前編!
☆
「──子どもの頃に見ていた夢を大人になっても見続けているのは幸せだと思うかい?」
父さんの声が言った。
「だってそれって、子どもの頃に願った夢が大人になっても未だ叶っていないってことだろ」
その声につられるようにして、わたしは顔を上げた。
目の前には、やっと形になった試作ロボ初号機が立っていた。
無骨なフレームを組み合わせた架台に支えられいて、まだまだ自立もできないけれど。
その横には、ロボットの操縦システムを装備した銀×黒の古い改造SUV車。
「子どもの頃は、スーパーロボットのパイロットになりたかった」
ロボットと合体する操縦席を兼ねた赤色の飛行メカに憧れて、何度我らが「Vクロス号」を赤く塗り替えようと思ったか。
「でも父さん、ポインターとかデロリアンも好きでさ。車ならやっぱりシルバーだよなって、我慢したんだ」
まるで自慢するように笑う。
それがどうしたと、わたしが目をすがめてみせると、
「確かにな。結局おれ自身はトライゴーのパイロットになれなかったし」
でもこうして本物のロボットを作ることができたし、我が娘がその操縦者になった。
「それもこれも、子どもの頃の夢をずっと見続けてきたおかげだと父さんは思うよ」
その夢に付き合わされるこちらの身にもなってほしかったけれど、口から出たのは、
「よかったね。父さん」
だった。思ったよりもずっと幼い声。
それはまるで一〇歳くらいの子どもの時のような。
けれど父さんはうんうん、とうなずいて。
そして──
わたしは、死んだ。
死んだんだ。
☆
1 ええと夢、ですか?
「はい。先方さまのご希望で、食器は全てアヴィラント地球本社謹製の最高級青陶磁で統一……それはよいのですが、こちら側で主菜に指定した、ええと『メイヴ鳥のガンボ』? って、なんでしょうか?」
困ったような女の子の声に、別の女の子の声が元気よく答える。
「はいはーい、わたし知ってます! 地球圏連合帝国の古い郷土料理ですよね! ええとルインシアだっけ」
「……ルイジアナ、よ」
思わずそう口にしてから、「わたし」はやっと目を開けた。
でも何もかもがぼんやりしている。頭も重い気がする。
そんな中、ものすごくゆっくりと焦点が合ってゆく。
徐々にはっきりしてゆく目線の先で、とてつもなくゴージャスな絨毯が宙に浮いている。
まだ夢の中? ──違う。飾りだ。
ベッドの飾り。ええとなんていったっけ、天蓋? そうそう。天蓋。
天蓋付きベッド。
お姫さまとかの寝室につきものの、四方を派手なデザインのカーテンで隠せる大きなベッド。
どうやら「わたし」は、その「お姫さまのベッド」に寝かされているらしい。
半身を起こすと、しげしげと自分の体(……だよね?)を見回す。
まとっている衣装は、何重にも重ねたペティコートでスカートをぱんぱんに膨らませた、これぞお姫さま! と言わんばかりの真っ白な地球式礼装。
「そうそうルイジアナでした! ──って、あれ?」
「ですよ。ルインシアはお嬢さまの生まれ故郷で──っと、お嬢さま?」
「気づかれたようですな」
先に話し合っていた女の子たちと、そこへ新たに加わった男の人の声が言った。
みんなあからさまにほっとしたような様子。
「耳元でそんな声で話をされてたらね」
実際にはじゅうぶんこちらに気を使った抑えた声だったけれど(約一名除く)、つい「いつもの態度」できつい口調になってしまった。
……は? いつもの態度?
はて?
さっきからなぜか内心疑問だらけのわたしの前に、どちらも真っ白なふわっふわのエプロンドレスに身を包んだ女の子たちが並んで進み出る。
二人は合図したかのように、揃って大きく頭を下げた。それはもう、狂い咲きした花束のように大げさなヘッドドレスが落っこちそうなほどの勢いで。
そのまま、これまたぴたりと声を揃えて、
「申し訳ございませんでした、お嬢さま!」
それから再び揃って顔を上げると、ちょっと背の高い、黒い髪をおだんごにした少女が、
「あんなことがあった後ですし、ついぐっずりお休みとばかり」
「はいそれはもう、本当に死んだように──あわわ!」
こちらはやや小柄な青髪ツインテ頭が、慌てて口元を抑える。
あわわ、じゃない。そのツインテ、二度と解けない二重くくりの固結びにしてやろうか!
──って、ほらまた。
わたしに睨まれて思いっきりびびっているツインテ頭から、はっとして目を反らす。
一瞬、その金色の瞳が「縦」に見えたのは気のせい?
改めておだんご頭の方を見ると、そっちは普通の黒い瞳──だよね?
いやそれはともかく。
だから、こんなに意地悪だったっけ、わたし?
「……あんなこと、って?」
「覚えてらっしゃらないのですか?」
少しだけ不安の混じった声で、彼女たちの後ろに立つ、一見して初老の男の人が聞き返す。
印象的な琥珀色の瞳に七三分けの白髪。口元にはきちんと手入れされたお髭。加えて三つ揃いのセビロスーツと首元で複雑に結んだタイトスカーフという地球式礼装姿の彼に、わたしは心の混乱と不安を押し隠すように目を細めて、
「いいから聞かせて。何があったの?」
「……お嬢さまは、明日の大切な儀式に備えた事前確認の場で、突然お倒れになったのです」
「倒れた? わたしが?」
言われてみれば、確かにそんな気がするような気もする。うーん。
でもって、なんかすごくすごく長い夢を見ていたような……
うー、だめだ、思い出せない。
とりあえず、ベッドに座ったまま周りを見回てみる──ここはどこ?
一見すると、お城の中にあるお姫さまの部屋みたい。
もっとも姫さまの部屋なんて、何かの映画くらいでしか見たことないけど。
でもやっぱり本物のお城って、もっともっと古くて立派な気がする。
ここはそれよりもずっと新しく見える。どちらかというと、高級ホテルのスイートルーム、というか。
ホテル……そう、ホテルだ!
この町一番の、主に地球帝国からやって来た要人御用達の超高級ホテル(「地球帝国」って何よ? という疑問は今は無視)。
そのホテルの最上階にあるペントハウス。わたしと「父」はそこを無期限で借り切って住んでいる。いわゆるホテル暮らしってやつだ。
その「父」って? 大丈夫。これもわかる。
正しくは養父で、『レアルセア地球圏企業連合』という巨大星間企業の上席執行役員をしている。この世界ではかなりいいご身分だ。
ふむ──どこぞのオンボロ工房の主とはえらい違いだな。
工房? はてはて……?
いやいや、だから疑問は全部後回しだって。
それでは最後。一番大事な質問。
わたしは誰?
わたしは……あーやっぱりだめだ。
一番肝心な部分が思い出せない。
思わず頭に手がいって髪をわしゃわしゃ。
「あ、お嬢さま!」
おだんご頭のメイド少女が止める間もなく、わたしの髪の毛の下半分──くるくる巻いた縦ロールの銀髪がごそっと落ちた。
「うげ!?」
「ですから今回の付け髪は、ちょっと盛り過ぎで外れやすくなっておりますので、お気を付けください、と……」
「あ、ああ、そう、そうだったっけ」
付け髪──要はかつら、ウィッグか。
ああびっくりした。
目覚めてからずっと頭が重い感じがしていたけれど、元凶はこいつか。
メイド少女その二(失礼ツインテ)が掲げ持つ銀製の手鏡をのぞき込む。
見慣れた黒い瞳に、ほっと一息。
対して髪の方は、完全な銀色というよりも、ちょっとだけ青みがかった銀灰色。
ウィッグが取れて、思い切りよく肩先でぱっつんとカットした「元の姿」に戻っている。
縦ロールよりも、その方が「わたし」好みだな、と思う──って!
だからその「わたし」って誰!
……あ、待って、待って! ちょっと思い出してきたぞ。
わたしがこのホテルで一番大きな大宴会場に入った時、なぜかいきなり建物の天井が崩れ落ちたような、巨大で黒い圧倒的な力が迫ってきて、それで目の前が真っ暗になって。
でもそれと同時に頭の中が真っ白になって、そして……
そして? ……ああ、何か出てきそう。思い出しそう。
子どもの頃からなんとなくあった、ずっと心に凝っていた、何か忘れているような感覚。
大切な何か。絶対に忘れちゃいけない「何か」。
もやもやした中に、たまに垣間見える別の「何か」。
別の世界?
別の自分?
それが、また見えたような。見えてきたような。
あと少し。あと少しで、それに手が届きそうな。
もう少しで思い出しそうな、そんな気がする。
ところがそこで、あの執事風の老紳士が一歩進み出て、
「あの、お嬢さま? 御気分がよろしければ、そろそろ儀式の準備にお戻りいただきたく……」
「待った、ちょっと待った。その儀式、儀式って? なんの?」
二人の女の子と一人の男性が困ったように顔を見合わせるようにしてから、
「本当に大丈夫ですかお嬢さま?」
「また例の突発性妄想健忘症が再発──むぎゃ!」
隣の子に思いきり足を踏まれて悶絶する失礼ツインテ。
その背後で、二房の長い髪がまさしく生き物のようにうねうねとうごめく。目の錯覚なんかじゃなく、本当に動いてるっぽい。
そんなツインテを無視して、ニコッと笑うおだんご頭。
「今宵執り行われますのは、それはそれはそれはめでたくも、ご婚礼の儀でございます!」
「誰の?」
「ですからお嬢さまの」
……は?
「それって、わたしが?」
わたし、結婚するの?
「誰と?」
「それは……ええと」
言い淀むおだんご頭に代わって、執事風老紳士が、
「確か今回のお相手は、レアルセア地球圏企業連合通商部異世界間貿易担当上席役員、ロッキ・フォーエッグ・バルフォンス氏がご子息、リアン・エイド・バルフォンス氏でしたか」
バルバル……誰それ? 肩書も名前も長すぎて覚えきれんわ!
いやそんなことより!
「『今回』? 今回って?」
「恐れながらお嬢さまにおかれましては──」
「もう思い出したくもないかもしれませんが──うわたた! 足! 足踏まないで!」
「恐れ多くもめでたくも、此度で八度目のご婚礼の儀式にございます」
「…………………は?」
おめでたいのか恐ろしいのかどっちなんだ!
違う! じゃなくって!
だから婚礼って!
わたしが?
その地球企業連合なんちゃらとかいう、いかにもな大物役員の御曹司と?
しかも八度目の?
待った待った!
「結婚八回目って、わたし今何歳よ?」
老執事さんは一瞬、ひるんだように喉をごくりと鳴らすと、それでも冷静な声音で、
「こちらもめでたく今年で御年二七におなりです」
二七? って、え? にじゅゆ、なな? は?
わたしいつの間に二〇歳越えてるの?
それどころかもう三〇近いって!?
「ちなみに地球年では一九歳です! いや一八だったかな?」
「もう少し細かく申せば一八歳と七か月、といったところでしょうか?」
ツインテとおだんごのメイドコンビが、どこか悪戯っぽい口調でフォローしてくれる。
あ~~~~~。
ほっとしすぎて肩が抜けそうになる。
……そうだった。地球年と『レアル暦』じゃ、『こっち』の一年の方が短いんだった。
こっち──? こっちって、どっちがどっち?
こっちは地球……じゃないの?
あー違う。だからレアルだ──より正しくは『レアルセア』。
間違いない。それがこの世界の呼び名で。
そしてこの「わたし」──わたしは、そうだ、思い出した!
ユユカ。
わたしはユユカ。
ユユカ・ヴィー・クラブバレー。
それがこの世界でのわたしの名前──のはずだ。
「近頃は、お嬢さまくらいのお年頃ですと地球年で数えられている方が大半ですから。たまに元の歳を聞かされてびっくりされる方も少なくないようで」
わかってるなら言うな。わざとか?
そっちこそ、なんならその髭剃り落として一〇歳若返らせてやろうか!
「──お嬢さま?」
「ううん、なんでもない! なんでもないから!」
心配げな執事氏にぶんぶんと首を振って、勝手に頭に浮かんでくる嫌味な感情を振り飛ばす。
空っぽな頭で冷静に考えたいけど、とにかく疑問や謎が多すぎる!
いきなり出てくる「嫌味なもうひとりの自分」とか!
まだまだ一九、いや一八歳なのに、もう八度目の結婚式とか!
その歳ならぎりぎり結婚自体はあってもいいかもしれないけど。
でもいくらなんでも八回は多すぎだって!
だいたいその前の七回はどうなった!
「──やあ、お寝坊さん。やっとお目覚めのようで」
あれこれ考えていたら、また別の声が。
こちらはまだまだ頭がこんがらがってるっていうのに。
声のした方を見ると、真っ白な軍服調のスーツをまとった背の高い青年将校風の男がいた。
ふっかふかな絨毯の上を、こちらも純白のブーツで音もなく、こちらへ向かって歩いてくる。
いわゆる長身痩躯。緩やかにウェーブさせた豊かな金髪。顔の半分の覆うほどに大きな一枚ガラスの真っ黒サングラス(?)つけているので、瞳の色はわからない。
その背後に半分隠れるようにしている、赤い髪に白いミニワンピース姿の小さな女の子を連れている。地球年で言えば一〇歳くらい、かな。透き通るような赤色の髪を、細っこい太ももの裏まで届く長いツインテにしている。
ちらりと見えた瞳は、そこだけはわたしと同じ黒い色。
改めてよく見ると、着ているのはただのミニワンピースではなく、全体的にアニメのパイロットスーツを思わせる凝ったデザインが施されている。さらにその胸元には、とどめともいえる光り輝くようなイエローの大きなV字マーク。
見た目はおもちゃっぽいのに、でもどこか「本物感」の漂う不思議なコスチューム。
それこそ、まるでどこぞのスーパーロボットアニメに出てくる主人公たちのような。
──って、「すーぱーろぼっと」? 「あにめ」?
ほらまた知らない言葉が出てきたぞ。
あーもう! ──ていうか。
この子……はて? どこかで見覚えがあるような、ないような──
「う……!」
一瞬鋭い頭痛がして、直後いきなり頭の中にイメージが浮かぶ。
瓦礫の下に横たわる青年。
そこに覆いかぶさるようにして倒れている小さな赤い女の子。
瞳を閉じたその横顔が、ちらっと見えた彼女のそれに重なって──
はっとして顔を上げる。
「あーー!」
あの子だ!
「見つけたああああ!」
──って、何を?
あの子、って?
わたし、何を言って……? 何を見つけたって?
わたしの混乱をよそに、その声に驚いたのか、女の子は完全に青年将校風の彼の後ろに隠れてしまった。
その場に立ち止まった彼の方も、黒メガネの下に浮かべていた薄笑いが消えていて、
「もしかして、まさかお前、記憶が戻って……?」
そう言いかけた彼に、けれど他から声がかかる。
「ユキノさま!」
「レント王子!」
「フェスタリーフ少佐!」
老執事氏、おだんごメイド、失礼ツインテが三者三様に呼びかける。
「……レン、ト?」
わたしがもらしたそのほんの小さなつぶやきを、でも彼は聞き逃さなかった。
「そうだ、レント、レントだ!」
まるで何かを期待するかのように、自分の名前を連呼する。
「レント──この名前に、聞き覚えは?」
ベッドに腰かけたまま、背後にくっついている女の子と一緒にぐっと近づいてくる彼を、
ぼんやりと見上げる。
黒メガネの下の口元には、さっきまでの余裕はない。
何かを言いたそうに、もどかしそうに震えている。
どこか焦っているような、でも何かを期待するような。
さらにとうとう我慢しきれなくなったかのように、その大げさな黒メガネまで外して、
「この顔には? 見覚えはないか?」
あっさり見せた素顔の中で、わたしと同じ漆黒の瞳が不安げにこちらを見つめている。
それはまるで迷子になった子どもが誰かにすがりつくような目で──
もしかしたらこの人、最初の印象よりずっと若いかもしれない。
下手をしたら、わたしとそう違わない歳かも。
この人、こいつ、彼。ユキノ……レント? だっけ?
レント?
「あー、なんか思い出してきた。かも……」
「ほんとか!?」
もはや抱きつかんばかりに顔を寄せてきた彼に、その期待に応えるかのように、わたしは大きく頷いてみせる。
そうだ、思い出した!
「レント・ユキノ=フェスタリーフ!」
そして彼を押しのけるように立ち上がると、
「そう、あんたよ! わたしたちの世界、レアルセアを征服した異世界帝国の若き英雄!」
今度はわたしの方から、頭一つ高いところにある彼の顔を睨むように見上げて、
「このレアルセアの、わたしたちの忌むべき敵! 天敵よ!」
レント・ユキノ──二〇〇地球年前にたった三人で始めた小さな魔導ロボット工房を、天の川銀河系並びに三日月銀河系の両世界にまたがる唯一最大の大企業レアルセア地球圏企業連合にまで育て上げた伝説の存在にして現総代表。
とある魔導実験で事実上不老不死の体を得たという彼の、現代の生まれ変わり。
地球圏太陽系星王連合魔導帝国の直系皇族との婚姻権を持つ「フェスタリーフ家」の筆頭宮廷騎士。いつも素顔をあの大げさな黒メガネで隠していることから、通称「黒の王子さま」。
「……天敵、か」
ベッドから離れた彼──レントは、あの黒メガネをつけると、またわたしへと振り返った、
「そこまで嫌われていたとはね」
メガネの下の口元が、力なくふっと笑う。
そんな彼の前で、両手を腰に当ててふふん! と胸を張っていたわたしは、
「……あれ?」
あ、なんかがっかりさせちゃった?
どうも彼の期待とは違う──というか、まるっきり正反対の回答だったみたい。
でも間違ってないよね? そうだ間違っていない!
わたしは正しい!
「そう、天敵、天敵よ!」
レアルセアの宿敵ってだけじゃない。
わたしにとって、こいつはまさに天敵と呼ぶしかないお邪魔虫なのだ。
「わたしが結婚しようとする度に現われては、何もかもぶち壊して台無しにしてくれる最悪男!」
そのせいでわたしは、養父の──彼の企業連合に所属する上席執行役員の地球人御曹司たちを、片っ端から誘惑しては取っかえ引っかえする羽目になった。都合七回。
その度に「所詮は娼館街生まれの結婚するする詐欺女」だの「地球世界と異世界レアルセアとの平和的交流始まって以来最悪の極悪娘」などと呼ばれ蔑まれ、挙句の果てに、その象徴として「最悪令嬢」なるありがたくもない二つ名まで頂戴してしまった。
でもあきらめるもんか。
先の七回は、多少の差はあれ、全て計画の段階で潰されていた。
そこで八回目となる今回は、これまでの失敗を教訓に、情報管理をより徹底して挑むことにした。
先方様にもぎりぎりまで発表を控えてもらった。さらに式場もスタッフも全て父の──養父の信頼できる部下で固めることで、やっとこうして挙式前日までこぎつけることができた。
だというのに。
あと少しだったのに!
お昼に料理長と試食したガンボだって最高の出来だったのに!
「残念だったな」
謎の動揺が収まったのか、余裕を取り戻したらしい彼にふふん、と鼻で笑われた。
くっそう!
