023 後日譚 パトリシアの受難とイザドラの暗躍 3
今夜の来客は、エセルバートだった。
ということは、言うまでもなくエスコート役とは、エセルバートのことなのだろう。
「大公様。今宵はエスコート役を引き受けてくださり、ありがとうございます」
ベリンダが先に立ち、エセルバートを出迎えている。いつの間にエセルバートと連絡を取っていたのか、アダンのことといいやはりベリンダの社交性は侮れない。エセルバートにしても、わずかながら口元を緩め、親し気にベリンダに対応していた。
一方のイザドラと言えば、この大きく胸の開いたドレスでエセルバートの前に出ていくことが恥ずかしく、いまだ姿を出せていない。
「ああ……気にしなくて良い、アドコック夫人。むしろ感謝しているくらいだ。イザドラのエスコート役を他の者に任せるわけにはいかないからな」
「ええ、そうでしょうとも」
言いながら、ベリンダが後ろを振り返る。
エセルバートもその視線を追い、今まさにイザドラが身を隠している廊下の角を見た。
「イザドラ。出てきて大公様をお迎えなさいな」
ベリンダに言われ、イザドラはようやく身分が上の者であり婚約者でもあるエセルバートの出迎えをしないことは、失礼に当たると気が付いた。今の姿をエセルバートに晒すことに恥じ入る気持ちはまだあったが、礼を欠いた行いをこのまま継続するよりはよほど良い。
イザドラは意を決し、おずおずとエセルバートの前に姿を見せた。
「……イザドラ。なんて美しい」
エセルバートは、イザドラを見るなり賞賛の言葉を口にした。
甘い言葉と眩しそうに細められた瞳に、イザドラの頬が瞬時に熱を持つ。
淑女らしく「お褒めにあずかり光栄です」などと優雅に礼を言えたら良かったのだが、イザドラの口から出てきたのは、「あ」だの「う」だの締まりのない言葉ばかり。そのこともまた恥ずかしく、イザドラの頬はさらに赤味を増し、目には涙が浮かんできた。
「……大公様。うちの娘のこと、よろしくお願いしますわね。どうか、一瞬たりとも目を離さないでくださいませ」
「……心得た」
二人の会話を聞いたイザドラは、自分はそんなにも頼りないと思われているのかと、少しだけ情けない気持ちになった。
✛✛✛✛✛
当然ながら、ナビエ公爵家にはすでにエセルバートも出席することが知らされている。
だが何分急なことだったので招待客には知らされていなかったらしく、エセルバートにエスコートされたイザドラとベリンダが入場した折には、その場にいたすべての招待客からと言っても良いほどの、驚きと好奇の視線が集まってきた。
イザドラとしてはかなりいたたまれない状況だったのだが、ベリンダはさすがだった。「気分が良いわぁ」」などと言いながら周囲に笑顔を振りまくベリンダに、イザドラは呆気にとられつつも、その豪胆さをぜひとも見習いたいと思っていた。
そして、やはりベリンダは仕事が早かった。主催者であるナビエ公爵夫妻への挨拶を終え、舞踏会の目玉としてイザドラがエセルバートと一曲踊っているうちに、いつの間にかベリンダがアダンを捕まえていたのだ。
そしてナビエ公爵夫妻に用意してもらったという専用の控室にて、今イザドラはアダンを目の前にしていた。
約一年ぶり以上となるアダンとの再会に、イザドラは複雑な心境を味わっていた。そしてそれはアダンも同じだったらしく、イザドラと目が合ったと思った瞬間戸惑いの表情を見せた。だがその視線がわずかに下向いたと思ったら、今度は目元を赤らめ下を向いてしまった。
そのアダンの様子を見たイザドラは、やはり今日のドレスは失敗だったのではと心中蒼褪めていた。だが蒼褪めていたのはあくまで心の中だけのことであり、実際のイザドラは首まで真っ赤になっていたことだろう。
エセルバートは婚約者であり、たとえイザドラがどのような恰好をしていても受け入れてくれるという安心感があったが、アダンは以前見合いをしたとはいえ普段は交流すらない人物だ。だからだろうか。エセルバートに見られた時よりも、アダンに見られた時の方が精神に何倍もの打撃があった。
