エピローグ
夏休みが終わり、愛は再開されたばかりの大学の授業を終え、筑波ホビークラブにやってきて受付に顔を出した。いつもボーとして新聞を読んでいるはずの洋介の姿は見当たらなかった。そこで、西ウイングの廊下をゆっくりと歩きながら各部屋を覗いてみた。木材工作室の中で道具の修理をしていた洋介を見つけ、明るい声で話しかけた。
「洋介さん、その様子ではあの事件は解決したようですね。これで洋介さんも筑波ホビークラブの経営者としての日常を取り戻されるんですね。私や源三郎小父様はようやく普通の生活に戻れますわ」
「いやー、愛ちゃん。またしても愛ちゃんには大変お世話になってしまいましたね。でもお蔭様で事件が解決したって昨日鹿子木さんから電話がありました。桜井さんからもお礼の電話をもらいましたよ。ホテルに宿泊して訊き込みをするというアイデアも含めて、愛ちゃん、本当に有難うございました」
「はいはい、お言葉だけでも有難く頂戴しておきますわ。また事件が起これば、経営者としての洋介さんはどこかに行ってしまうのでしょうけどね」
洋介はただ微笑むだけにしておいた。
それから一週間後、受付に鹿子木から電話があった。
「はい、筑波ホビークラブです……。何だ、鹿子木さんですか。洋介さんはやっとここの経営者らしくなって忙しく働かれていますよ。今はどこかの部屋で道具の修理か何かしていると思います。探して来ますから、一度電話を切ってお待ちいただけますか?」
「いや、それには及びません。今夜少し遅くなるかもしれませんが、筑波ホビークラブにご報告に伺いたいと思います。神尾さんにお伝えください。もし、ご都合が悪ければ、その時はお手数をお掛けしますが、ご連絡いただけないでしょうか?」
「はい、分かりました。夜遅くであれば、多分問題はないと思います。お待ちしております」
筑波ホビークラブ正面奥の壁に掛けてある大きな柱時計が午後十時を告げている時、鹿子木が受付の中に入ってきた。愛は直ぐにキッチンに入っていき、洋介は嬉しそうに出迎えた。いつも使う椅子に座ると鹿子木は直ぐに話を始めた。
「いやー、今回の事件もすっかり神尾さんのお世話になってしまいました。お蔭様でドクウツギ中毒事件の方はすっかりけりが付きました。本当に有難うございました」
「いえいえ、とんでもありません。鹿子木さんの事件解決への強い意欲の賜物ですよ」
「有難うございます。最初はどう解決しようか本当に困っていた状況でしたので、解決できてホッとしています」
そこに愛が鹿子木のための濃いめのコーヒーを淹れて運んできた。
「鹿子木さん、事件が解決して良かったですね。先ずはコーヒーを一口飲んでからお話されたらいかがですか?」
「ああ、いつも済みませんねー。今回も愛ちゃんにも随分と助けてもらったようで、有難うございました」
「お役に立てたんであれば光栄ですわ。うふふふ」
「それでは鹿子木さん、事件の結末について教えていただきましょうか。中毒事件の方は上津屋が喋ってくれたんですか?」
「尋問が始まった頃は、しらばくれていましたが、私が次々に証拠を示して追及したところ、すっかり観念したようでした。特にアパートの家宅捜索で見つけた紙袋の話をしたのが効いたようで、自分から全てを話してくれました」
「そうでしたか。やっぱり証拠をしっかりと手に入れることが最大の武器になるんですね」
「本当にその通りですね。長年刑事をやっていますから、そんなことは頭では分かっているつもりでしたが、今回は実感させられました」
「我々の推理で最後まで疑問であった、上津屋が『ドクウツギ』の果実をすり替えた理由ですが、仲間割れでもあったんでしょうか?」
「そうですね、仲間割れというよりも、下狛にとって相棒としては上津屋では物足りなく感じられるようになって、その空気を感じ取った上津屋が何とかしようと苦し紛れに打った一手だったようです」
鹿子木は洋介からの宿題であった三つの疑問の答えも伝えた。