「どうしていつもいつも、いつもいつもいつも、いっつも! わたしの邪魔をするのよ!」
「だったら逆に聞くけど、きみは本当に、そんなに『彼』と結婚したいのか?」
にやついた口元のまま、いっそうからかうような口調で聞き返してくる。
いや違う。
こいつ、笑ってない。
ふざけたように大きな黒メガネ越しにかすかに見える目が、まっすぐこちらを見ている。
黒メガネよりもさらに黒い黒い、深い色の瞳で。
強い感情を深く深く沈み込ませた、とても静かな双眸で。
本気だ。本気で聞いている。
そしてわたしは、その問いに答えることができない。
何も言葉が出てこない。
なぜ?
さっきまで、あんなに乗り気だったのに──そのはずだったのに。
絶対に結婚してやる気満々だったはずのに。彼と──
「その彼、今回のお相手だって、いったい何がそこまできみの心を引き寄せたのかな?」
「それは── !」
だめだ、答えられない。
ていうか、名前はもちろん、もう顔すら満足に思い出せない。
前の七人とごっちゃになって、誰が誰やら。
我ながらひどい話だ。「最悪令嬢」の二つ名は伊達じゃない。
だいたい今回の結婚を決めたのだって、実はつい三巡週間──地球時間で言えば約二週間前のこと。
いつものように候補者リストを漁っていて、その場の思い付きで決めたのだ──決めてしまたのだ。
もしこうしてレントが来なかったら、ほんの数週間前には顔も知らなかった相手と、このまま本当に結婚していたかもしれない。
結婚して、そして──そして?
「そんな彼と結婚して、それから? どうするんだ?」
一番聞かれたくない質問を目の前の男が口にするのを、わたしは止めることができなかった。
「どうしてきみは、そんなに彼との──ろくに知りもしない地球人御曹司との婚姻にこだわる?」
「だって、だから、それは……」
「地球人の父のため? 地球とレアルセアのさらなる友好のため? それとも他に理由があるのかな? きみは本当は、何がしたいんだ? その真の目的は?」
レントの口調が、「知り合いの友人」のそれから「軍の調査官」のそれへと変わってゆく。
そこで遅まきながら、やっと気がついた。
これまで邪魔をしていたのは「レント」じゃない。「軍」だ。
地球帝国軍そのものが、わたしの「結婚」を邪魔をしていたんだ。
でも、なぜ? どうして地球軍が?
ううん、それ以前に、どうしてわたしはそんなに結婚したがってるの?
自分のことなのに──自分で決めたはずのことなのに、自分でもわからない。
「いったい何がどうなってん……あ?」
一瞬、また頭がくらっとして、世界が傾いた。
あれわたし倒れかかってる? と思った次の瞬間、目の前が真っ暗になって。
そしてわたしは。
わたしは──
☆☆
「にゃあ~?」
「──え? あ、ごめんごめん! って、うわあああ!」
はっと気がつくと目の前の鍋が焦げかけていた。
急いで火を止めて、ぐるっとひと混ぜ。
よかった、まだそこまで焦げてない。
「ふい~、ありがと、マーギ」
キッチンに立つわたしの足元でじっとこちらを見上げている銀灰色の猫が、にあ~、と、まるでため息のような声で鳴く。
「だからごめんて」
足元の猫に謝りつつ、ぐるりと周りを見回す。
うんうん大丈夫。いつもの我が家のキッチンだ。
やたらゴージャスなお姫様ベッドもないし、お調子者のメイドコンビもいない。
いやもちろん、そんなものうちにあるわけないし、いるわけないんんだけどさ。
「……にしても、今回はリアルな夢だったなあ」
最近、こうしていきなり「寝オチ」することが多くなった。
朝も昼も夜も関係ない。
家だろうと学校だろうと外出中だろうとおかまいなし。
しかも最近は、見る夢の中身がどんどん鮮明になってゆく気がする。
わたしたちの世界が魔法にかかって、はや一〇年。
いや一五年か。
最近になって、世界のあちこちでわたしのような人が増えているらしい。
夢の中で世界が滅ぶのを見たとか、世界に何か起こる前兆だって言う人もいる。
わたしの夢は、いまのところそこまで大げさなものではなさそうだけど。
でもやっぱり気になる──って!
「やばいやばい、料理の途中だってば!」
我が家の日曜日お昼の定番料理。
猫のガンボ──といっても、それはもちろん「猫入りガンボ」って意味じゃなくて。
そうじゃなくて、猫にも食べられるように作った、我が家特製ガンボのこと。
ガンボっていうのは、もともとはアメリカはルイジアナ州の郷土料理。
亡き母の故郷の味。
でも今では、我が愛猫のせいですっかり和風煮込み汁と化している。
最初から彼、猫のマーギに分けるつもりで、塩分とパイスは控えめに。
代わりにカツオだしを効かせて、あっさり系に仕上げてある。
「もうちょっとで完成だから、待っててねマーギ」
ほどよく冷ましてから汁気を軽く切り、鶏肉とかの具材だけをカリカリに混ぜる。
少しだけしっとりしたカリカリの食感が、マーギのお気に入りだ。
最近すっかり歯が弱くなってきたアメショもどき。母方のそれを受け継いだわたしの髪と同じ色──銀灰色の毛並みも相当くたびれている。
でもまだまだ元気! ……だよね?
ガンボ作りの間に食べようと買っておいた水原堂のたいやきを横目に、手早く混ぜ混ぜ。
──と、そこで着信音がして、ダイニングテーブル上のスマホが踊り出した。
「なに父さん……は? 爆発う? 工房で? ちょっと待って──父さん? 父さん!?」
マーギ用の皿にガンボをぶち込み(そんな嫌そうな顔してくれるなって。味は一緒だから)、たいやきを一口だけ齧って(あんこ熱っ! でもうま!)外したエプロンを投げ捨てつつ、その辺にあった工房のネーム入りジャケットを羽織る。
「でか! ──父さんのか」
まあいい。とにかく後はスマホだけを手に玄関を出る。
電波状況が悪いらしく、何度か「緊急通報」を試したものの、警察も消防も繋がらない。
父さんとの連絡もつかないし、とにかく現地へ行くしかない。
キー代わりのスマホで、隣の納屋に停めてある銀×黒ツートンの中古4WDのロックを解除。
中古とはいえこの車は、父さんとその助手(一応わたしの幼なじみだったりする)が、やりたい放題手を入れまくった、いわゆる「魔改造車」というやつだ。
だいたいまず丸いハンドルがない。代わりにあるのは左右に分かれた二本の操作レバー。
一応「ツインステアスティック」なんて名称がついているけれど、そんなんレバーで上等!
他にも、ダッシュボードを埋め尽くすように居並ぶ各種のモニタ画面や計器類とか。
自動車の運転席というより、デジタルとアナログが混在していた時代の戦闘機のコクピット。
画面の数やそこに映し出される情報量に圧倒されそうになるけれど、そのほとんどは車の運転には必要のないはったりだ。普通に地面を走ってる限りはガン無視くれてやればいい。
ジャングルジムのように張り巡らされたロールケージを潜るようにして車内へ潜り込み、わたし用にオフセットされたカーボン製バケットシートの四点式シートベルトを手早く締める。
オーバーサイズのジャケットがちょっと邪魔。それ以外は、レバーでの運転操作も含めて何度も練習しているので迷いはない。
とはいえ正式に自動車の運転免許を取ったのは、実はほんの一か月前だったりする(もちろん丸いハンドルで)。
これほど誕生日が待ち遠しかったのは、小学生の時にルイジアナで迎えた誕生日以来かも。
あの時は、母さんの親戚一同が集まって盛大なパーティーを開いてくれたっけ。
本場のガンボを食べたのも、この時が最初。入っていたのが鶏じゃなく鳩の肉だと聞かされて思わず泣いてしまったのもいい思い出……かな? おいしかったし。
いやいや、思い出に浸ってる場合じゃない。とにかく出発!
出発、するぞ! こほん……では、せーの!
「──エンジン、スタート!」
いやその……これは別にノリノリで叫んでるわけではなく(この状況でそんなテンションだったらヤバいって)。
そうではなくて、この車はこれが「仕様」なのです。
ヘッドライトを点けるには「ライトオン!」、雨が降ったら「ワイパーブレード!」。
……マジです(アメフルナゼッタイ)。
とにかくエンジンはかかった! ので、次はハンドル代わりの二本の「レバー」を握りつつ、教習車の要領でサイドミラーやバックミラーを確認する──が。
「だから見えないって……!」
もとよりデザイン優先の車体に加えて車内も大改造されているので、とにかく視界が悪い。
助手席側のサイドミラーはぶっといロールケージに隠れてるし、取っ払った座席の代わりに怪しげな機械類が詰め込まれた後席側の後方視界もゼロに近い。
車外カメラで死角はフォローされているけれど、モニタ画面越しの視野はミラーとは見え方が違う。慣れないうちはむしろ邪魔。
外観ほぼオリジナルのままだけど(なんせ父さんはそのデザインにほれ込んでこの車を選んだようなものだから。デ〇リアンか!)中身は別物。しかも中古。ハンドルだって丸くないし。
とにかく何もかもが教習車とは違っていて、そんな車(というかもはや「車」とは呼べないような代物と化しているが)で公道を走るのはほんと恥ずかし……もとい怖い。
薄汚れた車体に、そこだけピカピカの若葉マークがさらに不安をあおりまくってくれる。
「ええい、どーにかなるって!」
ひと声上げてネガティブ思考をリセット。待ってて父さん!
レバーを前に倒して道に車を出しながら、追加されたモニタ画面や計器類が居並ぶダッシュボードにセットしたスマホをタッチ。
途中で切れた通話を再コールするが、やっぱり繋がらない。
画面を見ると、アンテナ表示の代わりに「圏外」の文字。
モバイル系通信はもちろん、車載WiFiも見つからず、SNSもダメ。
「ネットは全滅っぽいな」
これでも一応は首都圏から二時間圏内の町にある一桁国道を走ってるんですけど!
とかいいつつその実態は、コンビニも逃げ出す人口減少消滅危機地帯ですけれども。
実際、近所にあるお店は江戸時代から続く和菓子屋さんだけだけだし(よく潰れないな)。
ちなみに学校までは、平日の朝と夕方にしか走らないバスで四〇分。
真っすぐ行ける車なら二〇分。もっともこの車で通学する気はないけれど。
……なんて、ブラックアウトした画面に映る、ぱっつんボブの自分の顔に不満をぶつけても始まらない(父さんの助手曰く、「思いっきりサブキャラ顔」──うっせい!)。
まあ「爆発」自体はいつものことなので、まだそこまで焦りはない。──と思う。
一応その度に警察や消防の方々には出張ってもらっているけれど、ほとんど空振りだし。
もう毎度のことなので、いちいち通報するのも気まずくなるくらい。
むろん先方様からは、「無駄でもいいので必ず連絡を!」とのお言葉を頂いてはいるけれど。
さらに言えば今日は日曜日。なので工房には父さんしかいない(はず)。
不幸中の幸い……と言っていいのかどうか、とにかく父さん以外のメンバーが巻き込まれた可能性は低い。
ただ今回は、父さんとの連絡は途切れたままだし。その警察や消防にも繋がらないし。
いやスマホ通話だけじゃない。
「テレビもダメか……」
いくら画面を切り替えても、どのチャンネルもノイズの嵐でほとんど見えない。
最後の頼りは、それだけはなぜか純正仕様のままのカーラジオ。でもそれも調子が悪い。
スマホが役に立たない中では貴重な情報源なのに。
盛大な雑音混じりの合間に聞こえてくる声を逃すまいと、必死の運転の最中にも耳を傾ける。
でもどうにか聞き取れるのは、「月が、月が」と繰り返す某公共放送のアナウンサーの声だけ。
「だからお月さまがどうした!」
──と空に目を向けかけた瞬間、前の車が急停止。
直後、これも自前で後付けした車の自動ブレーキが奇跡的に作動。
緩衝機構のない四点式シートベルトが体にがっちり食い込んで痛い痛い。
「いったた……ん?」
汚れの目立つフロントウィンドウ越しに外を見ると、道の先が珍しく渋滞していた。
前方に並ぶ車から次々と人が降りてきては、閉めかけたドアもそのままに空を見上げている。
「なんだなんだ? 何がいったい?」
わたしも車を降りて、青い空に薄い雲の塊のような半透明の月を見上げ──え?
月?
「あれが、あれが──月?」
月が欠けていた──細く鋭い鎌のように。もしくは意地の悪い猫の笑みのように。
最初は、単純にいま三日月だったけか、と思った。
数日前の夜に見たお月さまを思い出す。まんまるだった。
餅つきうさぎもくっきりの光り輝くまんまる満月。
それがもう今にも折れそうな三日月になってしまった……
いや違う。
あれは「三日月」じゃない。
太陽の当たり具合でそのように見えているのではなく、本当に欠けているのだ。
欠けてしまったんだ。月が。
バカみたいに空を見上げていると、聞き慣れた呼び出し音が聞こえてきた。
慌てて半開きの車のドアから車内に戻る。
コンソール周りに増設されまくった補助機器を避けるように手を伸ばしてスマホをタッチ。
「父さん! よかった生きてて! てか空見て空! 月が、月が── !」
『あーごめん、おれだけど』
「え? れん──蓮兎!?」
父さんの助手でもある蓮兎は、高校生のわたしとは一コ違いの一九歳ながら、東京にある大学の院生だ。
いわゆる飛び級。確かに昔から「天才少年」だったけど。なんかくやしい(そんな彼を呼び捨てしてるのは一応幼なじみだから──ということで)。
そういや蓮兎と父さん、スマホ越しだと無駄によく似た声質してたっけ。
「もうどっちでもいいから空見て空! 月が壊れちゃって── !」
『見た。てか見てる。それより友佳、そっちにおじさんの工房から連絡はあったか?』
「あった! でも工房が爆発したって、それだけで切れて──」
『警察と消防には通報したか?』
「しようとしたけど、繋がらなくて」
『家電は?』
「あ、」
その手があったか!
家の電話なんて、もうずいぶん使ってない。すっかり忘れてた。
「どうする? いったん戻ってイエ電してみる?」
『そっちは例の車で工房へ向かってるんだろ? もう直接行った方が早い。ついでに途中でおれのことも拾ってくれ』
「いいけど、今どこ? 大学の研究所? だったら方向逆だし遠回りだけど」
蓮兎は今、この町にある、大学付属の魔導研究施設に常駐している。
彼らの研究対象はもちろん、施設の呼び名通り──「魔法」だ。
国際レベルでその存在が確認されてから、すでに一〇年以上。
けれど未だ謎だらけの超常現象。
この町は、全国に先駆けてその研究施設の誘致に成功した。全町あげて、当時はまだ(というか今でも)眉唾ものの「魔法」という存在に、町の未来を賭けたのだ。
とはいえ、今のところ本格的に稼働しているのは蓮兎の大学の魔導研究所と、あとは父さんの工房──『マツリバ魔導ロボット研究工房』くらいだったけれど。
工房の名称は、わたしや父さんの名字「羽澄」ではなく、ルイジアナ出身の母──レイテル・マツリバ(=茉莉葉)・トライドールからとった。
さらに元をたどれば、母さんのそのまた母(日系二世でわたしの祖母)の名前でもある。
わたしにも父さんにも大事な名前だし、その名を掲げる工房も、同じくらい大切な場所だ。
わたしの手が、自然とジャケットの胸元に刺繍された工房の名前の上にかかる。
『こっちはもう国道に出てる──友佳、ゆうか? 聞こえてるか?』
「あっとごめん、大丈夫! まだ繋がってる! 続けて!」
『位置的には、たぶんおまえの車のすぐ先にいると思う。バイクが電落ちした』
「また電費も考えず馬力バカなモーター乗っけるから!」
罵りながらドアを閉め、派手な赤色の四点式シートベルトを締め直す。
『ただのモーターじゃない。おじさんとこの魔動機に使う予定の駆動系魔導モーターのテストベッドが足りなくて──』
「いいから位置情報よこせ──二キロ先ね。わかった! とにかく行くから待ってて!」
といっても道は他の車がふさいでる。
「あーもうみなさんごめんなさい! 非常事態なんで!」
ひとり勝手な言い訳しつつ、左右のレバーを交互に押し出す。
半分歩道にはみ出すようにして、停車中の先行車の横すれすれに車体をねじ込みつつ、さらにレバーを押し倒す。
ディーゼルエンジンから換装した電動モーター(ぶっちゃけこれも工房で試作中の魔導ロボのお下がりなのだが)がうなりを上げる。
二トンを優に越える車体が、それでもぐん! と力強く速度を増す。オリジナルに三倍する馬力は伊達じゃない。
「よっし行ける行ける! ──うわっと!」
畳み忘れたドアミラーがバキッと嫌な音を立てて折れた。
なあに、たかが外付けのミラーがやられただけだ。車外カメラが無事なら問題ない! ……とか父さんなら言うかも。
「いや怒られるかな。怒られるな絶対」
ふん、言えるもんなら言ってみろ、だ。
「毎度毎度心配させるそっちの方が絶対悪い!」
このさい他の車のミラーも、その一つや二つは折り飛ばす覚悟だったけど、でも少し走っただけで、もう先には車の姿がなくなってしまった。
さすが人口過疎地帯。コンビニも逃げるわけだ。じゃなくって。
「いた──見えた! 蓮兎!」
スマホの通信はとっくに切れていたけれど、向こうもこちらに気づいて手を振っている。
その横には頑丈なメインスタンドを立てた緑×黒の大型バイク。
車を停めるや勝手にドアを開けて乗り込んできた蓮兎は、天井近くのバーに頭をぶつけて、
「いて!」
それでも小柄なわたしとは正反対の長身痩躯の体を、運転席の改造と増えた計器類のとばっちりで狭くなった助手席にどうにか収める。
「はっはーお約束」
「うっせい。いいから早く出せ!」
「バイクは?」
「後でいい。どうせ動かないし他の奴には動かせない」
「だったね。りょーかい!」
前に向き直り、改めてレバーを押し出す。
やはり特注のシートに換装した助手席で、蓮兎が居心地悪そうに体をずらしている。
わたしと同じく工房のチームジャケットを着ているが、こちらはサイズぴったり。くやしいけどよく似合ってる。ちくしょう。
「何?」
「なんでも! ──下手に動くとまた余計なスイッチ入れちゃうかもよ」
前回それでエンジンが止まって、原因を突き止めて再始動させるのに二時間かかった。
「あとちゃんとベルト締めて」
「めんどくさい──ナビ表示をメイン設定に切り替えたいだけだよ。って、これじゃない。どのファンクションだっけ」
「ダッシュボードじゃなきゃ上かな」
蓮兎はさらに体をずらして、バックミラーを囲むように増設されたオーバーヘッドコンソールを見上げながら、これかな? 違うこっちか、などと適当にスイッチを試している。
「別に今さらナビなんてどうでもいいっしょ」
この車で父さんの工房へ行くのはこれが初めてでもない。むしろそことの行き来にしか使っていない。
「わかってる。ただこっちのナビで衛星電波の取得状態をチェックしたくて……おっと出た。範囲内の人工衛星は推定七個──でもひとつも電波拾えてない。強度ゼロ。全滅か」
「でもさっきはスマホの位置情報もちゃんと届いて──あ」
チラ見したスマホはまた圏外になっていた。
「これってやっぱり月が爆発したせい? その破片で衛星が壊れちゃったとか?」
でもって、その月の破片が父さんの工房にも落ちてきたとか。
「違う」
「何が?」
「全部」
ばっさり。そして改めて月の方を見上げながら、
「月は爆発したんじゃない」
「え? だって」
「もし本当にあれだけの規模の質量が砕け散るような衛星崩壊が起きていたら、今ごろ月の周りはその破片だらけになって、あんなふうにきれいには見えない」
蓮兎はウインドウ越しの空にある半透明の月を指し示しつつ、
「逆だよ。たぶんだけど、爆発したんじゃなくて、『爆縮』したんだ」
「ばくしく?」
「爆ぜて縮む、で爆縮。言葉通りだよ。爆発の反対で、周りからその中心に向かって押しつぶされるように破壊されること」
「ふうん──でもそれって、普通じゃないよね?」
「別にそこまで珍しい現象でもないけど。宇宙ならブラックホールとか中性子星とかあるし。でも爆縮みたいな重力崩壊現象が月サイズの衛星で起こったとしたら、確かに普通じゃない」
蓮兎は追加メカだらけの車内をぐるっと見回して、
「できるとしたら、今こいつを動かしてるのと同じ力──『魔法の力』、だろうな」
「魔法の、力……」
わたしたちが乗っているこの車は、基本的には電気の力──電力で動いている。
でもその電力自体を生み出しているのは、充電池や発電用エンジンではなく──蓮兎の言葉通り──魔法の力、『魔力』だ。
一五年ほど前に起きた謎の月面基地爆発事故。その爆心地で発見された、常に魔力(としか表現できない謎の力)を放出し続けている|特異輝石《アークスライト──「月光青」。
決して失われることのない青い輝きがもたらす神秘の奇跡。
それが、この車にも搭載されている。
ちなみに他の改造ポイントも含めて(むしろこちらの方が問題か)、当然ながらそのままでは車検が通らない。なので、魔導研究用の実験車両として特別なナンバーをつけている。
「魔法、魔法……か」
確かに、月をあんなふうに壊せるのは、魔法の力くらいかも。
「実際、本当になんでもありだもんね、魔法って」
まだまだ研究途上ではあるものの、光速を超えて文字通り一瞬で伝わる魔導通信とか、外部のエネルギー補給を必要としない魔法駆動エンジンとか。
「宇宙船や戦闘機の慣性制御とか、とどめに人が乗って動かせる人型巨大ロボとか──な」
「──それな」
頷き半分、ため息半分の苦笑い。
「けど今さらだけどさ、作ってどうするんだろ、そんなもの」
「あればあったで、いろいろ使い道はあるさ……たぶん」
「たぶんかい!」
そんな適当なノリで作られてると知ったら、当のロボット──仮称「魔導駆動式人型実験機第ゼロ号」──通称「魔導実験ロボ・トライゴー(TRY‐GO)」も報われまい。
これまたちなみに、そのネーミングは、町のネーミング公募(応募総数一七四通……)を基に、最終的には父さんが(ほぼ独断で)名づけた。
実は最初からその名前にするつもりだったことは、父さんとわたしと蓮兎だけの秘密。
「かわいそうに、トライゴー。そのうち化けて出るかも」
「まだ生まれてもいないけどな──って? あれ?」
「何? ──え? うそ!」
トライゴーだ。トライゴーがいる。
わたしたちが走る道の先にある丘の上──ちょうど目的地の工房があるあたりの、盛り上がった丘の中腹を覆う木々の上からはみ出るように、その上半身部分がのぞき見えた。
「トライゴー……だよね? ああいや、でもどこか違うような?」
全体的なシルエットは間違いなく、うちの工房で建造中の試作ロボットなのだが。
でもトライゴーの頭に、あんなV字型の「ツノ」とかあったっけ?
