024 後日譚 パトリシアの受難とイザドラの暗躍 4
太い眉を整え、さっぱりと髪を切ったアダンの姿を見たイザドラは、ほうっと溜息を吐いた。
眉を整え髪を切っただけだというのに、完全に野暮ったさが消えている。形の良い眉の下にある、強い眼差し。いつもはぴったりと後ろに撫でつけられている髪も、今は空気を含みふわりと遊ぶ様が、まるで獅子の鬣のようだ。
今のアダンは、凛々しさの中に軽快さが加わり、かなり人目を引く風貌となっている。
発案者であるイザドラも、まさかアダンがここまで変わるとは思っていなかった。本当に素晴らしい成果だ。これならば、パトリシアもアダンに対し野暮ったいなどといった評価は下さない筈。
「……素敵です。バルバストル様」
思わずそう漏らせば、イザドラ同様アダンもそう言った賛辞に慣れていないのか、イザドラの言葉を聞いた直後に頬を赤く染め上げた。イザドラの言葉でさえこれなのだから、もしパトリシアから今の言葉を貰ったとしたら、きっとアダンは感極まってしまうだろう。その時のことを想像して、イザドラはさらに笑みを深めた。
「……次は身体のサイズを計ることにしよう。さあ、バルバストル殿。こちらへ」
アダンは何故か険しい表情のエセルバートに連れられ、あっという間にイザドラの目の前からいなくなってしまった。
「大公様、バルバストル様をどこへ……」
「着替えのための控室ね。彼にぴったりと合ったサイズの服を作る為には、一度下着姿になってもらわなくちゃならないもの」
「あ……そういえば……」
イザドラも体のサイズが変わるごとに、下着姿でサイズを計っていたことを思い出した。それはさすがに、イザドラとベリンダの前で行うわけにはいかないだろう。
「それにしても……彼、結構良いじゃない。本当に普段から何もしていなかったのね。これなら可能性はありそうだわ」
ベリンダが口元に一本指を添え、妖艶に微笑んでいる。
眉と髪を整えられている最中、アダンは肌に化粧水も塗りたくられていたのだが、その後はこころなしか肌に艶が出ていたように見えた。騎士である彼は、これまで美容になどまるで無関心だったのだろう。
「はい。驚きました。あそこまで変わるなんて……」
「ふふ。似合う服を着たら、もっと印象は変わるわよ。彼は体格が良いから、きっと見栄えがするわ」
「ええ! そうですね」
ここまで変化が顕著だと、見ている方も楽しめるものだ。ベリンダだけでなくエセルバートが今回の計画に以外にも積極的なのも、わかるというものだった。
「それにしても……まさか大公様がここまで協力してくださるとは思いませんでした」
「あら。それはそうよ。だって大公様は、彼とパトリシアに上手くいってもらわないと困るもの」
「……それは、どういう意味ですか?」
イザドラが問えば、ベリンダが見惚れるような笑顔を向けてきた。
「それよりも、こちらはこちらで布を選ぶわよ」
イザドラの言葉に反応した業者が、すかさずトランクの中からいくつかの布を取り出し広げて見せた。その布を嬉々として眺めるベリンダに、イザドラは首を傾げる。
「バルバストル様のための布ですか? それは先ほど決まったのでは……」
「違うわよ。選ぶのは貴女のドレスを仕立てる布よ。見てよ、この布。さすが王家御用達の店の商品だわ」
「王家御用達……」
世間には、王家から専属の認定を受けた業者というものが存在する。そういった業者からは、王家縁の者からの紹介がないと商品を買うことはできないのだ。
アドコック侯爵家が普段贔屓にしている業者も格式はあるが、王家御用達とまではいかない。当然取り扱う商品にも、その差が出てくる。
「あの、どうして王家御用達の店の品で、私のドレスを……? まさかバルバストル様の服も、こちらの商品の布で……?」