「イザドラ」
エセルバートに名を呼ばれたと思ったら、突然肩を引き寄せられた。驚いて見上げれば、エセルバートもイザドラを見下ろしている。
「大公様……」
「貴女は美しい。大丈夫だ」
エセルバートはきっと、臆していたイザドラの気持ちを察してくれたのだろう。その心遣いとイザドラの気持ちに気づいてくれたことが嬉しく、イザドラは遠慮がちに、だが微笑みながら「はい」と返事をした。
エセルバートのおかげで一旦は落ち着いたイザドラだったが、アダンとベリンダの二人から注視されていることに気付き、再び顔を赤く染めた。
「あ、あの、申し訳ありませ……」
別に悪いことをしていたわけではなかったのだが、少々恥ずかしいやりとりはしてしまったかもしれない。そう思ったら、ついなんとなく謝ってしまったのだ。
「あら。謝ることはないわよ。ねえ、バルバストル様?」
「え、あ……はい」
言いながらも、アダンはまたもや頬を赤く染めている。きっと今度の赤面は、先ほどのエセルバートとのやり取りが原因だろう。「美しい」と言われ「はい」と返事をするなど、まるでお互いのことしか見えていない若い恋人同士のようなやりとりだ。エセルバートはイザドラを気遣ってくれただけだというのに、イザドラのせいでエセルバートまでもがそのように見られることになろうとは。
(もっと……もっとお義母様のように強い精神力を持たなくては……)
「それでね。バルバストル様。今日わざわざ貴方に来ていただいた、その理由なのだけれど……」
イザドラが胸の内で決意を固めている間に、ベリンダがアダンに向けて今回の計画の趣旨を説明しはじめた。
「……私が、パトリシア嬢と」
ベリンダから話を聞いたアダンは、わずかに目を大きくしながら驚いていた。
アダンは一度、イザドラと見合いをしている。それを断った己に再び、今度は妹との間に縁談話が持ち上がるとは、彼にとっては思いもかけないことだったのだろう。
「ええ。けれどまだ、正式な決定ではないの。貴方が候補に挙がっていることはあの子も知っているけれど、ああいう性格の子だし」
ベリンダのああいう性格の子だしという言葉に、アダンは深く頷いている。そのベリンダとのやり取りを見ただけで、やはりアダンはパトリシアに合っているのではないかと、イザドラなどは思ってしまうのだ。
アダンは、パトリシアの外見だけを見ているわけではない。パトリシアの良いところも悪いところもすべてを含め、彼女を慕っている。
もしパトリシアがアダンと結婚したのなら、パトリシアは本来の自分をさらけ出したまま、愛されることになる。パトリシアさえアダンを受け入れたなら、きっと二人は幸せになれるだろう。
「……やはり、私が相手ではパトリシア嬢は納得しないのではないでしょうか。彼女の夫になれるとしたら、私は幸せです。ですが、きっと彼女にとってはそうではない」
アダンの言葉に、アダンは本当にパトリシアのことを想っているのだと、イザドラはその想いに感動した。けれど、ここで最有力候補であるアダンに断られてしまったら、今後のパトリシアの婿取りは難航することになるかもしれないのだ。
パトリシアの婿になりたいと願い出る男性は、それこそ星の数ほどいるだろう。だが次期侯爵家当主として相応しい者となった場合、途端に数が少なくなってしまう。
しかもその中からパトリシアの好みに合う男性を選ぶとなれば、もしかしたらイザドラの時よりも選定が難しくなってしまう恐れがあった。
(私の時はもう、爵位も外見も関係なかったものね……。お父様が侯爵家当主として相応しいと判断した人となら、誰とでも結婚するつもりでいたし……)
というよりも、もし自分と結婚してくれるという人がいるならば、たとえその人に当主としての適正がなくとも、イザドラが公私ともに支えれば良いとまで思っていたのだ。