それにカラーリングもずいぶん派手になってる。
あれじゃまるで、どこぞのスーパーヒーローロボットだ。
……やっちまったか、父さん。
「完全に私物化しちゃったな……」
巨大ロボに対する不滅の熱意──渦巻き騒ぐ怒涛の血潮をとうとう抑えきれなくなったか。
でもあれの建造費には、確か国の補助金とかも入っていたはず。いいのか?
「ていうか、トライゴーって、あんなに大きかったっけ?」
完全二足歩行タイプのヒト型ロボットであるトライゴーは、起立時で全高一〇・九メートル。
けれど丘の上にそそり立つ姿は、周りの木々に比べても優に二〇メートルはありそう。
「もうバルキリーってよりモビルスーツだな。スパロボ系に比べりゃまだまだ小さいけど」
「マニアックな感想はいらない。プロの魔導ロボ研究者としての考察は?」
「プロじゃないし──ってもなあ。あれはどう見ても、」
とそこで、いきなりその姿が消えた。一瞬で。
「……魔法、だろ?」
途中から気の抜けたような声になった蓮兎に、わたしも前を向いたまま、
「だよね……魔法の幻影、みたいなもの? でもなんでそんなものが?」
「さあ。けど工房で何かが起きてることは間違いない」
「とにかく行けば分かるって!」
「分からないかも。却って混乱するかも。その可能性の方が高いと思う。間違いなく」
「どっちでもいい! もっと急ぐ! ベルトちゃんと締めて座ってて!」
「アイアイ、メム!」
蓮兎のふざけ半分の敬礼を横目に、スロットル兼用のレバーをさらに押し込む。
オールシーズン仕様の極太タイヤが空転しかけて、自動で電子制御がオンになる。
ついでに全ての走行補助装置がオンになっていることを目視で確認。若葉マークの旧型SUVを、国道とはいえ路肩が崩れかけた田舎道を三桁に届くスピードで爆走させる。
ものの数分で工房への分岐に到達。でもそこには別の車がいた。
「あ、パトカーだ!」
県警のミニパトが一台、分岐道を通せんぼするように停まっている。
ドアは開きっぱなし。どうやら無人らしい。
アンチロックブレーキ頼みの急制動をかまして、その目の前ギリギリで停車。
「あっぶね」
「狙い通りだって」
心臓バクバク? なんのことやら。
「それよか蓮兎、警察に連絡してくれてたの?」
「いや。たぶん巡回パトロール中のパトカーだと思う」
魔法の石──「月光青」は現状、核物質に並ぶ重要な規制物質として、その扱いには厳重な管理が求められている。それもあって、父さんの工房はパトカーの巡回ルートに入っている。
「どうしよう? キーがついてれば動かせるかもだけど、パトカーって勝手に動かしていいの?」
「待った。早まるな。誰か来る」
シートベルトを外して車から降りかけたわたしの腕を、蓮兎が掴む。
外を見ると、ちょうど顔見知りの駐在さんが、制帽をすっとばし、大きなおなかを盛大に揺らしつつ坂道を転がり落ちて──じゃない駆け下って来るところだった。
駐在さんは、そのままの勢いで運転席に駆け寄ると、わたしがサイドウィンドウを開けるのも待ちきれないようにその太い首を突っ込むようにして、
「上はもう建物がめちゃめちゃだ! ごめん友佳ちゃん! 所長、お父さん、まだ生きとるけど、埋まってて、声、声だけ聞こえたんだけど、見つけられなかった! あと女の子も!」
息も絶え絶えに、切れ切れにそれだけ言うと、それからしばらくは言葉にならず、失くしたらしい制帽の跡が赤く残る額の大汗を拭いながら、はあはあと肩で大きく息をする。
「事故ですか!? それともテロ!?」
「女の子って!?」
助手席の蓮兎と運転席のわたしからの矢継ぎ早の問いかけを「わからんです!」と一刀両断する駐在さん。
「お父さんが言うとったんです、屋根が落ちる寸前、その下に女の子がいたと──けどもざっと見たところ、上にはお父さん以外誰もおらんようで、声も聞こえねえし、わからんです。あと署の方にも、あーテロ予告とか、そんなんは来てなかったす。(県警)本部との定例(会合)でも、テロ関連の警報は上がってなかったし、たぶん事故かと」
さらに「いや予断は禁物ですが!」と念押しした上で、
「なんとかきゅーえん……救援要請、したいとこやけど、広域警察無線は繋がらんわ、所轄の無線もダメだわで。どうやら都市部も大混乱で、消防も途中の渋滞にはまってるようです」
「消防もダメですか」
「なんもかんもあのお月さんのせいですわ!」
もはやお国訛りのアクセント丸出しの駐在さんは、ぶんぶんと頭を振りながら、
「署の連中もみな、月、月て! そんなん手の届かん彼方の星より足元地元の住民市民、心配せえって!」
駐在さんは一瞬、空を見上げて欠けた月にひと睨みくれてやると、車から離れつつ、
「ともかく、わしはパトカー走らせて署まで行ってきまっさ! 手錠かけてでも、署に残っとる連中残らず引っ張って来るで、すまんけどそれまで二人で頑張っといてください!」
「はい。お願いします!」
駐在さんを見送った後で、こちらも車を走らせていると、上り坂の先で道を塞ぐようにして設置されたゲートが見えてきた。
蓮兎が、グローブボックスから出した緊急指定車両であることを示す証明書をダッシュボード上に放り出す。
わたしも車を減速させつつ、「この先特別管理指定地区/関係者以外立ち入り厳禁」の看板の横をそのまま走り抜ける。
ゲートの監視装置が、ウィンドウ越しに証明書と運転手の顔を認識して赤白ツートンのセキュリティバーを持ち上げるのを待ちきれず再加速。上がりかけたバーアームの下をすり抜けるようにして、その先の砂利道を一気に駆け上がる。
「ギリギリだったぞ今!」
「どうせ飾りじゃん、あんなの!」
去年の夏あたりに海外で起きた魔法を使ったテロのせいで国内でもテロ対策法が強化され、
魔法を扱う施設への出入りが厳しくなった。あのゲートもその時設置された。費用は国/町と工房で折半。高くついた割にはザルだし、出入りが面倒になっただけ。いらんわ。
「そのうち事故のフリして、車ぶつけて壊しちゃろか!」
「だから落ち着けって! ──ん?」
蓮兎はこちらへ身を乗り出すようにして、運転席側のうウィンドウを睨む。
「何、邪魔だって──!」
「そっちのミラー、どうした?」
「た、たかがミラーひとつと父さんの命、どっちが大切だっての!?」
ふん! と鼻を鳴らして蓮兎が姿勢を戻す。
「今度同じことやらかしたら、二度とこいつには乗せないからな!」
「そしたら代わりに誰がこれ動かすの? 蓮兎?」
「む……」
「父さんだって無理だよね。結局あたししかいないじゃん。動かせるの」
そう。ほんの一部とはいえ、「魔法の力」を使っているこの車は、それゆえ普通の人には動かせない。
より正確には、充電池の電力で10キロくらいは走れるけれど、その距離じゃ最寄りのコンビニにすら行けない。それ以降は搭載している魔法素子「月光青」の力が不可欠だ。
それを活性化させて、自在に車を動かすことができるのは、この工房ではわたしだけ。
要するにわたしは、誤解無用で断言するなら──いわゆる「魔法使い」なのだった。
「よし見えた──ああ!」
「工房が!」
目の前には、駐在さんが告げた通りの光景が広がっていた。
車を停めて引きちぎるようにシートベルトを取っ払って走り出す。
「友佳待て! 近づくな! 危険だ!」
わたしはかまわず走る。走る!
かつてこの場所にあった中学校を改築したロボット工房へ。
元々体育館だった、でも今は無残に半壊した建物へ。
父さんがいるはずのその場所へ。
「父さん、父さん! おとーさん!」
半分落ちた屋根の端で宙ぶらりんになった鉄骨の下、瓦礫の山に向かって叫ぶ。
工房内にはロボット──トライゴーもあったはず。でも架台ごと横に寝かされていたところに屋根が落ちたようで、今は瓦礫の下で見分けがつかない。
「父さん! とーさ── あ!」
いま声がした。ような気がした!
「どこ、父さん! 父さん!」
「……あの子を」
確かに聞こえた。父さんの声。でも姿は見えない。
「こっちはいいから、あの子を……」
頭上の折れかけた鉄骨を気にしつつ、足元を探りながらゆっくりと瓦礫の山に近づく。
「あの子──って? 女の子?」
「そうだ、女の子だ。巻き込んじまった……その辺にいないか? 見えないか?」
「──蓮兎、どう?」
なんだかんだ言ってもわたしのすぐ後ろにいた蓮兎が、首を横に振る。
「いや、わからない──それより友佳、これって」
「もう何、なんだっての!?」
気ばかり焦るわたしに、蓮兎はその場に立ち止まったまま、崩れた建物を見渡すようにして、
「この壊れ方、月と一緒だ」
「え?」
どゆこと?
「月と同じ──外側に広がる『爆発』じゃなくて、内側に潰れる『爆縮』が起きたんだ」
言われてみれば、旧体育館の壁はどれも内側に大きくたわむように傾いている。
崩れた壁の間から見える残骸の山も、一面に散らばっているのではなくて、建物の中でひとまとまりの山のようになっている。それこそ破壊された残骸が全て工房の中に吸い込まれてしまったかのように。
一方で残った壁の外側は「きれい」なままで、瓦礫や破片などはほとんど落ちていない。
隣接する中学校の旧校舎の窓ガラスも、見たところ一枚も割れていなかった。
「月の爆縮に比べれば威力は弱そうだけど……でもどう見ても『外向き』じゃなく、『内側』に向かって力が働いてる」
「だからそれが何!」
「だから! これはただの爆発事故じゃないって言ってるんだ!」
「そんなの後で調べればいいって! 今は人命優先! 父さんと、あと女の子!」
ちょっとの間にらみ合い、でもお互いにこんなことしてる場合じゃないと目線をそらす。
「とにかくおれは壁に沿ってぐるっと回ってみる。お前はおじさんの声が聞こえる範囲にいてくれ」
「わかった──あ、蓮兎ちょっと待って」
今度はわたしの方から蓮兎を呼び止めて、二人でいったん車に戻る。開けっ放しのドアに半身を突っ込んで、車内に常備しているハンディ無線機とフラッシュライトを手に取る。
「何かあったらこれで連絡して」
「無線か」
「駐在さんの話だと、これもあんまり信用できないけど、まあスマホよりはマシでしょ」
「そうだな──よく気がついた。えらいえらい」
無線機の片方を受け取りつつ軽口をたたく蓮兎にひじ打ちをくれてやってから、わたしも一段と慎重な足取りで瓦礫に近づいてゆく。
折り重なった部材のすき間を一つ一つ、じっくりと確認するようにのぞき込む。
いちいち声をかけながら、フラッシュライトで中を照らしてゆく。
でも父さん以外の声はなく、光の届かない奥の方も暗くてよく見えない。
「どうだ友佳、女の子は?」
「父さんは自分の心配してて! ……けど女の子なんて、本当にいたの?」
今現在、この工房の周辺1キロの範囲に人の住んでいる家はない。
まさに今回のような「事故」があっても周りを巻き込まないよう、テロ対策も兼ねて実質的な居住制限措置が取られているためだ。
ましてや公園や託児所みたいに、子どもが出入りするような場所なんてあるわけもない。
実際、この付近で目にする人はあの駐在さんくらい。前に一度だけ、隣町の小学校からロボットの見学に来たいって話があったけど、でもその時も父さんが丁重にお断りしていたっけ。
「ねえ父さん、聞こえてる? 子どもって、知ってる子? 見たことある子?」
「──いや。でも、誰でもいい。いたんだ……姿が見えないなら、瓦礫の下敷きになってるかも。捜してくれ……早く……!」
「わかった! でも父さんの方だって──」
「友佳、女の子だ……そっちが先だ。いいな?」
小さいけれど、あくまで静かに、でも頑固な声。
経験上、この声で話す父さんには何を言っても無駄。
身にまとっているその父さんのジャケットの裾をぐっと握る。放して、歩き出す。
このあたりで見つからない以上、探索範囲を広げるしかない。
仕方なく父さんの声が聞けるその場を離れて、半壊した建物沿いの敷地を蓮兎とは反対方向へ進む。
ぐるりと半周したところで、金属同士が強くこすれ合うような音がして思わず立ち止まる。
次の瞬間、映画やアニメでしか聞いたことのないような、心臓が押し潰されるような轟音がして、半壊した壁のすき間から煙のようなものがどうっと噴き出してきた。
「屋根が、落ちた……?」
やばい──やばいやばい、やばいって!
「蓮兎! 父さん!」
細っこい肋骨をへし折らんばかりに爆ぜ続ける心臓の爆音に急かされるようにして、父さんの声が聞こえていた場所まで駆け戻る。
周りはもうもうと沸き立つ煙というか埃だらけでよく見えない。
息が苦しい。
まともに吸い込んで思いきりむせる。
目が痛い。耳鳴りが止まらない。
それでも物の落ちる音や砕ける音が続いている中に人の声や姿が紛れていないか、必死に耳を澄ませる。目を凝らす。
声は聞こえなかったけど、代わりにあまり聞き慣れない連続音が聞こえた。
「え、何なに!? ──あ!」
無線機の呼び出し音だと気がついて、ジャケットのポケットに突っ込んでいたそれを引っ張り出す。
「──蓮兎!?」
〈当たり……そっちは大丈夫か? どうぞ〉
「大丈夫! そっちは!? ああ、どうぞ!」
雑音。声が途切れる。
「蓮兎? 聞こえる? どこにいるの? もしかして、瓦礫の中? どうぞ! どうぞ!」
〈それも正解……落ちてきた屋根の下敷きに、なった、らしい〉
やっと埃が収まった工房内は、落ちてきた屋根に大きく覆われていた。
残った屋根が一度に落ちてきたらしく、全体がひしゃげたシートに覆われているみたいに見える。
あの下に蓮兎が?
〈どうやら、残ってた屋根がそのまま落ちてきたとこに、下の瓦礫がつっかい棒代わりになって、あちこちにすき間が残ったらしい……それで潰されずにすんだみたいだ〉
とはいえ、あの大きな屋根の下敷きになっていることに変わりはない。
無傷だとしても自力での脱出はまず無理だろう。
「けがは? どこか痛むとこは? どうぞ!」
〈足が挟まれて動けない、かな。ちょっと痛い。──ごめん〉
「謝んな。蓮兎は悪くない!」
ちょっと痛い、だって? うそつけ!
昔、ブランコから飛んで腕の骨を折った時も、同じこと言ったよねあんたは。
落ちた屋根をぐいっと睨む。
父さんも、そして今は蓮兎も、あともしかしたらもう一人、父さんの見た女の子も。
みんなみんなあの下だ──だったら!
「とにかくこの屋根をなんとかしてみる!」
〈なんとかするって、まさかおまえ──〉
「トライゴーを動かす! 今動かさないでいつ動かすっての!」
〈どこの巨神兵だ──てかどう聞いてもフラグだろ。バッドエンド直行だ……いてて〉
蓮兎のその声は聞こえないことにした。
車を停めていた場所に戻る。
このあたりに被害はない。車も健在。
「よし! 行ける!」
車に飛び乗り、ダッシュボードにあるトラジマ模様のひときわ大きなカバーを跳ね上げ、その下の真っ赤なボタンを押す。
車載システムがリセットされて、専用ネットワークで工房のメインフレームとのアクセスを開始。
「繋がれ、繋がれ……!」
モニタ画面上に出た「ネットワークの接続を試みています」の文字と、その下で回っている「くるくるマーク」を歯を食いしばって見つめる。
「来い来い、来い……! 来た!」
くるくる回転が消えて画面が再度リセットされ、工房のインシグニア(ブランドアイコン)が表示される。
同時に叫ぶ。
「カモン、トライゴー、スタンドアーーップ!」
……だから仕様です!