「そうですか、下狛さんにとって上津屋さんは邪魔になってきていたんだ。上津屋さんは下狛さんのことを殺そうと思っていたんですか?」
「そこなんですがね、曖昧な答えなんです。『どっちになってもいいや』みたいな気持ちだったと言っているんですが、殺意があったかどうかは裁判では相当重要なことになるんで、どう扱うかまだ迷っているんですけどね」
「そうですか。本当に殺意を抱いていなかったのかなあ……」
「ところで、中毒事件に関してではありませんが、他の件でも大きな収穫があったんです」
「えっ、本当ですか? もしかしたら、下狛さんの結婚詐欺の証拠でも出て来たんですか?」
「いやだなあ、神尾さんは直ぐ正解を当てちゃうんだから」
「えっ、本当にそうだったんですか?」
「そうなんです。上津屋が昔の証拠をいくつか持っていて、それを洗いざらいぶちまけてくれました」
「いったいどんな証拠だったんですか?」
「そうですね、先ずはスマホの通信記録ですね」
「でも、以前上津屋さんを取り調べた時にスマホの中身も調べたんじゃないのですか?」
「勿論調べましたよ。でも実は下狛との連絡用には不正に入手した別のスマホがあって、今まで彼奴の実家に隠していたものを出してくれたんです」
「その他にも重要な証拠があるんじゃないですか?」
「そうなんです」
鹿子木は一度目を瞑って思い出すような顔になった。しばらくするとニタニタし始め、話を続けた。
「スマホの通信記録以外にも重要な証拠を持っているんじゃないのかね?」
「勿論、ありますよ」
そう言って上津屋はポケットから折り畳んだ紙を出して鹿子木の前に置いた。
「何だね、この紙は?」
「これは下狛が俺にくれた指示書みたいなもんです」
鹿子木はその紙を注意深く眺めてみた。そこには下狛と上津屋の詳しい行動予定と実行する日付とが詳細にプリントアウトされていた。
「これは誰の詐欺の時に使った計画書なんだ?」
「今から一年ちょっと前に下狛がある男に結婚詐欺を働いた時に俺にくれたんです。この頃はまだ下狛も今みたいに上手く事を運ぶことができなくて、結構俺の助けが必要だったんですよ」
「この時のあんたの役割は何だったんだね?」
「恋のライバル役と軽く脅す役の両方をやっていたんです」
「あんたの風貌からすれば、脅し役は理解できるけど、ライバル役はちょっと無理があるんじゃないかな?」
「嫌なことを訊きますね、刑事さんは。勿論変装したんですよ。長髪の鬘を付けて」
「なるほどね。それで、この辺に書かれている肉筆の文字は下狛が書いたものなんだね?」
「そうです。あの女はとにかく慎重で、普段は肉筆の文字なんて残さないようにしていたみたいですけど、この時は俺が下狛の計画をうまく呑み込めなかったんで、ボールペンで指示を書き足したんです」
「しかし、上手な字を書くんだね、下狛は。それで、この詐欺を働いた時の被害者は、穂谷慎一郎、空見篤、星丘牧人とは異なる男なのかね?」
「ああ、そうですよ。今刑事さんが言われた奴らに詐欺を働いた頃には下狛の腕が上がっていて俺の助けなんて必要じゃなかったみたいなんです」
鹿子木は頷いて心の中で大喜びしていた。
「それじゃ、下狛さん逮捕も時間の問題になっているんですね」
「そうです。何と言っても日時と詐欺の手順が記載された指示書が残っていて、それに下狛の自筆の文字が書かれていたんです。もう逃げられないでしょう。これからしっかりと捜査して更なる証拠を揃えてきっと逮捕までもっていきますよ。下狛の居場所の見当も付きそうなんです。それはそうと、下狛という女は本当に抜け目がないということが分かりました。下狛がつくばに来てホテルに泊まって桜井とのことだけをやっていたわけではなかったようなんです」
「えっ、どういうことですか?」
「あの女は次のカモを何人か目星を付けて交際する糸口を見つけようとしていたそうなんです。上津屋がそう言っていましたよ。毎日を無駄には過ごしていなかったそうです」
