025 後日譚 パトリシアの受難とイザドラの暗躍 5
エセルバートと踊り終えたイザドラがふとパトリシアを見れば、なんとそこにはパトリシアの手を取っているアダンの姿があった。パトリシアはどこか面白くなさそうな表情をしているが、対するアダンは蕩けそうな視線をパトリシアに向けている。
状況を聞こうとイザドラが急いでベリンダの近くにいけば、ベリンダからは意味ありげな微笑みが返ってきた。
「お義母様。パトリシアは、バルバストル様の誘いを受けたのですね」
「ええ。まあ……まだダンスの誘いを受けただけだけれど……それでも、たいした進歩よね」
ベリンダの言う通り。以前のアダンのままだったら、きっとパトリシアは彼からのダンスの誘いを受けなかっただろう。これは幸先が良いのではと、イザドラは踊る二人の姿を見て笑みを零した。
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大公邸で開催された舞踏会から、半月ほど経った頃。
発表したいことがあるからと言われ、家族全員がブライアンによって応接間へと集められた。そわそわとしながらイザドラがその発表とやらを待っていると、満面の笑みのブライアンがわざとらしく咳を一つしてから、口を開いた。
その発表とは――パトリシアとアダンの婚約がようやく調ったとの知らせだった。
その発表を聞いた瞬間、イザドラは思わず声を上げそうになった。驚きと歓喜の声だ。ベリンダも微笑んでいたし、ブライアンに至っては今にも歌い出しそうな様子だった。ただ一つ、心配事があるとすれば……吉事の当人であるパトリシアだけは、ブライアンが話をしている間中、顔を赤らめつつも何故かむすっとしていたことだ。
もしや本心ではこの婚約を受け入れていないのではと心配になったイザドラは、隣に座っていたベリンダに身を寄せその旨を聞いてみた。もし本心ではパトリシアがこの婚約を嫌がっているとしたら、義母には心の内を話していると考えたからだ。だが、ベリンダから返ってきた答えは「照れてるのよ」の一言だった。
その一言を聞いたイザドラは、妙に納得した。
当初アダンのことを野暮ったいなどと称していたパトリシアのことだ、きっと自分の気持ちに素直になれていないだけなのだろうと。
そうして――。
家の跡取り問題が片付いたことでようやく肩の荷が下りたとほっとしていたイザドラは、現在、ベリンダから社交界で旬の話題などを聞きつつ、お茶を飲んでいた。
「そういえばね。この間ブライアンがバルバストル様と酒を酌み交わしたと、嬉しそうに話していたわ。すっかり彼のことを気に入ってしまったみたい」
それは良いことだと、その時の二人を想像してイザドラは頬を緩めた。
「……お父様、パトリシアの婚約が決まった時嬉しそうでしたものね」
思わず漏らせば、「そりゃねえ」との言葉が返ってきた。
「バルバストル様は、パトリシアの婿候補の中では最有力候補だったのだもの。本人の人柄と優秀さはもちろん、バルバストル伯爵家は、今持っている事業の成績が右肩上がりなのよ」
「そうなのですか?」
そのことについては、イザドラは何一つ知らなかった。確か一年ほど前、イザドラがアダンと見合いをした頃には、そのような話は聞こえてこなかったのだが。
「最近急成長したのよね。バルバストル様も生家の事業だから当然株を持っているし、実は婿を望んでいる家にとって、バルバストル様は引く手数多だったのよ。そりゃ大公家ほどの財力はないかもしれないけど、彼自身が優良株であることには変わらないものね」
「そうだったのですね……」
それなら、王家御用達の服にしてもすんなり購入を決められるわけだ。そしてブライアンの喜びようにも納得できる。娘の婿となる相手だ、人徳を望むのはもちろんだろうがそこに多大な資産が加わるならば、なおいいに決まっている。
「娘の一人は大公夫人に、もう一人の娘は家が資産家の優秀な婿を手に入れたのだもの。それは喜ぶわよ」
ベリンダの言葉に、自分も少しは父の気持ちを楽にさせることができたのだろうかとイザドラが思っていると、ベリンダが思いがけない言葉を続けてきた。