確かに王家御用達の店の品は素晴らしいだろうが、その分商品の値段も桁違いとなる。それをアダンは今回の計画のために購入しようというのだろうか。そしてそんな高価な布をイザドラのためのドレスに使うことに関しては、素直に受け入れることは難しい。
「ええ。これまでほとんど服など誂えてこなかったから、その分蓄えはあると言っていたわよ。あと、貴女のドレス代は大公様が出してくださるから、遠慮しなくて良いわ」
「大公様が……⁉」
今回はあくまでアダンのための計画であって、イザドラがエセルバートにドレスを買ってもらう謂れなどないというのに。そう遠慮を口にしたイザドラに対し、ベリンダはどこか呆れたような顔をしていた。
「イザドラ。婚約者からドレスを贈られることに、理由など必要ないのよ。ありがたく受け取っておきなさい。その方が大公様は喜ぶわよ」
「そう……でしょうか」
「ええ、そうよ。さ、貴女に合う布を選びましょう」
ベリンダの勢いに押される形で、イザドラも目の前に広げられた色とりどりの布に目を通すことになった。
そしてその時に選んだ布で仕立てたドレスを纏い、今宵イザドラは大公邸で催されている舞踏会へと出席していた。
(今度は邸を、舞踏会場として提供してくださるなんて……)
本当に、エセルバートは今回の件に意外な程協力的だ。
布を選ぶところからはじまり仕立てたドレスも、なんとエセルバートが紹介してくれた王家専属の仕立業者によるもの。
しかも急ぎの注文としたものだから、イザドラのドレスもアダンの服も、ふた月程度で仕上がってしまったのだ。これは職人にだいぶ無理を言ってしまったのではないかと心配したイザドラだったが、ベリンダが言うには、そう心配することでもないらしい。
イザドラのドレスにしてもアダンの服にしてもシンプルな作りであったし、しかも今回のことで業者はエセルバートに大層感謝されていたらしいので、今回の仕事はむしろ今後のことを考えた場合、業者にとっては良い機会だったのではなかろうかとのことだった。
「それにしても……やっぱり大公様に紹介してもらった仕立業者は、優秀ねえ。私も今度作ってもらおうかしら」
言いながら、ベリンダが真剣な表情でイザドラのドレスを見つめている。きっと、作ってもらうというドレスのデザインでも考えているのだろう。
「ふふ……楽しみにしています」
そう答えたところで、隣から聞こえてきた声に不意を突かれ、イザドラは驚きに身体を揺らした。
「何? 何の話?」
「パ、パトリシア。何でもないわ」
「そお? それより、お姉様のドレス……。生地も仕立もすごく良いわ。うちがいつも使っている業者のものじゃないわよね?」
さすがはベリンダの娘。今日まで一度もパトリシアの目には触れさせなかったというのに、一目で違いを見抜いたらしい。じっと見つめてくるパトリシアにイザドラが狼狽していると、ベリンダが助け舟を出してくれた。
「大公様からの贈り物よ。貴女も早く婚約者を見つけて強請ればいいじゃない」
「大公様程の財力がある男性なんて、そこら中にいるわけないじゃない!」
「あら? そうでもないわよ?」
「ええ~。どこにいるのよ」
パトリシアから問われたベリンダは、周囲を見回したあと「ほら」」と、とある方向を視線で示した。
「あの方なんて、どう? とてもセンスの良い方だと思うのだけれど。着ている服の質も、イザドラのドレスと遜色ないわよ」
「え? どこ?」
ベリンダの視線の先、人々の注目を集めていたのは二人の男性だ。
一人は、眩い銀髪の背の高い男性。もう一人は、その男性よりさらに背の高い、茶色の髪の男性。二人とも華やかで、堂々としている。
「大公様……」
一人はエセルバート。しかしもう一人を見たイザドラは、その人物が己の知人であることをにわかには信じられなかった。
(バルバストル様?)