車載システムを通じてわたしの声紋(一定量の声量が必要)&キーフレーズを認識した工房の主AI「マツリ(|MATRI~Magitec Arts Trial Utility Reaction Intelligence)」が応える。
『システムオンライン。レディ、トライゴー。セットアップ!』
そう──この車は、そのままトライゴーの「操縦席」なのだった。
実際、単に車を動かすだけなら、こんなにたくさんの機器類なんて必要ない。
過剰な操作機能は、すべてトライゴーを遠隔で操るためにある。
本来の操縦席はトライゴー自身の中にあるが、そっちはもちろんあの落ちた屋根の下。
「こんなこともあろうかと」サブシステムとして魔改造(父さん曰く「魔改造違う! 魔導改造!」らしい)されたこれを、こんな形で使うことになるとはね。
「いきなりの実戦運用、しかもぶっつけ本番……けど、やるしかない!」
トライゴー側のセットアップが終了し、改めて専用回線によるこの車とのP2P接続が確立されると同時に、本体各部の動作チェックが始まる。
このあたりのシークエンスは自動進行だから放っておいていい。
こちらは並行してトライゴーの現状を確認。
日頃から父さんや蓮兎にあれこれ叩き込まれていたおかげで、立ち上げ作業は順調(さぼらないでよかった。学校の勉強より面倒だったけど)。
機体モニタを見る限り損傷個所はない。
でも起動用外部電源は喪失。内部バッテリの充電率三割。魔導機関の始動下限ぎりぎりだ。
魔法の動力源たる「月光青」の待機時間は九時間弱。
その間に回復した魔法量から予測される稼働時間は省エネモードで現状四分。パワーモードは選択不可。隠しコマンドで強制使用できるけど、たぶん三〇秒とかそれくらい。
どちらにせよ、瓦礫をどかして立ち上がるだけで力尽きそう。
動力が切れても、主要関節部にはその時点でロックがかかるからいきなり倒れたりはしないはず──だけどそれは設計仕様で、実際に高負荷下での実機運用試験はまだしたことがない。
蓮兎が言った通り、あれこれ試行錯誤中のこのロボットは「まだ生まれてもいない」のだ。
屋根を持ち上げたところで力が抜けるのだけは避けたいが……不安。
でもそれを言ったらきりがない。
シート後方にセットされていた、某ウル〇ラ警備隊のそれを模したようなヘルメットを引っ張り出してかぶる。
そのバイザーを下げると、トライゴーの視聴覚系とリンクしたVRシステムが起動。実景と重ねて表示されていた画面がリセットされ、改めて「起動準備完了」と日英併記の表示が出る。
同時に車内を映していた背景がトライゴー視点のそれに切り替わる。
といっても、現状は距離計を兼ねた緑のガイド表示ライン以外は真っ暗。
頭部のライトをつけてみる。でもやっぱり見えるのは白飛びした瓦礫だけ。
ヘルメット内蔵のスピーカーも感なし。トライゴー自体が完全に埋まっているらしい。
左右のレバーを握ったまま、ふう、と一息。
とにかくトライゴーは無事起動した。状況も確認できた。
これからが本番だ!
架台の固定装置解除から体を起こす動作も、通常なら自動で進行する。でも瓦礫に埋まっている今は自動モードの選択自体ができない。こんな事態は想定されてないから当然だけど。
「手動上等!」
思ったより大きな声が出た。でも悪くない。どうせ誰も聞いてないし。かまうもんか。
自分の手足を動かすイメージで、レバーやフットペダルを操作。
そのとたん大きな音がして、思わず一旦停止。
「落ち着け、落ち着け……」
シミュレーションに比べて、操作系のリアクション感覚が鈍い、というか重い感じがする。
でもそれ以外は問題ない。ちゃんと「操縦」できてる。できてるぞ!
一方でVRゴーグルの視界は真っ暗なまま。まだ屋根の下らしい。
さっきは忘れていた赤外線モードを選択。トライゴーの肩にある特殊ライトが点灯。
頭だけを左右に向けて人らしい熱源を捜しつつ、同時に腕を上げて、屋根を支えるようにしながら起立動作再開。
腰を起こしたところで、車外と耳元で同時に嫌な音が聞こえて、また停止。
トライゴーの腕が支えている屋根がぐらりと揺れるのがレバー越しにも感じられる。
持ち上げた部分を境に再生プラフォーム製の屋根が裂けかかってるらしい。
もし裂けて落ちたら却って事態を悪化させてしまう。
「ふう……大丈夫。できてる、できてる」
視界の隅に表示中の稼働時間が更新される。残り二分。
焦る気をよそに、なぜか笑みがこぼれる。
「ちゃんと動いてるじゃん、こいつ」
とはいえ時間がない。これ以上は、下手に動かしても途中で止まるのは目に見えている。
幸い、一部とはいえ屋根を持ち上げて支えることはできた。
「今なら、屋根の下に入れるかも……よし!」
決断。トライゴーは現状で固定。
ヘルメットはかぶったまま、バイザーだけ上げて車を降りる。
フラッシュライトと一緒に持ち出したハンディ無線機のトークボタンを押す。
「蓮兎、蓮兎聞こえる!? どうぞ!」
返答なし。
呼び出しを続けながら手にしたライトをつけ、トライゴーが支えている屋根の下へ。
「聞こえたら返事して。声が出せないならトークボタンを連続二回。どうぞ!」
反応なし。低く流れるノイズが途切れる様子もない。
再びバイザーを下げ、ライトを消して暗視モードを選択。
ほとんど四つん這いになって、最悪の事態はあえて考えないよう、ただ目の前のものだけに集中して慎重に移動する。
増感して緑がかったバイザー越しの視界に、でも強調されたピークは見えない。
少し進むと、持ち上がった屋根の下にトライゴーがいた。
見慣れた姿で半身を起こし、(V字アンテナのない)頭上に掲げた両腕で屋根を支えている。
破れた天井から外の光が漏れていて、バイザーの暗視モードが自動解除される。
トライゴーの周りは思ったよりも屋根が持ちあがっていて、立って歩けるほどの高さもある。
一瞬後には崩れ落ちるかもしれないその下へ、でもトライゴーを信じて進み出る。
「頑張れトライゴー。わたしも頑張る!」
ほどなくしてバイザーの赤外線センサーに反応が出た。
赤いピーク。横になった人の姿に見える。それを目指してさらに先へ。嫌でも急ぎ足になる。
父さんか、女の子か。それとも──蓮兎だ。蓮兎がいた!
「蓮兎! 蓮兎!」
蓮兎は仰向けに倒れていて、脇には無線機。閉じた目蓋がかすかに動いている。
生きてる!
そしてそんな彼と一緒に、例の「女の子」もいた。
仰向けになった蓮兎に抱えられるようにして、彼の上にかぶさるように倒れている。
見た目は一〇歳くらいか。
服は着ていない、裸だ──と思ったら、次の瞬間には服をまとっていた。
「え? あれ? 気のせい?」
バイザーを上げて目をこする。ちょっと光沢のある白いミニワンピースはそのまま。透き通るよな赤色の髪が、小さな背中を覆うように広がっている。
その髪に半分隠れた横顔を見た瞬間、なぜか強烈な既視感が来た。
昔見たロボットアニメに出てくる主人公の妹──その顔が重なる。
そういえば、ここへ来る途中で見た「巨大トライゴー」も、今思えばあのアニメの主役ロボにそっくりだったような──って、それどころじゃない!
「蓮兎、聞こえる!? わかる!? この子はあなたが助けたの!?」
未だ動きのない蓮兎に声をかけつつ、女の子へ手を伸ばす。
でもわたしの手が近づくにつれて、まるでその手に押されるように、女の子の体が蓮兎の体へと沈んでゆく。
「え……え? なんで?」
思わず手を引っ込めたが沈み込みは止まらない。
その細い腕をつかんで引き出そうとするがもう遅い。そのまま女の子の体全体が、蓮兎の体の中へ沈んで消えてしまった。
何が起こったのか、頭で理解しようとして一瞬、自分の状況を忘れた。判断が遅れた。
気づいたときには、轟音とともに落ちてきた屋根がすぐ頭の上に迫っていた。
ゆうか、と呼ぶ声が聞こえた気がした。──蓮兎? 父さん?
見上げた瞳に映る屋根は、でもなかなか落ちてこない。
余裕で逃げられそう。
なのに、ああ、体が動かない。
心と体とで流れている時間が違うらしい。
なんだそれ。って。
あ、だめだ……
一瞬視界が真っ暗になり、でも直後、何もかもが白熱したような光に包まれて──
☆☆
2 世界と魔法と戦争と
太陽系と呼ばれる世界がある。
その同し名で呼ばれる母恒星の周りを、人類文明発祥の星である地球が回る小さな世界。
その先には、同様の小世界が無数に巡る天の川銀河と呼ばれる星々の世界があって。
さらにそんな銀河がこれも無数に集まって、ひとつの「宇宙世界」を形作っている。
その世界とはかけ離れた別の宇宙──別の「世界」。
異世界──
その名で呼ばれる世界に存在する、もうひとつの「銀河」。
かつては天の川同様、美しい螺旋を描く渦巻銀河だった。
けれど今はその大半が暗黒の闇に覆われるように欠けてしまっていた。
通称「三日月銀河系」──それがわたしの、わたしたちの世界。
この「レアルセア太陽系」が属する世界。
そもそもの始まりは三〇〇年前──地球年で二〇〇年前に起こったひとつの戦い。
このレアルセアの地で始まった魔導戦争──「魔祖大戦争」。
戦争の始まりから遥かに遡る遠い昔の時代──空、土、水、火の四大魔法を得て超古代魔導文明を確立し、この世界の銀河の半分を消滅させて去った後もなお、魔導星霊王として君臨する「四大魔導始祖」。
その力を巡ってレアルセア最大のレアルシア大陸に割拠する列強諸国が争い、ついには星霊王召喚合戦となったその闘いは、やがてこの世界ではなく別の世界──そこに属ずるひとつの星──「地球」へと封じられていた異界の魔王たちをも目覚めさせてしまうことになる。
結果として、レアルセアと異世界たる地球との間とを繋ぐ「大魔導回廊」と、その魔法の道へと至る異界の門──「奇跡の門」が開いてしまう。
さらにこの時、地球圏に顕現した星霊王の一柱が暴走。地球の周りを廻っていた「月」と呼ばれる衛星が、そのとばっちりを受けて大きくその姿を変えてしまった。
無残に破壊された月を振り仰ぎ、地球が同様の姿になることを恐れた人類は、開かれた魔法の門の向こうにある「異世界」こそが、この惨状を引き起こした元凶であると断定。
それ以降、魔法の素養に目覚めた「魔導貴士」たちを中心として一〇〇年以上に及ぶ歳月をかけ、かの世界と戦う準備を進めてゆくことになる。
星霊王の復活により得られた魔法の力と自らの科学技術との融合に成功した彼らは、強力な魔装武力と異世界間航行能力とを併せ持つ魔導宇宙戦艦を建造。満を持して開かれた門を潜り抜け、その先の世界──「異世界レアルセア」への逆侵攻に打って出たのだった。
「やつら」は突然空から降ってきた。
レアルシア大陸の北限に近い、年の半分は凍りついたままの大陸湖の傍にあった小さな町。
そんな町にも、黒く重い冬の雲を割って巨人型魔導兵器たちがやって来た。
圧倒的な彼らの力の前に、辺境の町はあっというまに蹂躙され、占領されてしまった。
町の人々は皆、厳しい冬の中、後からやって来る宇宙戦艦のための橋頭保建設に駆り出された。次々とやって来る宇宙戦艦たちは、大気圏突入時の摩擦熱と魔法駆動エンジンの余熱とで、降り立った大陸湖のぶ厚い氷を全て溶かしてしまった。
以来この町は、この戦争中ずっと異星地球軍団の厳しい統制下に置かhれることになった。
彼らの拠点基地のひとつとして。
そして何より、駐留部隊への娯楽提供のための歓楽街として。
史上初ともいえる異世界間戦争。
しかしこれも、終わってみればあっという間だった。
魔法の力は別論、そもそも騎馬や騎竜で巨大ロボットや宇宙戦艦と戦えるわけもない。
とはいえ、これで解放されると町の人々がほっとしたのもつかの間、ほとんど間を置かずに今度は「会社」がやって来た。
そちらはそちらで、「軍の後始末」と称して勝手に町の再建に取り組み始める。
こちらの意向も希望も事情も関係なく、気がつけば町の様相は一変していた。
「魔法の箒から宇宙戦艦まで」を標榜するその会社は、その通りなんでも持っていた。
宇宙を越えて異世界同士を行き来する魔導船をはじめ、巨人魔導兵器を一般化させた作業ボットたちや、馬車道に据えられた二条の軌道上を走る魔導機関車などなど。
特に異世界の見知らぬ食べ物や、温かくていつまでも清潔な服は、町の人たちの間でも人気となった。
大半の子どもたちには無縁だった「学校」も作られ、さらに旧来の魔法や呪術に頼らない地球型の高度科学医療システムも導入された。
これらありとあらゆる「地球製品」で、この小さな常冬の町は埋め尽くされんばかりだった。
未だ戦禍の後遺症に苦しむ大陸中の町々からの、この町の現状をうらやむ声や怨嗟の声は、大きくなりこそすれ、なくなることはなかった。
けれど実際のところ、その代償もまた決して小さくはなかった。
ふと見れば、煌びやかな表通りを闊歩する人のほとんどは「地球人」になっていた。
そのほぼ半数が駐留軍人で、残りの半数は「会社」の人間だった。
かつての歓楽街はこの頃には「保養地」と名を変えていたが、けれど実態は何も変わらず、ほとんどそのまま裏通りに在り続けた。
「おれたちにはもちろん、地球人たちにとっても、ここは大いに『有用』だったのさ」──というのが、「わたし」が生まれ育った男娼館の親方のお気に入りの口癖だった。
そう。この頃は名前もなく、ただ「マーギ」~魔法で悪さする野良猫たちの通称~とだけ呼ばれていたわたしは、この一角で店を構えていたその男娼館で生まれた。
地球軍人の「母」は、産まれたわたしの顔を見ることすらなく、早々に本国へと帰還していったという。
遺伝子の半分を提供した男娼に、わずかなチップと「一度子供を産んでみたかっただけだから」との言葉のみを残して。
人の体はそもそも子供を産み育てるために存在する。だから人は、その「役目」を果たすことによってのみ、最終的な「完成」へと至るのだ──というのが、侵攻当初から地球軍人たちの中で勢力を拡大させつつあった「自然本能主義者」たちの主張だった。
要は「前魔法時代の伝統を守れ」ということだ。
自分の体に代わって受胎・出産を引き受けてくれる「魔導子宮」による子作りが主流となった地球の現状への反動や、自分たちの世界を滅ぼすかもしれない魔法を武器に戦う軍人たち特有の、「魔法に対する嫌悪感」とが綯い交ぜになった結果生まれた運動でもあった。
けれど「自分の体で産みたい」という奇特な願いを叶えてくれる場所は、当の地球帝国──この時はすでに「地球魔導帝国」と名乗っていたが──では、もうほとんどなくなっていた。
一方、皮肉なことにこちらの世界では、魔法と科学の高度な融合体である「魔導子宮」は、まだほとんど普及していなかった。
歓楽街で闇出産医を捜すのも、野良猫を見つけるよりもずっと簡単だった(魔法で身を隠し狩りをする彼らは容易に人前には姿を見せない)。
だが人の心は変わる。変わってゆく。否応なく、容赦なく。
戦場における地球製魔導兵器の圧倒的な強さを目の当たりにした軍人たちの間で、魔法に対する畏怖や嫌悪感は急速に薄れていった。
対して「地球と敵対する異世界人たち」への敵対心と優越感は日増しに増大してゆく。
やがて「魔法に頼らない伝統的子作り」が目的だったはずのそれは、自分の体の悪い部分を(半分異世界人の)子どもに押し付けて体の外に捨ててしまおうという、「魔法解呪」へと安易かつ急速に変質していった。
曲がりなりにも戦争が終わり、地球側の敵視政策が、徐々にではあるけれど和解や相互理解へと向かう中にあってもなお、この旧歓楽街を行く彼ら彼女の大半は、それが目的だった。
ちなみにそんな彼らによれば、自分では子を成せない男であっても、相手の女(娼婦)に同様の行いをさせることで、同じ効果が得られるという。
そもそも地球人とレアルセア人の間にできた「地球血統の子」は、生まれてすぐに非常に致死率の高い「劇症性新生児異世界症候群」を発症して衰弱死することが多かった。
「魔法解呪」は、いわばその現状に対する後付けの屁理屈だったという説もあるくらい。
どういう理由か、ほぼ例外なく過剰な魔力をその幼い身に宿して生まれてくる彼らは、その過剰な魔力による「自家呪詛」で死んでしまう。
けれど稀に、自分を殺せるほどの魔力に抗って生まれてくる子もいて、さらにその中の何人かは、どうにか自分で自分の面倒をみられるくらいの歳になるまで生き続けることができた。
幸か不幸か(どっちだろう)わたしはその数少ない中の一人だった。
わたしが一五歳の時──といっても地球年ではまだ一〇歳だけど──レアルセアを実効支配していた地球帝国と企業連合体に対して、初の本格的な組織的抵抗運動(地球帝国側から見れば暴動)、通称「ルインシア動乱」が勃発した。
ちなみに「ルインシア」というのはこの町のことだ。
ここでわたしは、ほんの偶然から、そうとは知らずに「黒の王子さま」ことレント・ユキノ宇宙総軍特務少尉(当時)の命を救うことになる。
当時この町では、企業連合が作った「終戦戦記念ミュージアム」の開幕式が執り行われようとしていた。
彼は、その式典に参列すべくやって来た地球側来賓者の一人だった。
わたしの方はといえば、もちろん反乱組織の企みなんてまったく知らずに、式典で配られる地球製の食べ物やお菓子を狙って当の会場内に入り込んでいた。
一番のお目当ては魚の形をした焼き菓子。
鋳型に流し込んだ生地の上に甘く煮付けた黒豆をたっぷり乗せて焼き上げたもので、基本的には地球人向けの菓子店にしかない高級菓子だ。
もちろん高価で、とても男娼街をうろつく「地球人の忘れ物」が買い食いできるような代物ではなかった。
そんな「夢の菓子」の味をいつどこで知ったのか、わたし自身にほとんど覚えがない。
でもなぜか、香ばしく焼きあがった生地に包まれた舌が火傷しそうに熱い「あん」の甘さだけは、いつでもしっかりと思い出すことができた。
その「幻の味」を求めて、わたしは会場へとやって来た。
もちろん正式な招待状などはない。なので魔法猫たち同様「ちょっとした魔法」を使って、前日の夜の間には会場内に入り込むことにした。
この時は知らなかったれど、前もって反乱組織が警備装置を潰してくれていたことも、その侵入を容易にしていた。
朝になって、会場前の広場に並ぶ屋台のあちこちで様々な地球の食べ物が作られ始めると、その匂いにつられるようにわたしも行動を開始した。
狙い目は、最初の試し焼きや、形が悪くて捨てられてしまう失敗作たち。
あちこちにいる地球人たちの目を魔法で誤魔化しながら、いい匂いのする屋台へと近づいてゆく。店主の隙をついて、失敗作の山に手をのばす。
たった一個だけだったけれど、まだまだ温かいものを手に入れることができた。
大事な戦利品を手に、さてどこで食べようかとまだ無人の会場内をうろついていたわたしは、ふと気がつくと「それ」の前に立っていた。
ミュージアムの地球製魔導巨人兵器の歴史を紹介するコーナーに、その魔導巨人はあった。
白黒のみならず、赤黄青緑などなどの派手な原色で彩られた外観に惹かれたのかもしれない。
その額に輝く二本の角を始めとして、周囲の環境に紛れるどころが、逆に激しく自己主張するかのようなその姿は、一見して地球製魔導巨人たちの特徴でもあった。
この地球兵器独特の派手派手しい外観は、こちらの世界ではほとんど無敵である彼らには隠れる必要がなく、むしろその姿を強調することで無駄な戦いを避けるために採用されたらしい。
特に赤青黄の各色はまとめて「警戒色」と呼ばれ、ほとんどの魔導兵器に採用されていた。
手の中のお菓子が冷えてゆくのも忘れて、その地球謹製ロボットの始祖をぼんやりと見上げていたわたしの中で突然、何かがひらめいた。
今自分がここにいるのは、ただの偶然じゃない。
わたしは「これ」に呼ばれてきたんだ。
「これ」がここにあることを、わたしは最初から知っていたんだ。
──そんな気がした。
全く根拠ない確信。
でもいったんそう思ってしまうと、もう我慢できなかった。
周囲に張られていた規制用の鎖を潜り抜け、ロボットの操縦席に繋がる作業台の階段を昇る。
背中側に回り、ロボットが背負った補器類の間にある何かのパネルに手を当てる。
自分が何をしているのか考えるよりも早く、当たり前のようにバックパックがずり上がってゆく。