「これで、大公様も安心できるわね」
「大公様が?」
確か大公邸でアダンの眉と髪を整えた時にも、ベリンダは似たようなことを言っていた。あの時はイザドラが聞いてもベリンダは答えてはくれなかったが、今度は教えてくれるようだ。
「バルバストル様の件で、大公様に協力を仰ぐ時にね……ちょっと脅すようなことを言っちゃったのよね」
「大公様を……脅す⁉」
「脅すとは言っても、事実しか言っていないわよ?」
「な、何を言ったのですか、お義母様……!」
「イザドラが、パトリシアを慕うバルバストル様のために暗躍しようとしているって」
告げられたベリンダの言葉に、イザドラは脱力した。脅したなどと言うからどれほどのことを言ったのかと思っていたら、まさかの内容だった。
「暗躍……という程のことはできませんでしたが……」
それにどちらかと言えば暗躍していたのは、イザドラではなくベリンダとエセルバートだ。だが、それで何故エセルバートを脅すことになるのだろうかと、イザドラは内心で首を傾げた。この場合、エセルバートはイザドラを手伝うために、力を貸してくれただけだと思うのだが。
「それに、その言葉だけでは別に脅すことにはならないのではないですか?」
「まあそのあとに……ちょっとだけ、言葉を付け足したのよ。そのバルバストル様は、かつての貴女の縁談相手だってことをね」
「それだけ……ですか?」
「そうよ、それだけ。事実しか言っていないでしょう?」
「……そうですね」
だったらやはり、その事実だけではエセルバートを脅したことにはならないだろう。イザドラがエセルバ―と出会うまでに十回縁談を断られていることは、エセルバートとて知っていることなのだから。
「ふふ。まあ、深く考えなくて良いのよ。大公様は、貴女のために尽力してくださった。それがすべてでしょう?」
「……はい」
ベリンダの言う通りだ。イザドラがやりたいと思ったことを、エセルバートは何も言わずに手伝ってくれた。まるでイザドラに手を貸すことは、彼にとって当たり前の行いであるかのように。
イザドラが得も言われぬ幸福に浸っていると、突然部屋の扉が開きパトリシアが入ってきた。
「聞いてよ、お姉様~!」
「パトリシア……」
(なんだか、この状況覚えがあるわ……)
少し前に、自分は今の状況と良く似た状況を経験している。そのことに気付いたイザドラは、少しだけ嫌な予感を覚えた。
「あ、お母様も聞いて!」
この場にベリンダもいることに気付いたパトリシアが、ベリンダの腕に絡みついている。
「パトリシア。貴女はもう少しお淑やかにならなければ駄目よ。イザドラを見習いなさい」
「外ではちゃんとしているわ。それに、お姉様を見習ったら陰気になっちゃうじゃないの」
「あら? 最近はそうでもないでしょう?」
ベリンダの訂正の言葉に、パトリシアが「確かに……」と言って神妙な顔つきで頷いている。そんな二人の会話を聞いたイザドラは、二人ともちょっと遠慮が無さすぎるのではないかと、なんとも名状しがたい気持ちになった。
「……それで、パトリシア。私達に聞いて欲しいことって何かしら」
このまま放っておくと二人に――主にパトリシアに何を言われるかわからないため、イザドラは話を元に戻すことにした。イザドラに話を振られたパトリシアはといえば「そうだったわ」と言い、途端に眉を吊り上げた。
「聞いてよお母様、お姉様! アダン様ときたら、女性に文を貰ったというのよ! ひどいわ!」
「あら」
「ええと……それは、貴女と婚約してからのこと?」
もしパトリシアと婚約してからのことだというのなら、パトリシアの怒りもまあ理解できる。アダンには婚約者がいるからと言って、その文を受け取ることを断る選択肢もあったからだ。それをしなかったということは、婚約者であるパトリシアの気持ちよりも、文を書いた女性の気持ちを優先していると取られても仕方ない。
その場合イザドラだったら怒るよりも先に悲しくなってしまうだろうが、ベリンダなどは「まあ、もてるのね」などと言って気にも留めなさそうだ。
「……婚約する、前のことだけど」