「そうね……。貴方の言う通りかもしれないわ。でも、貴族の結婚は家を存続させるためのものよ。あの子が、そしてあの子の婿がアドコックの家を継ぐと決まった以上、いつまでもあの子の我儘を聞いているわけにはいかないの」
ベリンダの言葉に、イザドラは罪悪感に苛まれた。
本来ならば婿取りはイザドラの役目だったというのに、不甲斐ない姉だったばかりに、妹に苦労をかけることになってしまったのだ。だというのに、その役目を放棄した自分は、エセルバートと幸せになろうとしている。
イザドラは居ても立っても居られず、アダンに対し頭を下げた。
「……バルバストル様。私からもお願い申し上げます。本来ならば、婿を取り家を存続させるのは、私の役目でした。ですが私では、それを成すことができなかったのです。私は……貴方となら、パトリシアは幸せになれると考えています。どうか一度だけ、私たちに協力してくださいませんか」
顔を上げ、アダンの瞳をひたと見据える。するとアダンが何かに驚いたように、目を丸くした。
「……バルバストル様?」
アダンの様相の変化を怪訝に思ったイザドラは、わずかに首を傾げた。だが呼びかけられてなお、アダンはイザドラを見つめ続けている。
それからわずかの間そのままでいたアダンが、やがて落ち着いた声で「わかりました」と言葉を落とした。
「バルバストル様、それでは……!」
「はい。パトリシア嬢の想いを手に入れるために、私もあがこうと思います」
アダンの色よい返事を聞いたイザドラとベリンダは、顔を見合わせ微笑んだ。
✛✛✛✛✛
ナビエ公爵家主催の舞踏会から二日後。
ベリンダはアダンを大公邸へと呼び出した。もちろん、エセルバートの許可は取ってある。侯爵邸ではパトリシアと出くわす恐れがあるため、計画を実行する場所を他へと移すことになったのだ。
(だからといって、どうして大公様のお邸で……。バルバストル様のご実家では駄目だったのかしら……)
エセルバートからよく許可をもぎ取ったものだと、イザドラはベリンダの手腕に感嘆した。
そのベリンダはといえば、先ほどまで椅子に座らせたアダンの顔を様々な角度から観察し何かを考えていたようだが、ここへきて一つの結論を出したようだ。
「そうねえ、まずは……。眉を整えましょうか」
「眉……ですか?」
眉を整えると言われたアダンは、怪訝そうにその眉を顰めている。きっと、眉を整えたくらいで何が変わるのかと思っているのかもしれない。
「ええ、そうよ。少し整えるだけで、だいぶ印象が変わるわよ。眉のあとは髪ね。今流行りの形に整えてあげる」
「普段私が世話になっている、専門の技術者を邸に呼んである。髪だけでなく眉もその者に整えてもらえ」
しかも、エセルバートは何故かアダンの改造に乗り気だ。
王族という立場故か、エセルバートも身なりには相当気を使っている部類だと思われるので、アダンのどこかあか抜けない雰囲気を見て、気になったのかもしれない。
その、エセルバートの言う専門の技術者が、さっそくアダンの眉に剃刀を当てはじめた。彼はあっという間に眉の形を整えたかと思ったら、次にアダンの茶色い髪を切り出した。床に敷かれたシーツに、切られたアダンの髪がパラパラと落ちている。
「服は……どうしましょうか。何色が合うかしら?」
「そうだな……。髪よりも濃い茶色か、あるいは黒も……いや黒はやめておこう。ここはパトリシア嬢の瞳を意識して、青系統の色はどうだろうか」
「いいですわね。紺色とか似合いそうだわ」
これまたいつの間にか部屋に控えていた業者から受け取った布を、髪を切られているアダンの顔の近くに寄せ、ベリンダとエセルバートがあーでもないこーでもないと意見を交わしている。二人のやり取りに、イザドラはまったく入る隙が無い。
(すごいわ……お義母様も大公様も。私など、バルバストル様に何色が似合うかなんて、まるでわからないわ……)
この計画の発案者である筈のイザドラは、ただ茫然とベリンダとエセルバートによってアダンが変化していく様を眺めているしかなかった。