その下に隠されていた扉が開き、奥から複雑な形をした椅子が飛び出してきた。
なんの迷いもなくそこに座ると、椅子はわたしごとまたロボットの中に戻ってゆく。
背後の扉がさっと閉じて、わたしはその中に閉じ込められてしまった。
なのに不安はなかった。むしろ、心のどこかで「やっと戻って来た」という気がした。
操縦席内は常夜灯のような小さな明かりが二つ三つ光っているだけだったけれど、ものすごく安心できた。ここなら戦利品のお菓子をゆっくり食べられると嬉しくなった。
けれど直後、わたしは(お菓子を食べそこなったまま)先の「ルインシア動乱」に巻き込まれることになる。
魔法に関してはまだまだ一日の長があるレアルセア側の魔法技師たちは、ミュージアム会場内の各種魔導警備装置だけではなく、警備についていた地球軍の魔導ロボットたちについても、密かにじっくりと時間をかけて魔法的に手懐けていた。
この時点で反乱組織に対抗して唯一動かすことのできた魔導兵器は、彼らから無可動の展示品として無視されていた骨董品ロボット──個体名称「トライゴーG」だけだった。
当初わたしは何が起こったのかまったくわからず、操縦席の中でじっと息を凝らしていた。
やがて、外で始まった戦いから逃れるべく会場内へと来賓者たちがなだれ込んで来た。
その中に「彼」がいた。
操縦席のモニタ画面の一つに映った、仮面のような黒メガネがずれて半分だけ見えた顔──それを目にした瞬間、またもやあの謎の衝動がわたしの心を貫いた。
次の瞬間には小さな体を乗り出すようにして細っこい腕を伸ばし、椅子の左右にあった操作レバーを握っていた。
会場内へと侵入してきた反乱組織側のロボットたちは、その全てが作業用の民間機だった。
さすがに軍用ロボットの方は、その起動を阻止するのがやっとで、彼らに動かすことはできなかったらしい。
対する「トライゴーG」はといえば、骨董品とはいえ、宇宙戦闘も可能な歴とした軍用兵器。
わたしの手にはちょっと大きなそのレバーを適当にがちゃがちゃと押し引きしているだけで、反乱組織のロボットたちはあっさり倒されてゆく。
なぜわたしにそのロボット──「トライゴーG」が動かせたのか。
さらになぜ味方であるはずの反乱組織に手を貸すことなく、(この時はその正体を知らなかったとはいえ)逆に「敵側の王子さま」を救おうとしたのか。
当時も今も、それはわたし自身の中で大きな謎として残っている。
ただ混乱していただけなのか、他にちゃとした理由があったのか。
けれど今でも、その「謎」について考えようとすると、その度に何か得体のしれないもやもやとした感情が頭に湧き出てきて、そこから先に進めなくなる。
誰か、何か別の存在がそのもやもやの中から現れて(たいていは黒くて大きな風魔鳥だったけれど)、わたしに「それ以上考えてはダメ、心がもっていかれるぞ」と警告するのだ。
この鳥は、現在もなおわたしの心に居座り続けている。
そしてわたしが「ありもしない記憶」を詮索しよとする度に警告したり、邪魔したりするのだった。
ところで動乱の方は、魔法ハッキングを突破して動けるようになった駐留軍がその数と力で反乱組織を圧倒、あっけなく収束してしまった。
わずか二日後には、まるで予定されていたかのように、当時の銀河帝国艦隊の半数が投入されたともいわれる地球帝王勅命の鎮圧艦隊も到着。ろくな審議もないままに、その「首謀者」とされた者たち──かつてレアルセアを支配していた旧列強諸国の諸王たちを、この機に乗じて容赦なく拘束していった。
対して「地球の英雄」たる王子さまの危機を救ったわたしは、同じ地球人たちによって大々的に持ち上げられ、なんと地球本星にまで招待されてしまった。
これでもかと地球式の礼装で飾り立てられたわたしは、特例中の特例で地球帝国の帝王にも謁見が許され、連れ回された先々で表彰され、感謝され、その様子は地球はもちろん、ほとんど即時にレアルセア全土にも伝えられた。
両世界をつなぐ魔導回廊をリアルタイムの通信で繋ぐのは大変な手間と魔力が必要で、それこそ今回のような大規模軍事作戦以外で行われることはめったにないというのに。
そうして異世界側に対する露骨な宣伝戦略に利用されたわたしは、その「忌まわしい出自」もろとも、地球圏/レアルセア双方に広く知られる存在となってしまったのだった。
地球を出てレアルセアに戻る頃には、当然ながらわたしの悪評は際限なく悪化していた。
それは生まれた町はもちろん、レアルシア大陸の全土で居場所を失う勢いだった。
ちなみに地球人たちは、この星の呼び名である「レアルセア」と大陸名である「レアルシア」をたびたび混同させてわたしたちの不興を買っているが、そんなものの比ではない。
もっとも大陸のほとんどは人が住めない酷寒の魔境で、逆に来いと言われてもこちからお断りな世界ではあったけれど。
むしろ地球側の方が、わたしの「保護」に熱心だったくらい。
企業連合の外郭団体である社会福祉財団みたいなところが、わたしを保護しようと何度も町へやって来た。
その筆頭があの「王子さま」だったことは、やはり当時のわたしの知るところではなかった。
もっとも、たとえ知っていたとしてもやることは変わらなかっただろう。
、地球と関わるのはもうこりごりだったわたしは、保護司面した地球人たちを見つける度に町中を逃げ回って隠れ続けた。
空腹と寒さとで夜になる頃にはほとんど疲れ果ててしまい、どこか知らない街角の路地裏であくびしてる猫の横に座り込む。
姿を消して逃げるどころか、さもそれが当然のことであるかのように黙って頭をなでられている猫を、ぼんやりと見つめる。
猫の頭はほんのり温かくて、冷えきった手でなでるのは悪いかなとも思った。でも猫の方は、別に逃げる様子もなく居眠りを続けていた。
できることならその体ごと抱きしめたかったけれど、それはガマン。眠っているのを邪魔したくなかったし、お互いお世辞にも清潔とは呼べない姿だったから。
地球人用の服はどれも出来がいい上に汚れにくいが、それにも限界がある。
わたしが主に地球で着せられていたのは、大きな後ろ襟と胸元を飾るリボン(色は好きに選べる。わたしは赤が好きだった)と、下半身を覆う「スカート」が特徴の子ども服だった。
ただしその「スカート」は見た目優先のせいか、合わせて保温機能のあるタイツが欠かせなかったけれど。
厚めの生地はとにかく頑丈で汚れにも強く、多少の汚れさえ気にしなければ結構長く着続けることができそうだった。ところが地球人たちは、これを毎日とっかひっかえしていてた。そのことだけでも地球とレアルセアの違いを見せつけられる思いだった。
とはいうものの、さすがのわたしも、できればそろそろ服を着替えたい。体も洗いたいし、きれいなベッドで眠りたい。
でも凍えたわたしの手にあるのは、猫の頭以外には、目には見えない「地球栄誉市民賞」の称号だけ。
実はお金なら、各種報奨金も含めて、子どもの身には文字通り使い切れないほど持っていた。
けれどそれは全て地球にある。
レアルセアの通貨に換金されることもなく、その全額が地球の銀行に信託資産として預けられていた。わたしが地球年で二〇歳になるまでは引き出せないおまけ付きで。
当時のわたしは地球年で一〇歳だったので、あとまだ一〇年もあった。
レアルセアの暦に直せば六年と数旬月。どちらにしても、これまでわたしが生きてきた時間と同じ長さ。もう一度この「クソ人生(地球で覚えた罵倒語)」をやり直すようなものだ。
そんなのまっぴらごめんだ。
猫のおかげで少しだけ回復した体力で、まだ動けるうちに移動を再開。
今夜のようにことさら疲れた夜には、決まって行く場所がある。
わたしの運命を大きく変えてしまったあのミュージアムだ。
ミュージアム自体は、実は三〇〇年前(二〇〇地球年前)の魔祖召喚戦争の際、その召喚儀式の場として、四代魔祖の一柱をお迎えするための祭壇が置かれたところだった。
今では企業連合のレアルセア商館や、地球からやって来る貴族諸侯や王族用の宿泊施設、その護衛軍隊の駐屯所などもあって、かつての面影はほとんど残っていなかった。
前とは違い、この時のわたしは正式かつ期間無制限のミュージアム入場証を持っていた。
なので開館時間内であれば堂々と正面から入ることができた。
でもその度に注目されたり、保護司に通報されたりするので、やっぱり夜になって閉館した後にこっそり入り込むのが習慣になっていた
昼のうちに仕掛けておいたトラップを使ってさっさと中へ。
まずはアーカイブ棟にある食堂へと向かう。
その裏口のドアを、とんとん、と小さく二回たたく。
まるで待っていたかのようにドアが開き、気難しそうな顔の厨房マネージャーさんが黙って突き出す茶色の紙袋を受け取る。
中身は決まっていて、たいていは数個の丸型パンと、地球製の軍用チョコレートバー(めちゃくちゃ固くて歯が痛くなるほど甘い)、それにレイル豆のミルクのパックが入っている。
その日にたまたま地球のお偉いさんが来館していたりすると、カップ入りのミニケーキや、丸パンの代わりに揚げた肉やボリュームたっぷりの具を挟んだ「さんどいっち」という地球の郷土料理などが入っていることもある。
その袋を手に目指すのはトライゴーG……ではなく、その横にある銀色の自走式移動車。
地球製の軍用メカにしては珍しく地味な、銀と黒で塗り分けられた車体。
ロボットの操縦席の方が見つかりにくいけれど、また勝手に動いたら面倒だ。
対してこの小さいやつなら、ちょっと動いたところでどうってことはない。何かあっても地上にあるからすぐ逃げられるし。
そのドアに手をかける。
もちろんロックがかかっているけれど、地球の魔法がザルなのか、ドアハンドルを握っただけであっさり解除される。
中は狭い。ただでさえ邪魔っけな鉄パイプに覆われた室内は、大小の四角い箱やら丸いメーターのようなものがいくつもあって、さらに手狭になっている。特にあのレバーがついてる側の席は座席も固くて、その後ろも機械だらけで倒すことすらできない。
でも体の小さいわたしには問題ない。温かいし、風が吹き込んでくることもない。
これで猫がいれば完璧だけど、まあそこまでは望むまい。
食べるものを食べ、明日用に残したパンを入れた紙袋の口をねじって封をすると、もうすることもない。あとは朝まで眠るだけだ。
今のわたしが望むのはそれだけ。
レバーのない側の座席に座り、紙袋を抱いて目を閉じる。
ふわわあ、とあくびをひとつ。
「おやすみなさい、レン……」
眠りにつく寸前、いつもそうして誰かに呼びかけているような気がする。
でも目が覚める頃にはすっかり忘れているのだった。
レン……?
レン……誰だろう?
3 夢と希望
そんな日々が地球暦で一年近く続いた頃、わたしに一つの転機が訪れた。
新しくこの地にやって来た一人の地球人魔導ロボット技術者が、わたしに興味を示したのだ。
彼は企業連合最大の勢力を誇る軍事部門で、主に艦載型戦術魔導ロボットの研究・開発を担う部署の最先任魔導技術責任者をしていた。
その彼が、なんの訓練もせず、また予備知識もない中で、骨董品とはいえ戦術兵器級の魔導マシン──トライゴーGを動かしたわたしに、是非とも会いたいという。
いや会うだけじゃなく、正式な養女として迎えたいとまで言っていた。
魔導ロボット研究一筋で他に家族はなく、同居者として老いた猫が一匹いるだけの彼に、それはどれほど大きな決断だったことだろう。
そして地球とレアルセア双方で巻き起こったすんだもんだの末、最後には会社の同僚や「友人」たちの反対を押し切って、その言葉通りわたしを養女として引き取ったのだ。
もちろんわたしは、最初はその提案に頑として反対していた。
なんなら自ら反対派の先頭に立ち、断固反対の罵声を浴びせたいくらいの勢いで。
まあ具体的には、例によってただ町中を逃げ回っていただけだったけれど。
そんなわたしを心変わりさせたのは、彼の「同居猫」たる一匹の猫と、そして後に養父となる彼──グイス・クラブバレー氏本人と交わした「夢の話」だった。
人と同等の待遇を受けて異世界からやって来たその地球猫──マーギ達の中にはほとんどいない三毛猫の「エバ」は、なぜか町に隠れたわたしを見つける名手だった。
現地猫と違い魔法もなく、土地勘すらないくせに、どこからともなくこの「エバおばさん」はやって来る。そしてわたしの目の前で大儀そうに大きくあくびをすると、ぐったり横になってしまうのだった。
その姿は「もう歳なんだから、こんなに走らせないで」とわたしに抗議しているようで。
だらんと体をのばして横たわる見慣れない毛並みをした老猫を前にすると、それこそまるで魔法にかけられたかのように、わたしはそれ以上動けなくなってしまうのだった。
ある日、とうとう眠ったまま動かなくなったエバを抱えて──もしや本当に死にかけているのかと心配になって──仕方なくその「伴侶」が定宿にしているホテルを訪ねた。
そこはあの「黒メガネの王子さま」も泊まったという、地球人街の中心にある最高格式のホテルだった。
抱えた三毛猫の色褪せた毛色に負けないくらい薄汚れた小さな女の子なんて、近寄るどころか、一〇〇レーン(約二〇〇メートル)手前で門前払いされても不思議はなかった。
ところが実際には門前払いされるどころか、それこそ不思議なことに、軍礼装風の制服をまとった年配のドア係は何も言わずその大きな扉を開けてくれた。
さらにその先には、真っ白なエプロンドレス姿のメイドさんが待っていた。
彼女はわたしに、先にシャワーを浴びて服を着替えるか聞いてきた。そのための部屋も、着替えの用意も全て整っていますよ──と。
エバを抱いたまま黙って首を振るわたしに、メイドさんはそれ以上何も聞くことなく、最上階にある彼の部屋まで連れて行ってくれた。
「ここはきみが救った、あの『王子さま』が泊まっていた部屋だよ」
そう言って出迎えてくれた彼──グイス・クラブバレー氏は、予想以上に歳を取って見えた。
「どこぞの不老不死気取りの創業者とは違って、ちゃんと歳を重ねてきた結果さ」
むしろそれを誇るように、鼻先にひっかけるようにした透明な丸メガネの向こうから、しわだらけの顔をさらにしわくちゃにして笑いかけてくる。
「大丈夫。きみが独り立ちできるくらいまでは、まだまだじゅうぶん生きられるよ」
「わたしは猫を届けに来ただけです」
「わかってる」
グイス氏はひとつ頷くと、わたしの身なりには何も触れることなく、背を向けて歩き出した。
もっとも身なりについては、ぼさぼさに取っ散らかった白髪にしわだらけのスーツ姿──とても地球の上級エリートには見えない──彼の方も負けてはいなかったけれど。
わたしは汚れひとつない、大きくてふかふかのソファの真ん中にエバおばさんを寝かせてやった。
そのまま回れ右して帰ってもよかったのに、なぜか彼の後をついて隣の部屋に入っていった。
グイス氏は、その部屋の真ん中にある大きな丸いテーブルの向こうに立っていた。
黙ってやって来たわたしを見て、確信していたように、でもどこかほっとしたように、またゆっくりと笑う。
笑い慣れていない、そのくせどこか人懐っこそうな笑み。
テーブルの上には、零れ落ちんばかりに様々な食べ物やお菓子や、飲み物や、飾りなのか食べ物なのか見分けがつかない花飾りなどで埋め尽くされていた。
初老の地球人男性と、常にすきっ腹を抱えているけれど、もうそれにはとっくに慣れてしまった男娼街育ちの小さな女の子の二人では、とてもじゃないが食べきれる量じゃない。
いや、この町にいる「地球血統の子」たち全員を連れてきても食べきれないだろう。
「やりすぎよ」
「ぼくの趣味じゃない。きみが来るからって、ホテルの方で勝手に用意したんだ」
「どうしてわたしが来るってわかったの?」
「さあねえ」
彼の王子さまの命令で、帝国総軍情報部や企業連合警備部の特別チームが、わたし一人のために惑星規模での探索監視体制を敷いていたことを知るのは、まだずっと先のことだった。
「……エバおばさんは?」
「誰だって?」
わたしは、あ、っと小さく後悔しながら、
「猫よ」
「あ、ああ。あの子か。大丈夫。身体モニターに異常はないから」
エバおばさんの首輪は彼女の身体機能を常時監視していて、本当に異常があればすぐに知らせてくれるという。
「まあ疲れているのは間違いない。あのままゆっくり寝かせておいてやろう」
そう言うと彼は、テーブルに置かれた様々な飲み物の中から、迷うことなく湯気の立つ小さな白いカップに手をのばした。
軽くそれに口をつけて、
「──きみには夢があるかい?」
誘うように手元のカップをわたしの方へ掲げてみせる。
「あるように見える?」
ぐうと鳴りそうな腹に力を入れて耐えようとしたら、逆に喉がごくっと鳴ってしまった。
怒りと恥ずかしさとで、自分の顔が火照っているのがわかる。
でも顔を上げて、しっかりと目の前の彼を見る。
「その小さなカップに入っているものを買うだけの値段で、この町では何日生きられると思う?」
端から彼の答えなんて期待してない。勝手に先を続ける。
「そんな町にいるわたしに、魔法中毒でとっくに死んでいてもおかしくなかったはずの、その日一日ををやり過ごすだけでせいいっぱいの死にぞこないに、どんな夢が見られると思う?」「そうか」
彼は手にしたカップをテーブルに戻すと、
「ぼくにはある」
わたしの睨みつけるような視線にもまるで臆することなく、むしろ誇るように胸を張る。
「子どもの頃から──それこそ今のきみよりも小さかった頃から、ずっとずっと、願い続けてきた夢だ」
「……ロボットの、夢?」
思わずそう口にしていた。
同時に目が回りそうな既視感がどっと押し寄せてきて、思わず倒れそうになる。
例のもやもやからあの不吉な鳥が顔を出しそうになるけれど、しわだらけの大きな手が、ふらつくわたしの体を支えるように伸びてきた。
その手を頼るようにして、どうにか立ち続ける。
「大丈夫かい?」
「わかんない……でも、エバおばさんが助けてくれたから」
「エバ……? あの子が?」
「こっちの話。気にしないで」
わたしはふう、と大きく息をついてから、
「そっか──やっぱりロボットなんだ」
「ああ。そうだ。そうだとも!」
まるで褒められた子どものように、その声に力がこもる。
「本当に小さな子どもの頃から、こんなに歳を食った今でもなお思い続けている、追い続けている、大切な大切な夢だ!」
大きくなる声に負けじと、大きく両手を広げて、
「ロボットさ! 自分で考えて作ったロボットに乗って、世界を! 宇宙を! 異世界を! その全てを旅して周るのが、ぼくの夢だ! 夢だったんだ!」
「叶ったの?」
「──いいや」
広げていた手を下ろして、苦笑い。
「でもだからこそ今ここにいるのだし、未だにその夢を心に抱き続けていられるんだよ」
さらに慣れないウイング? までしてみせる。
「その上、こうしてきみにも出会えたしね!」
彼の言葉にまた既視感。
わたしは小さくため息をつく。
まったくこの連中って。みんな同じなんだから。
「……それでいいの?」
「もちろん!」
力強くうなずく。
「決して叶わない夢だからこそ、いつまでも持ち続けていられる。そしてそれこそが、ぼくをより先へ、先へと導いてくれる」
もし手が届いてしまったら、そこで止まってしまう。終わってしまう。
叶わない夢──それは、決して尽きることのない希望の源泉でもある。
どれだけ成功したと思っても、やり遂げたと思っても、ぼくにはまだまだやることがある。
こんなところで満足して足を止めてはいけないと、それが気づかせてくれるんだ。
「だからぼくはここまで来れたし、この先も進み続けることができる」
「どこまで?」
「行けるところまで」
そこで力尽きても、ぼく自身に文句はない。ただ──
「ただ?」
「ただできれば、ぼくが倒れたその場所から、さらにその先を歩き続けてくれる後継者がいてくれたら、本当にもう思い残すことはない」
「あなたの夢を叶えるために?」
「なんだっていいさ。ただきみの望むまま、行きたい方へ行けばいい」
それは一つの幹から分かれた枝のようなもの。
どれだけ分かれても、根は一つ。
思いは同じ。
上へ、上へ!
