021 後日譚 パトリシアの受難とイザドラの暗躍 1
イザドラとエセルバートとの婚約が結ばれたのは、今から六日程前のこと。
その時にエセルバートから贈られた黒薔薇は、現在は花瓶に生けられ、イザドラの部屋に飾られている。
エセルバートによると、魔術によって花が長持ちするよう細工が施してあるため、通常よりは長く楽しめるという。実際六日立った今でも、薔薇は瑞々しさを保っていた。
イザドラがその黒薔薇を幸せな気持ちで眺めていると、突如大きな音を立てて扉が開かれた。
何事かと振り返れば、パトリシアが泣きそうな表情で立っている。その様子に驚いたイザドラは、つい、ノックを省いたことに対する苦言を呈することを忘れてしまった。
「パトリシア? どうしたの?」
「……助けて、お姉様~!」
大きな目にたっぷりの涙をためて抱きついてきたパトリシアに、イザドラは目を白黒させた。
そのパトリシアをまずはソファに座らせ、どうにか宥めながら聞き出した話によると、パトリシアの婿に関することで、彼女は大きな衝撃を受けたのだという。
両親の間で、パトリシアの婿の選定が着々と進んでいるらしいことは、イザドラとて知っていた。だが、それだけならばパトリシアが嘆く理由にはならない。イザドラがエセルバートの元へ嫁ぐと決まった段階で、パトリシアの婿が家を継ぐことは決定事項だったからだ。そしてパトリシア自身も、そのことを了承していた。
問題は、その婿となるのが誰なのかということ。
ヘイデンはすでに却下されているので、当然ながら候補は別の誰かということになる。
そこで一体誰が候補に挙がっているのかと気になったパトリシアは、こっそり両親が選んだ候補者の調査書を覗き見したらしい。そしてその候補の一人となっていた人物を見たパトリシアが、こうしてイザドラの元へ助けを求めてやってきたというわけだ。
「そう……。アダン・バルバストル様が、貴女の婿候補に」
「そうなの! あの、まるで面白みのない野暮ったい外見の方が、私のお婿様候補に挙がってたの~!」
泣き出したパトリシアに、イザドラは何と言ったものか悩んだ。
人様のことをそのように言うものではないと、叱ることもできた。だが今のパトリシアにそれを言っても、素直に聞き入れるとは思えない。結果、イザドラは少しでもアダンに対するパトリシアの印象を良くしようと試みることにした。
「パトリシア……バルバストル様は、とても良い方よ? 優秀だし、彼になら安心してこの家を任せられるわ」
「でも、あの方全然格好良くないのだもの!」
「パトリシア……」
アダン・バルバストルは、伯爵家の次男。現在は騎士団に所属する傍ら、当主となって間もない兄の補佐も請け負っているらしい。そして何を隠そう、彼はイザドラの九回目の縁談相手でもあった。
イザドラが丁度そのことを考えていた時、奇しくもパトリシアがまるでイザドラの考えていることを読み取ったかのような言葉を放った。
「それにあの方! お姉様のこと振ったのよ!」
パトリシアがそのことを覚えていたことに、イザドラは驚いた。まさか、これまでにパトリシアを振った相手をすべて覚えているわけではないだろうが、少しでも気に留めてくれていたのかと思えば、喜びも湧いてくる。
「それは……。確かにあの方には縁談を断られたわ。でも、あの方にも事情があったから……。それに、私を振ったのはヘイデンも同じよ?」
「ヘイデンは良いのよ。でもあの方如きがお姉様を振るなんて……」
パトリシアは何やら怒っているらしいが、パトリシアの言葉をよくよく考えてみると純粋にイザドラのことを想って怒っているわけでもなさそうだった。ヘイデンなら良くてアダンは駄目など、それはイザドラにもアダンにも失礼だろうに。
(しかも、如きって……)
自分の気持ちに正直なところは、さすがパトリシアだ。だからといって、流石にその言い方に関しては一言申しておかなければならないだろう。
「パトリシア、流石にあの方如きという言葉は……」
イザドラがパトリシアを諭している最中、パトリシアが勢いよくソファから立ち上がった。華奢な両掌は、拳の形に握られている。
