005 目指せ壁の花
王家主催の舞踏会は、個人主催のものとは規模が違う。
広大なホールとそこにひしめく大勢の着飾った男女を見て、イザドラは早くも邸に帰りたくなっていた。
そもそもが、イザドラは舞踏会を大の苦手としていたのだ。イザドラが舞踏会などに出席しても、ヒソヒソと噂されるだけで、ダンスを踊ってくれる人もいない。舞踏会よりは、まだ晩餐会やガーデンパーティーの方がマシだった。
(……適当なところで気分が悪くなったことにして、先に戻ろうかしら)
出席した事実はあるのだから、人に酔ったとでも言い訳をすれば、咎められることもないだろう。それまでは、壁の花でやり過ごすしかない。
そう思い、今まさに壁際へ向かおうと歩き出したイザドラの視界に、己に向かって歩いて来る人影――しかも男性の姿が入り込んだ。
まさか、ダンスのお誘いだろか。半信半疑だったがその可能性を考え、イザドラは胸を高鳴らせた。けれどその人物が何者であるかを確認した途端、期待する気持ちは萎んでしまった。
「やあ、イザドラ。珍しいな。君も来ていたんだね」
イザドラに笑顔を向けて来たのは、ヘイデンだった。
ヘイデンの腕に両手を添え、茶髪に緑がかった茶色い瞳の、大人しそうな女性が微笑んでいる。実際に会うのはこれがはじめてだが、彼女がヘイデンの婚約者、ミレイユだろう。
「……ヘイデン。ミレイユ様」
ヘイデンはミレイユを伴ったまま、さらにイザドラに近付いてきた。そして出がけのパトリシアと同じように、上から下まで、イザドラの全身に視線を這わせた。
「またそんな、暗い色合いのドレスを着ているのかい? 君の黒髪と黒い瞳と相まって、そこだけ影が歩いているようだよ。そんなだから、また縁談を断られてしまうんだよ」
ヘイデンの言葉に、イザドラはわずかに眉をひそめた。
ヘイデンの家とアドコックの家は、親戚だ。よって、イザドラが十一回目の縁談を断られてしまったことも、彼にはすでに知られてしまっている。そしてどうも、ヘイデンの婚約者であるミレイユも、そのことを知っているらしい。
ヘイデンの言葉に、小さく笑ったミレイユ。その表情には、イザドラに対する嘲りが浮かんでいた。大人しそうな外見の割に、なかなかに好戦的な性格らしい。あるいは、それは相手がイザドラだったからだろうか。
(そうね……。最近はこういった催しには出席していなかったから忘れていたけれど、大体皆こんな感じだったわ)
侯爵家という比較的高い身分を持つイザドラに対し、表立って非難の言葉をぶつけてくる者は稀だ。それこそ、そんなことをしてくるのは、道理のわからない子どもくらいだろう。ただ先ほどのミレイユのように、どうとでも誤魔化しのきく嫌味な言葉や態度ならば、これまで幾度となく経験してきた。
「……放っといて。派手な色合いのドレスを着ていたら、それはそれで言われるのよ」
「相変わらず、卑屈だなあ。もっとパトリシアのように朗らかに微笑んでいれば、そんなことを言う者もいなくなるだろうに」
(また……)
すぐにパトリシアと比べてくるヘイデンに、イザドラは腹を立てつつも、辟易としていた。
だがヘイデンの言葉に反応したのは、イザドラだけではなかったようだ。先ほどまでイザドラを小馬鹿にしたような笑みを浮かべていたミレイユが、さっとその笑顔を消したのだ。
その表情のあまりの変わり具合を見て、イザドラの背筋に冷たいものが走った。
この二人は本当に上手く行っているのだろうかと、他人事ながら心配になってしまう。
だが、それは何もヘイデンを心配したのではない。ヘイデンは従弟だ。ヘイデンの婚約が壊れた場合、そのしわ寄せがアドコックの家へくる可能性を考えてのことだった。
(婚約者に捨てられたヘイデンを今更私の婚約者に、なんて言われたら嫌だもの。……まあ、ヘイデンも嫌がるだろうけど)
「まあ、いいさ。どうせ誰にも誘われていないんだろう? 僕と踊るか?」
「……いいえ。結構よ」
昔からこうやって、ヘイデンはいつも、中途半端な優しさをイザドラに見せる。だから、イザドラは勘違いをしてしまったのだ。ヘイデンだったら、イザドラの婚約者になり、侯爵家へ婿に来てくれるのではないかと。
結局、婚約の打診をしたことで、いかに自分のその考えが甘かったのかを思い知らされることになってしまった。