小さな声で否定するパトリシアに、イザドラは脱力した。
「それなら……仕方ないのではなくて? それに、その女性とお付き合いがあったというわけでもないのでしょう?」
「違う……けど……」
その文をくれた相手と恋人として付き合いがあったというならまだわかるが、婚約前に文を貰っただけで非難されるのでは、さすがにアダンが気の毒ではないだろうか。
などと、イザドラは思っていたのだが――。
「でも! アダン様はずっと私のことを好きだったと言ったのよ! それなのに……!」
先ほどまで消沈していたと思っていたパトリシアが、急に表情を変え大声を上げた。どうやらパトリシアの中では、アダンの行いは許されざるものだったらしい。
パトリシアのその様子を見たベリンダが、あらあらと言いながら口元を綻ばせている。ベリンダ同様、イザドラも呆気にとられつつも、パトリシアの可愛らしい嫉妬に頬が緩むのを止められなかった。
(パトリシア……やっぱりバルバストル様のことが気になっているのね)
気になっているというより、もはや好きなのではとイザドラなどは思うのだが、もしそれを指摘した場合、きっとパトリシアは意固地になって否定してくるだろう。どころか、この婚約を取りやめるなどと言い出しかねない。
(もしそうなってしまったら、バルバストル様が気の毒だもの……)
なので、イザドラはこのまま口を噤むことにした。イザドラの代わりに口を開いたのは、ベリンダだ。
「そうねえ……。だったら、ちゃんとバルバストル様に貴女の口から伝えてはどうかしら? 今後は二度と、私以外の女性からの文を貰うことのないようにって。その主張は、婚約者として当然の権利よね」
「……そうよね! 過去のことは……まあ許してあげるけれど、今後は絶対許さないわ! 私、今からアダン様に伝えてくるわ!」
(今から⁉)
「パトリシア! ちょっと待ちなさ……」
しかしイザドラが止めるよりも先に、パトリシアは意気揚々と扉から出て行ってしまった。
(やっぱり……この状況覚えがある……! というより、あの子いつも人の言うことを聞かなすぎよ!)
「あらまあ。バルバストル様はまだ騎士団宿舎にいらっしゃると思うのだけれど、あの子先触れすら出さずにそこまで押しかける気かしら」
「お義母様、そんなに悠長に構えていてよろしいのですか……?」
パトリシアの再教育は、一体どうなっているのか。義母を疑うわけではないのだが、つい聞きたくなってしまう。
「大丈夫よ。きっとバルバストル様がどうにかしてくださるわ。本当、優秀な婿が来てくれることになって助かるわ」
ほっほっほ、と高らかに笑うベリンダを、イザドラはただ見つめるしかなかった。
それによくよく考えてみれば、パトリシアが突撃しても、きっとアダンが困ることはないだろう。むしろ喜ぶのではないかと、イザドラは考え直した。
(だって、どう聞いても嫉妬しているとしか取れない言葉なのだもの。先ほどのあの子の言葉)
ようやく本当の意味でアダンの想いが報われると思うと、ついパトリシアを応援したくなってしまう。騎士団宿舎まで突撃した際のパトリシアの評判に関しては思う所もあるが、どうせアダンはパトリシアの評判など気にしない筈だ。
だったら、二人の心が通じることを願うのみ。
「本当に……素晴らしい方が来てくれることになって、私も安心しました」
しかも先ほどのパトリシアの様子を見るに、意外にもパトリシアの方がアダンに振り回されているようだ。これならば、アダンは結婚した後も、上手くパトリシアの手綱を握ってくれるに違いない。
(やっぱり、二人はお似合いだったわね)
「ふふ。そうね。もし今後パトリシアがあのままだとしても、バルバストル様がいてくれるなら、侯爵家は安泰よ」
「そ……うで、すね」
姉としては、できることなら少しは成長して欲しいと思ってしまうのだが、懸命にもイザドラがその言葉を口にすることはなかった。
その後、騎士団宿舎へ突撃したパトリシアがもうひと騒動巻き起こすのだが――。
そのことをイザドラが耳にするのは、先にその知らせを受けたブライアンが慌てふためきながら邸へ帰って来てからのことだった。




