エピローグ:現代に咲く、新たな絆
第11話
真夏の東京。
灼けるような陽射しが高層ビルの隙間を縫い、眩い光となって地面に降り注いでいた。
喧騒のなかにぽつりと残された、ひとつの静かな公園。
その一角に、緑深き小さな日本庭園が、まるで時の流れから取り残されたように息づいていた。
その庭の片隅に設けられた木のベンチに、一人の少年が腰掛けていた。
まだ幼さの残る、あどけない表情。
けれどどこか、言葉にできない静けさを瞳の奥にたたえていた。
彼は、もはや剣を握る者ではない。
死の病に侵された薄命の剣士でもなかった。
現代という穏やかな時を生きる、ごく普通の少年――
愛情に包まれ、健やかに育ち、何ひとつ欠けることなく、まっすぐに日々を過ごしている。
だが、ときおり。
彼の胸の奥には、言葉にならない“温かい何か”が灯ることがあった。
それは記憶ではない。
誰のものでもない、けれど確かに“在った”としか言いようのない、懐かしさのようなもの。
遠いどこかで、誰かと強く結ばれていたような……魂の深いところで、結び目がまだほどけずにいるような……。
その日も、少年は静かに池の鯉を眺めていた。
風が吹き、葉が揺れ、水面がきらきらと光を散らす。
何気ない、けれど心を安らげる時間。
──その時だった。
小さな影が、ふいに足元に近づいてきた。
視線を落とした少年の目に映ったのは、一匹の漆黒の猫。
艶やかな毛並み。しなやかな肢体。
そして何より、その瞳。
その深く透き通った瞳に、少年は思わず息をのんだ。
人ではないのに、人以上に言葉を知っているような……
いいや、言葉すら超えた“想い”を、まっすぐに伝えてくる眼差しだった。
胸の奥が、ふいに温かく、切なくなる。
猫は、まるで昔から知っていたかのように、少年の足元にすり寄った。
そして顔を上げ、「にゃあ」と一度、小さく鳴いた。
その鳴き声が、少年の心の奥に触れた。
ぽん、と軽く。
それだけなのに、涙がにじんだ。
理由なんてわからなかった。
ただ、たしかに“出会ってしまった”のだと、そう思った。
少年は、震える手でクロをそっと抱き上げた。
柔らかくて、あたたかくて、ずっと探していた“なにか”が、ようやく腕の中に戻ってきたような気がした。
クロは、抵抗することなく、その胸に身を預けた。
そして、少年の頬に、自分の頬をそっと寄せる。
その仕草は、まるでこう言っているようだった。
──やっと、会えたね。
──もう、大丈夫だよ。
少年は瞳を閉じた。
涙が、音もなく頬を伝ってこぼれ落ちる。
悲しみではない。喪失でもない。
それは、“再会”の涙だった。
心のどこかで、ずっとずっと、会いたいと願っていた存在。
生まれるよりも前から、何かを超えてつながっていたような――そんな命の記憶。
クロの瞳の奥には、深く、静かな愛情が宿っていた。
それは、時を越えても色褪せることのない“約束”の光だった。
「……ねえ、もしよかったら、うちに来ない?」
少年が、涙まじりの声でそう呟くと、
「にゃあ!」
クロは、かつてよりもずっと生き生きとした声で、力強く応えた。
その声に、少年はもう一度、涙をこぼしながらも、微笑んだ。
何かが始まった。
何かが、癒された。
少年はクロを抱いたまま、ゆっくりと立ち上がる。
強い夏の日差しが、まるで二人を祝福するように降り注いでいた。
現代の街を、少年と黒猫が並んで歩いていく。
過去の痛みも、記憶も、何も知らないはずなのに――
魂は、たしかに知っていた。
そう、これは再会なのだ。
命を越えて、時を越えて、ようやく巡り合った魂と魂。
新しい物語が、またここから静かに始まっていく。
そしてその物語には、きっともう、別れではなく希望の光が差し込んでいる。
少年の胸の奥で、小さく咲いたその光は、やがて大きく、暖かく、
これからの人生をやさしく照らしてゆくだろう。
――さようならの先に、はじめましてがある。
そのことを、少年も、クロも、確かに知っていた。