」
「“なぜ守れなかった”」
「“どう立て直す”」
成尾は机を軽く叩く。
「すると憎悪が外へ爆発しにくくなる」
リゼットが小さく息を呑んだ。
「……敗者国家に、“敗者自身の責任”を持たせるんですね」
「そう」
成尾は頷く。
「全部を外敵のせいにすると、永久戦争になる」
◇
一週間後。
オーストリン旧王都グランヘイム。
成尾は講和会談のため、占領下の王宮を訪れていた。
玉座の間には、敗戦国の王――フェルディナント四世が座っている。
五十代半ば。
髭は白く、顔には深い疲労が刻まれていた。
かつて大陸最強と呼ばれた王は、今や敗者だった。
「……私を殺しに来たのではないのか」
フェルディナントは低く言った。
「違う」
成尾は答える。
「生きてもらう」
王は目を細めた。
「侮辱か」
「仕事をしてもらう」
「……何?」
成尾は講和文書を机に置いた。
「あなたには王でいてもらう」
「ただし軍は持たせない」
「外交も制限する」
「だが、民をまとめる役目は続けろ」
フェルディナントはしばらく沈黙した。
やがて掠れた声で尋ねる。
「なぜだ」
成尾は少し考えた。
「死んだ王は、美しすぎる」
「……」
「でも、生きてる王は現実だ」
食料不足にも向き合わなければならない。
税にも苦しむ。
民衆の不満も浴びる。
神にはなれない。
だから危険ではない。
「あなたには、“敗戦後の現実”を管理してもらう」
フェルディナントは苦く笑った。
「敗者処理係か」
「そうとも言う」
その時だった。
王が小さく呟く。
「……民は、私を憎むだろうな」
「たぶんな」
「貴様は残酷だ」
「知ってる」
成尾は静かに答えた。
「でも、死ぬよりはマシだろ」
フェルディナントは長く沈黙した。
やがて。
敗戦国の王は、初めて小さく笑った。
◇
帰路。
馬車の中で、リゼットが言った。
「本当に反乱は起きませんか」
「起きるよ」
「……え?」
「人間だからな」
成尾は窓の外を見る。
焼け跡の向こうで、人々が家を建て直している。
「でも、“神話”になるよりマシだ」
死んだ英雄は永遠になる。
だが、生きて税制改革に悩む王は、ただの人間だ。
「理想は危険なんだよ」
成尾は静かに言った。
「特に、“死んだ理想”はな」