先へ、先へ!
思いが繋ぐ。思いが巡る。
繋ぎ紡がれ、巡ってゆく。
誰かの夢を、誰かが継いで──そうして人は繋がって、やがてその手は遥か異世界の銀河にも届いて、そこにいる人々の手を握ることができるんだ。
「ちょうとこのぼくときみのように」
「でもレアルセアと地球は、そのせいで戦争になったのよ」
「同じ失敗を二度繰り返すつもりはないさ!」
手にしたカップぐっとを突き出す。
「特にきみとぼくとの間ではね!」
宣言するように言い放った彼は、その勢いのまま中のものを一気に飲み干す。
「あっちっち!」
見た目にそぐわないその子どもっぽいしぐさに、思わず笑ってしまう。
笑わせるためにわざとやったのなら、相当の手練れかも。
それってなんの手練れなんだか。
ていうか考えすぎ。ただおっちょこちょいなだけだ。
そう思うと、また笑ってしまう。
今度は顔だけじゃなく、声を出して。
「ばっかみたい! ──あ」
はっと気がつく。
笑った? わたし?
今わたし、笑ったの?
それも声に出して?
それも初めて会った人の前で?
前に笑ったのはいつだったかなんて、もう思い出せない。
「どうしたね?」
笑っていたと思ったら突然黙り込んでしまったわたしに、テーブルを回ってグイス氏が近づいてくる。
わたしは手を上げて彼を制すると、その場でぺこりと頭を下ける地球式の挨拶をする。
「──帰ります」
「なぜ?」
「わたしにはできないから」
誰かの夢。ロボットの夢──
前にもこんなことがあったような気がする。
でもそれは叶わなかった。叶えることができなかった。
だって、全てあの「もやもや」の奥に置き忘れてきてしまったから。
わたしはただのグースブラッド。
誰からもその生を望まれない、忌むべき子どもなんだから。
「そんなことはない」
くるりと背を向けたわたしに、それでも彼は、グイス氏は。
「きみは叶えてくれたじゃないか。ぼくの夢を」
その言葉を無視してわたしは歩き続ける。
「あのロボット──きみが動かしたトライゴーG」
外へ出る扉のドアノブに手がかかる。
「ぼくが生きている間に、もう一度あれが動く姿を見られるなんて思いもしなかったよ」
それはただ彼一人の夢じゃない。
あのロボットに関わってきた者たち──ここまでずっと、何百年もその存在を守り支え続けてきた者たちみんなの願いでもあった。
「それをきみは叶えてくれたんだ!」
「……ただの偶然です。わたしは何もしていません。あれが勝手に動いただけです」
「違う!」
金色のドアノブに手を置いたまま、でもわたしの足は止まっていた。
「トライゴーがきみに、きみの心にある想いに応えたんだ!」
「心の、想い……」
取っ手を握ったままのわたしの頭に──その心に、またあのもやもやした感情が湧き上がってくる。
けれど今度のそれは鳥の形をしてなかった。
それは言葉だった。
遠い遠い昔に、誰かがどこかで「わたし」に語った言葉──
『結局おれ自身はパイロットにはなれなかった。でもこうして本物のロボットを作ることができたし、我が娘がその操縦者になった』
『それもこれも、子どもの頃の夢をずっと見続けてきたおかげだと、──は思うよ』
その言葉が続く間、心の中で暴れ出そうとするメイヴィーを、くたびれた三毛猫が押さえつけてくれていた。
その間にさらに考える。
言葉の主を思い出そうとする。
誰の言葉だったか──だめだ思い出せない。
いやもう誰でもいい。
誰でもいいから、そうしていつまでも他人の夢に付き合わされるこちらの身にもなってほしかった。
くるりと回って扉に背を向けて、テーブルの向こうにいるその人を改めて睨みつける。
ひと言そう言ってやるつもりで。
けれど口から出たのは、
「よかったね、グイスさん」
だった。
振り返ったわたしにグイス氏は、うんうん、と大きく何度も頷いてみせる。
「でもひとつだけ」
今にも泣きそうなその顔に(もしかしたらわたしも同じ顔をしていたかもしれない)、わたしは腕を上げて立てた指をつきつけた。
「代わりにひとつだけ、わたしの夢も叶えて」
「聞かせてくれ」
「トライゴーをもっと強くして」
それはわたしの大切な人を──人たちを守れるように。
今度こそ、ちゃんと守れるように。
誰かを──それはたとえば、新しく「父」となってくれる人を。
「わかった。約束する!」
グイス氏は──わたしの新しい「お父さん」は、満面の笑みで即答してくれた。
そして翌朝。
その日からこの部屋がわたしの新しい住まいとなり。
わたし自身もまた、名前のない野良猫ではなくなった。
ユユカ・クラブバレー。
それが新しいわたしの名前。
この世界に目覚めて一〇年目(もしくは一五年め)にしてやっと手に入れた、自分の名前。
それもわたしの「夢」の一つだったと気づいたのは、昨日「家族」となった記念に買ってもらった「熱々のあん入り菓子」にかぶりついた瞬間だった。
焼き立ての風味を保つために別料金で保温魔法を二度がけしてもらっていたのを忘れていたせいで、思わず舌を火傷しそうになって。
「あっちっち!」
それを見てグイス氏は──父さんは、親子だなあと、嬉しそうな声を上げて笑ったのだった。
※ ※ ※
ようやく明るくなった空の下で、ホテル前の専用停車場に一両編成の路面魔導車が停まった。
大きな窓越しにそれを見て、ロビーのソファから長身痩躯の青年が腰を上げた。
地球年で一〇歳くらいの女の子がそれに続く。
正面扉を開けて挨拶するドア係に送り出された二人──外の寒さから逃れるように深々と帽子をかぶり、防寒コートの前を合わせて身をかがめた青年と、地球人学校のお仕着せ外套を羽織った、その透き通るような赤色の髪を特徴的なツインテールに結った女の子──は、足早に「貸し切り」と表示されたその路面魔導車へと乗り込んだ。
すぐに折り畳み式の扉が閉まり、チリンチリン、とベルが鳴って走り出す。
古びた電球色の照明の下、車内には二人の他に乗客はいない。
「あーさむさむ!」
青年は、女の子よりも先にさっさとベンチシートの真ん中にどかっと腰を下ろした。
暖房の効いた暖かい車内で、それでも企業連合の若手エリート風セビロスーツの上に羽織ったコートから手を離さない青年に、隣に座ったすまし顔の女の子がひと言、
「軟弱者」
「あと一〇歳分も歳を食えばオレの気持ちがわかるさ」
「ホテルから出てちょっと外を走っただけじゃないか」
「偉大な四大魔祖が一柱、第四位の『火の星霊王』の加護を得たお前と一緒にしないでくれ」
「だからといって、別に体の中で火が燃えてるわけじゃないぞ」
『そうそう。だたほんのちょっぴり、体温を上げてやってるだけじゃよな!』
つんとした声で言い返す女の子に続いて、車内スピーカーから別の女の子の声が言った。
「あ、こら! フィー! 勝手に出てくるな!」
思わず天井を見上げて怒鳴る女の子に、やっと帽子とコートを脱いだ青年がにやついた笑みを浮かべる。
女の子は、彼のその緩やかにウェーブのかかった金髪を見て、ふん! と鼻を鳴らす。
「だから似合ってないぞ、金髪」
「わかりやすくていいだろ。どうせオレは偽物なんだし」
「自分で言うか」
「いつも自覚してないと、うっかり自分の方が本物のお前だと錯覚しかねいからな」
青年はまたにやりと笑う。
「その方がいいか?」
「うっせ──とにかく!」
赤い髪の女の子は、真っ赤なミトンに覆われた小さな手をぽん! と合わせて、
「これでようやく一息だな、レン?」
「ああ蓮兎。ここまではとりあえず予定通り。あとは『彼女』次第ってわけだ」
もう見えないホテルの方へ顔を向けた青年──「レン」が、まだ少し笑みの余韻を残しつつ大きくうなずいてみせる。
「ユユカ──って言ったっけ。偶然か知らないけど、またいい名前をもらったもんだ」
彼から「蓮兎」と呼ばれた女の子も、正面を見据えたまま、ミトンの下の小さな両こぶしにぎゅっと力を込めて、
「ここからだぞ。頑張れよ、ユユカ──友佳!」
4 頑張ってますよ?
良くも悪くも「家族」と「居場所」を得たわたしに与えられた次のミッションは、「学校」に通うことだった。
ルインシアの町から専用の魔導鉄道を走る寝台列車に揺られ続けること一泊二日。
監視と護衛を兼ねて空を行く魔導改造された有翼ドラゴンと、こちらも同様に魔導怪獣エクスギーガが徘徊する山間部を抜けた先に、その学校はある。
「レア=ルイール総合魔法技術学院」
それは企業連合がこの地に開設した学校の一つ。
町全体がひとつの学校になっている──いわゆる「学園都市」だ。
主としてこのレアルセアに常駐する地球軍人や企業社員の子女向けの全寮制寄宿学校。
とはいえ一応、わたしのようなレアルセア人の子女にもその門戸は開かれている。然るべき推薦状があり、他の受験者と同じ条件で試験を受けて合格すれば、正規の学生に準じた扱いで入学(もしくは編入)することができるのだ。
それは要するに、レアルセア人については「入学(もしくは編入)自体は許可するが、その先はなんの保証もない」ということだ。
そしてそれの意味するところを、わたしはほどなくこの身をもって実感することになる。
学校内でほとんど唯一の「現地人」であるわたしには、当然と言えば当然ながら、やはり厳しい「歓迎」が待っていた。
編入試験対策やお嬢さま教育(こちらはまったく時間の無駄だったけど)などで、ただでさえ周りから一学年分遅れての編入だったり、元からあった地球のプロパガンダに利用された際の悪評やら、さらにそこに「家族のいない地球人男性に取り入って上級役員のお嬢さまになった悪徳令嬢」としての評判も加われば、どんな扱いを受けるかは嫌でも予想がつく。
ならばとこちらも半分開き直って、逆に自ら積極的に「悪役」を演じることにした。
その勢いと態度で周りの地球人生徒たちを圧倒、ぶっちゃけ力押しで自分の居場所を確保し続けてきた。
思えばこの時ついた悪いクセが抜けなくて、後々の自分を苦しめることになるのだが。それはまた別の話。
いずれにせよそのおかげで、初等部に編入した直後から高等部に上がった現在まで、教室ではもちろん、日々の食事も有志による課外活動も、ほとんど「ぼっち」で過ごす羽目になった。
ぼっちで孤独だったけれど、でも気楽なことも確かだった。
学生たちでごった返すお昼どきの食堂でも、わたしが使うテーブルはいつも空いている。
学校の食堂とはいえ、そこはやはり企業連合直営の地球系学校。地球でも有名な料理店直伝のメニューは豊富で、特にスイーツと呼ばれる食後の菓子は何もかもが絶品だった。
残念ながら「たいやき」はなかったけれど、食事のたびにあれこれ試すのは楽しかった。
一人独占したテーブルで、飲み放題の食べ放題(次の授業までの時間勝負だけど)。
気分はまるで王侯貴族──なんて思うのは自分だけ。周囲から見れば間違いなく「テーブルを独り占めして好き勝手している悪徳令嬢」そのものだったと思う。
もう今さらその態度を改める気もないけれど。
ここまでしなくても、わたしにはもっと「普通の学校」に通う選択肢もあった。
それでもあえてこの学校で頑張っていたのには、相応の理由があった。
軍人の子女が通っていることもあり、ここでは高等部になると、地球帝国宇宙総軍士官候補生学校の特修コースに参加できるのだ。
わたしが狙っているのは、その中の戦術魔導ロボ操縦教練コース。
それはもちろん、あの「トライゴーG」を再び動かす時のため。
とはいえ、この先またあれに乗って戦う機会なんて二度とないだろう。
そもそもトライゴーGは貴重な歴史遺産であって、現役の魔導兵器ではないし。
ただそれでも、それが必要な時、あの魔導の巨人を自由自在に動かせる「わたし」でいたい。
わたしにはあのロボットを、トライゴーGを操る使命がある。
それはもはや義務とさえ言ってもいい。
根拠はない。まったくない。
そのことについて考えようとしても、またあのもやもやした感情に邪魔されてしまうだけ。
でも。それでもこれだけは譲れない。だって。
だって、トライゴーGは。
トライゴーは、わたしのものだ。
他の誰のものでもない。わたしだけのものなのだから。
5 友人、ですよね?
教室の扉を開けた瞬間、緩やかにざわめいていた室内の空気が一瞬で固まるのが分かった。
今学期が始まって早一旬月が過ぎていた。
扉にはその教室に登録された生徒にしか反応しない魔法がかかっている。
なので、今さらここで見知らぬ誰かが入って来る可能性はまずない。
にもかかわらず、この反応。もはや挨拶がないこと以前の問題だ。
もちろんこれが二巡週間振りの登校だから──というわけではない。
わたしが歩き出すと、それにつれて固まっていた空気がゆっくり溶け出すようにして、また話し声が戻ってくる。
良くも悪くも二巡週間前と変わりない雰囲気。ああ懐かしい(嫌味ですよ?)。
「──ふう!」
ちょっと懐かしくさえ感じる教室内の匂いや景色を前に自分の席に座ると、思わず大げさなため息が出た。そのまま机の上に突っ伏すように身を伏せる。
あの八度目の結婚騒動から二巡週間──地球歴で一〇日が過ぎていた(ちなみに学校内では基本的に地球歴が採用されている)。
どうやってあの場を切り抜けて、それからどう過ごし、そして今こうして学校の教室で自分の机の上に突っ伏しているのか、ほどんど記憶がない。
それはまるで、覚めてしまった後で忘れてしまった夢の記憶のように。
これだから、あのメイドコンビにも「突発性妄想健忘症候群」呼ばわりされてしまうのだが(その原因の大半はあの「もやもや鳥」のせいなのだが、こればっかりは誰にもわかってもらえない。困ったもんだ)。
ほとんど忘れてしまったはずのその「夢」の中で、わたしはずっと過去の自分を見ていたような気がする。
小さな女の子だった自分。ただその日その日を生きているだけでせいいっぱいだった頃。
そうそう、この「夢」のおかげでちょっと思い出したこともある。
あの頃のわたしが、まさかレント──あの黒メガネの命を救っていたなんてね。
本気で忘れていた。もったいない。
次に会ったら絶対恩に着せてやる。
……それまで覚えていたら、の話だけど。
「お帰り、ユユカ。お疲れさん」
前の席で椅子に横座りした女の子が、わたしの頭に手をのせて左右に滑らせる。
地球の習俗ではそれは「なでなで」といって、親しい相手に同情を示す行為らしい。
でもせっかくの髪がくしゃくしゃになるし、ちょっとうざい。
けれど今は文句を言う気力もない。
「十日間振りかあ。今回も大変だったみたいね」
「ありがとキリハ──まあね」
完全に敵地のクラスの中で唯一声をかけてきた黒目黒髪の彼女──詩亜鹿キリハの、その手を頭にのっけたまま顔を上げた。
細い銀縁メガネに黒髪ポニテの彼女越しに、改めて教室内を見回す。
二〇人ほどいるクラスメイトたちのほとんどは、相変わらず目も合わせてくれない。
逆にわざわざ顔を向けてくる少数派もいるけれど、その目線は一様に厳しい。
胸にぐさぐさぐさくさ突き刺さってくる。痛い痛い。
これまでと何も変わらない、教室あげての大歓迎ムード……ていうか。
正直、もっと悪くなってるような気が。
はあ。
手を引っ込めたキリハは、それまで読んでいた本(紙に印刷して綴じた本物の「本」だ)に再び目を向けながら、
「……八度目だっけ?」
「八度目です」
「懲りないねえ」
「もう意地かも」
正直、自分でもなぜここまで「結婚」にこだわるのか、わからなくなってきた。
地球のエリート層の子女が集うこの学校では、学生の間に婚約者がいたり結婚が決まっていたりするのは珍しくない。
さすがにそれを何度も繰り返すような変わり者はいないけれど(約一名除く)。
「そもそもどうして、わたしはこんなに結婚したがってるんだろ」
ついぽろっと出たその言葉に、キリハが一瞬ぎくりとしたようにこちらを見た。
地球生まれには珍しくない黒い瞳が、きゅっと揺れた気が……いや気のせい、かな?
