第三話 忘れていく痛み
彼女が俺の名前を呼ばなくなって、三日が経った。
「おはよう」
「……おはよう」
その間が、日に日に長くなる。
放課後。
彼女は教室の窓際で、ぼんやりと外を見ていた。
声をかけると、彼女はゆっくり振り返った。
「……あ、ごめん。えっと……なに?」
胸が痛んだ。
「どうしたんだよ、最近」
「わかんないの。ほんとに」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「きみのこと、忘れちゃいけないはずなのに……思い出せないのが、怖い」
その声は震えていた。
俺のせいだなんて、言えるわけがない。
「きっと大丈夫だよ」
そう言うしかなかった。
でも、彼女は首を振った。
「大丈夫じゃないよ。だって……きみの顔を見ると、胸がぎゅってなるのに……理由が思い出せないんだよ」
涙が滲んでいた。
俺は、何も言えなかった。
その夜。
家に帰っても、彼女の言葉が頭から離れなかった。
──忘れちゃいけない気がするのに。
──思い出せないのが、怖い。
ロッカーの張り紙が脳裏に浮かぶ。
失われたものは返らず、残るものは音のみ。
俺がロッカーを使ったせいで、彼女は忘れていく痛みをひとりで味わっている。
その事実が、胸の奥に重く沈んだ。
翌日。
彼女は保健室の前に立っていた。
「大丈夫か?」
声をかけると、彼女はゆっくり首を振った。
「……ねえ」
「うん」
「私、きみのこと……好きだったのかな」
その一言で、世界が止まった。
「なんで、そう思うんだよ」
「わかんない。でも、きみを見ると……泣きそうになるの」
彼女は自分の胸を押さえた。
「きみのこと……忘れたくない」
涙が頬を伝う。
俺は、その涙を見て悟った。
俺がそばにいる限り、彼女はこの忘れていく痛みをずっと味わい続ける。
それなら。
最初から、俺なんていなければよかった。
その結論は、絶望じゃなかった。
彼女を守るための、静かな決意だった。
その日の放課後。
俺は旧校舎へ向かった。
十三号ロッカーの前に立つ。
張り紙の文字が、いつもより重く見えた。
開閉は三度まで。
あと一回。
それで、彼女はもう苦しまなくて済む。
扉に手をかける。
「……ごめんな」
ガコン。
金属の噛み合う音が、廊下に深く響いた。
その瞬間、俺の世界は静かにほどけていった。
毎週月曜日 お昼12:00更新(全4話)