「……パトリシア?」
「こうなったら私……絶対、自分でお婿様を見つけるんだから!」
「え⁉ ちょ、待ちなさいパトリシア……!」
イザドラの制止を無視し、パトリシアは意気揚々と部屋から出て行ってしまった。その端からアダンを拒絶するパトリシアの態度を見て、イザドラはもったいなく思った。
(多分、あの二人は合うと思うのに……)
だがイザドラがそう思っても、パトリシアは納得しないだろう。アダンはパトリシアが好みとする男性とは、まるで真逆の男性だったからだ。
イザドラが見る限り、パトリシアは、派手な外見の男性を好んでいる。だがここで言う派手とは、何も奇抜な色や恰好で目立っている者という意味ではない。人目を引く者という意味だ。その人目を引くという意味の中には、もちろん美しさも関係しているのだが、おそらく、それが最重要というわけではない。
エセルバート然り、ヘイデンとてその容貌は美しい。だが、それだけではない。髪型や服装などの外見も洒落ていて、群を抜いて洗練されている。だがアダンはさきほどパトリシアの言ったとおり、どこか野暮ったい印象を受ける人物なのだ。
だが彼は、イザドラが見合いをした中では一番まともな人物だった。それどころか、彼側の事情さえなければ、きっと彼と結婚した暁には彼とともに幸せになれただろうと、そう思えた唯一の相手でもあったのだ。
✛✛✛✛✛
ブライアンが九回目の縁談をイザドラに持ってきたのは、イザドラが二十三の時だった。
『イザドラ。バルバストル伯爵の次男、アダン殿を知っているかい?』
『ええ、存じております』
『彼は君の二つ下で、現在騎士団に所属している。性格も穏やかで、優秀な人だよ』
『年下……』
『年下は嫌かい?』
『いいえ、そうではありません。ただ……お相手の方が、年上は嫌がるのではないかと』
イザドラがそう言えば、ブライアンはそんなことはないと言ってくれた。だが、その声はやはり弱かった。
本当は、イザドラが年上だから嫌がると思ったのではない。妻が夫より年上の例は確かに少ないだろうが、まったくないというわけでもないからだ。
本当は、イザドラのこの髪と瞳を嫌がられると思ったのだ。だが、そのことをそのまま口にする勇気がなかっただけ。そして、ブライアンもきっとそのことに感づいていただろう。
きっと、今回も断られることになる。
結局イザドラのその予感は当たることになるのだが、その時だけは、普段とは少しだけ様子が異なっていた。
アダンとの見合いは、侯爵邸で行われた。
纏まれば侯爵家への婿入りという見合いともなれば、本来ならば伯爵家当主であるアダンの兄が付き添うのが望ましい。だが、イザドラはアダン一人でも良いと先方に告げていた。きっと兄がいては、アダンもこの縁談を断りづらくなると考えたからだ。
アドコック家は侯爵家。
相手側の家の爵位が侯爵より下の場合、イザドラとの婚約は、相手個人はもちろん、相手側の家にとっても出世の糸口となる。だが、その機会を放棄してまで、皆イザドラと縁付くことを嫌がるのだ。
これまでの見合いに関しては、相手側に、家の当主が付き添っていた。そしてその場合、当主といるときは断るための明言を避けていたのに対し、当主が席を外した瞬間、イザドラ自身に縁談の断りを入れてきた者がほとんどだったのだ。
それならば最初から、見合い相手一人と会った方が手っ取り早いし、傷も浅くてすむ。これまでの経験からそう考えたからこそ、イザドラは今回アダン一人との見合いを望んだのだ。
対して、応接間に現れたアダンはイザドラに対して礼儀正しかった。イザドラの髪と瞳を見ても、視線を逸らさなかったし、嫌な顔もされなかった。
その彼の態度を見たイザドラは、これはもしかしてと期待したのだが――。
『申し訳ありません、イザドラ嬢。私は、この縁談を受けるわけには参りません』
やはり、挨拶のあとの第一声にて断られてしまった。
『ええ……。ええ、はい』
『勘違いしないでいただきたい。私は、貴女を厭ったわけではないのです』
そうは言っても、実際には彼はこの縁談を断っている。そのような言葉は、単なる言い訳に過ぎないだろう。