「『毎日を無駄に過ごさない』ですか……。凄まじい詐欺師魂とでも言ったらいいんですかねえ」
「本当にそんな感じですよね。そんな下狛にとって、上津屋を邪魔に感じて切り捨てようとしたことがとんでもない結末をもたらしたというところでしょうか」
「ところで、下狛さんは結婚詐欺の被害者たちが自分の周りに現れてきたことは当然気が付いていたはずなのに、何故悠然と振舞っていたのかは分かりましたか?」
「いや、まだ分かりません。下狛を逮捕したら尋問して訊き出そうと思っています」
「上津屋さんの話から想像すると、私はこんなことが裏で起こっていたんじゃないかと想像しちゃいます。下狛さんは最近の上津屋さんの働き方には大いに不満を感じていたのでしょうね。それで、彼女の周りに何人かの被害者たちが現れてきたことをいい機会だと思ったのかもしれません」
「どんな機会なんでしょうか?」
「上津屋さんがこれからも使い物になるかどうかを試す良い機会だと思ったんじゃないでしょうか。被害者たちをうまくさばけないようであれば、上津屋さんとは手を切るつもりだったのでしょうね」
「それじゃ、下狛はこれからずっと一人で詐欺を働こうと思ったんでしょうか?」
「もしかしたら、上津屋さんに替わる人、それもある意味でもっと優秀な人の候補を確保していたのかもしれません」
「確かに上津屋もそれに似たことを言っていました。それで上津屋はお払い箱になりそうだったので今回の犯行を思い付いたみたいでした」
「そうでしょう。他人の気持ちを本当の意味で理解し尊重することの難しさを今回の事件は示していますね。世の中、自分の思うようには展開してはいかないことが多いのではないのでしょうか。でも、自分の思い描くようになると信じて疑わない人がこの世の中には沢山存在しているんですね」
「その通りなんだと私も思います。だから事件がなくならないのでしょう。警察が忙しくなる訳です」
「そうかもしれませんね。心からご同情申し上げます。話は変わりますが、桜井さんの話を聞いていて思ったのですが、下狛翔子さんという人はとんでもなく才能溢れる人物なんじゃないでしょうか。筑波山で古くから行なわれてきた『かがい』、一般的には『歌垣』と呼ばれる行事に関する知識は付け焼刃のものではありませんよ。私などほとんど知らなかったことばかりでした。恐らくあの分野の研究者くらいの知識を持っているのではないですかね」
「本当にそうですね。でも『その知識を悪い方に使っているんじゃ、何にもならないどころか、知識なんてない方が良かった』って言えるんじゃないでしょうか」
「その通りですね。知識を悪用すると世の中の平和を乱してしまうことになるんですね。もっとまともなことに下狛さんの才能を振り向けて欲しかったなあ」
それまでじっと聞いていた愛が初めて口を開いた。
「私たちが大学まで行って勉強していることも使い方によっては社会に貢献するどころか、社会の足を引っ張ることになってしまうこともあることを肝に銘じておく必要がありますね。『何を学ぶか』ではなくて、『何のために学ぶか』から考えなくてはいけないのかもしれません」
いつになく真剣な表情の愛であった。
翌朝、珍しく早起きした洋介は、筑波ホビークラブの駐車場に出て深呼吸をした。視線を上げると、そこには左側の男体山と、見た目には分からない程ではあるものの男体山より若干高い右側の女体山とが、緑の大きな存在として洋介に迫ってきていた。
最後まで読んでいただき、本当に有難うございました。
第4弾の投稿終了後、七年半も経ってしまいました。その間、2023年に「ヒューマンドラマ」ジャンルに「アルツ、仙人、そして」を、2024年には「エッセイ」ジャンルに「あなたは『圏外おじさん』?」を投稿しました。
そして、ようやくまた、「推理」ジャンルに戻って第5弾を投稿することができました。
第6弾を投稿することができるかどうかは、現状では全く見通せませんが、できる限り挑戦してみたいとは思っています。




