004 謝罪の文と、お詫びの招待状
後日陛下から謝罪の文が来たことで、今回の婚約騒動は一応の決着を見せた。
謝罪の文とは言っても、正式なものではない。肩透かしを食らったことは確かだが、それでも陛下から正式な謝罪を受ける程のことではないだろう。文章の一部に、そういった言葉が書かれていただけだ。
だがそれでも、格別な配慮には違いない。
夕食時、陛下からの文を皆の前で読み上げたブライアンは機嫌が悪そうだったが、ベリンダは「陛下も人騒がせね」とは言ったものの、それ以上の興味を失ったらしい。パトリシアに至っては何を考えているのか、ニコニコと無言で微笑んでいる。
(こちらはやけに、機嫌が良いわね……?)
姉の縁談が駄目になったというのに、どうしてこんなに嬉しそうにしているのか。さすがにイザドラを嗤っているとは思えないので、何かほかに理由はあるのだろう。だが、その理由に一向に見当がつかなかった。
そう思ったのは、イザドラだけではなかったらしい。不思議そうな表情で、ベリンダがパトリシアに声をかけた。
「どうしたの、パティ? なんだか楽しそうじゃない」
ベリンダの問いに、パトリシアが美しい微笑みを浮かべながら答えた。
「ええ、お母様。だって、大公様とお姉様との婚約がなかったことになったのなら、私が大公様の婚約者になれるということでしょう?」
パトリシアの言葉に、イザドラのみならず両親さえもぽかんと口を開けたまま動きを止めた。最初に硬直から解け、言葉を発したのは家長であるブライアンだ。
「……パトリシア。大公閣下は、婚約そのものを結ぶつもりがないとおっしゃっていたのだ」
確かにブライアンの言う通り。
イザドラも一度は、もしかしたら相手がパトリシアなら大公の考えも変わるのではないかと思ったが、それならばそのように計らえばいいだけのこと。やはり大公は、結婚そのものをするつもりがないのだろう。陛下から謝罪の文が来た段階で、イザドラはそのことを正確に理解した。
だが、パトリシアはそうではなかったらしい。
「あら、お父様。あのお言葉はきっと、あの場にお姉様がいたからだわ」
ようするに、パトリシアの考えでは、大公は振った相手であるイザドラがいたから、その場でパトリシアを望めなかったということのようだ。
(だったら陛下の文はどうなるのよ……)
もしパトリシアの考えた通りなら、陛下はわざわざ謝罪の言葉などよこさない。きっとパトリシアの頭の中からは、その辺りのことがスポンと抜けてしまっているのだろう。
「パトリシア……」
呆れたように娘の名を呼んだブライアンを、ベリンダが「まあまあ、あなた」と言って宥めている。
「恋をするのは、自由だわ。恋をするのはね」
そう言って、ベリンダがグラスの中のワインを飲み干した。
ベリンダは、別に間違ったことを言っているわけではない。だが、相手は大公だ。失礼があってからでは遅い。
「パトリシア……あまり、大公様を困らせないようにね」
「お姉様ったら、ご自分がふられたからって……」
「パトリシア。イザドラの言うとおりだ。節度を持って、行動しなさい」
イザドラだけではなくブライアンにまで窘められ、パトリシアはしぶしぶといった態度ながらも「は~い」と返事をした。
(大丈夫かしら……)
素直に返事はしたものの、どこか浮かれた様子のパトリシアを見たイザドラは、一抹の不安を感じた。
✛✛✛✛✛
エセルバートと食事を共にしたこと自体を、忘れかけていた頃。アドコック家に、城から招待状が届いた。国王直々に、舞踏会へのお誘いだ。
その招待状の文章冒頭には、大規模な舞踏会を催すので、是非とも家族全員で出席して欲しいとの旨が記されていた。
国王から直々に招待されたとあれば、とても名誉なこと。きっとこの招待も、王としてはこの間の贖罪のつもりなのだろう。
(もう良いのに……)
両親やパトリシアは喜ぶだろうが、イザドラにとっては何の贖罪にもなっていない。むしろ普段こういったパーティーの類を避けている身とすれば、迷惑とすら言っても良いだろう。
だが国王から是非にと請われた以上、出ないという選択肢はない。
