002 持ち込まれた縁談
「ああ~、お前たちに縁談が来ている」
それだけを告げ、ブライアンは再び口を閉ざしてしまった。
「……お前、たち。ですか?」
イザドラでもなく、パトリシアでもなく。お前たち。
一体どういった案件だろうとイザドラが訝しんでいると、ブライアンが「実はな」と語り出した。
ブライアンの語った話によると――。
この国の王の弟が、今年で三十を迎えた。だが、いまだに妻を持っていない。そこで王が、弟のためにお節介を焼いたらしい。
王弟エセルバート・シェリダンは、この国の大公でもある。
世間ではもっぱら大層な醜男だと囁かれているが、反対に神も羨む程の美男だという噂もある人物だ。
どちらの噂が真実かは、わからない。彼の姿を見たという者が、極端に少ないというのがその理由の一つ。もう一つの理由は、その数少ない証言者の言葉が、噂のように真っ二つに分かれてしまっているからだ。
その証言者にしても、彼の容貌がどのように醜かったのか、あるいはどれ程に美しかったのか。細かなところになると、途端に言及することを拒むのだという。
特に、どのように醜かったのかについては、その詳細を誰一人として口にする者がいなかったらしい。王族という高貴な身分の者について口さがなく噂することは、ともすれば不敬になりかねない。口留めをされているというのが、世間の見方だった。
だからこそ、人々はより一層彼の隠された容姿に興味を抱き、噂するのだ。
絶世の美男か、はたまた目にした者が視線を逸らす程の醜男か。
どちらの噂も、顔を見せない相手に対するものとしては、さもありなんといった内容だ。だが、彼に纏わる噂は、もう一つある。
エセルバート・シェリダンは、呪われている。
この噂こそ、彼という存在を物語る上では、一番重要な要素だろう。
噂の呪いは、彼個人ではなく王家の血筋に寄るものだ。この国の王家には、竜に呪われているという伝承がある。
かつてこの国に荒ぶる竜が現れた時、その竜を倒したのが、王家の始祖となる男だった。しかしその男は竜を倒したことで、竜から呪いを受けることになる。
その呪いが、どういった類のものなのか。こちらについても、今のところ知っていると声を挙げる者はいない。そしてその噂のせいなのか、王弟という高い身分にも関わらず、彼の婚約話は纏まった試しがないということらしい。
この曰く付きの王弟に連れ添うに相応しい身分と年齢の令嬢を、王自らが選出した。そして選ばれたのが、アドコック侯爵家の二人の姉妹だったそうだ。
「……私と、パトリシア。どちらかが、王弟……大公様の元へ嫁に行けと」
「……そういうことだ」
苦し気に肯定するブライアンに、けれどイザドラとしては、心の内ではどこか安堵していた。父はようやくイザドラに婿を取らせ、この家を継がせることを諦めたのだ。パトリシアではなく、イザドラを含めた二人にこの話を持って来たのが良い証拠だった。
「……では、私が大公様の元へ行きましょう」
イザドラの言葉を聞き、ブライアンが息を吐きだした。
「……イザドラ」
名を呼ぶ声にはイザドラに対する哀愁が含まれていたが、それとて積極的に止めようというものではない。しかし、それは仕方のないことでもあるのだ。
このまま婿を探し続けたとしても、結局相手は、イザドラではなくパトリシアを望むだろう。二人のうち、どちらでも良いと言ってくれる相手なのだ。ならば、パトリシアではなく、イザドラが嫁に行けば全てが丸く収まる。
「そうね……それが良いわ。お姉様が適任よ!」
突然のパトリシアの言葉に、イザドラだけではなく、ブライアンもハッと息を呑んだ。
「適任……」
思わず落としてしまった言葉に、パトリシアが即座に反応した。
「ええ。だってお姉様はこの間、十回目の縁談を断られてしまったでしょう? さすがにそろそろ、私がお婿様を迎えてこの家を継ぐことも考えなければいけないのではなくて?」
「パトリシア、それは……!」
パトリシアを諫めようとするブライアンを、イザドラは止めた。
「いいの、お父様。パトリシアの言う通りよ」
どちらかがこの家を出るというのなら、それはすでにイザドラの負うべき役目なのだ。だがブライアンは、イザドラのその言葉に頷くことはなかった。
「イザドラ……そう答えを急ぐことはない」
先ほどは父もようやくイザドラに家を渡すことを諦めたのかと思っていたが、どうやらその考えは間違っていたらしい。
だが、やはりイザドラは思うのだ。アドコック侯爵家は、パトリシアの婿に継いでもらった方が良いのだろうと。
「……いいえ、お父様。大公様の元へは、私が嫁ぎます」
父の気持ちは、純粋に嬉しい。だが、イザドラには少々重くもあった。
侯爵家は、イザドラの婿に。
そう言われる度に、一向に婚約者の決まらぬ至らぬ娘である自分を、眼前に突きつけられた気がしていたからだ。
「……そうか。わかった」
父には申し訳ないが、これでようやく、責務から解放される。
イザドラはそう考えていた。
✛✛✛✛✛