ヘイデンはただ、イザドラが義理の従姉であり、想いを寄せるパトリシアの姉であるから、あからさまな態度で、蔑ろにはしないだけ。
そのことにようやく気付いたイザドラは、以後あまりヘイデンとは会話をしなくなった。
無神経な物言いに、腹を立てていたことも理由ではある。だがそれ以上に、これまでのような関係を続ければ、いつかまた勘違いをしてしまうのではないかと危ぶんだからだ。
「そう。じゃあ、パトリシアと踊ってこようかな」
先ほどイザドラをダンスに誘った時とは異なり、今のヘイデンは明らかな喜色を表に出している。先ほどの誘いが社交辞令だということはわかっていたが、こうも態度の違いを見せられては、イザドラの立つ瀬がない。
否。イザドラよりもっと、立つ瀬のない者がいた。
不躾にならない程度にチラリと視線を向ければ、案の定、ミレイユの顔が、感情を一切排除した空虚なものとなっている。ヘイデンのだらしのない笑顔と、ミレイユの表情は対照的だ。
温度差のあり過ぎる二人から、イザドラが思わず目を背けた、その時――。
ふいに、舞踏会場全体が騒めいた。
何かあったのかと、イザドラが歩みを止め、人々の視線が向かう先を見る。するとそこには、まるで全身に光を纏ったかのような美貌の男性が立っていた。
(大公様……いらしたのね)
幾多のシャンデリアの光を受けて、銀糸の髪が輝いている。黄金の瞳に、類まれなる美貌。その肌にははっきりと痣が見えているというのに、誰一人、顔を顰めるような者はいない。
誰も彼もが、男女問わずエセルバートに見惚れている。
「あれが、大公閣下か。美男の噂が正解だったな」
感心するようなヘイデンの呟きを聞いたイザドラは、わずかに胸を軋ませた。ほんのわずかだが、エセルバートのことを羨ましいと思ってしまったのだ。
(やっぱり……あの美貌を前にしては、痣なんて大した欠点ではないのでしょうね……)
もし、イザドラが黒い髪と黒い瞳ではなかったとして、そしてエセルバートのように痣があったのだとしても。イザドラ程度の容貌では、やはり欠点としかとられなかっただろう。だが、不吉とまでは言われなかったはずだ。
(何を考えているの、私は……。大公様には大公様の、お悩みがある筈よ。しかも、彼は王族。貴族の世界は、ちょっとした欠点で足を掬われる世界だもの。私よりもよほど……)
罪悪感をふんだんに詰め込んだ思考は、聞こえてきた歓声にかき消された。
ふと、無意識に俯けていた顔を上げると、前方に、何かに群がるよう一か所にかたまる令嬢たちの姿が見えた。令嬢たちの塊の中心には、頭一つ飛びぬけたエセルバートの姿が見える。
「さっそく狙われたか」
些か皮肉気に呟いたと思うと、ヘイデンは「じゃあな、イザドラ」と声をかけ、ミレイユと共にどこかへ行ってしまった。
(どうかあの二人が、パトリシアに会いませんように)
ヘイデンがミレイユに嫌われるのは構わないが、何しろパトリシアが関わっていることだ。ヘイデンとミレイユ、両家の間の問題が、アドコック家に飛び火することは避けたかった。
二人から解放されたイザドラは、今度こそと壁を目指そうとしたのだが――。
「お姉様。ここにいたのね」
「パトリシア……」
そこで再び、今度はパトリシアから声をかけられてしまった。
(ヘイデンたちと入れ違いになったようね……。逢わなくて本当に良かったわ)
「お姉様ったら、会場に着いてすぐいなくなってしまうのだもの」
「……こういう場所は苦手なの。私のことは放っといて、貴女は楽しんできなさい」
「もちろん、楽しんでたわ。でも……」
でも、と言いながら、パトリシアが視線を動かした。そのパトリシアの視線を追い、イザドラは納得する。
(なるほど。大公様と、踊りたいというわけ)
エセルバートは、いまだ沢山の令嬢たちに囲まれている。
彼の周囲にいる令嬢たちからは、色めき立った様子が伝わってきた。期待と高揚。まるで皆、家を出る際のパトリシアみたいだ。
だが、令嬢たちの注目の的であるエセルバートは、どの令嬢もダンスに誘うつもりはないらしい。どころか、一向に誰とも視線を合わせようとしない。彼は人々の好奇の視線を避けるように、何もない空を見つめている。
なぜイザドラがそのことに気付いたのかと言えば……エセルバートの行動が、こういう催しへ出席した際のイザドラと、よく似ていたからだ。