(仕方ないわね。陛下直々の招待だもの……)
陛下への挨拶が済んだら、あとは壁の花でいればいい。
そうだ、そうしようと腹をくくったイザドラは、招待状の文面を読み進めた。そして、最後の文章に書かれていた内容に、驚きのあまり小さく息を呑んだ。
(大公様が、出席する……)
彼が舞踏会に出席したことは、これまで一度もないと聞いている。あの様子の彼が自ら出席を希望するとは思えないので、どうやらこれもまた、陛下の企みらしい。今度は舞踏会にて、彼の目に留まる相手を見つけようというつもりなのだろうか。
晩餐会でのエセルバート曰く、兄にはきつく言っておくとのことだったが、どうやら効果はなかったらしい。
(これは、騒ぎになりそう……)
彼の美貌を思い出したイザドラは、行きたくないという思いをさらに募らせた。
✛✛✛✛✛
舞踏会の日を迎えたイザドラは、鏡の前で侍女に飾り立てられながら、小さな溜息を吐いた。
イザドラの黒い髪と黒い瞳、さらには厳しめな顔立ちに似合う色のドレスは、そう多くはない。そして淡い色よりかは、原色の方が似合ってしまう。今日のイザドラは、黒と見紛うような、深い紺色のドレスを纏っていた。
鏡に映っているのは、淑女というよりは夫を亡くし、喪に服している未亡人と言った方が的確ないでたちをした女性だ。
(印象が暗いわね……)
その暗い印象の八割は、イザドラの表情に寄るものだとわかっている。だが、どうしようもない。無理に微笑んだところで、何か悪だくみをしていると思われるのが関の山だろう。
せめてドレスの色だけでも明るい色にした方が良かっただろうかとイザドラが考えていると、イザドラ以外、全員の支度が整ったことを侍女から告げられた。
「ありがとう。今行くわ」
なるべく良い印象を与えるよう気を使いながら微笑んでみるが、侍女たちからの反応はいつも素っ気ない。パトリシアからお礼を言われた時の彼女らは、いつも嬉しそうにしているというのに、だ。
(まあ、こんなものよね……)
それでもちゃんと返事はしてくれるし無視されるようなことはないので、きっとイザドラが望みすぎなのだろう。
イザドラは気を取り直し、少しだけ急ぎ足で部屋を出た。
階段を降り玄関ホールに付いた途端、その姿を一目見たパトリシアに「ちょっと暗すぎない? お姉様」と言われてしまった。暗色のドレスを纏うイザドラに対し、パトリシアは淡い水色の、ふわりと裾の広がる優雅なドレスを着こなしている。
「……貴女のような淡い色合いの甘いドレスは、私には似合わないのよ」
上から下までじろじろと視線を這わせたパトリシアは「確かにそうね」と言って、コロコロと楽しそうに笑った。
(これで悪気がないんだから、嫌になるわ……)
パトリシアは言動が無神経で何かというとイザドラを貶す癖があるが、信じられないことに悪気があるわけではない。これまで散々人の悪意にさらされてきたイザドラには、そのことがよくわかる。
実際パトリシアの口から、イザドラの髪と瞳を嫌うような言葉を、聞いたことがない。ほかのことで貶されることはよくあるが、髪や瞳についてだけは、言わないのだ。おそらくは姉妹という気安さから、自然と気を緩めた言動をしてしまうだけなのだろう。
イザドラ以外の者にも気を緩めては大変だが、パトリシアは外では普通の令嬢として過ごしている。否、普通どころか、天使のように純粋で優しい令嬢とまで言われているのだ。そのことに関しては多少思う所がないではないが、それでもイザドラとしては、パトリシアにはどうかそのままでいて欲しいと、切に願っている。
これは嘘偽りなき本心だった。そうでなければ、姉妹ともども婚約者に困る事態となりかねないのだから。
(それでは、さすがに困るもの)
「行きましょう、お姉様。お父様とお母様が、馬車で待っているわ!」
パトリシアの声は弾み、表情には隠しきれない期待と興奮が現れている。よほど、今夜の舞踏会を楽しみにしているのだろう。
「……ええ。そうね」
軽い足取りのパトリシアとは反対に、足取り重く、イザドラはパトリシアの後について歩き出した。