父との話し合いを終えたあと、複雑な思いを持て余していたイザドラは、庭園へとやってきていた。美しい花々を見て、心を和まそうと考えたのだ。
今は薔薇が見頃な時期。侯爵邸の庭にも、見事な薔薇が咲いていた。その薔薇を見ながら、イザドラは小さく息を吐いた。
(……身勝手なものね。ずっと婿取りの役目を重荷に感じていたというのに、いざとなったら悩むことになるなんて……)
結婚が決まったことに関しては、正直ほっとしていた。けれど、本当にそれで良いのかという思いもあった。断られても断られても、ここまで見合いを続けてきたのだ。それなのに、ここで諦めてしまって良いのだろうかと。
けれど家の跡継ぎ問題に関しては、重要なのはイザドラの気持ちではないのだ。重要なのは、当主の座を相応しい者へと引き継ぎ、アドコックの名を存続させること。
イザドラには、それができなかった。
ならば、できる者にその役を譲るしかない。
(パトリシアなら、それができるわ……)
これで良かったのだとイザドラが自分を納得させていると、背後から突然声がかけられた。
「やあ、イザドラ。結婚が決まったのだってね」
驚きながらもイザドラが振り返れば、そこには幼い頃からの付き合いがあるヘイデンが立っていた。
「ヘイデン……」
ヘイデンは、義母であるベリンダの兄の息子。ようするに、パトリシアにとっては従兄、イザドラにとっては義理の従弟にあたる。そして、ヘイデンは最初にイザドラとの婚約を断った相手でもあった。
パトリシアよりも濃い金髪に、薄い青の瞳。パトリシアが天使か妖精ならば、このヘイデンという男はさながら婦女子の思い描く貴公子そのもの。実際の身分は子爵家の嫡男ですらない次男だが、パトリシア同様、社交界での人気は高かった。
「……耳が早いのね」
大公との婚約を受けると決まったのは、昨日の話だ。それを今日、ブライアンが王へと返事をしに城へ行っている。まだ、世間の噂にすらならないはずだというのに。
(どうせ、パトリシアから聞いたのでしょうけれど……)
パトリシアは昨晩、ベリンダと一緒にこのヘイデンの家が主催する晩餐会に出席していた筈だ。そこでパトリシアから聞いたとしか、考えられなかった。
(まあ、相手が誰かまでは聞いていないみたいだけれど……)
「でも、まだ正式な婚約を結んだわけじゃないの。誰にも話さないでね」
「そうなのかい? なるほど……では、また駄目になるかもしれないということだね」
「そう、ね……」
「でも、今回は君が嫁ぐ方向で話が進んでいるそうじゃないか。ようやく叔父上も諦めたんだね」
笑顔のヘイデンに、イザドラはあっけにとられた。
確かにその通りなのだが、それを本人を前にして言う神経は理解できそうにない。しかもこちらもパトリシア同様、特に悪気があってのことではないのだから質が悪い。
(従兄妹だけあって、こういうところは本当、パトリシアに似ているわ……)
先ほどの言葉だけでもどうかと思うのだが、驚くことに、ヘイデンはさらに無神経な言葉を重ねてきた。
「あ~あ。もっと早くに伯父上が、君に家を継がせることを諦めてくれていたら、僕がパトリシアと結婚できたかもしれないのに」
イザドラの気持ちなど、これっぽちも考えていない、無神経な言葉。その言葉を聞いたイザドラの脳裏に、かつてヘイデンからかけられた言葉が蘇って来た。
《同じアドコックの血を引いているのなら、妹であるパトリシアでも良いじゃないか》
ヘイデンに言われたこの言葉を、きっとイザドラは一生忘れることはない。
そして次に続いた言葉に、当時のイザドラの心はずたずたに引き裂かれた。
《君は正直、僕の好みじゃないんだよね。黒髪に黒い瞳なんて、不吉だよ。特にその瞳。何を考えているかわからないし》
淡い恋心を抱いていた相手に、真向から否定されたのだ。忘れられるわけがない。
その時のことを思い出し、イザドラは思わず顔を俯けた。
あの時のイザドラは、あまりの衝撃にただ口を噤み、下を向いて唇を噛むしかできなかった。だが今のイザドラは違う。イザドラは俯けていた顔を上げ、ヘイデンを見据えた。
「……貴方はもう、婚約しているのよ。ヘイデン。あまりそう言うことは、口に出さない方が良いわ」
「大丈夫だよ。ミレイユは僕に夢中だからね」
恥ずかしげもなく言い放ったヘイデンは、とても魅力的な表情をしていた。かつてのイザドラも騙された、極上の微笑みだ。
「じゃあね。イザドラ」
言いたいことだけを告げたヘイデンは、邸へ向かい歩いていってしまった。きっとパトリシアに会いに行くのだろう。この男は、昔から従妹であるパトリシアに惚れているのだ。そして、それは婚約者を得た今であっても変わらない。
親が決めた相手だから。
ヘイデンは、己の婚約者のことをそう公言して憚らない。
確かに、貴族の結婚はそのほとんどが政略的なもの。だが婚約が一旦決まったからには、相手を大切にするべきだとイザドラは考えていた。
(私も……大公様のことを、大切にするわ)
受け入れて貰えたらには、なってしまうけれど。
そんなことを考えならが、イザドラは庭園に咲く薔薇を見つめ続けた。