次の瞬間には、彼女は何事もなかったかのように、また本の世界に戻りつつ、
「それ自分で言っちゃうか」
「だよね。あ~あ。あれだけ大騒ぎして、結局、わたしの悪評がさらに悪化しただけか」
「何を今さら。この悪徳令嬢が。いやめでたく最悪令嬢にレベルアップしたんだっけ」
「レベルアップ言うな」
「自業自得でしょ──聞いたよ、今回はお付きのメイドさんコンビもクビにしたって?」
「元々ホテルにいた子たちをそのまま引き抜いただけだし。元の職場に戻しただけだよ」
「執事さんも」
「そもそもこんな仕事のために雇うような人じゃないし。地球帝国なら諸侯貴族階級の家を仕切るような立場で活躍できる人だもん。むしろあの人のためだよ」
「どんなことにも一応それっぽい理屈をつけるところが、また憎たらしい悪役っぷりだねえ」
「つまりどう転んでも悪役ってわけね、わたしは!」
級友の顔を恨めし気にひと睨み。そのまま机に肘をついて顎を乗せ、
「けど正直、これであんたにまで嫌われたら、本当にこの教室でわたしの居場所なくなっちゃうかも」
「それで困るくらい可愛ければ、むしろそれ見たさに突き放すとこだけど」
まったく悪意のない顔で本音をぶちまけてくれつつ、ニコッと笑う。
大きく括って長いポニーテールにした漆黒の髪に縁どられた銀フレームのメガネが、きらりと光る。
うん、いい笑顔だ。
言葉は容赦ないし、メガネに守られたやはり漆黒の瞳も冷たいままだったけれど。
でもこれが彼女だ。
このレアルシア大陸北限よりも寒々しい教室でただ一人の、なんなら正面きって友人だと言っても肩をすくめるくらいで許してくれる存在。
「せめてこれ以上クラスメイトに嫌われないコツがあったら教えてほしいよ。ねえ、レアルセア地球圏企業連合軍需部艦船局宇宙戦艦建造担当局長令嬢さん?」
わたし(というかこのクラスの同級生たち)と同様、企業連合でそれなりの地位にある親を持つ彼女は、わたしと違って教室内での人望も厚く、クラスの学級長にも満場一致で選出されている。
もっともそんな彼女だからこそ、こんなわたしと一緒にいても誰も文句を言わない(言えない)のだけれど。
彼女は読み止しの本に目を落としたまま、その内容を音読するような淡々とした声で、
「コツというか、それはわたしが容姿端麗学業優秀スポーツ万能、さらに料理裁縫ダンスに歌、幼い子どもとの魔法遊戯から気難しい古老相手の地球式盤上遊戯に至るまで、日々弛まぬ努力と根性で万事そつなくこなす完璧超人だから、かな?」
ウソつけ──と言えないところが恐ろしい。
なのでひと言、
「無理」
「だろね」
さらっと肯定してくれる。
こちらも別に何かを期待しているわけでもない。
要はどうでもいい話。
他愛のない会話。
他のクラスメイトたちと同様の。
それは彼女たちの会話と混ざり合い、一つとなって、教室内を揺蕩っている。
わたしの口から出た言葉も、そこでは仲間外れにされることはない。
言葉同士、仲良くやっている。
その言葉たち同様、わたしのことは、もう誰も気にしていない。
それはわたしがこのまま教室にいてもいいという、無言の肯定。
ここまでくれば、一安心。肩から力が抜けるのがわかる。
一時限目が始まるまでの、いつもの光景。
わたしがこの教室に馴染むための、いつもの儀式。
「ところで」
まるでその「儀式」の終了を待っていたかのようなタイミングで。
教室内のざわめきに紛れるくらいに声を潜めて。
その身を乗り出すようにして、思いきり顔を近づけて。
わたしの耳元で、彼女がささやいた。
「あっちの方は? 計画通り行ってるの?」
「……何が?」
「だから! ──っとと!」
思わず声を荒げそうになって、ぐっとそれを飲み込む(器用だ)。
それから改めて、ちょっとイラつくように語気を強めて、でもやっぱりひそひそ声で、
「だから──トライゴーG強奪計画!」
「──は?」
はああああああ!?
6 キリハの事情
一限目の授業──「異世界共用語」終了後。
教室を出たキリハは、直後全速力で教室のある校舎を出て別棟にあるトイレへと駆け込んだ。
「──どうなってんの、メイヴィー!?」
個室内で人払いの結界を張った直後、便座の背後にある貯水タンクの上あたりに姿を見せた黒羽の鳥をきっと睨みつける。
「あの子、トライゴーの件すっかり忘れちゃってるじゃない!」
「それがですねー、ここのところずーっと心の中がごちゃごちゃ~のもやもやぁ~で、ず~っとガンボ沼にハマりっきりで~、こっちもうまく飛べなくて……」
「がん……? って、妙なモノにハマってんじゃない! それでもこの三日月銀河を滅ぼしかけた最強最悪の第五魔素の使い魔か!」
「あ、それ自分で言います~? ──あたっ!」
何もないはずの空中で、見えない何かに叩かれたように落下する黒鳥。
けれど便器溜まりの水に落ちる寸前、翼をバタバタさせてどうにか浮き上がる。
「ふー、危なかったです~!」
貯水タンクの上に降り立つと、ほっとしたように羽繕いを始めた黒鳥に再びキリハが迫る。
鼻先にずれたメガネがその白い嘴に当たってカチンと音を立てる。
「何勝手に休んでんの? いっそ水浴びして気合入れ直せ! 手伝ってやるから!」
水を流すレバーに手を伸ばすキリハに、黒鳥はつぶらな黒目をしぱしぱさせて、
「わたしは頑張ってますです! でもでも~、もやもや沼に加えて、あの猫が──」
「猫?」
「ですです~!」
必死に首を上下させてアピールする黒鳥に、キリハは鼻先のメガネを戻しかけた指を途中で止めて、
「猫って、あのエマおばさんとかいう老いぼれの地球猫?」
ユユカの家──といってもホテル最上階のペントハウスだが──には、確かそんなふざけた名前の三毛猫がいたはずだ。
「けど地球猫って、魔法とか使えないでしょ」
「それじゃないです~。別の猫です~」
「別の? まさか『フィー』の使い魔?」
「火の星霊王の匂いはしなかったですが~」
「じゃあ何よ?」
「……さあ~?」
「使えねー使い魔──やっぱり水浴び? 少しはしゃっきりするかもね」
再びタンクのレバーに手を伸ばすキリハに、ぶんぶんぶん! と高速で頭を振る黒鳥。
「それだけはー! ほんとすみませんですー、まったく魔法足らずで~!」
「それはあんたを作った主人の魔力がダメダメだってことかしら?」
「あわあわ~」
とそこで、予鈴のチャイムが鳴るのが聞こえた。
ちっと舌打ちしたキリハは、腕を一振りして個室の結界を解く。
結界と一緒に黒鳥も消えたのを確認し、タンクの水を流して外へ出る。
急ぎ足で教室棟へ戻りつつ、姿を消したままのメイヴィーを再び呼び出す。
「とにかくトライゴーの件はこっちで計画通り進めるしかないとして、あとは九人目……次の結婚候補か。そっちの方はどうなってるの?」
『リストは揃ってますー。でもでも、まだ目を通してもいないみたいで~』
「そっちもか……」
これまで通りなら、もう次の候補者に目星をつけたユユカの方がら、こちら(キリハ)にその話があってもいいところだ。
なのに今回は、教室で再会するまで、魔信通話(一般的な魔導音声通信手段)の一本もなかった。
実際の話、確かにユユカ自身が本当に心から結婚を望んでいるわけではない。
この騒動は、企業連合の事実上のトップである黒の王子さま──レント・フェスタリーフの目を、トライゴーG奪還計画から逸らすためのかく乱作戦にすぎない。
少なくともユユカはそう信じている──信じ込まされている。はずだ。
他ならぬキリハ自身の魔法──禁忌の呪術によって。
実はその裏にはもうひとつ、キリハだけが知る大きな目的がある。
自称「第五魔祖」──世界に魔法を創造した魔導始祖の一柱でありながら、他の四柱によってその存在と力を封じられた禁忌と邪法の始祖。
その封印から辛うじて漏れ出たほんの一滴である彼女が、再び元の力を取り戻す──そのために欠かせない第一歩。
幸か不幸か(キリハにとっては幸いだが)ユユカはその身に第五魔祖由来の魔力を宿して生まれてきた。
その彼女と、やはり第五魔魔祖魔力の継承者としてこちらが選んだ相手との間に生まれた子は、第五魔祖自身であるキリハを真に解放する力を持った「魔王となる。
この計画にとって一番重要なキーアイテムたる「トライゴー」を確保しつつ、同時に「魔王」復活への布石を打つ──正に一石二鳥のスーパー計画。
ついでに役立たずの三羽目も叩き落してやればすっきりするだろうが、それはまだ早い。
とにかく計画は完ぺきだった──そのだったはずなのに!
「いや、まだまだ! 諦めるもんか!」
数万年に及ぶ封印が、異世界同士の戦争──四大魔祖召喚戦争のどさくで緩んだことで生まれた唯一にして最大のチャンスなのだ。
絶対に逃すものか。
なのに──だというのに。
何が起こっている? わからない。
でも間違いないく、何かが起きている。
彼女に──ユユカに。
「くそくそ! 気に入らない!」
『フィラさまー、いえキリハさまー。言葉遣い~!』
すれ違った男子生徒が、その場で立ち止まり、びっくりしたようにこちらを見返している。
その場で振り返ったキリハは、別段慌てる様子もなく、鼻先のメガネにちょっと手をやる振りをしながら、
「わたしに何か御用?」
「ああ、いえ! なんでもないです! 失礼します!」
慌てたように駆け出す男子生徒に背を向けて、キリハも先を急ぐ。
『いいんですか、放っておいて? 次の学生会長を狙っていたのでは~?』
「別棟の下級生よ。記憶を消すまでもない」
いかに第五魔祖とはいえ、現状はそこから染み出た一滴に過ぎない。
こうして人の姿を保つだけでもかなり厳しいのが実情だった。
「魔法足らず」というメイヴィーのぼやきも、あながち的外れではない。
とはいえそこは痩せても枯れても役立たずの下僕から魔法足らず呼ばわりされても第五魔祖。
たかが人ごときに後れを取るわけにはいかない。
たとえ学校内であれ、人の下に立つなどそのプライドが許さない。
学級長であるのも、定期試験で常にトップを目指すのも、そして次の学生会長の座を狙うのも全てはそのためだ。
ちょうどその学生会室前を通り過ぎようとした時、しかしキリハは急ブレーキをかけたように立ち止まった。
もうすぐ本鈴が鳴る。周囲の廊下にはもう人影はない。中も無人のはず──なのだが、わずかに人の気配がする。
目の前の扉へゆっくりと伸ばした指先を近づける。直後、びくっとして手を戻す。
「人払いの結界、か?」
きーんこーんかーんこーん、と本鈴が鳴る。
西暦時代から続く伝統のメロディが終わっても、しかしキリハはその場から動かない。
「しかもこれ、人間の魔法じゃない──第四魔祖か?」
どうして「あいつ」がここに?
たかが火の星霊ごときが──元々破壊と破滅を司る第五魔祖(キリハに言わせれば自分こそが全ての魔祖の始祖、第ゼロ魔祖なのだが)の下位属性に過ぎなかったくせに、「姉」を飛び越えて第四位の座を占めた裏切者の「妹」。
そんなやつの張った結界など、ほんの一蹴りであっさりぶち破れる。
扉ごとぶち破るつもりで蹴り上げた足を、でもそのまま宙で止める。
いや待て。あいつがいるということは、この中にいる人間は……ふむ?
よし盗聴決定!
キリハは足を戻すと、ずっと慎重に扉へと近づき、純粋な地球人にしてはやや尖り気味の耳をぴたりと当てる。そのまま黒鳥を呼び出し、自分の姿に化けさせる。
「今さら行っても遅刻ですが~?」
いきなり人間の姿にされてちょっとふらつく代役に、キリハは耳元に魔力を集中させつつ、
「欠席よりはマシ。遅刻の言い訳は任せる。授業は後回しでいいから、とにかくユユカの様子をよく見てて。絶対目を離すな!」
「は、はいー、です~!」
キリハ姿の黒鳥は、生返事を返しつつ「なんて言い訳しましょー」とか「次は幾何論Aでしたっけー? じゃないB? あれれC?」「あー問題当たりませんようにー、って、けどキリハさま悪運だけは最強だから~」などとつぶやきながら、ふらふらと廊下を歩いて行く。
「大丈夫か、あいつ?」
だが任せてしまったものはどうしようもない。
軽く目を閉じて不安を追いやると、キリハは改めて学生会室内の会話に集中する。
だんだんと中の声がはっきりしてくる。
はてさて。あの連中、何をこそこそやっているのやら。
ふっふっふ。
そして間もなく、聞き覚えのある青年の声が聞こえてきた。
『──はっきり言う。もうおれたちは彼女から手を引くべきだ』
7 密談、してます?
「……なんだって?」
透き通るような赤い髪をツインテールに結び、背中で半円を描く大きな白いセーラー襟が特徴の学院初等部の制服を着た小さな女の子──「第四魔祖」姿の「蓮兎」が、思わず聞き返す。
通常の教室の半分ほどの室内で、コの字に並べた長机に手をついて立ち上がろうとしたものの、けれど宙に浮いた足が床まで届かず断念する。
そうしてじたばたする蓮兎を、こちらは壁に背中を預けるようにして立ったまま見下ろしていたセビロスーツ姿の金髪青年──元々の蓮兎の姿を映した魔導人形でもある「レント・フェスタリーフ」は、ユユカのいう「黒メガネ」なしの素顔のまま、
「何度も言わせるな。オレたちは、もう彼女とは──ユユカとは関わるべきじゃない」
「だから、どうして!」
「ユユカには、もうオレたちの助けなんていらない。いやむしろ、これ以上はかえって邪魔になるだけだ」
「でもユユカは──友佳は、まだ前世の記憶を取り戻してないぞ! まだまだユユカとしての自分が、本来の自分じゃないってうすうす気づきかけてる程度だ。自分が過去の地球からこの世界に転生したことも、自身に第五魔祖の魔法素養があることも、そのせいで世界滅亡の元凶にされかかってることも全然わかってない!」
人避けの結界が張られた室内で、だから遠慮のない蓮兎の怒声が──実際には甲高い女の子のそれが、キンキンと響き渡る。
「その最悪の未来を変えるために、おれたちは今、ここにいるんじゃないのか! レン!」
壁に背中を預けたまま、青年姿のレント──「レン」は、女の子姿の「蓮兎」の勢いにもまったく表情を変えることなく、
「──その『最悪の未来』ってのは、本当にあるのか?」
「第四魔素が──火の星霊王たる『フィー』が見た未来だ!」
「そうだ。そしてそれだけだ」
ようやく壁から離れたレンは、ゆっくりと蓮兎の方へ歩み寄りながら、
「友佳──ユユカが、遥か未来に、いやもう近い将来か? とにかくそこで復活した第五魔祖と共にこの世界を滅ぼすっていう、その予言の根拠は唯一つ──第四魔祖の語った『お告げ』だけだ」
その『お告げ』によれば、ユユカとしてこの世界に転生した友佳は、元々は当時の地球ではなく、最初からこの世界(レアルセア)に生まれて来るはずだった。
いや友佳だけじゃない。当時の地球で魔法の素養を持って生まれて来た者たち──「魔法を使える人々」は皆、本来は未来に──この時代のこの世界に生まれるはずの人たちだった。
けれどさらに遡ること遥か過去の時代に起こった四大魔祖と第五魔祖との戦いによって、当時の異世界銀河の半分が失われた際、その時空構造も破壊されて時間と空間がめちゃくちゃになってしまっていた。
その混乱は今もなお続いていて、その結果、本来は未来に生まれるはずの彼女たちが過去に──しかも別の世界である地球に──生まれてきてしまったという。
そして友佳は、幸か不幸かあの魔導工房での事故で死ぬと同時に、本来あるべきこの世界へと呼び戻された。本来生まれるべき時代で、本来あるべき人生を歩み出したのだ。
それだけといえば、それだけの話。
けれど彼女と入れ替わるようにして当時の地球に顕現した四大魔導始祖が一柱、火の星霊王たる「フィーア・フューリー」……の(自称)燃えカスたる「フィーちゃん」によれば、そんな彼女の未来は、「それも彼女の運命さ」と達観するにはあまりに悲劇的なものだった。
彼女はそこでは男娼と地球軍人の間に生まれた捨て子であり、その一方がたまたま第五魔祖の魔法素養を受け継いでいたことで、後に第五魔祖の復活に不可欠の「魔王」の誕生に関わることとなり、やがては地球と異世界を同時に滅ぼす最悪の戦争を引き起こすことになる──と。
その悲劇的未来から、彼女を救うことはできないのか。
その未来を変えるには?
誰かが当の未来世界で彼女を救うしかない。
誰が? ──蓮兎が!