イザドラが何も言わないでいると、アダンはこの縁談を断る理由を話し始めた。
『私は……パトリシア嬢をお慕いしております』
『そう……ですか』
やはり、アダンもこれまでの相手と同じだった。彼も、イザドラではなくパトリシアを望んでいる。そんなことは最初からわかっていたことだというのに、やはりこうもはっきりと告げられてしまえば、心は傷付く。
それでも、アダン自身が礼儀を持って接してくれたおかげで、思っていたよりも気分を害することはなかった。それだけでも、満足しなければならないだろう。
これで、今回の見合いは終了だ。
ひとまず会ってくれたことに礼を云おうと口を開きかけたイザドラより先に、アダンが口を開いた。
『……この縁談を受けた方が、きっと私のためなのだということはわかっているのです。ですが、私はパトリシア嬢のことを、どうしても忘れることができない』
忘れることができない。
アダンのその言葉が気にかかった。
イザドラはアダンもきっと、パトリシアの外見に惹かれているのかと思っていた。もちろん、それもあるだろう。だが先ほどのアダンの言葉には、どうにも別の意味が隠れていそうだと感じたのだ。
『バルバストル様は……どこかでパトリシアとお会いになったことが?』
アダンとパトリシアは、家が侯爵家と伯爵家。爵位の近い家の貴族同士。社交の場で会うこととてあるだろう。だが、おそらく彼の場合はそうではない。
そう、イザドラの考えた通りの話の内容が、アダンの口からもたらされた。
『……二年程前。兄の名代で参加した舞踏会で、私はパトリシア嬢と出会いました。その舞踏会には当初兄が出席する予定だったのですが、前日になってどうしても外せない仕事が入ってしまったのです。
そこで私が兄の代わりに、兄の細君と連れ合いその舞踏会に出席することになったのですが……そこで少々、困る事態となってしまいました』
『困る事態?』
『ええ。舞踏会に来ていく、私の服がなかったのです』
『服が……?』
アダンの言葉に、イザドラはわずかに眉をひそめた。仮にも伯爵家の者が、舞踏会に来ていく服がないなど、ありえるのだろうかと。
イザドラの疑心に気付いたのだろう。アダンが少しだけ、困ったように眉を下げた。
『誤解なきよう言っておきますが、服を買う金がなかったのではありません。ですが、私は当時の一年前には騎士団へと入り、それ以降社交とは距離をおいてきました。どうせ使う機会はないからと、社交用の服一着すら誂えていませんでした。
そして兄の代役は舞踏会の前日に決まったものであり、見ての通り私は体格が良いもので、私に合う服は店には置いていません。その為、既製品を買うこともできなかったのです』
そう言うアダンの体格は、一般的な男性と比べてもかなり良い部類に入るだろう。店に常時置いてあるような既製の服は、その一般的なサイズを目安として作られている。確かに彼が前日に店を訪ねたとしても、彼に合う服はなかったに違いない。
『……ならば、どうしたのですか?』
『私と同じく体格の良かった、祖父の服を借りました』
『お祖父様の……』
『お察しの通り、その服はとんだ流行遅れだった』
高価な宝飾品などを代々受け継ぐことは良くあることだが、着衣はというとそうではない。アダンの言う通り、流行遅れとみなされることがほとんどだ。
『皆が私を見てひそひそと影口を叩く中、ふいに私に近づいてきたパトリシア嬢が、私の服を見て言ったのです。まあ。その服、型は古いけれどとても良い生地を使っているのねと』
なるほど、型は古いけれど、としっかり前置きはするあたり、パトリシアらしい。だが、良い生地を使っていると思ったのも、本当だろう。
『彼女のその言葉で、私に対する視線が和らぎました。彼女の性格を考えれば、あの時のことは単なる偶然だったのでしょう。おそらくはあの時の彼女に、私を助けようという意図はなかった筈。ですが、彼女の言葉で私が救われたのは事実です』
その日からずっと、身の程知らずにも自分はパトリシアを慕っているのだ。そう言って、アダンはイザドラにはにかんだ笑顔を見せた。




