第二話 薄れていく輪郭
彼女と話すのは、久しぶりな気がした。
いや、実際には先週も話しているはずなのに、どこか初めてみたいな距離があった。
「ねえ、今日こそ寄り道しよ」
彼女が笑う。
その笑顔は、確かに俺が好きだった笑顔のはずなのに、どこか輪郭がぼやけて見えた。
「うん、行こう」
そう答えながら、胸の奥に小さな違和感が沈んでいく。
金曜のことを覚えていない。
怒っていない。
それどころか、約束したことすら覚えていないように見える。
でも、そんなはずはない。
俺がロッカーを使ったから……いや、そんな馬鹿な。
帰り道、彼女はふと立ち止まった。
「ねえ、変なこと言っていい?」
「うん」
「最近、忘れっぽいんだよね。なんか……大事なことを落としてる気がするの」
胸がざわついた。
「例えば?」
「うーん……きみのこととか」
彼女は笑って言った。
冗談みたいに。
でも、その笑顔は少しだけ震えていた。
その前日、何気なく笑っていた時間があった。
「またそれ忘れたの?」
彼女が俺のプリントを見て笑う。
「次忘れたらジュースね」
「もう何回目だよそれ」
どうでもいいやり取りなのに、そのときは確かに楽しかった。
俺は笑い返せなかった。
翌日。
教室で友達に声をかけられた。
「お前、前からこのクラスだったっけ?」
「え?お前と同じだろ」
冗談だと思った。
でも、友達の表情は本気だった。
胸の奥が冷たくなる。
ロッカーの張り紙が脳裏をかすめる。
一度の開閉につき、ひとつだけ時を戻す。
「ひとつだけ……」
じゃあ、俺が戻したひとつは何だった?
彼女との喧嘩?
それとも、俺自身の存在の一部?
考えたくなかった。
その日の放課後。
俺はまた旧校舎に向かっていた。
十三号ロッカーの前に立つ。
扉の隙間から、薄暗い廊下の空気が流れ込んでくる。
張り紙は、昨日と同じ場所に貼られていた。
開閉は三度まで。
あと二回。
あと二回で、何が起きる?
彼女の記憶は、これ以上薄れていくのか?
それとも、俺の方が薄れていくのか?
わからない。
でも、やり直したい気持ちが勝った。
扉に手をかける。
「……もう一度だけ」
ガコン。
金属が噛み合う音が、この前よりも深く響いた気がした。
翌朝。
彼女は、俺の名前を呼ばなかった。
「おはよう」
「……おはよう」
その間に、薄い膜のような距離があった。
「ねえ、私たちってさ……いつから仲良かったんだっけ?」
その一言で、心臓が欠けたような感覚がした。
俺は笑ってごまかした。
でも、彼女は笑わなかった。
「ごめんね。なんか最近、ほんとに変なの」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「きみのこと、忘れちゃいけない気がするのに……」
俺は何も言えなかった。
ロッカーの音が、頭の奥で響いていた。
まるで、何かが外れていく音みたいに。
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