どうにかして未来の時代まで命を繋ぎ、そこで友佳を──彼女が転生して生まれた存在を見つけ出し、そして第五魔祖の仕掛けた罠から彼女を救い出す。
宇宙の全魔法を司る四大魔魔導始祖──その一柱たる火の星霊王の力があれば決して不可能なことじゃない。
彼女の魔法で、人としての蓮兎の体を封印する一方、その心(魂)は彼女の依り代でもある仮初の「人形」に宿す──そうすることで、「蓮兎」としての意識を保ったまま、友佳が転生する未来まで生き抜くことができる。
そうして蓮兎は、友佳の父と再建させた『真マツリバ魔導工房』を足掛かりとして、時に火の星霊王のアドバイスも参考にしつつ、数百年の時を越えてこの世界へとやって来たのだ。
「──で、本当のところどうなんだフィー? お前は本当に、そこまで正確に未来を見通せるのか?」
『そんな便利なものでもない』
壁にある地球古典様式の箱型スピーカーから、女の子姿の蓮兎のそれと同じ声が言った。
普段から「この身はただの燃えカスじゃからな」というだけあって、蓮兎の姿を映した仮初の存在でしかないレンのタメ口に対しても、それをまったく気にかける様子もない。
『そもそもこの身が封印されてより数万年余の歴史の中だけでも、お前たちの存在などほんの刹那でしかない。一瞬で過ぎるそれを正確に見通せと言われてもな』
何より時空構造の混乱が続いている以上、たとえ第一位の魔導始祖であっても、確たる未来なぞ見通せるわけもない──らしい。
『望む未来を得る手段は唯一つ、己でそれを創り出すことじゃ』
「当たり前と言えば当たり前の話だな」
『たかが燃えカスの身に何を期待するか』
いつものフレーズが出たところで、レンはスピーカーから蓮兎へと目を戻し、
「確かに、現時点でユユカの記憶は戻っていない。その兆しはあるけどな──とはいえ彼女が友佳の転生した姿なのはもう間違いないし、身元の確かな養父の元で幸せに暮らしてもいる」
「悪徳令嬢どころか、今やこの世界でやりたい放題な悪役企業連合の象徴──最悪令嬢呼ばわりされてるけどな」
「でもわざわざ自分から悪役ぶって見せたりして、けっこう楽しんでるみたいじゃないか」
「確かに……」
友佳だった時代から、あれで結構悪ノリするタイプだった。
それこそロボット操縦用に改造した車を平気で日常使いするような。
「生まれた当初から少なからず第五魔祖の影響や介入があったようだが、少なくともこの数年間は、その支配力も弱まってきているようだし──あの結婚願望はちょっとやっかいだが」
それな、と顔をしかめてみせる蓮兎に、レンも小さく笑って、
「わかってないフリをして毎回付き合ってるこちらの身にもなってほしいぜ……とはいえ敵さん、第五魔祖側にしても、そこは自分を完全復活させるための重要な『儀式』だからな」
「そう簡単には譲れない、か──もっともユユカ自身は、あくまで『トライゴーG奪還計画』のためのかく乱工作の一環だと思ってるようだが」
「そっちは問題ない。結婚願望にしても、今のところ九人目の話は出ていないようだし」
「ああ。確かにここにきて第五魔祖の力がかなり薄れてきてる気はする」
蓮兎も頷きつつ、でもすぐにまた顔つきを厳しくして、
「その第五魔祖の正体だけど、まだつかめないか?」
「難しいな。ユユカの状況が落ち着いてきたせいで、最近はこの案件に割ける予算も人員も削られる一方でね」
「案件って──そもそもこの企業連合はそのために作った組織だろ」
「今はもう地球とレアルセア、その両世界のための一大企業だよ」
金髪の青年と赤髪の女の子が無言で睨み合う。
先に目を逸らしたのは女の子──蓮兎の方だった。
「さっきの話だけど……トライゴーの方は問題ない、って言ったな?」
「ああ、言った」
「それはトライゴーを地球へ戻すってことか?」
「ん? ああそうだ。地球へ送り返して、月光青のひとかけらも残さず完全に破壊する」
机の上で、蓮兎の小さな手がぎゅっとこぶしを握る。
「それはまだ決定事項じゃなかったはずだ」
「いや。もう決定事項だ」
「誰が決めた」
「オレだ。企業連合の事実上のトップ、レント・フェスタリーフたるオレが決めた」
「勝手に決めるな」
「不満ならお前自身がこの場に立て。自分の体を取り戻して。自分の足で」
「……」
「オレみたいな仮初の魔導人形なんかに頼ることなく。そんな無力な子どもの姿なんか捨てて。本物の体で、自分本来の姿で、心の中ではオレたちを邪魔者扱いする大人連中が雁首揃えて居並ぶ会議に出て、自分の口で堂々とあの連中全員を説得して論破して納得させてみろ!」
面と向かってそれだけ言われても言葉ひとつ返せない蓮兎を、むしろ憐れむようにレンは口調を緩めて、
「──トライゴーがユユカの悲劇に一役買うことは、お前もわかってるだろう」
それこそフィーのお告げによれば、トライゴーのある未来はより悲惨だ。
第五魔祖の力を得て両銀河史上最強最悪の超級魔導巨人兵器となったトライゴーは、たった一体で地球帝国総軍の全宇宙艦隊を蹴散らし、天の川並びに三日月両銀河世界に恐怖と滅亡をもたらす先兵となるのだ。
「だからその前に破壊する。徹底的に」
表向きは地球への帰還と永久保存。
だが実際には、企業連合の地球本社があるかつての月──「クレッセントメアリー」にある秘密研究所のラボで完全に破壊する。
とはいえ実際には、トライゴーのみを破壊しても世界の危機的状況は変わらない。
そもそも第五魔祖自体の復活を阻止することができなければ、全ての世界に対する脅威を完全に排除ずることはできないのだ。
「それでもトライゴーを破壊するだけで、ユユカの悲劇的な未来は大きく改善される。うまくすれば、第五魔祖の方でユユカに見切りをつけて、別の誰かに乗り移ってくれるかもな」
さらにレンは、何か言いたげな蓮兎を目線で抑えつつ、
「ああ、さっきはちょっと言いすぎたよ。わかってる」
「おれだって好きでこの姿でいるわけじゃない」
「だからわかってるって──けど本当にユユカのことを最優先で考えるなら、単なるノスタルジーで『トライゴーを残す』なんて危険な橋を渡ることはない。現時点であれを破壊しても、メリットこそあれデメリットはない。だったら迷うことはない」
言葉を続けながら、蓮兎に迫るようにゆっくりと歩みを進めてゆく。
「それこそお前にだってわかってるはずだ」
「わかってるよ……でも」
蓮兎は小さくうなだれたまま、
「でもあれは、トライゴーは、ユユカ──記憶が戻った時の友佳にとって大切な存在、今生きている時代とかつて生きていた時代とを繋ぐ絆、たったひとつの思い出になるものなんだ」
「どうしてもっていうなら、『ガワ』だけを作り直して代わりに置いておけばいい」
さらにレンは鼻で笑うように、ふふん、と息をついて、
「それに『時代を繋ぐ絆』っていうなら、他に適役がいるだろ」
「他に?」
「お前だよ」
「おれ……?」
「ロボットなんかじゃない、同じ人間が──友佳と同じ時代を生きていた大学生が。一瞬で異世界へ転生した彼女のため、二〇〇年もの間そんな体に心を封じて、ただ一人、地続きで命を繋いで追っかけてきた採算度外視の大バカ野郎が!」
──その全てはただ一人、蓮兎を、未来の異世界に転生する友佳の元へと届けるために。
第四魔祖(フィーちゃん)の「予言」で、転生先の世界を滅ぼすとされたその運命から、彼女を救うために。
自分にできるのか。いやそもそも自分でいいのか。
悩む蓮兎の背中をそれこそ蹴っ飛ばす勢いで押してくれたのは、押しまくってくれたのは、他ならぬ友佳の父だった。
魔導工房の「事故」──今ではそれは、第四位の魔導始祖にして火の星霊王(の燃えカス)たる「フィーちゃん」と、その上位に在る第三位の水の星霊王とによって引き起こされたことがわかっている──に巻き込まれたものの足首の骨折だけで済んだ蓮兎に対して、彼の方はほとんど瀕死の状態で救出され、その時もまだ集中治療室で入院中だった。
担ぎ込まれた病院で、その身に繋がれた各種コードや管を引きずるようにしてICUのベッドから半身を起こした友佳父は、その未だ血のにじむ包帯を巻いた頭をマスク姿の蓮兎にぐいと近づけて、文字通り血を吐く勢いで、
「最悪の運命? 世界滅亡の元凶? それがなんだ!」
ベッドを囲む機器が次々にキンコン、ピーピーと鳴り出す。
「今、この同じ病院の霊安室にいるあいつが、本当に生まれ変われるのなら、未来にまた命を得ることができるっていうなら、あいつの親としてそれ以外何を望むってんだ!」
「だめだよおじさん、血が、アラームが──」
「うっせえ好きなんだろ、あいつが! 友佳が!」
「── !」
「だったらその悲劇のヒロインを救いに未来へ渡る正義のヒーローはお前以外いないだろ!」
蓮兎ォォォ!
最後は血に塗れて声にならなかった。
けれど飛んできた看護師さんが思わず赤面して立ち止まるほどの勢いで、当の彼女の父親から面と向かってそう言われてしまっては、もはや返す言葉もない。
ただ頷くしかない。
頷いて、そして蓮兎は決心した。
『最悪の運命にある未来のヒロインを、地続きの過去から数百年がかりで救い出す』のだ!
この身はただの燃えカスゆえあまり期待するでない──という付言つきながらも魔導始祖星霊の一柱、第四魔祖の協力が得られたとはいえ、それでも最初は蓮兎と友佳父の二人だけの無謀な挑戦だった。
ましてや世界は、大きく欠けた月や日増しに強まる魔法の力によって混乱の極みにあった。
そんな中でも、二人を知る魔導工房技師や大学の連中があちこちから集まり、彼らが「無謀な挑戦」に立ち向かう手助けをしてくれた。
遥か未来に転生した想い人を救う──ただそれだけを目的として「会社」を立ち上げ、来るべき未来へ向けて、志を同じくする仲間たちとその力を蓄えてゆく。
「あの魔導災害で死んだはずの恋人が遥か未来の異世界で生きている。だったら会わせてやろうじゃないか!」
それが会社創設メンバーたちの総意であり、その熱意の源泉だった。
しぶとく頑張ったもののやがて友佳の父も亡くなり、さらにその先の未来世界では利益最最優先の強欲大企業連合と化していった後も、なお残る唯一まっとうで純粋な目的。
いっそ良心、と言ってもいい。
それだけは会社中枢を継ぐ代々の「仲間」達によって、頑なに守り継がれてきた。
そのうち(第四魔祖の「予言」通り)彼の異世界との戦争も始まり、それを奇貨として蓮兎たちの会社はさらなる急成長を遂げる。
地球系企業としては最初に異世界への第一歩を印し、同時に友佳の転生者捜しも本格的に開始された。
だが軍需と魔導重化学工業を主体とする一大複合企業として大成した会社としては──現在その中心を占める「会社第一主義」の役員たちは、「異世界で大儲け」しか頭にない。
今や会社の資源もそこに集中し、「友佳探索計画」を紛れ込ませる余裕はほとんどなくなってしまっていた。
そもそもが表には出せない案件である。
創業から二世紀近くを経た現代の役員たちの中には、その内情を知らない者も少なくない。
彼らにすれば、それは「小さな女の子の姿をした不老不死の創業者(第四魔祖姿の蓮兎)」の存在同様、半ば伝説扱いの戯言で、だからまっとうな予算もつかない。
このままでは会社の力は期待できない──でもそれでは惑星規模で網を張って、その世界の中からたった一人の「女の子」を見つけ出すなんてことはできはしない。
実情を知る数少ない仲間内で「影レン」と呼称された彼──第四魔祖姿の蓮兎に代わって、その元の青年姿を映した「レント・フェスタリーフ」が作られたのは、ちょうどこの頃。
どんな形であれ「現在の企業連合を立ち上げた伝説の創始者」たる「蓮兎」を表に出して、とにかくその手綱だけは放さないようにしつつ、その裏で本物の蓮兎──「チビ蓮兎」たちが動くことになった。
人を模した魔導人形の技術が向上し、ほとんど人と見分けがつかなくなっていたことも、その決断の助けとなった。
「影レン」はその役割上、友佳探索チームの蓮兎たちとは基本的に別行動することになる。
お互い連絡は取り合うものの、「影レン」にとって、まずは企業経営が第一。
だがその企業連合はもう、どこぞの山の中でちまちまやっていた魔導工房ではない。
二つの宇宙世界──そこに存在する二つの銀河と二つの魔導世界を結ぶ、唯一最大の異世界間企業連合体なのだった。
その事実上のトップとなった「影レン」──「レン」の責任は果てしなく重い。
加えて「創業者本人」という具体的な攻撃目標を得た先の役員たちからの突き上げも、日増しに強くなっていく。
ありもしない伝説に踊らされて、いもしない誰かを捜すなんて、たとえ片手間でもやるべきではない。少なくない資産を投入し、子ども救済院を隠れ蓑にした全惑星規模での探索網を展開するなど、企業リソースの無駄遣いでしかない。
他にすべきことはいくらでもある。
その存在さえ怪しい一人の女の子を捜すより、今目の前にいる一人の女の子のための一本の魔法の箒を作る方が、この異世界のためには遥かに重要だ(レアルセアでは一般的に八歳~地球年で一二歳~になった子どもに「魔法の箒」をプレゼントする習慣がある)──
魔法仕掛けの人形とはいえ、蓮兎の心身を忠実に再現した「影レン」ことレンの心情は、実のところただの青年のそれと大差ない。
巨大企業を牛耳る「大人」たちを相手に緊張と試練と決断の日々が続く中でも、その一方では蓮兎たちの後詰として「本来の使命」も果たさなくてはならない。
心情的には未だ「一介の大学生」に過ぎないその心が負うには、あまりに巨大で重すぎる責任。責務。
それでもレンはここまで、その身に与えられた全ての課題を頑なに果たし続けてきた。
「そしてとうとう、オレたちは『彼女』を見つけ出すことができた……」
黙考していたつもりが、いつの間にか独白となって口の端からこぼれ出ていたらしい。
それに気づいたレンは、けれど何事もなかったかのように、ちょっと声を大きくして先を続ける。
「──記憶はまだ戻っていないし、発見できたのだって、企業連合の探索じゃなく反地球・反企業勢力の標的になった影レンがたまたま彼女に救われたのがきっかけだったけどな」
レンはまるで手品のようにあの「黒メガネ」を懐から引き出すと、それをかけて、
「会社のお守りだけじゃなく、結果的にそっちもこのオレが一役買うことになったわけだ」
「だからそれは── !」
「わかってる」
レンがさっと手を上げただけで、蓮兎は言葉が続けられなくなる。
何気ない所作にも思えるが、魑魅魍魎のごとき役員重役連中が蠢く会議の場で幾度もその舌鋒を封じて来た「影レン」の動きに無駄はない。
この手の論争となれば、やはり彼の方が一枚上手だった。
対する蓮兎だって、二〇〇年もの歳月を重ねてここまで来た──とはいえ、その大半は志を同じくする仲間たちに囲まれ、彼らと共にただ前を向いて突き進んで来ただけだ。
確かに苦労はあったし、辛いことも少なくなかった。
だが全体としては常に前向きでいられたし、会社も順調に成長し続けていた。
多少の問題があっても、その勢いで、ある意味力任せで乗り切ることができた。
今のレンのように、企業自身が自分に牙を向けてくることなどなかったし、そんなことは想像もできなかった。
だが実際にそれは起こっているし、それが今の「現実」なのだ。
「お前の言いたいことはわかる。でもだからこそ何度でも言ってやる。企業連合はもうあの頃の仲良しグループじゃないし、ユユカもまた、もうお前の『友佳』じゃないんだ」
「彼女」の記憶が戻ろうが戻るまいが、もうそんなことはどうでもいい。
あの時心に描いた「未来」は今、蓮兎たちの前で「現実」となった。
フィーの見た、そして語った未来にとうとう追いついた。
それが今のこの「現実」なのだ。
そこに「友佳」がいなくても、それがこの世界の「現実」で、それを変えることはできない。
そしてここから先はもう、「燃えカス」とはいえ第四位の魔導始祖にすらに見通せない、未知の世界だ。
ましてこの銀河世界は、一度は時間や空間まで崩壊しかけた壊れかけの世界。
この先で何が起こるかわからないし、何が起こっても不思議はない。
第五魔祖は復活するかもしれないし、しないかもしれない。
復活したらしたで、その時はレアルセアと地球が手を組んで、ついでに第四魔祖の力も借りて、その全力で立ち向かえばいいだけだ。それが一番現実的で、かつ最も有効な対策だ。
「もう昔とは違う。今のオレたちには力がある。もはや裏でこそこそ手を回す必要なんてない。正面から堂々殴り合えばいい」
青年姿のレンのその「正論」に、子ども姿の蓮兎はここでも返す言葉がない。
「仮にユユカの記憶が戻ったとしても、その時こそ蓮兎、お前がトライゴーに代わって、彼女のそばにいてやればいい。そもそも最初から、お前はそのために、こんな未来までやって来たんだろ? ここまで頑張って来たんだろ?」
地続きの過去から、この未来世界まで。
その間を隔てる数百年を一歩一歩、踏みしめて。休むことなく、歩み続けて。
「けれどもしこのまま彼女の記憶が戻らないのなら──お前の世界にいた友佳ではなく、この世界に生まれたユユカであり続けるのなら、その隣にお前の居場所は必要か?」
現状、ユユカはユユカとして、ちゃんと生きている。ユユカとして、ユユカの人生を。
それをお前は奪いたいのか?
「実際、オレはいつ会っても忘れられてるか、じゃなきゃ邪魔者扱いだぞ」
ちらりと笑ったレンは、しかしその黒メガネを外すと、再び蓮兎の方を見て、
「この際はっきり言ってやる。友佳は死んだんだ──あの日に。今ここにいるのはユユカで、彼女はちゃんと自分の人生を生きている」
その人生を奪う権利など誰にもない。たとえ銀河最大の企業連合であろと、たとえ数百年の歳月をかけてここまでたどり着いたヒーローであっても。
「──違うか?」
今や細長い机のみを挟んで大きく見下ろしてくるレン──影レンの姿を、その身には大きすぎる折り畳み椅子に預けたまま、蓮兎はただ見上げているしかない。
それでも蓮兎の大きな黒い瞳は、レントのそれをしっかりと見据えたまま、決して離れようとはしない。
「……要するに何が言いたいんだ?」
「本体の封印を解いて元に戻れ。本来のお前に、蓮兎自身に」
その言葉を待っていたかのように、あっさりとレンは言った。
「オレにはむしろ、ユユカよりも蓮兎、お前の方が心配なんだ」
第四魔祖の燃えカスごときに魂を預けて、もう二〇〇年。
「お前だって、時々自分が蓮兎なのかフィーなのか、それともただの女の子なのか、わからなくなるって言ってるじゃないか」
「それは……」
「限界なんだよ」
蓮兎の頭に巡っているだろう言い訳を、それが言葉になる前にバッサリと切り捨てる。
「限界なんだ。全てが──お前がこれ以上その姿でいることも。ユユカの人生に対する干渉も。トライゴーの存在だって、今やこの世界のリスクでしかないし、オレだって……」
「レン? ……お前も?」
「長くお前のまねをしすぎた。これ以上は、本当に自分が本物の人間だと勘違いしそうだ」
「それで何が悪い?」
魔導人形の「人権」については、地球ではまだまだ各論あるものの、このレアルセアでは一貫している──「区別しない」。それだけだ。
当の本人(本魔導人形)が「人」として問題なくいられるのなら、それでいい。
なんとなれば、この世界の全ては魔導始祖の魔法によって生み出されたのだから。
どちらも同じ魔法的存在である以上、人と魔導人形とを区別する必要も理由もない。
もしも蓮兎を模したその外観が問題なら、それこそ魔導「人形」なのだから、別の外観を新しく誂えればいい。
とはいえ影レン級の魔導人形ともなれば、それは「魔導義体」として別物扱いされるほどの超高級仕様だ。
だが彼がこれまでに果たしてきた助力やその功績を考えれば、たとえ最新鋭魔導宇宙戦艦が一隻贖えるほどであったとしても安いものだ。
「そういうことじゃない」
レンは思わず苦笑いして、
「高級品だろうが出来合いの間に合わせだろうが関係ない。所詮オレはお前が元に戻るまでの代替品。仮初の存在。人に見えるが人ではない。神ならぬ魔導始祖でもないたかが人間の魔法もどきが作り出した幻でしかない。遅かれ早かれ消えてなくなる存在だし、それでいい」
むしろさっさとこのくそ重たい体と責務におさらばして、無限の世界で永遠の日曜日をむさぼりたい気分だ──と。
「でもこのままだと、素直に消えてしまえなくなりそうで、オレはそれが怖いんだ」
このままでは──これ以上お前たちから「仲間」扱いされ続けていたら。
有無もなくこの世界から消えてしまうことに、人と──お前たちと、二度と会えなくなってしまうことに、耐えられなくなってしまうかもしれない。
「このままじゃ蓮兎、オレはさっさと消えるどころか、逆にお前の体を奪ってでも本物の人間に──お前に、『蓮兎』に、なりかわっちまうかもしれないぞ」
「レン……」
「そうだな。なんだかんだ言っても結局、全てはこの自分のため──か」
見上げる小さな女の子姿の人間に、魔導人形の金髪青年は頭を下げた。
だから頼む、と。
「解放してくれ。蓮兎。オレを。お前の──お前たち人間の人生から」