イザドラたちの視線に気付いたアダンが、こちらを見て微笑んでくれた。だがその表情一つとっても、二カ月前の彼とはまるで別人のようだ。
一体アダンに、どのような変化があったのか。イザドラが不思議に思っていると、ベリンダが耳打ちをしてきた。
「彼この二カ月の間、大公様について所作とダンスを学んでいたらしいの。……垢抜けたわね」
「……はい。本当に、彼の変化には驚かされてばかりです」
惚けたように言うイザドラに、ベリンダが笑い声をあげた。
「貴女も人のことを言えないわよ。周りを見てみなさい。男性たちが皆、こちらを物欲しそうに見ているわ」
(物欲しそうって……)
相変わらず明け透けな物言いの義母に、イザドラは苦笑した。どうやらパトリシアの率直な物言いは、ベリンダから受け継いだもののようだ。
「それは……お義母様とパトリシアが一緒にいるのですもの。当然です」
「あら。ありがとう。でもここまで注目されている理由は、私達だけじゃないわよ。貴女本当に綺麗になったもの」
まっすぐなベリンダの視線からは、本当にそう思っているだろうことが伝わってくる。だからイザドラは恥じらいつつも、素直にその言葉を受け止めることができた。
「……ありがとうございます。お義母様」
イザドラが感動に身を浸していると、ベリンダが何かに気付いたように、不思議そうな声を上げた。
「パトリシア?」
その声につられ、イザドラも隣にいるパトリシアに視線を向ける。するとそこには、驚いているかのような表情のパトリシアの姿が目に入った。
今度はパトリシアの視線を追えば、エセルバートとアダンがこちらに向かって歩いてくる姿が目に入る。エセルバートはそのままイザドラの隣に、そしてアダンは、パトリシアの前で足を止めた。
「……お久しぶりです、パトリシア嬢。私のことを、覚えておいででしょうか」
それはいつものアダンよりも、余裕の感じられる喋り方だった。パトリシアの前に立ち、淡く微笑むアダンは実に堂々と振る舞っている。
(これが、大公様に学んだ成果なのね)
その姿はまさにエセルバートのようだと、イザドラには感じられた。
「まさか……バルバストル様?」
パトリシアの言葉に、アダンが嬉しそうに「はい」と頷いた。
アダンに肯定されたパトリシアは、目を見開いている。
そこへすかさず、ベリンダが追撃を入れた。
「どう? パトリシア。彼素敵じゃない?」
パトリシアはベリンダに、何も言葉を返せないようだ。その様子は、パトリシアにしては随分と珍しいものだった。
イザドラがそんなパトリシアの姿に見入っている間に、最初の曲が流れ始めた。
すると隣にいたエセルバートがイザドラの前に立ち、一礼をしてから手を差し出してきた。
「イザドラ。どうか、私と一曲踊っていただきたい」
差し出されたエセルバートの手を見て、イザドラは大切なことを思い出した。
エセルバートは今夜の舞踏会の主催者なので、最初にダンスを踊ることになる。そのことが惚けるパトリシアを見たことですっかり頭から抜けていたイザドラは、一気に高まってきた緊張に唾を飲み込んだ。
その緊張をどうにかやり過ごし、イザドラはエセルバートの手を取った。
「……私でよろしければ」
視線を交わし、最初の一歩を曲に乗せる。すると、すぐに緊張は解れていった。
突き刺さる人々の視線は、はじめてエセルバートと踊った時と同じだった。だが違うところもある。あの時のイザドラはまるで喪に服する未亡人のようないで立ちだったが、今は最高級の布と仕立のドレスを着て、優雅に裾を翻している。
わずかに視線を下向ければ、鮮やかな紅色の布が視界に入り込む。このような派手な色は己には似合わないと思っていたのに、化粧をほんの少し変えただけで、美しい紅色はすんなりとイザドラの雰囲気と溶けあってしまった。
(お義母様の言う通りかもしれないわ。バルバストル様だけじゃなくて、私も少しは、変われたのかもしれない)
エセルバートと婚約をしてから――否、エセルバートの傍で幸せになると決めてから、イザドラは以前程人の目と言葉を気にしなくなっていた。いまだ、顔を寄せ合いイザドラを見ながら会話している者たちを見れば、胸が騒ぐこともある。それでもエセルバートに相応しくなろうと奮闘する日々の中で、次第にそういったことを気にする頻度も減っていった。
「イザドラ。今宵の貴女は本当に美しい」
何よりも、この数カ月エセルバートの愛情の籠った視線と言葉を浴び続けたイザドラにとって、他者の視線と言葉など、何ら価値を持たなくなっていたのだ。
「大公様……貴方はいつも素敵です」
銀の髪も金の瞳も。白い肌と、その肌を覆う青白く煌めく竜の鱗も。そのすべてが、イザドラにとって最上の美しさを誇っている。
イザドラの言葉に、エセルバートが目を見開いている。それからふっと笑いを零し「これは……私の負けだ」と、負けたと言いながらも少しも悔しがっているとは思えない表情で、イザドラに微笑んでくれた。




