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黒猫と総司 千駄ヶ谷の庭にて  作者: みゃあ


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最後の灯り

第12話

夜の風が、薄い紙のような障子を、かすかに揺らしていた。

静寂の底に、遠くで鳴く蝉の声だけが細く響いている。


夢を…夢をみていた……。


土方は、灯りもつけずにその部屋にいた。

ただ黙って、目の前の布団を見つめていた。


 


そこには、もう声を失いかけた総司が、痩せた体を横たえている。

頬はこけ、白い息もか細く、今にも風にさらわれてしまいそうなほど。

それでも――その瞳だけは、あの日と変わらぬまま、まっすぐに、土方を見つめていた。


 


「……土方さん」


 


聞きとれぬほどの細い声で、総司が呼ぶ。

土方は応えず、ただその手を取った。

冷たさの中にまだ残る、かすかな温もりを、手のひらで確かめるように。


 


「俺は……」

「うん」

「……俺は、幸せでしたか?」


 


その言葉に、土方は答えを探した。

胸の奥で、何度も何度も言葉を探し、選ぼうとした。

けれど、どんな慰めの言葉も、どんな美しい嘘も、この夜には似合わなかった。


 


ただ、たったひとつの真実だけが、ここにある。


 


「――お前は、俺の誇りだ」


 


そう告げたとき、総司の瞳から、ひとしずくの涙が静かにこぼれた。

それは痛みの涙でも、絶望の涙でもなかった。

たぶん、心の深くにあった不安が、ようやく解けた、その安堵の涙だった。


 


「……なら、俺は、幸せです」


 


総司はそう言って、まるで子どものように微笑んだ。

儚くて、まっすぐで、どこまでも無垢な笑顔だった。


 


いつか来るとわかっていた別れは、

こんなにも冷たく、そして――こんなにも温かい。


 


「……またな、総司」


 


「……はい……副長……」


 


小さく返ってきたその声は、まるで春の陽だまりのなかで夢を見るようだった。

その夜、風はやさしく吹いていた。

星は泣いてなどいなかった。


 


ただ、ひとつの命が、

誰かの誇りとして、

静かに、静かに、旅立っていった――。


はっと土方は目を覚ます。 


 


土方は、しばらくその場から動けなかった。

握っていた総司の手は、もう何も返してこなかった。

けれどその手には、最後に残された問いが、確かに刻まれていた。


 


「……俺は、幸せでしたか?」


 


その言葉が、じわりと胸の奥に染みこんでくる。

生きることを許されず、剣を取ることも叶わず、

日々、病に蝕まれながらも、あいつは――


 


笑っていた。

笑って、生きていた。


 


それでも、最後の最後に、そんなことを聞くなんて。


 


「……バカ野郎」


 


土方は、ふっと笑った。

怒ってなんかいない。

ただ、どうしようもなく、いとおしかった。


 


「俺がお前に聞きたいよ……お前がいたから、俺は……」


 


そこまで言って、言葉は喉の奥で止まった。

込み上げるものが、どうしても言葉にできなかった。


 


灯りもつけないままの部屋で、

土方は、静かに、泣いた。


 


「……ゆっくり、眠れ」


 


それは命じるような声ではなかった。

ただ、友として、家族として――

魂に向けた、最後の祈りだった。


 


蝉の声は、もう遠くに消えていた。

夜が、ゆっくりと明けていく。


 


闇が終わるとき、

誰かの命もまた、物語としてこの世界に残るのだと――土方は知った。


 


風がそっと吹き、障子を開けた。

そして、朝日が差し込んでくる。


 


眠るように逝った総司の顔を、

そのやわらかな光が、やさしく包んでいた。


 



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