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二、領土の時限使用

 西部戦線の雪は、まだ溶け切っていなかった。


 大滝王国軍がオーストリン軍を押し返してから一ヶ月。


 国境地帯には奇妙な静寂が広がっていた。


 焼け落ちた砦。


 崩れた街道。


 放棄された攻城兵器。


 戦争の残骸だけが、白い平原に沈んでいる。


 だが、戦争そのものは終わっていなかった。


 オーストリン王国は講和交渉に応じ始めていたものの、国内では強硬派が抵抗を続けている。


 もし条件を誤れば、停戦は崩壊する。


 成尾――アレクト六世は、そのことを理解していた。


 だから彼は再び、巨大な地図を広げていた。


 王宮地下、戦略会議室。


 石壁に囲まれたその部屋には、重臣、将軍、法務官、各地方領主が集められている。


 誰もが疲弊していた。


 長引く戦争。


 増え続ける難民。


 そして、“これまで誰もやったことのない和平”への不安。


 成尾は地図の国境線を指でなぞった。


「次の議題に入る」


 彼は黒いインクで、大きく見出しを書いた。


 ――二、領土の時限使用。


 ざわり、と空気が揺れる。


「……時限使用?」


「どういう意味です?」


 成尾は答える。


「完全併合は禁止する」


 一瞬、誰も理解できなかった。


 次の瞬間。


「はぁ!?」


 怒号が炸裂した。


「何のために勝ったのです!」


「敵領を奪わぬ戦争に意味があるか!」


「兵たちは血を流したのですぞ!」


 成尾は机を軽く叩いた。


 それだけで場が静まる。


「聞け」


 彼は国境地帯に円を描いた。


「この地域は、戦後三十年間、“共同管理地域”にする」


「共同……?」


「オーストリンと大滝王国の共同統治だ」


 重臣たちが凍りついた。


「正気ですか?」


「敵国ですよ!?」


「裏切られます!」


 成尾は冷静だった。


「だから監視も共同でやる」


 彼はさらに条件を書き加えていく。


 資源は分配。


 住民移住は禁止。


 学校も共同運営。


 宗教施設保全。


 両国語教育を義務化。


 文化財破壊禁止。


 書き終わった時、会議室は墓場のように静まり返っていた。


 老将軍がようやく口を開く。


「……陛下」


「何だ」


「なぜ、敵文化を残すのです」


 その声には本気の困惑が滲んでいた。


「我々は勝者ですぞ?」


「ならば敵文化を消し去り、大滝の文化で塗り替えるべきでしょう!」


 多くの貴族が頷く。


 征服とはそういうものだった。


 言葉を奪い。


 歴史を消し。


 神を壊し。


 敗者を勝者へ同化させる。


 この世界では、それが当然だった。


 だが成尾は即答した。


「消そうとすると、地下に潜る」


「……地下?」


「地下に潜った憎悪は、百年燃える」


 誰も言い返せなかった。


 成尾は静かに続ける。


「文化ってのはな、禁止すると逆に強くなる」


 彼は現代日本で学んだ歴史を思い出していた。


 弾圧された民族。


 禁止された言語。


 奪われた宗教。


 人間は、自分の存在を否定されるほど、激しく抵抗する。


「故郷を奪われた人間は忘れない」


「親を殺された子供は忘れない」


「言葉を禁じられた民族は、必ず復讐を継承する」


 成尾は国境地帯を指差した。


「ここを完全併合した瞬間、この土地は“占領地”になる」


「ならば武力で――」


「永遠に駐屯軍を置くのか?」


 将軍が黙る。


「十年?」


「五十年?」


「百年?」


 成尾は言った。


「そんな国家は、いつか内部から腐る」


 リゼットが地図を見つめながら呟く。


「だから、“中間”を作る……」


「そうだ」


 成尾は頷いた。


「敵でも味方でもない時間を作る」


 それが冷却期間だった。


 憎悪は、熱を持ったまま接触すると爆発する。


 だから距離と時間が必要なのだ。


「三十年あれば、戦争を知らない世代が育つ」


「三十年あれば、商人が行き来する」


「三十年あれば、子供同士が友達になる」


 成尾は静かに言う。


「すると、人は“敵”を抽象化できなくなる」


 老将軍が眉をひそめた。


「抽象化?」


「“オーストリン人は皆殺しにしろ”って言葉は簡単だ」


 成尾は窓の外を見る。


「でも、昨日市場で話したパン屋の親父がオーストリン人だったら?」


「学校の先生が?」


「友達が?」


 誰も答えない。


「顔を知ると、人は憎しみきれなくなる」


     ◇


 数日後。


 共同管理地域予定地、ルーゼン市。


 成尾は視察に訪れていた。


 そこは両軍が激突した都市だった。


 城壁は崩れ、建物の半分が焼け落ちている。


 だが、市場には少しずつ人が戻り始めていた。


 大滝人。


 オーストリン人。


 互いに警戒しながらも、同じ通りを歩いている。


 成尾は広場で立ち止まった。


 そこでは子供たちが遊んでいた。


 一人が木の棒を振り回し、もう一人が叫ぶ。


「お前、大滝軍な!」


「じゃあお前オーストリン!」


 周囲の大人たちが青ざめる。


 だが次の瞬間。


「腹減ったから休戦!」


 子供たちは一緒になって笑い始めた。


 成尾は小さく息を吐く。


「……早いな」


 リゼットが隣で呟いた。


「子供は敵を長く続けられないんですね」


「大人より賢いのかもな」


 その時だった。


 一人の老人が近づいてきた。


 オーストリン人だった。


 顔には深い傷があり、片腕がない。


「本当に……学校を残すのか」


「残す」


「我々の言葉も?」


「ああ」


 老人は震える声で言った。


「なぜだ」


 成尾は少し考えた。


 そして答える。


「全部奪うと、人間は死ぬまで抵抗する」


「……」


「でも、“自分でいられる場所”が少しでも残ると、人は生きようとする」


 老人は長く黙っていた。


 やがて小さく頭を下げる。


 それは敗者の礼ではなかった。


 敵意を捨てきれないまま、それでも理解しようとする人間の動作だった。


     ◇


 その夜。


 王宮へ戻った成尾は、報告書を読んでいた。


 共同管理地域案に対し、国内貴族の反発は強い。


 “敵に甘い”。


 “文化汚染”。


 “王国の誇りを失う”。


 そんな言葉が並んでいた。


 リゼットが尋ねる。


「迷いませんか」


「何を」


「敵を残すことです」


 成尾は少し笑った。


「残るんだよ、どうせ」


「……?」


「文化も、民族も、記憶も」


 消したつもりでも、人間は地下で受け継ぐ。


 歌。


 言葉。


 恨み。


 祈り。


 そして復讐。


「だったら最初から、“消えない前提”で設計した方がいい」


 リゼットは静かに言った。


「陛下は……戦争を設計しているのではなく、“戦後”を設計しているのですね」


 成尾は答えなかった。


 窓の外では、遠く国境方面に篝火が見えていた。


 まだ完全な和平ではない。


 憎しみも残っている。


 だが。


 それでも。


 人が共に生きる仕組みを作らなければ、戦争は必ず戻ってくる。


 だから成尾は知っていた。


 勝利とは、“敵を消すこと”ではない。


 次の戦争を起こさせないことなのだと。


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